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「イタリアのものづくりに学ぶ(1/2)

――引用
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20081029/160410/
大量生産モデルからの脱却には「アート」が必要---森永卓郎氏の講演から  2008/10/29 19:13 近岡 裕=日経ものづくり
 経済評論家で獨協大学教授の森永卓郎氏が,先週末,伊藤忠テクノソリューションズ主催のプライベートセミナーで講演した。テーマは「イタリアのものづくりに学ぶこれからの日本経済」。日本企業は何かと米国企業のやり方をまねたがるが,森永氏は「これからは,大量生産してコストを下げるのが企業の成否を決めるのではない。いかに,“変なもの”をたくさん思い付くか,ワクワク,ドキドキするものをどうやって造るかだ。これをイタリアから学ばなければならない」と説いた。(中略)
 日本とイタリアは大きく異なるように感じるが,森永氏によれば,非常によく似ているという。9割以上が中小企業という産業構造を持ち,国土は南北に長くて海に囲まれている。高齢化・少子化が進み,財政や年金制度が破綻しかけているといったところまでソックリだそうだ。確かに,優れたクルマや工作機械を造るなど,ものや技術に対するこだわりを持つ点は,日本と似ていると私も思う。
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 そのイタリアが好調な発展を続けることができたポイントは,価格競争から逃れるものづくりを選んだことだ。すなわち,「世界の工場」として急速に力をつけてきた中国とは競合しないものを造ってきたからだと森永氏は力説する。

 「トヨタのセルシオ(現レクサス)は完璧なクルマ。小指でもピタッとドアが閉まる。価格は700万円。ところが,イタリア製のフェラーリは1億 5000万円。これほど高いのに,雨の日は乗れず,エンジンがいつもかかるかどうか分からない。でも,かかるかどうか分からないからこそ,かかったときにオーナーはうれしく感じる」(同氏)のだそうだ。(中略)
 いずれも,機能やスペックといったもので評価すると,他の製品よりも高額に思える商品だ。しかし,“センス”がまるで異なる。その証拠に他と全く競合しない。分かりやすく例えると,「ヴェルサーチのスーツと1万円を切るスーツは,全く競合しない」(森永氏)。衣服としては同じものでも,両スーツでは購入者の層が全然違うからだ。先のアレッシィの恐竜の形をしたライターは,実は,着火源は単なる100円ライターだ。だが,「100円ライターでタバコに火を付けるのと,恐竜で火を付けるのと,どちらが素敵なライフスタイルか」と森永氏は問いかける。他と競合せず,ワクワク,ドキドキといった喜びをオーナーに提供する高額な商品をイタリア企業は提供し,成功してきたのだという。(中略)
 大量生産でコストダウンして価格競争に挑むビジネスモデルが,今後の日本で通用しないとは思わない。センスに優れる高額な商品だけで,現在の企業規模が維持できるかについても疑問だ。だが,大量生産で安く造るビジネスモデルを続ける限り,今後も苦しい価格競争を続けなければならないという覚悟が必要だろうとも思う。日本企業のコスト削減の努力には頭が下がる思いだが,例えば,生産現場の改善だけで,新興国の通貨に対する円高の影響を埋めるのは非常に難しいというのも事実だ。行き着くところは,従業員の給料の大幅な圧縮か,さもなくば事業からの撤退か…ということにもなりかねない。少しずつでも「アート」に挑戦する意味があるのではないか,そう思わせる森永氏の講演だった。
――終了
イタリア製の工業製品という中で家電製品などは、私も憧れのものであったりします。ですが、大概高級品だったり、特殊用途だったりして手が届かないものが多いのがつらいところ。かつて使っていたオイルヒータ(暖房機器具)がそうでしたが、電気代があまりにもかかるので非常にいいもの(かつ安全)でしたが修理に金がかかるので廃棄した経緯があります。あとは親族がエスプレッソマシンを持っておりますが、高級品でさすがに意匠・品質などいいものではあるものの、修理体制はどうもつらいようです(日本総代理店がある分ましです)。
決してイタリアの工業技術が低いとは思わないし、工作機械の基礎的技術、機構設計などすごいものがあるのです(ただしITにかかわる部分はアメリカ、日本やドイツの製品を組み込んでいます)。どうも今までの私の仕事でかかわってきた製品の中では、かかわったイタリア製品(10個ぐらいあるようですね)がほとんど全部、破損トラブル、そして故障に伴う機器停止と対価保障の事故にあっていることも少し印象を落としているかもしれません。(製品化に至らなくても、輸入代理店業務受託の中で、品質的な保障をとる段階で運転中破損とかいうことでつっ返したのを入れると更に10個ぐらい増えます。)したがって残念なことに、私の周りには「イタリア製の部品組み込みは絶対しないこと」という企業ノウハウがあるところを見かけます。
ここでひとつ面白いのは、なんでイタリア製品を選んだかというと、意匠ということではこの場合はたまたまなくて、独創的な製品コンセプトで、他国に類がない企画や価格の製品を作るのが彼らの使命ということなのだろうと思います。このような独創性があるからこそ装置の機構として私たちはイタリア製品を選ぶというのですが、独創的ということは裏返しに見ると、実績評価が必ず薄いということにもなるわけで、その評価を日本市場に導入する場合日本側からしっかり補償できる体制にしておかないと、販売することでクレーム山積ということになるのですな。
では、同じものをイタリア国内で販売している場合、彼らにはこのような意識があるのでしょうか。聞くと「そのような問題はあるだろう。しかしこのようなモノを使うことによって従来の業務が楽になったのなら、なくなっても元の作業に戻すだけであって人間が生きていく上には問題ない。」飯のタネにつかっているのだから、生活の保障的な問題を話しても「生きてるんだからいいんでしょう」的な印象をもたれるんで、日本企業という立場に限ってみると脱力感が思いっきり入ってきます。
こうなると、日本のように機械の上に機械をからめて重層的な設備を設けると各々の機械の信頼性が掛算になってしまうことでトータルの信頼性が乏しくなるというイメージが実感としてあるのかもしれません。いや、これは非常に人間的ですし、人生を謳歌するということをメインにした思想ではうらやましい気もします。
日本のビジネスモデルは
 大量生産でコストダウンして価格競争に挑む
 品質を作りこんで信頼性競争に挑む

