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ポニョにお手上げ(1/3)

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たけし猛口撃「またの下のポニョ」「焼いて食べちまえ」 産経新聞 2008.9.5 11:32
 ビートたけし(61)は4日行われた渡辺真理アナウンサー(41)の結婚会見に乗じ、ベネチア国際映画祭に参加した監督作「アキレスと亀」をPRした。
 渡辺アナが報道陣から「プロポーズの言葉は?」と質問されると、「またの下のポニョをいじってくれ」と口を挟み、ベネチアのライバル、「崖の上のポニョ」の宮崎駿監督を口撃。その後も「宮崎駿のひげが気に入らない、アザラシみたいな顔をしやがって。何がポニョだ、焼いて食べちまえ。亀のほうがうまいぞ」と、完全に“会見ジャック”していた
渡辺真理アナ電撃婚!たけし求婚の言葉代弁  2008年09月05日 スポニチ
 元TBSでフリーの渡辺真理アナウンサー(41)が4日夜、都内で記者会見し、結婚したことを発表した。相手はフジテレビ社員の高井一郎氏(45)で8月27日に婚姻届を提出。高井氏に代わって会見には、テレビ朝日系「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」で共演するビートたけし(61)が同席。(中略)
 高井氏との出会いは今年5月。中学・高校時代の先輩にあたり、元フジでフリーの八木亜希子アナ(43)の紹介で知り合い「6月末か7月から」交際スタート。プロポーズについて「これというのはなかった」と言葉を濁すと、たけしが「股の下のポニョをいじってくんないか」と答えて笑いを誘った。
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あらら、不謹慎といえばそうですし、渡辺さん、記者会見で明らかに真っ赤になって動揺してました。かくも大物がでずっぱれば引くわけもないでしょうという見方もあるんですがね。けどたけし氏のもともとの芸風がバーレスク(後述)から来たものであるからということを考えるとまんざら分からなくもない。
さらに、このバーレスクコントがこの記事を見ると思いっきり炸裂してるんです。しかも海外で・・・
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「“股の下のポニョ”には負けない」たけし毒舌全開のヴェネチア報告 9月11日22時54分配信 VARIETY

 第65回ヴェネチア国際映画祭のコンペ部門に出品された、北野武(ビートたけし)監督の最新作『アキレスと亀』の完成披露試写会が11日(木)、東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズで行われた。
 主要な賞には絡まなかったものの、ヴェネチアの熱狂であらためて“世界のキタノ”を印象付けたたけしは、充実感に満ちた表情。「ここ3年くらい、 “TAKESHIS'”を撮って事務所が傾き、“監督・ばんざい!”でめちゃくちゃ危なくなり、(所属タレントの)山本モナ(の不祥事)で完全に終わった。借金を全部返そうと思い、散財して作った」と舌も滑らかだ。
 ヴェネチアでの上映は「“HANA-BI”の時と変わらないくらい盛り上がって、もしかして取るかもって話をして乾杯していた」という。だが、「3日後に、“股の下のポニョ”っていう憎たらしい映画が、同じような反応でいやな予感がした。ポニョより亀の方が強いだろうと思っていたら、結果的にミッキー・ロークが持っていったので腹立たしい」と毒舌全開で振り返った。(後略)
注:北野監督、アブないのはオフィス北野かリーマンか?冗談暴走して社長に大目玉!2008年9月22日(月)7時50分配信 シネマトゥデイ
(前略)前夜から台風13号の激しい風雨に見舞われた関東地方。北野監督は「直撃されるとまた事務所が傾くところでした」といきなり会場の笑いを取った。先日行われた完成披露試写会の際には、「ここ3年くらいヒット作がなく、(オフィス北野所属の)山本モナで完全に終わった」と語り会場を盛り上げた北野監督。この日は、「事務所が傾いたと言ったらマスコミが本気で書きやがった! 今の話題はリーマン・ブラザーズかうちの事務所。冗談だったのに、銀行から取引を断られたり、事務所のオーナーから前家賃くれとか言われたりして、(オフィス北野社長の)森さん怒っちゃって……」とこれまたジョークで会場を沸かせた。(後略)
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はい「股の下のポニョ」にせよ、「山本モナで完全に終わった」にせよ、直裁的でないがしっかり下ネタですねえ。
バーレスク
(1)シェイクスピア等先行する文芸作品をパロディ化した茶番劇
(2)転じて性的な笑い(艶笑、軽い下ネタの類い)のコント
(3)さらに転じて、ヌードとはいえない女性のお色気を強調した踊り・諸芸等。

