« 独自の世界観を持つスーパー | トップページ | ラジオ体操(2/2) »

ラジオ体操(1/2)

学童の夏季休暇中には、この近所でも早朝に町内会や自治会が主催するラジオ体操の会が催されている。事前に配布された出席カード(かんぽ生命や地元企業等がスポンサーとなり無料配布)を持参して番組開始前に町内の公園や広場などに集まり、主催側持参のラジカセなどから流れる番組に合わせて体操を行なう。終了後には出席のゴム印を当日の日付部分に押す。このところ少子化や他のスポーツ活動の早朝練習などの影響から体操会の期間は夏休み全部ではなく平日の2週間ほどに留めたり、実施しない町内も見られるようになった。夏の風物詩ですね。
ブログランキング・にほんブログ村へ
-----------------------
NHKラジオ体操自体は、1928年に逓信省簡易保険局(今のかんぽ生命保険のルーツ)が制定したのが始まり。正式名称は国民保健体操。1925年3月にアメリカのメトロポリタン生命保険会社により健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案され、広告放送として放送されていた(世界初の)ラジオ体操が基となったというのだが、そもそもメトロポリタン生命保険会社がやっていた商業放送だったわけだから、考え方によってはなぜこういう活動を国民に普及させるのかが相当問題意識になりうるわけである。

