« 攻め込む戦略 | トップページ | 抜本的改革を受け付けない »

簡潔な表現

「5ヒ6ジツクムカエタノム ○○」
電話が各家庭に付く前は、時々電報で駅に迎えに来てもらったものである。1980年代までは、電話局・郵便局・農協・漁協・主要駅(時刻表の中に電報受付をする駅は〒マークがあり、車掌さんに記入用紙を貰って再度渡せば有料で最寄の電報扱いをする停車駅で駅員に渡して電報を打ってもらえたり、時には列車から缶に入れて駅走行中に助役さんに缶ごと投げて、駅員がこれを拾って電報を打つという事もあったようだ)電報の受付を行っており、地域によっては郵便局から電報が配達された(ごくたまに郵便局が電信電話局を兼ねていた)が、緊急連絡手段としての用途が薄れたことなどからこのようになっている。最近は慶事・弔事・選挙運動・笑っていいともの出演(爆)・合格発表(これも最近はメール・FAXが多いようだが)・サラ金の取立て(苦笑)が多いようだ。
* パソコンからインターネット
* iモード
* 固定加入電話から115番
* 携帯電話から115番(NTTドコモグループ各社・au(KDDが国際電報を扱っていた名残)):。
* 公衆電話から
* 提携コンビニエンスストアからファクシミリ
最近は電報の配達は民間に委託しているという。
ブログランキング・にほんブログ村へ

電報料金は、電文の濁点半濁点・空白・句読点を含めた文字数により課金されるシステムで、電文にカタカナのみが使用可能な時代は、カナのみでなるべく少ない文字数で伝える文体があった。
例:“アトフミ”―詳細は後程「文」・・手紙(葉書)で 
  “アケオメ”―明けましておめでとうございます 
  “ヨロオネ”―宜しくお願いします 
  “ヒ”―日(字数を減らすためニチにはしない)。
毎日私たちはメールという電報を打って生活してるようなものですかね。そういえば電報の電文を書く練習を小学校でした記憶がある。
一方、重大な伝送事項もあるようで、有名なものでは、大津事件の威仁親王の東京の明治天皇の元への電報上奏(大津から東京)、また明治天皇からの返信ともに記入用紙が残っているという。前者は一般の記入用紙かつ長文だったようで、いまとなってはかなり面白い歴史資料である。
また、至急電報というもの(ウナ電)があった。(語源はURGENTから。ウの字がU、ナの字がRのモールス符号に割り当てられていた為)なくなった今でも有名な言葉で、時にウナが”至急”を意味する俗語として使われることがある。もっとも知人が「ウナ電ってデンキウナギのことですか」というのもいましたがねorz。
----------------------
情報量が字の数で示される時代が以前はあり、特に緊急時の情報はこの特徴が顕著であった。私の文章などその意味ではとんでもないのだが、逆に簡素化のために誤解を招くことが以前はよくあり、そのため文章が長くなることも否定はしない。論理構成が複雑になるほど文章が長くなるというのもこまったものともいえる。
例えば、「5ヒ6ジツクムカエタノム デハボ」と書くとき名前を電文中に書かないとだれが送付したのかわからないとか(特に出先からの場合)駅に迎えに来いと言っても駅を間違えたとか、6時と言ってもAMとPMがあるとか・・・お互いにそれなりの判断が求められる。
-----------------------
紀元前47年ゼラの戦いの勝利を、古代ローマの将軍カエサルがローマにいるマティウスに知らせた言葉「Veni vidi vici.[ラテン語:ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー])という言葉がある。(スエトニウスが伝える)韻を踏んでいるがじつは手紙である。指揮官カエサル自らが書いた『ガリア戦記』は、簡潔、明晰、洗練された文体のラテン散文の傑作という(原文では私は読んでいないからわからないが)。もともとはカエサルの元老院への戦況報告の体裁を取っていたと考えられているから、カエサルの文体は明瞭簡潔を特徴とすることは業務報告なら分からなくもない。
カエサルの明瞭簡潔なる文体は、この「Veni, vidi, vici」の3語にその特徴をよく表すものといわれている。
ちなみに veni=I came, vidi=I saw, vici=I won. 各々、venio, video, vincoという動詞の完了・1人称・単数形。
邦訳は 「来た、見た、勝った」Cf「ローマ皇帝伝 上 (1) スエトニウス  國原 吉之助著」
-----------------------
簡潔な手紙と言うのは日本でもある。
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ
 約 400年前、徳川家康の功臣本多重次が陣中から妻に送った手紙。「お仙」は息子・仙千代(後の福井県坂井市にある丸岡城六代目城主、本多成重)。この簡潔な表現が実務型軍人によってなされたのはあるいみ当然なのかも知れぬ。
そういうことだと企業戦士やレースなどでこのような短信が使われるのは判る気がする。例えば1965年のF1メキシコグランプリで、初の日本F1チームであるホンダが初優勝を飾った際、チーム監督(のちに本田技研工業の役員歴任)の技術者中村良夫氏はホンダ本社宛に「Veni,Vidi,Vici.」と電報を送ったと聞く。
----------------------
ところが、このような使い方もある。私は、まさかこの”パクリ”とは思わなかった。
大阪の日本橋(地下鉄・阪堺電軌恵比寿町駅が近い)にある家電販売店「喜多商店」は、この言葉をもじった「来た、見た、買うた(こうた)」という言葉を、TV広告に1971年以降使用し(一時期「来た、見た、買った(かった)」に変更し、現在は元に戻した。)、近畿地方での知名度は非常に高い。大きな店ではないが、関西に住む年配の人は一度は「来た、見た、買うた!」と叫んで、お兄ちゃんが家電製品を持って飛び上がるCMを見たことがあるはず。

勿論、「喜多」商店だから私は、「キタ」という音を生かして、「来た、見た、買うた!」というコピーだと思っていたが、カエサルの「来た、見た、勝った!」という言葉を知らなければ、そのまま見過ごしてしまう。これを知って電気製品を持って飛び上がるお兄ちゃんよろしく、ぶっ飛ぶひともいるんだろうな。

|

« 攻め込む戦略 | トップページ | 抜本的改革を受け付けない »

コメント

こんにちは。たいへん秀逸な薀蓄エッセイ,面白く拝読いたしました。でも,ある意味デハボ1000さんらしからぬ簡潔すぎる文章とも思います(笑)。

投稿: niwatadumi | 2008年8月 5日 (火曜日) 07時42分

>でも,ある意味デハボ1000さんらしからぬ簡潔すぎる文章とも思います(笑)。
用途・伝える範囲が決まっており、内容が煩雑でないと簡潔な文章にしたいのですが、そうでない事項がおおかったですから。

投稿: デハボ1000 | 2008年8月 5日 (火曜日) 13時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/41742770

この記事へのトラックバック一覧です: 簡潔な表現:

« 攻め込む戦略 | トップページ | 抜本的改革を受け付けない »