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High and Lowの経済の中で(1/2)

『天国と地獄』(:(英)High and Low)は、1963年に公開された黒澤明監督の日本映画である。原作はアメリカにあるが大胆に加筆している。別にテレビのゲーム番組ではない!なぜか、弟がDVDを持っており、過日見る機会があった。
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<あらすじ> 製靴職人から成り上がった製靴会社役員の権藤(三船敏郎)は事件に巻込まれた。明日まで5000万円を大阪に送らないと次期総会で立場が危くなるのに、息子の純と間違えて自分の運転手青木の息子進一を連れていった誘拐犯人から、3000万円をよこさないと進一を殺すという電話があったからだ。自分が今まで汗水たらして苦労した金・これからの人生を賭ける金だ。運転手は懇願する。「進一は助けたい、しかし金は用意できない」。苦境に立った権藤も結局金を出すことになった。その結果権藤は会社を追われ、借財を背負う。

権藤邸(横浜市西区浅間台・・・丘陵地の高級住宅街である。三ツ沢公園近く)に張りこんだ戸倉警部(仲代達矢)達は権藤の立場を知って犯人に憎しみを持った。金を渡す場所は、明日の第二こだま(151系使用の在来線特急)に乗れということだった。(封切翌年:昭和39年に東海道新幹線開業)そしてただ一カ所トイレの窓だけが開閉可能なため、その窓を使って身代金を東海道線酒匂川鉄橋の土手に投げ捨てさせ、犯人は巧みに金を奪って逃げたが、進一は無事にもどった。

権藤は会社を追われた。刑事たちは高台の権藤邸を見上げ電話が掛けられる公衆電話をあたった。犯人からの電話を分析した青木は進一の書いた絵から、監禁された場所を江の島附近と知り進一を車に乗せて江の島へ毎日でかけた。田口部長刑事と荒井刑事は、犯人が乗り捨てた盗難車から、やはり江の島の魚市場附近という鑑識の報告から江の島にとんだ。二人は進一の言葉からその場所を探り出した。その江ノ電のトンネル脇の家(鎌倉市腰越)には男女が死んでいた。麻薬によるショック死だった。

一方、戸倉警部は、ある病院の焼却煙突から牡丹色の煙があがるのをみて現場に急行した。(この煙だけパートカラーになる)金を入れた鞄には、水没と燃やした場合の特殊装置があり、燃やすと牡丹色の煙が出る。そしてその鞄を燃やせた男は病院の医師の卵(インターン)の竹内銀次郎(山崎努)とわかった。また殺された共犯者男女もこの病院で診察をうけ、そのカルテは竹内が書いていた。一方横浜の下町(横浜市西区浅間町・・・横浜市西区浅間台からみて真下の位置に当たるわけで、見上げれば浅間台になる。最寄は相鉄本線平沼橋か西横浜)の安アパートの一室に住む竹内は札束の山を出しては眺め一人悦に入っているのだった。ただし竹内をここであげても、共犯者殺人の証拠決定はむずかしい。

戸倉警部は、この男女が持っていた250万円の札束が、藤沢方面にあったと新聞に発表し、竹内には二人が死んでいた部屋の便箋の一番上の一枚にボールペンで書きなぐった跡を復元した、「ヤクをくれヤクをくれなければ……」という手紙を巧妙に渡し、腰越の家に罠を張って待った。そして、竹内には10人の刑事が尾行についた。竹内はヤクを手に入れるために夜まで山下公園で時間を潰し、関内から伊勢佐木町通りを歩き大きなゴーゴー酒場で麻薬を買った。肺水腫(気管支、肺胞に水分が染みだして溜まった状態。水分により呼吸が障害され、呼吸不全に陥る。)に犯された二人が麻薬純度90%のヘロインをうって死なないはずがない。竹内はそのヘロインを今度は、黄金町の京急高架下にたむろする麻薬中毒者(ここに菅井きん・常田富士男がでてくる)にあたえためそうとした。果して常用中毒者は忽ちにしてショック死。彼は薬の効果を確かめてから、二人の男女ヘロイン中毒者をおいた腰越の家に走った。そこには戸倉警部たちが待っており、竹内は逮捕される。

ヘロイン中毒者を殺したことで死刑囚となった竹内は処刑前に、いまや浅間台の家も追われ家財も抵当に取られた権藤に会いたいと申し出た。「私のアパートから見上げるとあなたの家は天国に見えましたよ。毎日毎日見上げているうちにあなたが憎くなってきた、しまいにはその憎悪が生き甲斐になってきたんです。」「死刑なんか怖くも何とも無い。もともと今までも地獄だったんだ。天国へ行けと言われたら、それこそ震え上がるかもしれませんがね・・・ハハハ・・・」竹内は泣き,笑い,叫び、無言の権藤を尻目に看守に引かれていった。


設定上「権藤金吾」の自宅は横浜市内(ただし旧市街ではなく横浜駅近く。当時としては新市街にあたる)を見下ろすことができる高台・・・横浜市西区浅間台・・・にある。憎悪を生き甲斐に思うような異常な犯人像に黒澤はしたいため、町を見下ろす高級住宅街があり、その眼下に貧しげな住宅地、あるいはスラムがあるような港町を探そうとしたという。いまや浅間下は下町とはいえないが、貧しげな住宅地のような表現にされている。このため見上げて見える撮影用の権藤邸のセットは南太田駅近くに設定したようだ。本来なら浅間台から黄金町も一望できる設定にしたかったようであるが、実際は三春台や野毛山に遮られ地理的に困難を伴う。その点南太田駅近くなら・・・