この会社(通称:METLIFE)は1863年に設立。週5~10セントの勤労者保険を家庭訪問で売り、当時世界最大規模の生命保険会社になった。
メトロポリタン生命保険会社は創立後、勤労者保険を数百万部売り、さらにこの財力で大恐慌の時期に7,000の企業更正を引き受けた。同時にエンパイヤステートビルとロックフェラーセンター建設の資金供給を引き受けた。80年代にゴールドマンサックスビルとパンナムビル(のち手放す)まで買収した。規模は日本生命より下にはなったが、今も世界でも大きな一般大衆向け保険会社であることには変わりはない。
METLIFEがラジオ体操を企画した理由は諸説あるらしい。「保険契約者に適度な運動をさせて長生きしてもらうためだ」という話が通説。ただ、当時生命保険会社は、「人の命をお金で扱う商売」として非難されることも多かったそうで、そういう社会的なマイナス・イメージを払拭するためのイメージ戦略ともいわれる。ちなみに、メトロポリタン生命保険は本社の高層建築(http://www1.neweb.ne.jp/wb/hideka/Metropolitan%20Life%20Insurance%20Company.htmや、博物館を持つ会社として知られる。例:http://www1.neweb.ne.jp/wb/hideka/Metropolitan%20Museum%20of%20Art.htm
--------------------
たまたま、逓信省簡易保険局は簡易保険というシステムを学習するにあたり、このメトロポリタン生命のシステムを学びに人を出していた時期もあるらしい。そうなると体操番組の情報が日本に伝わるのは時間の問題。ところがこれが放送局も保険会社も民間というのと、放送局も保険会社も国営というのが後々差異になってしまった。従って、当初の営利でない善意の行動が台湾・朝鮮半島そして日本占領下の地域(香港など)でラジオ体操をさせたこと自体が統治による思想統制の仕事と見なされてしまった。それだけ日本人以外には特異に写った行為ともいえる。思想統制の意味から国威発揚のために占領下住民に強要された(とはいえ、日本人にそのつもりがあったのかは疑問であろう。それを推察する能力がなかったのがむしろ問題といえる。)が、それでも台湾とインドネシアには今でもラジオ体操があるらしいし、北朝鮮には律動体操という有名なテレビ体操がある。(後述)この「へんなもの」と解される傾向が今でもあるらしく、某国では日本法人の工場で社員に朝ラジオ体操をさせようとしたて、問題になったとも言う。(その後勤務時間内にすることで決着したとか、独自の体操にしたとか仕込みがあるようだ・・・・) これは、誰のための体操かという問題意識・説明義務の履行の不十分な状況もあるのだが、そこは触れないでいこう。
但し、軍国主義とは別にしてもそのあたりの意味付け、概念が全体に渾然としていたのは、当時の日本らしき風景で、初期の放送の進行スタッフに軍の関係があったからという誤解もあるようだ(戦時中は当時の南方統治などの方針もあり、明らかに影響があったといえる)。
なお、「ラジオ体操はメトロポリタン生命保険会社のものの移植」という考えは日本では一般的であるがアメリカの資料には一切無い。意外なのだが、アメリカ人は「そういう特殊なものを取り込むのは日本の勝手で、メトロポリタン生命保険にとって迷惑」との姿勢を貫くようだ。アメリカで定着しなかったんだからという意味だろうか、そもそも認めたくないという姿勢か。それは下記の『ニューズウィーク』誌の記事の視点にも繋がる。
---------------------
ラジオ体操自体は、1928年11月1日7:00に天皇の御大典記念事業の一環として放送を開始した。これを民間放送がなく、国営の保険事業に用いたという事情があるにせよ「国営放送」で行い、健康概念を普及したのは世界でもかなり特殊らしい。(敗戦時、軍国的側面を助長するとされGHQに禁止されたこともあったがその後復活したのもそのようだ。)
NHKで放送を担当したのはラジオ体操のために新規採用された元軍人の江木理一アナウンサー・・・だが、彼は陸軍戸山学校(東京都新宿区戸山にあった日本陸軍の歩兵戦技(射撃、銃剣術、剣術など)、体育、軍楽の教官育成とその研究を行う軍学校)出身で、一般の軍人とは少し違う立場であり、しかも陸軍軍楽隊での演奏指導を職としていたという。彼は恰幅のいい人だったようだが、初回からブリーフパンツ(デカパン)1枚でマイク前で体操していた。ところが「照宮成子内親王(当時5歳)もラジオ体操に御執心なり」と話がでて、以降濃燕尾服に蝶ネクタイ・正装で放送に臨むようになった。このためか2種類のニュース映画の画像が伝わっている。(注:放送局が特定の番組専従を条件に社員アナウンサーを募集するのは、フジテレビにいくつかの例(たとえば 「ママとあそぼう!!ピンポンパン」)がある。 但し当時のフジテレビのアナウンサーは女子のみ期限雇用であったため、後年労使問題になる。)
全国の皆さーん、おはようございます。さあ、きょうも元気で、体操を始めていただきましょう」の豪快だがかるーい号令が国民に大人気となり、1928年11月~1939年5月の間11年間無欠勤であった。引退後は全国各地を巡回して、ラジオ体操の普及・指導にあたった。
日本人のなかにも、「身体を皆兵化させたラジオ体操ほど不気味なものはない」と言う説を唱える人もいる。早朝ラジオ体操は東京・神田万世橋署の警察官がはじめ、それが全国に広げられたという。(他の説も有る)中には『「夏休みで緊張感を欠く子どもに精神的によい効果を与える」という発想だとおもうが、これを内から湧き出るものを伸ばしてやるより、課題を与えて消化させる。出欠とかはっきり記録できるものがいい。揃って同じ姿勢をとるような集団性も重要。つまりみんなで一緒に動いて、勝手に動いてはいけない、ちょっとしたミニ軍事教練だから「教育的」である』ということさえ言う声も有る。けどこれはまた工業的発想では一面的だと思う。「それを言ってはおしまいよ」と言いたくなってしまうな。統制を必要とする社会は存在するという認識を否定した段階で、政府というものを否定しているし、相互扶助を基調とする小さな地域共同社会を求める活動、即ち「無政府主義」さえ成り立たない。パッシブな側面が無ければ世界どこでも生活できないのでは。
さてにここまでラジオ体操が普及するとは逓信省側も予想外だったらしい。さらに予想外なのは外国である。放送時には『ニューズウィーク』に江木氏は次のように紹介された。

「世界中どの国でもまねのできない大きな仕事、といえよう。その仕事とは、国民の顔を一つの方向にむけることで、たとえラジオを通して、とはいえ、その指導者・江木理一氏の内面をさらに分析する必要があろう。」

ところが彼は結構太平楽な人だったらしく、そんな思想的な面などなにも無かった純朴・生まじめな人だったという。事実軍楽隊への志願者の中には「学閥に関係なく、学費もなく生活費も支給され音楽を学べ、ついでに国に奉仕できる」という地方出身の志願者も多かったと聞く。しかも、彼はフルート奏者として生涯を全うしたかったらしく、NHK退職後は小学校の授業に横笛の導入をするビジネスを目論んでいたという。(プラスチック縦笛のリコーダー普及で蹉跌した。)
(続く)

|

« 独自の世界観を持つスーパー | トップページ | ラジオ体操(2/2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 独自の世界観を持つスーパー | トップページ | ラジオ体操(2/2) »