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+-×÷で変わる(3/3)

(承前)
――――――――――――――引用
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/d_zemi/11/10.html
● デザインのダイナミズム・「組み替え」  財団法人日本産業デザイン振興会 青木史郎氏
デザイン愛好家的ジャーナリストが書いた記事や書籍には、デザイナーが自らの苦しみの中から全てを創造していく様が、ドラマチックに描かれている。素人受けする話ではあろうが、そこには創造性についての甚だしい誤解(過度の期待)が見られるようだ。
デザインに限らないと思うが、無から有を生じさせるような創造に出会えることはまず無い。
ただし、「その手があったか」と感激できる場面にはしばしば遭遇する。全く新しいとは言えないものの、要素を組み替えて新しい意味や用途を切り開いて見せたという場合である。デザイナーに期待されているのは、「如何に要素を組み替えられるか」という創造性である。
―――――――――――――――後略
世の中にはパターンでは表現できないものが1%存在する。 特許は非常に膨大だが、その99%が40のパターンで表現できたと言われている。逆に考えると「世の中にはパターンでは表現できないものが1%存在する」とも言えることは述べた。目の前の100の課題に対して、この40個のパターンを使えばほとんど(99%)、何かしらの解決コンセプトが発案できる。のこりの人間の知恵を絞るしかないこと(1%)に時間を使いたいということである。
確かに工業的視点のように基本的に科学というものと、それに伴う拡張があるもの、または理論的蓄積がなされているものなら類推からの視点が高いだろう。芸術のなかでも革新性を求め、過去からの連続性を決別する思考を主とする分野でよくある革新性を求めることとはかなり違うところである。
工学におけるクリエータはなにかということを悩む人は多い。アニメなどのクリエータとはどう違うのかということを悩むわけである。
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工学と多少違うのは、不定形で論理的とは限らない人間感情を操作するところにあるのだろう。その上で
物体を融通無碍に組み合わせる99%の構成を前提とするクリエータ-
物体を独自に提案することで1%の可能性を見出ていく企画型クリエーター

というのがあるのかもしれない。

芸術大学では、独創性を企画し、そのことを如何に人々の中に普及させ、大衆に膾炙させていくことを教わるもんだという話を聞く。いわゆる創造芸術や前衛芸術、創造的な舞台芸術、そして種々の商業美術や放送などにおける活動が多分にある。組み合わせによって成り立つ99%の芸術的内容も必要だが、1%の存在(創出)とそれを大衆に普及させるためのプロモーション技法、そして確固たる理論構築が必要で、むちろそちらのほうが芸術家の存立する立場とみなされる場合が多い気もする。
ところが、これとはかなり違う芸術大学の思考もあるということに気がついた。
たまたま、20年ほど前私の母親がある教員養成系大学と芸術大学・そして芸術系単科高校のお手伝いをしていたということ聞いていた。もちろん私の母親は大学の教員ではないが、師事している師匠がある教員養成課程の書道専科担当教授でその関係で(大学や非常勤で教えていた大学・高校も近いことから)お手伝いをしていたのである。その後、時々芸術大学と芸術系単科高校は関係し、今もなにかとお手伝い(どういうお手伝いかはわからないんだが・・多分クラブ活動のお手伝い)をしているらしい。
過去いろいろ聞いていたのだが、書道や染色(こちらも母親が仕事をしていた)人たちは基本構成を、組み合わせの多様さ(つまり99%の内容)でしか選択できない。そしてその既存のなかみを組み合わせることが書道なら書道のあるべき姿であり、染色は染色のあるべき姿である。そのなかでエッセンス的に残りの1%の独創性を「目に見えないように」隠しあじとして入れることで、「独創性という既存の価値基準をくずしたことで排他かされる内容」をすこしずつ質を変えていくという手法を望むようである。つまり新規なものを取り入れないことを前提にしてその新規性を露呈させずに如何にまぜこんでいくのかという手法をとっているのだろう。
この場合の「芸術家」は、できる限り独創性を表に出さず、大衆に抵抗感なく膾炙されることを志向する。従って大家は古典踏襲が大前提であるため、テレビ受けのいい前衛書道家の評価が既存の価値観からの遊離をするといって非常に嫌う側面がどうも多いようだ。(前衛書道自体は否定されないが、古典的作品のなかに前衛的内容や作品群をすこーし混ぜる、隠しアジとして使うことを評価するほうが多いらしい)つまりフレームワークをすること事態が書道や染色という作業を逸脱するという考え方なのかもしれない。
翻って、独創性を企画し推進するために1%の内容を作りこみ、かつ大衆に膾炙できるようにプレゼン活動をする芸術家というものは、大衆に抵抗感をもってもらっても、さらに知られることを志向するわけで、そののち膾炙に変わるようにするのは提案後の仕事であるという見方もできる。つまりフレームワークを「独創的」につくる1%の作業に価値があるというわけである。
工学においてのクリエイターはフレームワークを99%の技術の組み合わせの中から「つくる」技術ということになるんではないか。
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というのは、たまたま「お洗濯しながらリゾートしよー♪」(花王 ハミング)とCMが流れてたときにこういう話になったんですね。
つじあやのは、ストリートミュージシャンもしていたウクレレミュージシャンである。美術工芸高校のフォークソング部で音楽活動を始める。ギターを弾きたかったが、手が小さかったためウクレレを始め、川端で弾き語りをする。その後大学のフォークソング同好会で活動を開始し、インディーズからメジャーを活動に動いたらしい。意外なことに大学時代はこういう「異端」を許す雰囲気が同好会にあったと彼女はいう。

好き嫌いが分かれるとは思うのだが、基本的に考えると彼女はギターを弾いていることから、ウクレレに振り替えことで置き換えをして、一方歌の形はあくまでフォークである。この形がいかにも現実的なところを基軸にし独創性を出すことを旨にするから、それなりに取り入られるという意見があったのである。
こういう見方はかなり一面的であるが、このあたりの創造性の持って生き方をどう処理するのかで、芸術の評価に対するベクトルと革新性が変わってくるというところにちょっと気がつくと、クリエーターという業務の本質が見えるかもしれないと思っている。

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