日本では、戦前の浅草で軽演劇、浅草オペラが発展したときに、「バーレスク(1)」は導入された。これは戦後吉本新喜劇にまで影響を与えることになる。(戦前は吉本興業は浅草の劇場を沢山経営していた。吉本新喜劇は「バーレスク(1)」の影響を、松竹新喜劇は新派の影響を受けていると俗にいう)
戦後になってバーレスクは、おもにヌードダンサーの行う芸事「バーレスク(3)」を示すようになり初期のストリップ劇場ではやっていた。その後、バーレスクの特徴であるチラリズム的・湾曲的表現が衰退し、バーレスクはグランドキャバレー、ナイトクラブでのショー、日劇ミュージックホールの比較的芸術的な側面が強いダンサーに受け継がれるようになる。その代わり専門化して「バーレスク(2)」はダンスの幕間に行う艶笑芸を示すことになる。1950-60年代、フランス座やロック座など浅草公園六区の劇場では幕間にコントが行われることが多く、ストリップ劇場は渥美清氏や萩本欽一氏、長門勇氏、由利徹氏、東八郎氏そしてビートたけし氏など、昭和を代表する喜劇人を数多く輩出する舞台にもなっていた。
例えば現在の「浅草東洋館」は、1951年に開業したストリップ劇場「浅草フランス座」に始まる。永井荷風も熱心に通い、踊り子たちに非常に人気があった。そのうち、ストリップの合間にコント・軽演劇を上演していたのが評判になり、1964年にこれが「東洋劇場」となる。このとき、浅草フランス座がビルの4階と5階に移動し、ビートたけしはのちにここに雇われる。
(コント赤信号のように渋谷の「道頓堀劇場」の幕間でコントの修業を積んだ例もある)
しかしこれは関東以北では明確にあったのだが、関西では寄席とストリップが興業師の流が異なることもあって別れてしまった。このため関西では幕間の漫才でバーレスク的ものは小劇場や2番館(例えば「新世界新花月」)などで行われる。このことは上方落語ではバレ噺(艶笑落語)が寄席では有る意味残る結果にもなる。今の落語家でもこれが得意な落語家は多い(当代露の五郎兵衛、先代森乃福郎、当代笑福亭鶴光、当代桂米朝、そして身を呈して実践してる(爆笑)初代月亭可朝など、名人も枚挙にいとまない)
反対に関西以西のストリップ劇場ではチラリズムよりもダイレクトな性表現を求める「実利主義の」人であふれることにもなった。特出しショー・白黒ショー・放尿ショー・マナ板ショー・獣姦ショーetc etc・・・(詳細は自粛)というようにだんだん劇場が解剖教室化していく。あるときはこれを見て動揺した事もある(純朴だった私(ぉぃ))。1985年の風営法施行まで業界はこういう進化を遂げ、そののちはAVとストリップの融合(こら)に動いていく。この影響が関東以北にも及び、結果として段々幕間のバーレスクコントが衰退していくのである。
ところで、東京の落語では、落語の中に艶笑的なものを強く持ち込むタイプの落語家もいるが、三平一門のようにバーレスクとは違うという趣旨で決して下ネタを掛けない一門もいくつかある。(当代の正蔵は、新劇活動にも興味が高く、声優等もしてるが、実は劇団『WAHAHA本舗』の創立メンバーである。短期間在籍していたが、三平一門が WAHAHA本舗が得意な下ネタがご法度だった為に強制的に退団させられたと言う話も有る。)また上述の萩本欽一氏は、バーレスクで下ネタをせずに人気を博していったが、これは非常に高度な技能を要する。
また「特出・・(省略)・・・・・姦ショー」とは別に、諸芸として花電車(装飾を施して運行される路面電車。まちがってもデコ電ではないorz)から転じた女性器を使ったパフォーマンスたる『花電車』もこの中に含まれることがあるらしい。催事に走る花電車(例:函館市交 装1~3号/広島電鉄 貨50形/長崎電軌 87形/熊本市交 50形/鹿児島市交 20形)は花(=踊り子さん)が装飾して走るだけで「客を乗せない」から、見せるだけの風俗芸を花電車と呼んだという。たしかにこの手の芸をする踊り子さんはコメディアン的素質を持っているようだ。某所で私が見たのは中国奇術の芸人さんと花電車芸の方が隔日で香盤表(プログラム)にでていたものだった。
最近の事例だと西口プロレスというギャグプロレス団体もある。元々、浅草や新宿のストリップ小屋の幕間に、芸として芸人同士がプロレスごっこを演じていたところ、思いがけず客からの評判が良かったため、2001年ごろから団体旗揚げへと話が発展する。
「西口プロレス三箇条」として、 * 安全第一 * 筋肉禁止  * 台本重視
とあるように、ほとんどの試合が劇であり、その中で大技を盛り込んだり、予定調和的な動きで客を楽しませる。
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ところが、実はバーレスクはストリップ劇場に来る「実利主義の」人にとっては邪魔なものである。踊り子さんが引っ込んでコントが始まるとこれ見よがしに新聞を広げたりするものも多い。従ってそのような人を振り向かせるのはかなり高い技量が求められるし、客層にあわせて話題を変える幅の広さも求められるわけだ。従って淘汰の激しい分野であり、バーレスク芸で位置を保つこと自体もなかなか難しいものだ。まあ、ホントに見事に受けないというか受けないのが普通の世界でもあり、顔をこちらに向けるまでが勝負であるのだろうと思う。
関東の話芸においては、厳密な区分とはいえないがざっくりと言うとこのように基板がことなるものの融合があると考えている。
・落語・講談とそれから派生した漫才(東京漫才の系列)落語家や漫才師の余芸として進歩した漫談(青空一門など)
・浅草の軽演劇・浪曲師・活弁士・司会業から派生したコントとバーレスク、漫談(たけしがこのパターン)
・新劇劇団による派生から来たもの
・音曲漫才やバンドマンの諸芸からきたもの(ボーイズ・タモリ・クレージーキャッツなど・殿さまキングスは逆パターン)

