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衰退しないものは文化ではない

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<スズメの焼き鳥>100年の名物ピンチ 退治、御利益ありすぎた?--京都・伏見 2009年1月19日20時3分配信 毎日新聞
 ◇伏見稲荷参道の焼き鳥
 京都市伏見区の伏見稲荷大社の参道で、大正時代から続く名物「スズメの焼き鳥」を売る店が今年の三が日でまた一つ姿を消し、2店だけになった。スズメを捕る猟師の高齢化や禁輸による中国産の在庫切れなどで、原料が手に入りにくくなったのが原因。参拝客からは惜しむ声も出ているが、販売を中止した料理屋は「ないもんはしゃあない」とため息をつくばかり。市井の伝統料理が幻の味になる日も近い?【木下武】
 ◇猟師減り材料難、残るは2店
 伏見稲荷大社は商売繁盛と五穀豊穣の神様。名物の焼き鳥は、穀物を食い荒らすスズメ退治のために始まったとされ、参道で販売されてきた。
 材料は中国産スズメが多用され、参道やその周辺の飲食店6,7店で売られていたという。しかし、中国政府が99年12月に食用の加工品も含めた野鳥の輸出を禁止。店の関係者によると、在庫の中国産冷凍スズメに頼るか、国産への切り替えを余儀なくされた。その冷凍モノも昨春ついに在庫が切れ、2店が撤退。別の1店もこの正月三が日をもって販売を終了した。
 国産もピンチだ。スズメの生態に詳しい立教大理学部の三上修・特別研究員によると、町中で営巣する緑地の減少などから近年急減している。
 国産で販売を続けている食事処「稲福」は京都、兵庫、香川県などの猟師から仕入れているが、確保できる量はピーク時の3分の1にすぎない。値段も1本450円と中国産の約2倍。スズメ猟の後継者は少なく、今後も先細りしそうだという。
 稲福の本城忠宏社長は「国産スズメのおいしさを知ってほしいが、猟の技術が受け継がれなければ息子の代にはスズメの焼き鳥がなくなっているかもしれない」と危惧している。
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 ◇食文化忘れないで--小泉武夫・東京農大教授(食文化論)の話
 穀物を食べる野鳥を追い払うために食べるのは「鳥追い」と呼ばれる文化の一つ。伏見のスズメの焼き鳥は私も大好きで、廃れていくのは寂しい。「スズメの焼き鳥」という伝統的な食文化を忘れないでほしい。
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酒に欠かせない’あれ’とは別に、スズメ・ツグミ・ウズラ・メジロなどの小鳥を切らずに串焼きにしたものも焼き鳥と呼ばれる。というか焼き鳥はもとは鶏ではなくツグミ・スズメなどを丸のまま焼いたものだったそうな。

