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内罰的な日本の私

『新世紀 エヴァンゲリオン第16話 死に至る病、そして』の冒頭のシーンが割りと有名らしい。
風呂が熱かった事でアスカが怒り、沸かしたシンジはすぐに謝る。その事についてアスカは「内罰的だ」と戒める。普通の人が日常会話で使う様な言葉ではないし、冒頭でわざわざこんな言葉を使ってるのは、この話が「心の話」である事を示しているのだろうという。
内罰的とは心理学で、上手くいかない事が生じた場合に、それを自分の責任と考えて、自分を責める傾向の事だ。欲求が満たされないような事態に陥ったとき、その責任を自分に向け自責の念を持つことをいう。
この絵を過日紹介したが、このなかの「ないばつてき」ということばが気になったのである。

 トラブル対処に際して攻撃が外に向けられている「外罰的反応」と攻撃が自分自身に向けられている「内罰的反応」、そして攻撃をはぐらかす「無罰的反応」というのがあるんだそうな。歩道を歩いていたら車道の自転車が接触したとすると「ばかもん、けがしたじゃねーか」とつっこむ、「あら、じゃましてすいませんね」と応じる、そしらぬかおをするというのがおのおのに相当するのかな。同じ人が場面ごとに異なることもあろうが、こういう事例を国ごとにテストし統計を取って処理してみると、日本人には内罰的傾向が強く見られるという結果になるという。特徴的なのは謝罪の言葉と感謝の言葉が同じということだそうだ。「すみません」という表現が典型的という。自分のため相手の負担増に恐縮していることを伝える表現だということである。
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そもそも、現代の日本は社会変革も制度変革にたいして過激な行動をとることができるかというと難しい。既存のものがどこかに関連するという革命の歴史が日本にはあるわけで、革命でも天皇制をベースにしている所が前提であった。順応して不快感やストレスをためないように生きるのが一番生き延びるのは適したということである。そうういう世界では、変革のストレスは自発的にせよ他によるものでも「内罰的」になってしまう。
もちろん、論理療法や認知療法は自分の思考や認識を変えようとする技法を説いているし禅宗の教えも自己改革の側面が強く、「内罰的」ではない。浄土宗の念仏信仰は自分を責めるようなことはあまりない。ただし、自分の思考や認識を変えようとする技法というのは極めてそこがストイックになり、また過去来歴のような過去の来歴を分析しすぎると「内罰的」になる側面がありそうだ。
じつは外部に責任を持たせる写し鏡として、内罰的な方向に走る考え方は、海外の人にはあれれということになるんだそうで、キリシタンの布教状態をを考えると、マリア様を過大に扱い、ひたすらすがる姿勢とを宣教師たちは不思議に感じていたともいうし、最初から内罰的なプロテスタントの布教はまったく成り立たなかったということがある(宗教をかまさないからこそ、日本で商売が出きたオランダであるが、それはプロテスタントの布教が成り立たないという判断もあったとか)。なお韓国は現在はキリスト教の信者も多い。(人口の約3割がキリスト教徒で仏教より多い。19世紀に入ったプロテスタントの信者が全体の18%、多くは18世紀から伝えられたカトリック信者が10%)後述するが、ここもある意味内罰的存在がかなり変形して出てくると考える。
また、地歌のように三味線を用いた音曲でも、 劇的な表現は少なく視覚的な内容よりも心情的な内容を表現した音楽が多いとされる。これは、目の不自由な作曲家によって作られたが多いという事由もある。
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もちろん、このような心理描写を哲学的に解析するというのは、ある意味生きた人間というより頭でっかちで思考の中でのみめぐらしている側面を持つという指摘がある。内罰的以前に志向が内部に全部向かっているということが表現行為として発展的適切なのかということになる。腺病質なキャラクターのドラマというのが、非常に気になる側面があり、病的なキャラクターが多いという側面を指摘するものもいる。
けど、その手法を否定することは、日本独自の分類である私小説(私小説自体は名前としてはなくとも海外にもあるが、心象風景を書き込むのは少ない)のなかにあるきわめて腺病質的なものを否定することになる。私小説というなかで破滅型とか、狭義の心境小説などは、そこまで考えると、ほんそつは変わらない。群像小説でありながらきわめて心境小説の志向があったということ事態、いずれは出てくるべきアニメといっていいのではないか。

