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高らかに確信犯

私の商売はあるいみ人気商売の側面もあって、自己主張をしていくほうが成功する傾向もある。但しものごとなんでもそうであるが、引くべきところは引かなければならないんです。プレゼン技量とのバランスが取りにくい側面もあって難しい。高らかに確信犯的に、アンチテーゼを提言することさえ考えるべきなのであるが、そこには離反の寂しさ、枠を飛び越えた際の寂寥感が必ず存在する。
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参考:http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8451.html
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-a879.html
石破 茂 です。
 田母神前航空幕僚長の解任について述べた私の見解について、随分と多くの賛否のご意見が寄せられています。ありがとうございます&その多さにちょっとびっくり。
 ちょっと長くなりますが、私見を何点か付け加えておきたいと思います。
 シビリアン・コントロールの観点から、自衛官(一般的には軍人)には、政治的・思想的中立が強く求められます。
 政治は「党派性」を属性とし、思想は「排他性」を特性のひとつとします。仮に自衛官が、政党や思想グループの一方に加担すれば、他の党や思想を支持する勢力は軍事的な弾圧を受けかねませんし、実力組織が複数の勢力に分かれることはそのまま内乱の危険性を意味します。実力組織(軍)に政治が介入してはなりませんし、政治に実力組織が介入してもならないのです。 
 しかしこれは、彼らが政治的・思想的に無知・無関心であってよいということを意味するものでは決してありません。どのような政党を支持しようと、どのような思想を有しようとそれは国民一人一人の自由であり、憲法上も当然保障されているものです。
 いや、それ以上に、彼らが政治的・思想的知識を豊富に持つことはむしろ有用でもありましょう。
 要は、「現職自衛官は政治的・思想的な活動を行なってはならない」ということに尽きるのだと考えています。
(中略)
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 今回の問題は、田母神氏の行動とその後の政府の対応が文民統制の観点からどうであったか、の一点に絞って論ぜられるべきものです。

 雑誌「論座」にも以前書きましたが、「愛国心」に限らず「愛」等という面映い言葉は優れて内面的なものであり、人に強制したり、声高に語ることを私は是としません。
 そして対象が国であれ、人であれ、良いところも悪いところも、正しかったことも間違っていたことも直視し、なおそれを受容することこそが「愛」なのだと思っています。
 皇室を敬い尊ぶこと、「国民の祝日」に国旗を掲げること、紀元節(建国記念日)にきちんと神社にお参りし、これを祝うこと。そのようなことは誰に言われるまでもなく自分自身でするべきことですし、少なくとも私はそうしてきました。 
 歴史はその本質が科学である以上、あくまで客観的に捉えるべきですし、存在する多くの見方を自分自身で吟味し、判断すべきです。だから私は世に言う「自虐史観」も「自慢史観」も嫌いなのです。
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「偏っているのはあなた」 田母神元空幕長が石破氏を批判 2009.2.19 22:29  産経新聞
 政府見解と異なる歴史認識を含む論文を発表して更迭された田母神俊雄前航空幕僚長が19日、東京・永田町の自民党本部で講演し、石破茂元防衛相や同党政権の対外姿勢を批判した。
 田母神氏は「石破元防衛相は『空幕長ともあろう人があんな偏った歴史観では困る』と言ったが、偏っているのはあなただと言いたい」と強調。昨年12月に中国海洋調査船が東シナ海の尖閣諸島の周辺海域の領海を侵犯した際の麻生内閣の対応には「強く抗議しないと実効支配の実績を作られる」と苦言を呈した。
 講演は「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)が主催。出席議員からは「興味深い話だ」と同調する声が上がった。
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実はこの2つを是非論議で語ることはしたくないが、石破氏の「私は世に言う「自虐史観」も「自慢史観」も嫌い」と言い切るのはかなり豪快な発言とも取れる。
この論旨において石破氏が「文民統制の観点からどうであったか、の一点に絞って論ぜられるべきものです。」と絞って議論しているのは論議手法が理解できるし、あくまで文民統制 シビリアン・コントロールを前提で議論するしか現実の政府対応では出来ないのである。その意味でその「前提条件を前提としない」田母神氏とは意見がそう反して当然である。
但し「歴史はその本質が科学である以上、あくまで客観的に捉えるべき」というのは現実、近視眼的な情勢では理想論なのではというところも私は感じている。先の大戦はもう客観的視点になるかは微妙だ。もともと制服組との仲がよく、本庁の担当と距離を置いていたといわれる石破氏なのだが、それでも制服組トップとこのような齟齬が起こるのはそもそも、事前の定義が異なる上で各々が立場を超えて述べざるをえないからであろう。
実は明治時代の人はあるいみ意固地で、とことん相手を論破することを経済人とてするし、それだけの論議をしても根本ではコンセンサスがあるといえるようなのだが、いまはこういう議論をするとやれこれと外野がはやしたてるのだなあと、残念な気も少しする。だから、政府が迅速に意思を出したといても、「強く抗議しないと実効支配の実績を作られる」ことに対する行動を起こすことは、その他のレスポンスを考えると動かないほうが得策という見方になってしまうなら、それで幕僚長の意見はなくなるわけであることを甘受しなければならない立場である。「ベンチがあほだから国益がとれん」とて、それに従わないものは業務遂行の責にないということは、企業倫理と職業倫理の相反と同じ構図であろう。
私は、もちろん田母神氏は自分の論文の欠点はわかった上で、高らかに確信犯的行動をしているんではとおもうし、その行動を「国士」( (1)身命をなげうって、国事を憂え奔走する人物。憂国の士。 (2)一国の中で、特にすぐれた人物。)的な活動と自我を考えてるんではとおもっている。
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以下の項目には性的な表現や記述が含まれます。

