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ポニョにお手上げ(3/3)

(承前)
さて、私はたまたまこういう事例を知っている。
---------------引用
川崎市、ホームレス救済の「パン券」廃止(読売新聞) 2004 年 6 月 23 日:
 ホームレスへ無料で弁当を支給してきた川崎市は22日、支給事業を来年度にも廃止することを決めた。「人道支援」として事業が始まったのは1994年。評判を聞いて希望者は増える一方だが、財政難に加え、無料支給がホームレスの自立を妨げているとの批判もあり撤退を決断した。
 朝食や昼食の無料支給は「パン券事業」と呼ばれてきた。当初は食料品と交換できるパン券が配られていたが、99年10月からは弁当が支給されている。
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 同市には1000人以上のホームレスがおり、昨年度は1日平均618人(前年度比14%増)、これまでに延べ200万人以上が無料支給を利用している。

 希望者は毎朝6時半に同市川崎区の市体育館脇(注:この場所はまん前に職安の支部があった)へ集合。就寝場所や仕事の有無など簡単な確認はあるものの、ほぼ無制限に朝昼用の弁当2個が支給されている。このため市民からは、「市外のホームレスを呼び寄せる原因になっている」と批判もあった。
 同市では昨年度、約1億4000万円(40万食分)の予算を計上したが、支給対象者が予想を上回って予算がパンク寸前になり、昨年12月から今年3月まで、1日あたりの支給単価を693円から200円近く引き下げた。今年度は約9000万円に予算を減らしている。
 同市では今年5月、食事付きの一時宿泊施設が完成。また、職業訓練や就職相談のため、自立支援センターの新設も計画され、今後は、自立を支援する施策へと転換する方針。7月1日から再び、1日分の支給単価を引き下げて500円以下とする。 阿部孝夫市長は、「都市として行うべき仕事の限界を超えている。財政難の中で、市に事業を続ける力はない」と事業廃止の理由を説明。厚生労働省も「パン券事業は野宿生活を前提にしたもの。自らの意思で安定した生活を送れるようにすることが支援の基本」としている。
 一方、パン券支給を受けているホームレスからは「アルミ缶の資源回収では、1日1食分しか賄えない。弁当の支給がなければ生きていけない」(68歳男性)との声も上がっている。
--------------終了
川崎区の朝食や昼食の無料支給は、個人的に見聞きしていることも多い。1995年はかなりの不況であちこちの公園や多摩川の河原にバラックが出来、排除したら路上に居座る結果治安が悪くなるとか、行き倒れが頻繁に起きるとか、遊休地にあっというまにバラックが出来るとか、川崎区でに新たにドヤ街が出来るというより、区内が全面的にドヤ街になりかねない情勢であった。とはいえ雇用創出は市の力では無理。そこでかなりの反対を押し切って始めた事業である。とにかく地元民には悪評たらたらたらたら・・・・・が、なにをしてもどこかに歪が来るということもあり容認していたのも現状のようだった。
当初は食料品と交換できるパン券が配られていた。「パン券バス」というバスを古い中型バスで作り(なぜか川崎市営バスではなく臨港バスに運行と車両管理を委託)市の体育館脇の周りの商店でものを買ってもらうため地域振興策を兼ねたらしい。ただこの人たちは煮炊きが出来ないし、公園や河原のバラックで、煮炊きされたらこまる(し、事実公園での煮炊きが常態化し、火の粉で火事になるなど問題にもなっていた)のでパンの引換券になっていた。でこの引き換えに地元の商店街が対応できたかというと、品揃えの関係、さらには複雑な住民感情もあって全く対応できず、対応できたのはこのあたりのコンビニだった。とにかくパンが豊富ということになっていた。その後1999年から弁当直接支給になったのちは今度はコンビニが多数廃業するということもあった。この場合素材・健康以前に生命の維持である。健康を考えるか救飢を考えるか、肉体的保全か精神的保全か、似たようなことであるはずだが、その実視点は逆である。
但し、一律にいえない側面もあって、仕事の得られない(というか求人用の車もあまり来ない)状態の上に、日中から麻雀をするのがいたり、酒宴をやってるのが混ざっていたら、心象が悪くなるのもあるかもしれない
先に述べたアメリカの事例では、多分現地に弁当(ほか弁)という選択がないからあくまでファストフーズになってるともいえる。さらに貧困層の志向からするとデンプン質・油加工品は腹持ちが良く、量産ができるし、穀物が(質さえ問わなければ)安価な米国では手ごろ・安直なものとなる。その分健康を考えた配分は難しいかもしれない。
南ロサンゼルス地区は、生鮮食品店の数は市内の他地域の約4分の1しかないことから、いわゆる「食の砂漠」「食のアパルトヘイト」という声がある。けどこれはあくまでスローガン的謳い文句と考えるべきではないか。政治的決着しか自由経済と自由意志の尊重の元では、生活の砂漠化はどのような現象で露呈するか、具体的に上がるは別にして存在するものと考えたほうがいいと思う。本質的かつ究極の解決は原始共産主義になってしまうのだと思うが、それは他の既存インフラを無意味にし、国をなくすことに繋がるとなると、ファストフードを制限する限定的・部分的最適化しか出来ないのが正直なところであろう。つまりパッチを当てても効かないし、その結果パッチを当てる場所が増えてしまったようなものだ。
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股間にもポニョ。腹の上にもポニョ。崖の上にもポニョなら、この問題は貧困の視点が社会の構成の軋みの集成がポニョっと固まったものなのだろう。まさに目の上の「ポニョ」である。

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