ツグミは1970年代頃まで400万羽以上が捕獲され、焼き鳥屋で一般的だった。メジロも今は獲ったり食べたり以前に飼う許可も必要で、売買にも一々自家養殖証明が必要。スズメは鳥獣保護法で狩猟鳥に指定され食用にもする。主に、中国、韓国が食用スズメの産地で、京都伏見稲荷の門前の名物で、毎年食べていたこともある。都内などでも時々高級な飲食店ででることがあるがあくまで珍味の位置付けである。
日本国内では、藪を棒などで叩いて飛び出したところをカスミ網で捕獲する狩猟が多かったが、1970年代に禁止された。スズメは穀物を食べるため農民に敵視されたが、その反面繁殖期には虫類や蛾の幼虫やイナゴなどを大量に捕食し、雑草の種子も多く食べる。事実某国で人海戦術で捕獲したところ、農作物の害虫が増え凶作となった。とはいえ日本では農家の限定的なスズメの駆除は手法を限って認められる。益鳥でもあるわけで数量調整の対象になりなるから駆除ができるけど、大量に取るわけにはいかない。空気銃や無双網(地面に伏せておいた網を離れた所から操作して獲る網・・・ご参考)になる。伏見稲荷参道の焼き鳥屋さん(ちなみにこの店では普通の焼き鳥はなかった)には「(ごっそりとる)かすみ網ですずめを取るのはやめましょう」と書いてあったものである。
すずめの焼き鳥は、稲荷大社が五穀豊穣の神様で、五穀を食べるすずめを退治するために、すずめの焼き鳥が出来たとかいう。うずらの焼き鳥のほうは、保元の乱(平安時代末期の崇徳上皇と後白河天皇が対立し、上皇側に天皇側が奇襲を仕掛けた事件)以後野鳥の宝庫となり、その名残と言うのだが、これは伝承の域を出ないと思う。私の聞いているのは、スズメ・ツグミ・ウズラを焼くのは稲荷神社だからキツネがとる好物という意味であり、正月のように殺生しない時期だからこそ穀物を食べる野鳥を追い払うために食べる縁起ものであった。しかも、民間信仰では人間が住み始めた集落にスズメも居着き、人間が離れ集落が無人になるとスズメも見られなくなるという傾向もあって、「神様のお使い」として慕われてもきたのだから。
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国内で供給される物は、時期的にも限られるし、(あくまで駆除の副産物だから)流通量も少ないうえに地場で消費してしまうので近年は中国に依存していた。しかしどこでもスズメの養殖は行われず、野生のスズメをカスミ網などで捕らえ、羽毛を(別に使うため)除き、内臓処理加工後冷凍食品の形で輸入されていた。ところがこれが中国では禁止されたのだから市場に少なくなるであろうというのは当然である。
ちなみに、今は国内産スズメはほとんど出回らず、ツグミは個体数の急激な減少で禁猟になり(すでに食用材料としては流通がない)、ウズラの場合はウズラタマゴのために人工飼育されている関係でそれなりに市場に出ているということになる。でこれがおいしいのかというと・・・・・骨が多くて硬い。肉はほとんどない。実は骨をバリバリいって食べる歯ごたえを楽しむものである。ただし、ウズラは比較的肉がついているから音を含めありがたみが少ない。
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たしかに民族文化史のうえでは貴重なもので、食習慣がどうこうというのは学者として理解でき、歴史を前提に議論するのもいい。しかし、身近なところで大量にスズメを捕獲することが農作物の生産性課題にならないからこそ捕獲する人が減ってきたのではないか。しかもニーズがあるなら、人工飼育もできたともいえる。もちろん趣旨はわかる上で、すずめが食べられないとか騒ぐのは食文化が世間の流行、世の中の動向、為政者の志向なんかで簡単に消されるからことが現実なのである。すべての文化で市場変化で簡単になくなるのは、インカ帝国の文化ならずとも、ちょっとしたボタンの掛け違いで、それがいかに時間をかけて作られたものであってもきわめて簡単なのである。経済的支配者層の倫理概念に合わない、経済的政策でなくなるのは簡単なのだ。「ハタハタ」がなくなれば「しょっつるなべ」がなくなるのは当然、残す事の価値を見出したことで禁猟を徹底したから生き残ったのもも文化である。石炭が市場価値を喪失すれば人々が離散し後に廃屋が残るのは、避けたくても文化というものの必然の理と考えている。生産活動・経済活動でしか生きられないという生物の性からすればだが。その意味で「忘れないでほしい」という言い方は学者らしくまとめたなとも思う。
穀物を食べる野鳥を追い払うために食べるのは「鳥追い」と呼ばれる旧来の文化ではあったが、今の文化では回顧的意義を見出す程度であるという「みもふたもない議論」を突き詰めることによって、文化の存在意義を再認識させられる。「スズメの焼き鳥」という伝統的な食文化を忘れないのは「文献」という形なら達成できる。
そもそも衰退する挙動をしめしたとき価値を見出す人があれば「天の導きにより」何からの回避手段が出てきて自律的に決まるのである。しかも小鳥を食べること自体は、実はたくさん人工的に飼育されるウズラで少しは残るともいえるんですがね。(ちなみにウズラは産卵寿命の尽きた廃鶉を使うらしく、国内では愛知県でたくさん飼育される。一羽あたりの価格は同じらしい。野生のウズラは捕獲禁止になっているらしい。また、ウズラは中国東北部・朝鮮半島・日本のみに生息する。)
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そうネガティブに考えなければ、今まで死者累々としてつぶして回ることで、新たな文化がおきてきたということをどう考えればいいのだろうか。「天の導きにより」というのを否定する文化も在れば別だが、それはいわゆる自由主義に依存するものではない計画社会であろう。

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