「自慢史観(自慰史観)」という言葉を上で述べているが、これも意見がややこしくなるのをわかって自慰の話をしてみる(おい)。最近、ネットで話題となっているこの歌。空耳の歌詞がはまっている(おい)が、純粋に曲を聴くとそれなりにいい曲の気もする。

アフターダーク(After Dark):スウェーデンのドラァグ・クイーンのデュオ(この画像のときは一人で歌ったらしい。ボーカルはクリステル・リンダルさん。)。ドラァグ・クイーンというのは女性の姿で行うパフォーマンスの一種。誤解を恐れずいえば日本ではピーターさんがちかいのですかね。(多分女装している人とは同意ではない。故ばってん荒川さんとか桜塚やっくんとかはまったくことなる位置だろう。はるな愛はある意味にている存在かもしれない。一番近いのがマツコ・デラックスかも。なお海外では歌舞伎や大衆演劇の女形をこの視点で呼ぶこともあるらしいが、日本人としてはそれはちがうなとおもっちまう)「性の多様性」をアピールするため、ゲイの人のなかで派手な女装をする人のことともいえる。これは新宿二丁目のショーパブ(はとバスのコースに入るほどレベルの高いもの  たとえばhttp://www.hotpepper.jp/A_20700/strJ000001830.htmlとかに近いんではないかな。
1976年からスウェーデンを中心に欧州で活動している。スウェーデンでは子供ショーなどにも活動するメジャーな存在だそうな。2007年のメロディーフェスティバル2007で、「(Åh) När ni tar saken i egna händer(スウェーデン語。大意「あなた自身の手でそれ(ナニ)を手に入れたとき」、英語:(Oh) When You Take It Into Your Own Hands)」を出した。この模様は、日本の動画サイトでは「高らかにオナニー」の名称(ほかの訳はなかったんかい!)で紹介された。
このうたはスウェーデン国内のメジャーなテレビ司会者(日本で言うワイドショー的なものは他国では存在しない。専門番組の司会で、料理・営繕などの人気番組がある、「キユーピー3分クッキング」「今日の園芸」の日曜大工・カーメンテナンス版があるということとか)が協力して、映像使用など協力しているのも事実だから、周到な用意がされていたのだろう。だが、この「(Åh) När ni tar saken i egna händer」という曲の始め(Åh När ni)は、早く話せば空耳で「オナニー」と聞こえるのは、スウェーデン語でもこの行為を「オナニー」という以上避けられない。他の歌詞にも言葉遊びが多く、自慰行為を思わせる解釈をしてしまう歌詞があちこちにある。ダブルミーニング(掛詞)が多すぎて厳密な翻訳は不可ともいう。ちなみに「オナニー」の部分は、歌いだしでいきなりでてくるもんだから「出オチ」のような感があるが、楽曲としてすばらしいものにもなっている。ちなみにスウェーデン語のCDには
4:Åh, när ni tar saken i egna händer (Karaoke Version)
というのもあるらしい。(おい)

この点を考えながら、一応下衆な解釈で翻訳を作ってしまったものを見よう。いやあ、これを全国中継の番組(しかも日本でいうとレコード大賞のスウェーデン国内予選最終ラウンドみたいな場面だって)でやるとはなあ。(驚)

日本語の空耳以上にあっけらかんとしているんだが・・・・・・・・・おもいきりこれは確信犯である。日本人が勝手に空耳とか言っているが、それだけのものではないんですな。(但し、この画像と訳をつくったひとね、「普段から頭が全部●●●●で出来てないとこれはできないな」というのには納得いくがw。)もともと、「性の多様性」ということは、東西環境が異なっていても市民性を得ることが難しかったエリア。その上でこの歌詞をつかっているのなら、それを論評することは発言を封じる行為と同じぐらいの重みを持つ。
で、本邦にはないなとおもっている人。これなんかどーですか。(苦笑)

歌もともかく、女優として迫真の演技を披露する。結婚後に発売した「後から前から」は、空前のヒットとなった。(PS:通信カラオケで・・・ないんですなあ)

きわどい内容であるが、男女間の感情をうまく表現した歌として60万枚のヒット曲となった。けどこの当時歌詞の意味がわからず幼稚園児が合唱していたので、親御さんがこっぴどくしからということも聞いた記憶がある。
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個性を各々発揮し、衝突をものともしないことを是とすることが、今の私たちに出来ないのがということは、ちょっと考えてよかろう。奥崎 謙三のアナーキスト的発言と行動までおもいきり傾斜するのは問題であろうが、高らかに宣言して、高らかに確信犯的行動をするということがどういう意味になるのか、応用倫理学の側面から一度考えてみたい。

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