ということが前提です。このなかでハイエンド品がさらに出てくるとそれは、次世代の技術を先取りする、次世代の品質確保手段を先取りするということで、付加価値を高めてくる場合が多いようです。つまり
 現物の使用目的を進めた技術で付加価値を高める
という志向でしょう。
ところが製品をブラッシュアップするために技術を使うということは大きな見地ですが、イタリア(たぶんラテン系の民族は近いのかなとおもいますが)技術はだれのためにあるか・・・扱うのも利得を得るのも人間ジャン・・・というところに根源を見出してるんでしょうね。そこで
 使う人に最適な感覚を持たせる製品群を作って、感覚にあった独自性を訴える
というのは、別に他国との差別化ということでは全く無くて、意識を異ならせた製品群を作るための基盤・社会的コンセンサスがあるのではと思うのです。
なお、日本でも意外でしょうが、「ワクワク,ドキドキ(するもの)を造る」ということを商品企画部門や商品開発(後期研究分野)で構築しようとする動きはいろんなところにありますし社是にしていることも数多くあります。ただそれは、品質や生産性、安全性、利益のすべてを得る条件を前提としています。(さらに社是にすることは、現実には社員に徹底さていないという証左でもあるorz)イタリアの場合は、おなじことを謳ったとて、人間が楽しく生きる上の最低限の内容、すなわち安全性だけを前提にして次にワクワク・ドキドキ、その後に品質や生産性、利益が連なるということになるのではと思います。
―――
ただ、この見方は非常に面白い示唆を与えてくれます。
(続く) 

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コメント

こんにちは。自動車の歴史を調べていたときに、イタリアは馬車職人の伝統が残っているので、今でも量産よりも手作りの思想でものづくりをしているというようなことを感じたことがありました。

投稿: KADOTA | 2008年12月 8日 (月曜日) 07時51分

そうなんでしょうねえ。
自動車の場合はたしかにそのようなことを聞きます。問題はこれで、一応国民生活がなり立っているということです。
一方工業教育のほうではイタリアは文系にカリキュラムが偏っていて、先端技術ということはあまりないという事も聞きます。その分職業教育は充実していますがね。

投稿: デハボ1000 | 2008年12月 8日 (月曜日) 12時07分

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