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会議のなにが無駄なのか

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「無駄な会議」に出るくらいなら仕事をしたい  ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
 アイ・キューは12月1日、同社が運営するサイト「仕事ラボ.net」で実施した「会社での無駄な会議」に関するアンケートの結果を発表した。調査期間は2008年8月6日から18日。25歳から29歳の会社員を対象に、インターネット上でアンケート調査を行った。
 調査によると、行われる会議は月に平均3.6回。その中で無駄だと思う会議は約半数の平均1.7回だった。会議の中で無駄なものに関しては、「過去の議事録・配布資料」が最も多く、次いで「飲食物」「やる気」が続いた。
 「無駄な会議に出るくらいなら何をしたかったか」という質問に対しては、64%が「仕事」と回答。2位の「帰宅」(8%)を大きく上回った。
 自由回答では、「無駄な会議のエピソード」として「何時間も議論をしたのに後から来た役員の一言で結論が変わった」「事前資料を読んでない上司が、話をかきまわした」「出席予定の社長が不在のまま会議を進めたところ、終盤に社長が帰社、経過を始めから説明したため、結局2倍の時間が費やされた」などが挙がった。
 また、「信じられない“無駄”会議」として「解雇される予定の人たちが年間計画を立てていた」「会議の途中から社長と専務の前職の会社でのエピソードとトリビアの披露合戦になり、そんなことで昼休みがなくなった」「ミスが誰の責任なのか何時間も打ち合わせていた」などが挙がった。
 「無駄な会議を抜け出す方法」に関しては、約半数が「抜け出したことがないので分からない」と回答したものの、残りの半数は「お手伝い」「電話が鳴ったふりをする」「飲み物を取りに行く」「急用を思い出す」などの方法で会議を抜け出していることが分かった。
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とにかく会議の運営や司会側に回ることが最近多い。
会議というものにもいろいろある。国会の本会議はここではいわないで一般の会議について考えてみよう。関係者が集まって相談をし、意思決定をすることであるが、多分に上記のものには相談という大儀名分を求めているからそう思うのではないか。
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会議は、組織の重要な人間と人間との間の意思を伝達手段でだが、会議が適切な計画と実行に結びつかない限り、会議そのものが貴重な資源の著しい浪費になりうることを忘れてしまっている。また膠着した会議で中身がまったく決まらないというのも会議の魅力を半減するだろう。これなどは、下記のような揶揄の対象もある。
ウィーン会議:フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進行せず、「会議は踊る、されど進まず」と評され、後年これを題材としたオペレッタ映画までできる始末であった。1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出したとの報が入ると、危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日にウィーン議定書が締結された。
後北条家の重臣会議:小田原評定といわれる。これ自体は当時は独創的な制度であったらしい。後北条家の強さの裏付けにもなったようだが、小田原合戦の戦術論争で有名になる。籠城と野戦の主張で激しく紛糾し、籠城と決した結果が裏目に出る。かくて、小田原評定という言葉は「いつになっても決まらない会議や相談」という意味に使われる。
会議の種類としては

* スタッフ(担当者)会議 *チーム(部門)会議  * 経営会議  * 重役会議

とかあるんだが、これは用途別なものであって、ここではあまり意味がない。
最近だと、場所設定がらみが結構話題になる。
* 立席会議(会議を早く終わらせようという意識も働くので無駄な打合せ時間もなくなる)
* 朝食会議 ・ 昼食会議(ご飯のときの会議・じっくり話し込むときに向く)
* 遠隔会議(テレビ会議・Web会議や電話会議)
* 円卓会議(円の一様な形を利用して、会議の参加者同士が上座や下座といった席順による序列にこだわることなく、対等の関係で自由に発言できるような会議)
 
というのもある。
ところが、この場合でも会議の中身が混在することから、目的が見出せないことからということが不満に感じる材料なのかもしれない。そういういみだと私はこういう分類ができるのではないかと考えている。
*意思決定会議(結論を導き出すための会議)
*連絡会議(決定事項を間違えなく伝達することを旨とする)
*情報共有化会議(話題共有を旨とする会議で結論決定を旨としない)

私の経験であるが、朝食会議・ 昼食会議のように松花堂弁当がでるような会議の場合は情報共有化会議になってることが多そうだ。
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ところが最初から、この会議の目的がどれなのかということを示したら、関係ない人が逃げることもあるため、いわゆるレジュメは用意してもあまりこれを示すことは多くない。また意思決定会議の形をとっていても誘導するべき意見がじつは用意されているため、意思決定会議の形をとった連絡会議ということもある。これらの腹芸をされるとやぱり反発することはある。客先で会社の責任者として意思決定会議の意味を感じて客先に会議でいったときに、会議が単なる連絡会議にされていることで「ちゃぶ台返し」ならぬことを上司と一緒にしたことがあった。
また、意思決定会議にしたいのだが、司会者の志向が「意見統一」を強行に薦める仕方誰も意見を出さず結果的に連絡会議となってしまうことがある。
たぶんこういうことを経験していると、会議なんてねえとか「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」といって忌避してしまう。そうですよね。今はネット・メール・グループ管理ツールがあるから、連絡会議や情報共有化会議はあまり存在価値がなくなっている(ただし小グループでの打ち合わせはメールの補足・フォローとして必要だと思っている。)という志向があるし、事実代用できる会議も少なくないと思う。
私は、小田原評定になることを恐れて行ってはいけないと思う。したがって会議の内容を予定調和的でない意思決定会議の味付け・運用をするような会議運営にすることで、会議に対する業務への寄与の内容がかなり変わると思うのであるが。いかがであろうか。たしかにそうなると時間が掛かるなど会議運営は非常に大変であるけど、意味のない会議は減ると思う。
ただしこの会議の準備のために下打ち合わせのための会議が多くなるということになってしまうのが困ったものですがね。

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