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早春の房総路にて(2/3)

(承前)
但しストライキ自体に対する意見はあるのだろう。NIFTYのトップページに張ってあったたリンクで、こんなのを見つけた。若手の経営者の方である。
http://toyogaku.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-a2c4.html
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2009年3月18日 (水)  ANAのスト突入
ANAがストをしていると知りました。
いつもストのニュースを見て思うのですが、 ストをして何を得たいのだろう?って思います。
確かに会社側と従業員側では考えが違うこともあるでしょう。 当たり前です。 給料にしても、待遇にしても、福利厚生にしても不満があることでしょう。 当たり前です。
何が不満なんだ!と思います。
比較することは好ましくないかもしれませんが、いわゆる大企業と私たち中小零細企業では、そのすべてに格差があります。しかし頑張っています。
最終的にストをして得するのは誰ですか? 全員が迷惑します。
私も飛行機にはよく乗ります。 いつも笑顔で接客してくれます。 でも、その裏で自分の待遇のことばかり考えているのかと思うと嫌になります。
誰から給料をもらっているのかと思います。 会社からではなく、お客様からもらっているということを忘れてると思います。 ストによって何万人に影響しているのですから。
自分達のストの為に大切な約束を守れない人が、 楽しみにしていたものがダメになる人、 飛行機に乗る人は理由があって乗るのです。 何の用事もなく乗りたいから乗る人はいません。
ANAの理念です。
http://www.ana.co.jp/cp/rinen/index.html
私もこのANAのストを通して考えさせられました
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私のお知りあいには、「何の用事もなく乗りたいから乗る人」が沢山いますが、なにか?(爆笑)
まあそういう稀有な事例は棚に挙げておこう。
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企業理念に対し気に入らなければ離脱することができる企業と、離脱すると全てのいままで持った職務実績の人員の集合体ではおのずからちがって当たり前であろう。
もちろん、ストをすることは企業にとっても経営的問題であるわけで、社会的インフラに関与する業種だと特段に問題が大きくなる。もちろん勤務者も給料はその分だけ減る(一応積み立てた闘争基金からの支払いはあるが、それはそれ以前に各自の給与から積み立てたものである。結果、次の年の積み立て額が上がる)のだから、確かに弱いのであろうが、影響が無いとは言えないのは事実。かつて、炭鉱の頻発した罷業ではこの積立金が干上がってしまったのも事実で、決して労働者自体がわがままでとは言いきれない側面がある。
うーむと思ったのはこれである。
「私も飛行機にはよく乗ります。 いつも笑顔で接客してくれます。 でも、その裏で自分の待遇のことばかり考えているのかと思うと嫌になります。」
では適正な対価が払われないで営業される場合、勤務者が業務内容を手抜きして(表面的な所だけでなく、メンテナンスなどの足元の仕事も含めて)行うことにより業務の内容が「潜在的に」低下したと言う場合どうなるであろうか。つまり、業務特性上職務倫理とそのスキルを「給与と言う対価」で購入する事が必要な業務である。(労働の量を買っている、いわゆる労働力賞品というマルクス経済学とは異なるのに注意)企業によっては経営者が全ての業務を管理監督できることが前提である場合、その人の真の思考を把握することで経営品質向上を見出すことが出来るが、この場合はそれが出来る規模をすでに超えている。
「確かに会社側と従業員側では考えが違うこともあるでしょう。 当たり前です。 給料にしても、待遇にしても、福利厚生にしても不満があることでしょう。 当たり前です。」が、「価値観を共有できる範囲の経営者と従業員との関係」と、「価値観を共有するには心理的に難しい経営者と従業員の姿勢」、そして「価値観を共有したくての物理的に難しい経営者と従業員の姿勢」というのを、経営者と従業員双方とも混在しては、なにも結論にもならない。
誰から給料を貰っているかと言うと、これはお客様であり、そこを履き違えられたら、もうどうしようもない。(労働貴族という場合はそこをはき違えている人もおおいのは事実だろう)しかし、そこが「適切な対価であるか」というと市場からの要求値(出来るだけ低廉にする)と、生活からの積み上げ値(出来るだけ高くする)が大きく乖離していると認識しているからである。自分の待遇を上げてその結果顧客に高級なサービス(接客だけでなく安全運行・定時運行まで含める)を与える姿勢をもつのか、待遇を今のままにして高級なサービスを維持するのも困難にするのかというせめぎ合いなので、このような考え方に立つとあくまでストが目的とする対象は企業で無く適切な対価要求をしたい顧客、ひいてはその市場価格を容認する社会なのである。たしかにこのあたりを明確にしないと、会社に対してと言う所しか分からないと思う。
「最終的にストをして得するのは誰ですか? 全員が迷惑します。」というのは迷惑を実感する存在を明確化する「迷惑行為」からこそ、社会に「適切」な対価要求をするという多少メタ的な論理構造が生み出す事象である。「飛行機に乗る人は理由があって乗るのです。」からこそ、ストをして対価を頂く「正当な理由(らしきもの)」を提示するのである。逆に社会的に存在の代替が可能な存在(一時の国鉄がまさにそうで、貨物などが国鉄離れをおこして代替策であるトラックなどに移動することによって、存在意義が希薄で社会に対して適切な対価を訴求することが無意味になったことがわかった・・とか。バス会社でもおなじことがある。)の業界では社会が影響を及ぼさないのででてこない。そこを分からずに罷業するとこれまた、倒産覚悟になるので、じつは企業の社会性をみないと労働争議の有意性は論じられない。

