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スパイの恨み

お仕事でお付き合いしている経済界の重鎮がいらっしゃる。はじめ好好爺風の人だなあということで素性も知らずコーヒーを飲みながら関西風すき焼きの味付けの話で盛り上げるということをしていて、(第三者は正直最初は驚いたらしい)その人のキャリアを知って実は雲上の人だということがわかってしまってから引くという「ていだらく」である。それでもこの人はそれ以降も気ままに接してくれる。多分修羅場のときは技巧的な手腕を見せたのであろうというのは推測がつく。
この人が以前IBM産業スパイ事件関連の本を上程し経済界ではそれなりの反響を得、最近その続編も上程した。その話をしながら、笑いながらもしっかり「寄贈や進呈はしないからな。大体与えられたものは読まないものだから。君たちはともかく役所の連中はそうなので、断ってるんだ。そう高い本ではないから買ってみたらどうだよ。このあたりが自費出版と違うステータスなんだ」と先制攻撃をされてしまった。
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IBM産業スパイ事件は1982年6月22日に日立製作所や三菱電機の社員など計6人が、米IBMの機密情報に対する産業スパイ行為を行ったとして逮捕された事件。この際、FBIがおとり捜査官を使い、(被害者である)IBMがこれに協力したため、「日本企業を陥れた」として日本国内でIBMに対する反感が高まった。ただし捜査に関わったのは米国のIBM Corporationで、日本アイ・ビー・エムは事件自体には無関係であった(交渉もしていない)。IBMと日立は翌1983年に和解した。

1981年、大型電算機全盛の時代にIBMはアドレスを拡張し、OSの一部をファームウェア(ざっくり言うとブラインドパッケージ化)化して互換機を作りにくくしたメインフレームコンピュータを発表した。当時今後の産業育成(安保の見地もあたtかもしれぬ)からきた通産省の「行政指導」で、コンピュータ業界の再編があり、富士通と日立製作所(IBM互換機路線・販社としてファコム・ハイタック)、三菱電機と沖電気(ハネウェル、GEと提携・販社は三菱側に集中させた)、日本電気と東芝(独自路線・販社として日電東芝情報システム)という組合わせで、3グループに鉱工業技術研究組合法に基づく組合に補助金を与えた。その後日本メーカーは、ハードウェアのほうでIBMの技術に追い着き、半導体チップでは日本の方が信頼性などの点で優れるとも言われるにまでに至った。そこで、IBMは日本の互換機を振り切る決め手として、このようなコンピュータを発表したのである。アメリカにも存在した互換機メーカー対策として強力な手法で富士通、日立が解明するには2年はかかるとみられた。
さて日立は技術文書をナショナルセミコンダクターの汎用コンピュータ部門(日立からOEM供給を受けた互換機メーカ。1989年に日立製作所の子会社に売却)から入手した。そこに、かねてからコンサルティングで日立と取引があったB社から報告書の売り込みがあった。日立はその目次を見て、ナショナルセミコンダクターから入手済みの資料に酷似し、両方の文書が何らかの共通の資料に基づくものと判断。B社に「その資料は既に持っている。しかし、それは一部と思われるので、他にもあるなら購入したい」と伝えた。B社の社長は元IBM従業員で、日立がIBM機の資料を入手済みとIBMの当時の副社長に通報し、FBIによるおとり捜査(米国法で限定的に合法的な電話盗聴もしたらしい)で日立と三菱の社員が複数逮捕(ただし一時拘束だけ)された。事件は、1983年2月、司法取引によって決着したが、IBMは日立に対して民事損害賠償を起こした。
1983年10月6日、民事訴訟は和解し、和解内容には、1988年までIBMが日立のコンピュータ製品を事前に検査できること、訴訟費用を全額日立が負担することなどが含まれた。しかし、同年の朝日新聞で、ソフトウェアに関する秘密協定があったことが報じられ、類似ソフトウェアやインターフェイスについて日立がIBMに対価を支払うことを取り決めたものとされた。このあたりは今も明確にはしていない。
また、富士通はIBMが著作権違反で訴えようとしたことを察知し交渉し、日立と同様の協定を1983年7月に結んだとされる。とはいえIBMは1984年に日立と富士通の立ち入り調査を行い、12月に富士通が協定違反しているとして違約金の支払いを求めた。こちらは1988年に和解した。
なお三菱電機の社員については芋つる式にひっかかったという見方がいいのだろう。
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確かに大型電算機システムに関しては、いまだにIBMユーザーには日立も富士通も入り込めないし、ソフトの一部も使わない方針を貫いている(グループウエアによってはホストコンピュータに入れないことにしている事例は多い)。まだ富士通と日立は競合相手ではあるもののベース技術に近いところがあるからか、どこかに呉越同舟の弊がある。メインソフトの差異がが大きく出てこなくなった今でもシステムの作り方自体にIBM(この場合は日本アイ・ビー・エムも)とは差異が見られるようだ。当時に比べてソフト面では比較的互換性を持つことにより普及させる発想がなく、むしろ特定プログラムにたいしては顧客抱え込みのほうが当時は本流だったようである。
というわけで、意外とメインフレームにどっちかを使っているかで、相当難しいものがある。中大型電算機やそれにかかわるアプリケーションプログラムに関しては、乗り換える顧客に関してきわめて冷酷であるともいえる話をちょくちょく耳にする。おのおの一長一短がある。
とはいえ、上記のようにハードウェアのほうでIBMの技術に追い着き、半導体チップでは日本・中国の方が信頼性などの点で優れるという状態では、ハードがらみはIBMも固辞しなくなっている。(もっともメインフレームにベースをもっていた時代の幹部はもういない)たとえば2004年12月、中国の聯想集団はIBMからPC部門を買収し(Lenovo)、IBMはPC事業を切り離すことに成功したのだが、実は聯想集団は国の機関である中国科学院の計算機研究所のスピンオフ(しかも持株会社の筆頭株主は中国政府機関の中国科学院)ということでもあり、いくら本社所在地がノースカロライナ州で、登記上は香港だからといって中国政府の資本上の支配権のおよぶ企業だから、米中経済安全保障検討委員会は、安保上からレノボのPCを米国政府機関が使用することに懸念している。同じことはIBM のハードディスクドライブ事業部門を日立が買収し、日立自身のHDD事業部門と統合した経緯も言える。(日立グローバルストレージテクノロジーズ。本社はカリフォルニア州サンノゼ)日本の子会社の工場のうち小型HDDは藤沢でIBMからの引継ぎ、大型は小田原で日立の引継ぎである。(日立Grは1989年ごろ小型HDDから撤退し、以降購入していた。)だから売却関係の「ドライな関係」ではあるのだが、その実厳しい腹の探りあいには代わりがないのである。
IBMは景気の問題はあるもののソフトウェア、サポート、コンサルティングなど無形のサービス事業に注力した経営に転換していくと予測されているし、そうしている。その中には国際的に他社に乗り換えられない標準化されたソフト・サービスもあるため、金銭的関係はどうも逃れられないこともあるのではないか。
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実は、かつて当方の身の回りにもIBM事件に連座し逮捕された人がいた。もちろん司法取引ということは罪にはならず、事実経営幹部であった。ただしこういう事情・トラウマがあったからか仕事の関係では、(私にはこの人とはたまたまであろうが)頑迷な印象が高かった。このためか彼のことを影で「前科一犯」(実際は、謹慎はあったものの一時拘束であるから激しく間違いである)なんてひどいことをいう人も多く、かわいそうな状況もある。さらに大病で職を辞されたのも不幸であった。

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