従ってこのような客席から見た視点というのはもしかしたら狭いストリップ劇場でやってるバーレスクの影響が彼の映画に出てるのかな・・・・とも少し感じる。
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この様に激しい舞台と言うのは花=ダンサーさんにとっても同じのだろう。元来かなりきわどい話で、涙を誘うような生活苦と隠れた情愛の姿を見たことも有るが、これを語ることは推測も多くなってしまうのでここは自粛しよう。
一つの例として語るならば、私にとってのかつてのストリップの思い出は強烈に「テレサ・テン」なのである。
1980年当時、テレサ・テンは東アジア全体にわたって有名な歌手であった。日本ではとかく演歌歌手のイメージが強いが、台湾や香港で出されたアルバムには、演歌・ムード歌謡・台湾民謡・J-POP・英語ポップスカバー・日本語ポップスカバーでありマルチだったようだ。日本でリリースされた曲は約260曲。中国語でリリースした曲は1,000曲といい。しかも国民党が彼女の歌声を中華人民共和国における反日感情を反政府感情にシフトさせる宣伝の道具に使い、しかも当人は文化大革命の批判などをする政治的発言を頻繁におこなう政治姿勢を持っていたこともあげられるが、当の中国は今も昔も著作権概念がいい加減で、アングラでテープが出回り、かくて、「中華人民共和国は二人の鄧(鄧小平と鄧麗君=テレサ・テン)に支配されている」なんていう共産主義特有のジョークもあるぐらいであった。早逝した人でも有るが、いまだにきな臭い話がある一方で台湾では死しても尚高待遇である。
つぐない」は非常に悩ましい曲である。恋愛の中で身を焦がした人ならわかる苦しみが共感を呼ぶ歌詞である。こういうのをカラオケで歌うから私は「幹部接待カラオケ」と呼ばれるのかも(爆)。ただ私は、有る踊り子さん(日本語を話していたが)が、この曲をバックに着物を解いていくときに、「中国語で」小さい声で歌っているのを見てしまったのだ。
中国語

日本語(オリジナル):

かぶりつきにいた私(こら!)は、始めはなんだ・・・と思っていたのだが、それが中国語の歌詞と気が付いたとき、おれはここにいてはいけないのかと、いたく動揺したのを覚えている。
しかも彼女達は見方によっては「ぽにょ」の為の仕事をしているともともいえるんだな。
(続く)

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 トトロやらポニョやら、描きたい世界はわかるが、トトロまでは百歩譲って許すとして... [続きを読む]

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