さて、黄金町は高架電車の音が響く悪の巣窟に描かれている。黒澤は横浜の裏の顔、魔窟の麻薬街黄金町へとカメラを侵入させる。ここはまさに”生き地獄”であり、風俗こそ時代の有弁な証言者であると考える黒澤は、その地獄絵を活写しょうとしたというが、映画では実写ではない。(最末期の状況を考えても、事実上警察業務も完全に遂行できるかは困難である。多分安全確保上出来なかったであろう)

京急線黄金町駅付近一帯は1900年ごろ都市化が進み、1930年に湘南電気鉄道開業の始発駅として発達し、問屋街(水運が伴うから)になった。1931年日ノ出町まで電車線が高架で延伸し、京浜電気鉄道との相互直通運転(横浜-浦賀)を開始した。1945年の横浜大空襲で壊滅し、戦後はこの日ノ出町-黄金町間の高架下がヒロポンや麻薬の密売所と青線地帯になった。京急線の高架と平行する大岡川を境界に密売組織による縄張り争いが頻発した。警察官の巡回すら身の危険を感じて出来ない環境であったという。事実組関係の事務所が近年までいくらかあった記憶はある。(さながら今も治安が及ばない地域がある大阪飛田新地というイメージか)

この特殊飲食店街は1958年の売春防止法施行後も存在し、末期でも店舗数が250店を数え、700~800人の女性が1日3交代(末期は昼から翌朝に2交代)で働いていたらしい。2004年頃までは京急線の高架下とその周辺にあった。そのうち、高架の老朽化に伴い巻き替え工事(耐震補強と高架の橋脚のコンクリート経年補修のため)高架下にあった店舗は排除される。このときには、じつは鉄道会社たちとしてはこれを名目として特殊飲食店を排除する目的があったようだが、高架下から排除された後は高架の周辺に新築のアパート状態の特殊飲食店が意図せずに林立する事態となってしまった。

昭和40年代以降はこれでもおとなしい町になったらしいが、いやいや、そんものではない。昭和60年代、私は夜遅く町で映画を見てたまたま黄金町駅の脇を原付で通ったときに、道路まではみ出すあらわな姿の女性の山と、そこにたかる男性の山にずっこけたことがある。当然バイクでは怖くて入れないわけである。それは異様な光景であった。

2005年の春、2009年の「横浜開港150周年」に向けて街のイメージアップを図るため、警察による集中的な摘発で殲滅解体一掃された。ところが、困ったことにこの結果街が一種の「不況」になってしまったのである。

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黄金町から売春が一掃され、代わる地域もあったことから代償として人の往来も途絶えた。まず地域、警察、区役所の連携、やがて伊勢佐木警察署による「年末集中取り締まり」に、2005年1月11日からは神奈川県警による24 時間パトロールがスタートし、店舗は閉店・一掃された。しかし、健全性を取り戻した代償として、街から人がいなくなり、ゴーストタウン化のため食堂などの一般店舗までが続々つぶれ始めたのである。闇市からの経緯もあり、残された店舗の権利関係の複雑さもあるから所有権移転もうまくいかず、店舗の転用もできない側面もある。
逆に言うと、モダニゼーションという側面もある。
西に500mほど行った曙町にこのような風俗関係の店舗(ファッションヘルス。法規遵守型)が多く出来たこともいえよう。だから、ゴーストタウン化できたという側面もあると考える。リストラクチャーがあったからこそ一掃出来たと私は考えている。
けど、街の再生の歩み・健全な街の取り組みはともかく、健全では人は集まらず、活性化は図られないのが現実なのである。初期のVTR普及に裏物のポルノビデオが有効であったということとどこかで一致する。現実には健全性と経済性はそのほかの特性付けを行わないと、並立しないのである。

高架下の老朽店舗はすでになく、鉄道の耐震補強工事が着々と行われている中で、いくらかの芸術系のアトリエなどが新たに設置されている。街の真ん中(高架下)に伊勢佐木署の大型交番(歓楽街総合他施策現地指揮本部。権利者(土地所有者、建物所有者、食品衛生申請者、経営者、昼間賃貸借人等)に対する管理者対策専任)また、店舗転用のモデル事業としてアーティストが滞在して若者たちがカフェをつくったり、創作活動を行う場として活用されているのをみた。確かにこの青線の建物、とくにこの10年間に作られたものは建築基準法には適応しているらしい。冷暖房完備の個室つくりになっているため、シャワー・共同キッチンもあるし(・・というか営業当時も飲食店免許だったので、厨房は必ずあるんですな・・・)ちかくにコインシャワー・銭湯もある。とにかく1キロ歩くと横浜の中心地だし、立地もいいから新築マンションの建設工事も結構ある。(これは以前からあった。共稼ぎだっかからもあろうが、立地がいいことを最優先として当時は安価だったこの付近の有名開発業者の設計施工監理による新築高層マンションを購入した知人夫婦もいる)更に、上記店舗のうち古いものの廃業跡地が有料駐車場に化けはじけているというのも面白い。

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過日、関内に所要で出かけた際、たまたま日ノ出町まで出たので、ここを歩いて、再生に向けての活動を少し見てきた。往時から考えれば変わっている街が興味が合ったのだ。(続く)

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