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人間も電車も五十年

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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081001k0000e040089000c.html?inb=yt
個室ビデオ店火災:「生きるの嫌に」放火容疑で客の男逮捕 毎日新聞 10月2日 2時07分
 大阪市浪速区の個室ビデオ店で15人が死亡、10人が重軽傷を負った火災で、大阪府警浪速署捜査本部は1日、客の東大阪市 某容疑者(46)を殺人と殺人未遂、現住建造物等放火の疑いで逮捕した。「生きていくのが嫌になった。ライターでカバンなどに火をつけた」と容疑を認めており、捜査本部は突発的に火をつけたとみて調べている。また、捜査本部は同店の防火設備に不備があった可能性があるとみて、消防法違反の疑いでも捜査を進める。
 調べでは、某容疑者は1日午前2時55分ごろ、同区難波中3の雑居ビル1階のビデオDVD試写室「キャッツなんば店」の個室内で、ティッシュペーパーや持ち込んだキャリーバッグ内の新聞紙などにライターで火をつけ、男性客15人を殺害、同ビル1階部分約40平方メートルを燃やすなどした疑い。
 店内にいた客が、某容疑者が出てきた個室から焦げ臭いにおいがしたため、室内を見ると、バッグから炎が上がっていたらしい。通報で駆け付けた警察官が店外の路上で、白い肌着にトランクス姿の某容疑者を発見。「けがはないか」と尋ねたところ、「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し、「たばこに火をつけたらたくさん煙が出ました。死にかかったんですわ」などと震えた声で話し、失火をほのめかしたという。
 しかし、その後の捜査本部の調べに、故意を認め、「火をつけたら死者が出ると分かっていた」「煙が充満し、怖くなって逃げた」と供述した。 店には午前1時半ごろ、友人に連れられて来たといい、友人とみられる男性は火災で負傷し、入院した。
 捜査本部は死亡者の身元確認を急いでいるが、4人にとどまっている。「免許証などを持っていたのは数人。身元確認には時間を要する」としている。重軽傷者は32~77歳で、1人が重体、2人が重傷となっている。
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人生の目的」がないと、生きる意味も、頑張る力もなくなるんでしょうね。「人生に目的なんてない」 と言う人が、意外に多いからこそ、現在の自殺の多発があるのかもしれない。「苦しくとも生きねばならぬのか」 と年配者がいうのはなぜか。「生きがい」を「人生の目的」と誤認したからという考えなのだろう。有る人は現代の人は自殺しないにせよ、自殺するにせよ理由を求める。本当は必要でない項目が多いのに、それを求めてしまう。なぜその理由を求めるのだろうかということを嘆いていたが、実はこういう生きがいと人生の目的を混在すること自体を間違えないという、過去の教訓という見方もある。しかし私は視点を換えて見ると、どんなに過去の偉人も判断しようとしても「生きがい」と「人生の目的」はきちんと分離できないものだ・・と言う視点もあると思う。

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「何事も 夢まぼろしと 思い知る 身には憂いも 喜びもなし」 (足利義政) 
義政は、趣味風流の世界に生き、銀閣の建立で知られる。能、水墨画、茶道、華道、書院造の建物など、いまや日本文化の代表として海外にも紹介される最高の芸術の中に身を置いても、こう述懐せずにおれなかったのか。
「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」 (上杉謙信)
上杉謙信は、川中島の決戦など生涯戦いに明け暮れた。織田軍を加賀で撃破し信長を恐れさせ、関東平定へ進む矢先病に倒れ、49歳で亡くなった。「戦功を競った一生も、一眠りする間の夢のようだ。天下に名を馳せた一代の栄華も、1杯の酒ほどの楽しみでしかなかった」
一眠りする間の夢なのだが、中国の「枕中記」に由来する「一炊の夢」という話が元であろう。「邯鄲の枕」とも。邯鄲(中国戦国時代の趙の都)に盧生という若者がいて、旅先で宿で道士の呂翁に会い、その際栄華がおもいのままになるという不思議な枕を借りて眠る。すると良妻を得、大臣となって栄え、山谷あれども50年余の栄華をきわめて一生を終える長い夢を見た。ところが夢から覚めると、宿の主人が炊きかけの黄梁が、炊き上がっていなかった程の短い間の夢だったという。人の世の栄枯盛衰が儚いことの喩えだ。 
「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」  (織田信長)
 これは、舞の『敦盛』の一節。信長は、好んでこの一節を歌いつつ、舞ったという。「人間の人生は五十年。天下を眺めてみても、夢や幻のようなものだ。一度生を受けたものが滅びないものがあるものだろうか」
 天下統一へ向け進撃した信長は、49歳で部下の明智光秀に殺された。本能寺で襲撃を受けた時、炎の中でこの一節を歌いながら死んだという。人間の一生は夢か幻のようにアッという間に過ぎ去るのが共通の感傷のようだ。だからこそ人生の目的が重要になるともいえるか。(PS:本能寺は名刹でもあるが最近は貸し会場・いや高級ホテルとして知られてたりします)

