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ほら吹きおじさん???

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伊能忠敬、元気なほら吹きおじさんだった?…新史料発見 2008年6月19日(木)22時20分配信 読売新聞
 約200年前に、日本全国を実測して歩いた江戸時代後期の測量家・伊能忠敬(1745~1818)が、地方のアマチュア天文家と本音で交わした会話を記録した史料が、鳥取市(旧青谷町)の石井洋さん(77)宅で見つかった。
 伊能忠敬は50歳を過ぎてから隠居し、天文学を学んだ晩学の人として知られるが、「30代のころから、天文学に関心を持って、測量の道を発明した」などと自信たっぷりに自己紹介している。伊能忠敬研究会の渡辺一郎名誉代表は「ちょっとほら吹き気味の、やたら元気なおじさんだったのでは」としている。
 伊能忠敬は測量日記を残していたが、事務的な内容であったため、これまで人柄についてはあまり知られていなかった。
 史料は、しょうゆ醸造業を営んでいた石井さんの先祖が記した日記で、第5次、第8次測量隊でそれぞれ、青谷を訪れた際(1806、13年)の様子が描かれている。
 会話の中には、当時68歳の忠敬本人が「80歳を過ぎるまで生きないと、天文学・測量の著述物を完成させることができない」などとした、本音も残されている。
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伊能 忠敬は、千葉の佐原で商売を営み、大店まで商売(酒、醤油の醸造、貸金業、利根川の水運業)を盛り立てだという。但し商売であちこちを歩いたり、資産管理・貸金業などの技能に長け、いまいちだった店を再興していたということから、数字・幾何などの感覚は他の人に比べなじみやすかったのではないかと思う。
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50歳になって江戸に出てから、江戸幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量・天文観測などを修め、寛政12年、56歳の時、第1次測量(蝦夷およびその往復の北関東・東北地方)を開始。師匠が居り測量家としての腕を見込まれたことのほか、忠敬が私財を投じて測量事業を行おうとしたことが幕府にとっても有益だと判断されたという。要するに篤志家のボランティア、NPO事業みたいなモノだったようですね。
忠敬の測量が極めて高度なものであったことを評価した人もいたのだろうし、軍用という国策もあったのだろうから、その後徐々に幕府からの支援は増強され、国家的事業に育ち、こうして大日本沿海輿地全図が没後1821年までかかって作られた。
あらそうかと思う人もいそうだが、酵母などの存在が確認されず、また経験則だけでおこなっていた醸造業は、当時としては資産家が投資の為に行う行為であるため、相当の資産投資かつリスクを伴う行為であった。それを2種類もやっていたわけで。さらに貸金業(まあ信用金庫をやっていたようなものですかね)というということから、どう考えてもやり手のおっさんという感じがする。
そう考えると、鳥取市のこの旧宅もしょうゆ醸造業を営んでいた家のようですから、かなりその地域では力のある旧宅なんですかね。意外と意が通じるところがあったのかもしれません。
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そう考えると、新規起業者とお付き合いをすると、こういうタイプの人がちょくちょくいますね。ちょっと「ふかしている」タイプですが、決して嘘というわけでないし、仕事はするし・・・と言う人。何人かの人の姿が見えるようです。

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