基本日本人は、内向的に社会を回避する傾向がある。落語・漫才のボケ方の形態とて、喧嘩を仕掛けることで笑いを呼ぶのと、先につっこまれて笑いを呼ぶというのがある、そ知らぬせかいにいってしまうのは漫才では最近出始めているが(ダウンタウンがはじめたという)落語ではたまにある。そのようにこの形態は普遍的なものであるが、そもそもあるんではないか。
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大江健三郎氏の『あいまいな日本の私』という本がある(元は氏のノーベル賞受賞講演)これも元ねたは、川端康成氏のノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」のパロディという。
川端康成が東洋の美意識を理解しようとする人びと、すなわち西洋人の「東洋の神秘」への関心と期待に、積極的に応えようとする人々意外には閉じた言葉で語っていると考えて、それに対する西洋人に開かれた知性を示そうとする意識らしい。中には必ずしも統制が取れたといえないものもあるようだが、近代化すなわち西洋化と伝統保守の二極に引き裂かれた日本の〈あいまいな進み行きは、アジアにおける侵略者の役割にかれ自身を追い込みもしました〉という歴史観は、自明のことのように語られている。なぜ、そうなったのかは明確になっていない。ただこの志向は内省的になりだすと、外に向かっても理解されないのに中には理解されたりする。近代文明の発展とそれと矛盾する伝統とが同時に共存する状態は、西欧諸国においてもごく普通に見られることだとは思うが、しかしその結果、理解できないものとなると、「マニアだけが知っていればそれでいいんだ」という閉じた世界に入りやすい。
アメリカ人と交渉するときでも、中国人と交渉するときでも私はどうしても、わからないなら私が悪いんだという志向になってしまう。挙句は「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、エンパイアステートビルが高いのも、共産党が強いのも、みんな私が悪いのよ」とまで行き着きやすい。こうなると、アメリカの人も、中国の人も「でしょー、だから私の言うとおりにしなさい」という誘導を始めるところがどうしてもあるようだ。詰まるところ対外的に理解できなさそうな内容になったら内側に引きこもってしまい、うじうじ悩みだすのが内罰的志向に他ならない。(余談ですが、日本のことを300年引きこもった、引きこもりの先駆者ということを言った人がいるのには受けた)
知人に韓国のプラントメーカーにOEMを出す担当をしていた人がいて、聞くと韓国も中国に似ているとも言うのだが、余り厳しくこっちが突っ込むと韓国の人は突如内罰的になってしまうともいえるといっていた。所がこの内向的なところは「ハン」(煩悩・怨・恨とは異なり、種々の願望が叶えられない不満・嘆き・嫉妬と羨望・夢が近い)となってたまり、あるとき突如爆発しなかなか抑えられないとぼやいていた。
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つまり、内罰的なことは自己分析でもあり、失敗を解析する姿勢(いわゆる「失敗学」)であるため文化的にも、工業的にも日本の製品改良を旨とする「カイゼン」志向にあっているという側面がある。しかし、そのような姿勢のもともとない地域にはこの日本人の社会への志向、危険回避の志向は理解できないどころか、陥れるためのトラップをみすみす示しているものだともいえる。しかも、これらの国の人々には単発的な反省志向はあってもそれをシステマティックに捕らえ、反省の連鎖の中で新たな問題を解決していくことはもともと重要視されない(そのいみで、事故事例集などの解析は厳しくされている部門(例:航空機)とまったくしない部門との差が激しく、失敗学という意味での解析は製品の改修としてまでで、再発防止というところまで進められないという見方もある)。その代わり、モデルチェンジでは過去の実績などを元にドラスティックに変革していく。こちらが日本人は苦手である。海外製品を分解調査する(特許の抵触などの動向分析が目的)と「なあんだこの設計変更はよ。設計に関する互換性を否定してかかってるな、と驚くことも多い。)
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そういうことになると、新世紀エヴァンゲリオンは日本人がつくったらしいアニメになっている、またある意味心象風景を重んじることを考えると、EUのほうには受け入れやすいのではとは思うことがある。それよりも近松門左衛門の心中モノの心象風景の書き方もある意味内罰的なものがあるともいえる。だから同調者がでて心中ブームを引き起こした(岡田有希子・藤村操の例が有名。これを、ウェルテル効果(Werther effect)ともいう)ともいえるのだが。要するにEU各国にモンロー主義的な内向的志向があるからこそ分立することを考えると、この作品は閉鎖的文化の傾向にあるといえるのであって、内罰的な世界に理解されるエリアに深く入り込めばいいのである。そしてそれが世界では特殊であることを認識しながらね。

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