この筆者の素朴な感想は分からなくもないのだが、経営者として従業員がどのような考えで社長(筆者)を見ているか、その実非常に恐ろしい液状化現象で、床下がえぐられてる怖さを私は感じてしまった。頑張っていることは、少なくとも日本では価値創造とは異なるのである。

但しこの傾斜が過度であると労働貴族となることはよくある。そこが、「存在価値が変わってしまう中でいかに企業・労働者の存在価値、社会インフラの存在意義を明確にするかが問題」と絡んでくる。
あるところで聞いた話。定期昇給の労働組合内の議論をした所、企業内組合支部の中である工場支部だけがとんでもないことを出してきたのである。この会社での、現在の収益原資は収益を考えると一人10000円となるが、投資・株主配当もあるので5000円を雇用者に振り分けますという議論でこれを6000円にするというか7000円にするかと言う。労使交渉はそのような条件闘争である。ところが、あるときある工場の組合支部では12000円と言う要求を全会一致で出してきた。そして「資本準備金を取り崩して給与支給に応えろ。でないと生産計画に同意しない」ときたのである。驚いてたまたま内部事情を知っている人に聞いて見た。労組の支部長の制止も聞かず出されたというが、工場の500人の従業員自体が老齢化し、企業存続の是非よりは、労働力商品の早期回収を志向し、こうなってしまったという。つまり「焦土作戦」とも取れ、企業の社会性というものの価値を従業員が見出して居ない、ないしは否定しているから出る要求である。実際はこのようなことは、市場における企業の存在価値と、顧客から貰っている価値との差異が全く見えないということになっているのだろうと思う。勿論全日空の従業員の選択はどっちなのかなというと難しいのだが、現実は経費増大(燃料費高騰)と収入減少給与への志向が低くなって、賃下げを一部でして居るのだから、労働貴族志向はそこまで強くはなかろう。

まあ、市場からの要求値と、生活からの積み上げ値の乖離は、顧客=市場でないところもある。また企業存続の前提という場合さえ出てきている。日本のように社会性・社会の存在意義を企業に対して要求するところはまだこの程度で済むが、あくまで企業は社会での利潤追求手法と言う世界だとこの理論は先ずとおらない。となると、今の世の中には「給与」という意味をどう考えるかということもある。
(続く)

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