うーむ。49歳というのは今で言う平均年齢80歳と言うところの境地なのかもしれない。
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http://www.keihan.co.jp/news/data_h20/2008-09-25-01.pdf

往年の特急車両1900系が引退----引退を記念して各種イベントを実施します
●10月1日(水)からは特製ヘッドマークを掲出
●10月17日(金)にはK特急「おりひめ」、準急「ひこぼし」として運転

京阪電気鉄道株式会社(本社:大阪市中央区)において、約半世紀にわたって特急や一般車両として活躍してきた1900系車両の最後の2編成が年内で引退することになり、中之島線開業前日にあたる10月18日(土)をもって通常運用から外れることになりました。そのことから、これまでのご愛顧に感謝を込めて、10月1日(水)から10月18日(土)までの間、「さようなら、ありがとう。」の特製ヘッドマークを同車両に掲出して運転することにしました。また、同期間の最後の平日となる10月17日(金)には、朝のK特急「おりひめ」(私市発~淀屋橋着)、夕方の準急「ひこぼし」(天満橋発~私市着)に充当し、花道を飾ります。なお、12月には別途臨時列車としての運転を計画中です。
イベントなどの概要については下記の通りです。
       記
1. 通常運用による最終運転日時
【実施日】10月18日(土)
【運転時刻】
1919-1920号編成(通勤色)13時49分天満橋発 区間急行 萱島ゆき
1929-1930号編成(特急色)16時29分天満橋発 区間急行 萱島ゆき
※ダイヤや車両の状態により、予定を急遽変更することがありますので、あらかじめご了承ください。
2.イベント内容
・「さようなら、ありがとう。」特製ヘッドマーク掲出
【掲出期間】 平成20年10月1日(水)から平成20年10月18日(土)まで
【対象車両】 1919-1920号編成および1929-1930号編成
※定期点検やその他の理由により、運転しない日があります。
・K特急「おりひめ」、準急「ひこぼし」への充当
【実施日】平成20年10月17日(金)【運転時刻】K特急「おりひめ」 準急「ひこぼし」
1919-1920 号編成(通勤色) 私市駅 7:49 発 天満橋駅 18:08 発
1929-1930 号編成(特急色) 私市駅 8:09 発 天満橋駅 17:53 発
※ダイヤや車両の状態により、予定を急遽変更することがありますので、あらかじめご了承ください。

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10/16・10/18はわたしは大阪にいるんだなこれがorz。
京阪電車の歴代特急電車には、1951年製造の1700系、1953年製造の1800系、1956年製造の1810系、1963年製造の1900系、さらに現在活躍中で1971年製造の旧3000系(現在の8000系30番台)1989年製造の8000系がある。
1900系車両は特急用として昭和31年に製造された1810系と、淀屋橋延長線の開業に合わせて昭和38年に同じく特急用として製造された1900系を統合した車系。同時期に運用された1700系や1800系は、車体長が短かったために通勤電車に改造された。空気ばね台車による優れた乗り心地と豪華なモケットの転換クロスシートで好評を博し、京阪特急イコール「テレビカー」のイメージを決定づけた。特急の座を旧3000系(現:8000系30番台)に譲ったあとは3扉ロングシート通勤電車への改造工事を実施して一般車両として活躍した。さらに1500V昇圧工事、冷房化と5両固定編成化を経た。近年は交野線や、京阪本線の普通列車に運用される。今も平日の夕方には、天満橋→交野線直通準急「ひこぼし」としての運用がある。
2003年4月に淀屋橋地下鉄延長線開通40周年を記念し、1919-1920号編成がかつての特急色に塗り替えられた。そして最大45両存在した1900系は徐々に引退し、2006年5月で10両(2編成)になる。最後の編成の内、1929-1930号編成の中間車は、50年を迎える1810系から改造された車両がある。
車体のみならず台車や制御器などの主要機器の老朽化と、これに伴うメンテナンスコストの増大が著しく、支線区用新型車として2002年から10000系を新製投入し、順次置き換えてゆく方針が決定された。これにより、同形式の第1次車が同年4月15日に就役し老朽化が深刻な車両から淘汰が開始されたが、予算面の制約から置き換えはままならず、この時点では2編成10両が淘汰されたにとどまった。またこの電装系の一部が叡山電鉄の車両に流用された。以後、同系列の追加新造は4年後の2006年まで中断され、2006年初頭本系列は5両編成7本35両が在籍していた。今回新3000系投入などの対応に基き最終編成が廃車になる。この車両は、軽量車体の設計を用いた車体としては極めて長寿命である。(もっとも京阪電鉄の車体流用車には50年近くの車が割りとある、車体保守技術は国内でもかなり高い)
旧特急車等としてよりも、一般車両としての生涯が長い車。以前は他のさらに新しい電車を差し置いて正月などの特殊輸送時に(代用)特急車(但しロングシート)運用にも付いていた。
電車の寿命は償却上18年であるが実用上は30年ぐらい(除くJR209系0番台)に設計上設定するのが多い。これを考えると確かに長命だな・・ということになるわけだ。

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