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専門教育についていけない(1/3)

「講義ついていけない学生増えた」 大学の33%「補習」実施  6月4日8時1分配信 産経新聞
 学生に高校時代の学習内容を教える補習授業を取り入れている大学は平成18年度時点で33%にあたる234校に上ったことが3日、文部科学省の調査で分かった。前年度より24校増え過去最多。「学生の質」向上に苦心する大学の現状が浮かぶ。
 調査結果によると、通信制大や短大、学部生がいない大学院大を除いた国公私立大710校のうち234校が補修授業をしているほか、36%にあたる258校が学力別のクラス編成を導入。リポート作成や図書館利用の方法などを新入生に学ばせる「初年次教育」は71%にあたる501校が取り入れており、必要単位の取得とは別に進級・卒業試験を実施しているのは136校(19%)あった。
 国立では香川大工学部が18年度から、新入生を対象に数学と物理の補習授業を始めた。「専門教育についていけない学生が増えてきた」(学務グループ)のが理由という。信州大の経済学部は同年度から、卒業試験を年4回実施している。
 メディア教育開発センターの小野博教授は「入試の多様化や推薦・AO入試の増加により、同じ大学・学部でも学生の水準がばらつき授業が成立しづらくなっている」と指摘。「勉強を習慣づけるため補習授業にも成績評価を取り入れたほうが良い」と話している。
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私の時代はAO入試と言うものがほとんどなかったので、画一的ではありましたが、求められる「知識水準」の定義が一意的でした。その知識範囲にあまりにも幅があるというのも事実ですね。
教育課程の「詰め込み」が個性を抹殺することに問題、社会的問題点と見出したからこその改訂なんですが。そこを大学の大衆化という概念に持っていく事例が多い。但し、私は学習しなければならないと考える知的プラットホームが高くなりすぎて、従来の基礎教育で収まらないことになっている気がする。
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大学をとりまく現状の課題
 大学は大きな変化の時代に対応して適切な教育を求められています。例えば知識基盤社会化の進行している現代は、自分の頭で考え、問題を解決する能力が重要になっていますから、そのような思考力や学力を涵養することは大学教育にとって必須です。2007年からはじまる「大学全入時代」では、高校生の50%以上が進学する高等教育の「超大衆化時代」あるいは「ユニバーサル・アクセスの時代」に拍車がかけられ、学生の学習力や学力に多様化が著しく進行するのは避けられません。
 こうした背景のなかで、学生の学習歴の多様化や学力の低下への本格的な取り組みが問われるようになりました(2006年問題)。特に入学直後の大学1年生を対象とした導入期教育あるいは入門型の学習活動のあり方が問われます。実際、1999年に進研アドと駿台教育研究所が実施した調査結果では、全国的に初年次を対象に、文章表現、ディベート、プレゼン、文献・資料、情報リテラシー、教員とのコミュニケーションなどの入門型の学習活動を導入する大学は増加する傾向にありました。そこで、いち早く多様な学生への対応を意識して開始された、広島大学の初年次教育を紹介することにしましょう。
教養ゼミで課題解決力を身に付ける
 1997年に開始された教養ゼミは、全1年生を対象にして科学的な思考力と表現力を育て、大学で必要とされる自主的な学習方法を訓練するカリキュラムを組みました。学生は、1~複数名の教員がチューターとして配置された10人程度のグループに分属します。教員は一斉授業のように一方通行の授業を行わず、研究テーマの決定はもちろん、ディスカッションの場でもイニシアチブを取るのは学生。というのも、学生の主体性・自主性を尊重することが教養ゼミ最大のポイントだからです。さらに、他の学生との協力を促すこと、教室の外に出て社会の実地見学や体験を取り入れることによって学生の興味・関心を引き出す配慮がなされていて、学生は15時間のコースを終える頃には、次第に学問の世界へ誘われ、好奇心や意欲をかきたてられます。
 最初は意欲が薄く、学問への関心が乏しい学生でも、自分が好きな題材を選び、計画を立て、文献を探し、取材し、レポートをまとめ、ディベートをし、コミュニケーションを実践する過程に参画することによって、やる気を触発され、潜在力を発揮するようになります。その点、教養ゼミは、高校4年生から大学1年生へと意識転換を促し、総じてやる気や学習力を喚起し、授業の眼目である「課題発見→解決」という研究の方法論を体得させるのに効果的です。何よりも、学生自身に人気があるのが大きな特徴です。(中略)
 こうして、学生の自主性、学習力、モラールを高めるために開始された教養ゼミは、確かに有力な方法であることが判明しました。少なくとも、選択、自由、試行錯誤などを組み込んだ授業は、現代の若者気質に見合う利点があると言えるでしょう。
 その半面で、知識社会型の21世紀の世界に不可欠な学力を培うことに責任を担う大学の側からみると、「パッケージ科目」のように、学生の食わず嫌いや偏食を許さないコア・カリキュラムも欠かせませんし、「楽勝科目」だけでは大学は「愚者の楽園」と化してしまいかねません。入門型の科目では成功しているとしても、教養教育、基礎教育、専門教育と進むにつれ、学問の論理からの「積み上げ型」への要請が高まりますから、その視点を多分に含む科目の人気が低いのは、果たして学問の世界へ真に誘えるのかという問題が生じます。教養ゼミ型の科目とこの「積み上げ型」の科目との間の学習内容・方法・カリキュラムの調整はなお不可欠となります。
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色々な考え方もあるが、基礎地域が無い以上、自分が好きな題材を選び、計画を立て、文献を探し、取材し、レポートをまとめ、ディベートをし、コミュニケーションを実践するということが付け焼刃ということで、意味が無いと考えることがあります。鶏と卵ともいえますねえ。
本当は知なんてのは画一的でないもののはずと考えています。また知が結果的に生産性のあるものにくっつくのは当然ですが、逆に知を育てる基板に蓄積された資産が有る以上、ぼちぼち知識を得るのとそれに対する対価のバランスが崩れているのではと思えるのです。
(続く)

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コメント

> 数学と物理の(中略)専門教育についていけない学生
そんなの四半世紀も前から(以下略)

投稿: TX650 | 2008年8月16日 (土曜日) 12時13分

>そんなの四半世紀も前から
無視できない量になったことが問題なんでしょうな。

投稿: デハボ1000 | 2008年8月16日 (土曜日) 17時28分

そうか放校できない量になったことが問題なわけですね(笑)

投稿: TX650 | 2008年8月17日 (日曜日) 00時30分

>そうか
一つはそこなんですが、もう一つは大学卒業時の企業が要求する学力的指標が、いわゆる秀才的タイプに偏りだしたということもあるようです。
今の卒業生を見ていると、概して与えられていることを素直に習得するという姿勢のみを提示する人が多い気もしますし、逆にそういう姿勢以外の人間を企業の保身のために忌避する傾向もあると思っています。

投稿: デハボ1000 | 2008年8月17日 (日曜日) 11時50分

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