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トンデモ科学はけしからん(2/3)

(承前)
 科学ライターさんの中には、科学への親しみを育成するために活動してる方が多く、その活動意義は非常に高いと思っています。そこは理解するのですが、私たちがそれに親しみを持つときに、それなりの学習するべき『階層構造』があると思います。けど、そこでかなりの人は深読みせず、結果、科学への理解がその段階でストップすることは普通にあることです。となると、どうストーリーを構築するかということにかかる。
新たな製品を作ることでCMなどを出す場合でも、「科学が私たちの為にいい世界を作ってくれる」という形で販売促進活動をすることが結構ありますし、卑近なところでは販売促進用カタログを作るお仕事の場合、どういう人に配布するのか、理解できない人を意図的においてきぼりにするか、最低限のところから説き起こすかを考える必要があります。(価格が手ごろとかいう場合も多いんで全部が全部この手法とはいいませんが)確かに、それが科学の科学たる立ち位置であることには違いなかったのですが、それは基本的な知性を供給側も受給側が相互に持っていたことから、齟齬もなく問題でもなかったのです。ところが、どうやって科学に関わるものは「基本的知性」を作り出すのかという所が判らず(・・・ではないですね。それ以外の当面理解するべき項目が多くなりすぎて、そのような視点に至らない・・・)という環境では、科学は「無条件に」私たちを向上させてくれるという結果は理解するが、引き換えに何を損失するかという、理解がされないのです。(あえて言うと製品対価などだけですな)
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例えば、地震で原子力発電所が故障・破損したということで安全性の面から、発電所の設置基準を見直しています。そこに対して原子力技術者は
(1)(現象把握)・・地震でどこがどうなって、事故がおきたという動向を調べる
(2)(分解解析)・・その原因とメカニズムの連環を調べる
(3)(製品構築)・・こういう対策で運転して利得を得、対するリスクの有無を具体的に示す。
(4)(提案訴求)・・その選択を地域住民や電気使用者にどう「作用」「反作用」を理解してもらうかを判定する。
という形でストーリーを立てるのですが、原子力技術者が語ることば自体が
「わからない」 「信じられない」 「自分たちの立場をまもる発言しかしていない」
ということで、まずどこでも取り上げられないということを言われ、無力感にさいなまれることは普通のことだそうです。
勿論この議論を反論する側には、
わからないことをわかったように言いくるめることか技術者の職責」
信じられないけどそう信じてもらうことが彼らの立場」
自分たちの立場をまもる発言しかしていないのは生きている以上必ず有ること」
という至極現実的判断もあるといえます。更に生活のリスク回避をしないと、安心して生きられないという考え方もあるようです。
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現在「安全・安心の社会」が崩れた・・・ということを言いますが「安全・安心・安定の社会」というのが正直であろうと私は思うところがあります。その中で科学の真っ当な解釈を乞うも真っ当な人間が理解できなくなるほど全体像が膨らんでしまうことが生活自体に大きな影響を与え始めてると考えています。
建て屋をがっちり耐震構造にしても、敷地が気が付かないうちに劣化しているということが、建て屋崩壊の原因ということがある。しかもその建物が安泰だということを前提に技術を載せていくことになるから、段々と基板技術が見えなくなることになります。製品設計で起こるクレームにの中にも、模式的議論でなく、根本的なところでも起きていることだと思うのです。
少し古い例を出します。20年ほど前、実際にあった話です
某トラック会社が中国ODA向けのトラックを受注し、中国現地の要求に従い、最新型に近い(とはいえ、専用設計の部分が多い)ものを作って輸出した。ところが、現地でトラックのアンダーフレームが割れる事故が多発した。
自動車会社が状況を調べると、過積載などの保証外の事象が多発しているという使用事情もともかく、実験内容のベース条件が変化していという。
元々トラックのアンダーフレーム構造は段々と軽量化(それは燃費向上とか、鉄板の材料費軽減、接合方法の改善などいろいろある)を継続的に行うことをするもので、当時はシミュレーションだけではデータの蓄積も不十分、解析用のソフトもまだ不十分であった。そして実験ではある設定されたルートで地方の県道などや峠越え道などを相当距離走って、分解して変位(塑性変形)を測定したらしい。この方法自体は、製品の梱包強度実験もおなじである。この結果、部品の分析業務は部品メーカーにもいつも分配され、分担して確認していたようだ。
確かに過積載の実証試験評価は、最大積載能力の評価からの類推まで工学的にも、また経験的にも蓄積がされている(だからこそ客先での過積載はある程度想定はしており、接合部は補強していたらしい。)ところが、日本国内での段々と道路がよくなってしまい、昔の実験結果比較しようにも実験する前提条件が変わってしまった。国内はそれで不便は無かったのだが、その設計手法を中国に持っていくと、同じ600キロ走ったといっても荷重の掛かり方が違うことになってしまったらしい。
中国にはこのODAルート以外にも民間ベースで輸出があったのだが、そのほうは当時は現場で割れたフレームを補修したりして表ざたにならなかった(しかもメーカーに情報が戻らない状況で)この場合ODAなので中央政府がたまたま把握したということが、問題が顕在化したということらしい。従って同じ条件でないから、再現性を取れなかったということ。結果的に他社で以前ODAに用いた旧設計モデルを再度作ったらしい。
こうなると、「安全・安心の社会」が崩れたとか騒ぐにしても、段々変質していく環境の中で対応する現象を工学の必然性とする以上、もともと、「安全・安心の社会」自体が頑強なものになりえないと考える。勿論、設計評価技術、検査技術が上がって、「安全・安心の社会」が構築されるのは日々ある。ですが、「安全・安心の社会」への要望が極めて究極に近くなって、反対にそこまで実態が追いつき得ないから「そう見える」のであろう。
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さて、最近の傾向はけしからんという以前に、普通は合理的なもので考えること自体、理系的志向が多少なりとも全部の人にあるということを前提にしていますが、それを人間に期待していいかなと思うことはあります。

世界は合理的に存在しており、私たちはその秘密を解き明かすことができる。事象の背後にはそれを説明できる理屈が必ずあるはずだ。自然科学と呼ばれるものも、いわゆるトンデモ科学も、そうした確信を背景にして成り立っているのでは

……と悩むことは多いです。いやそういうものを操作しているからこそ、もっともらしい議論が成り立っているが、ではそれは統計的な感性の集成だけであって、統計的現実はともかく、事実とはちょっと違うものということはある。いわゆるトンデモ科学問題というのも、そのあたりが各人の感性依存で、全ての人が納得できるかということにはなり得ないからこそ起きるのでは。
---------------------引用
「有害物質除去」の磁気活水器、効果なし 国民生活センター(日本経済新聞 2008/8/20 19:40)
 水道水に含まれる有害物質のトリハロメタンなどの除去や減少効果をうたった磁気活水器について、国民生活センターは20日、市販品から抽出した6製品すべてで効果が確認されなかったとのテスト結果を発表した。同センターは事業者団体などに、早急に不当な広告・表示をやめるよう要望した。
 同センターによると、磁気活水器は浄水器などと違って統一された規格や試験法はない。多くは水道管や蛇口の外側に磁石を取り付ける構造で、浄水器のような水に直接触れるフィルターなどは付いていない。
 同センターは、効果をうたった2800―23万円の6製品をインターネットの通信販売で購入。取り付け前後の水道水に含まれるトリハロメタンの量を調査したが、いずれも変化はほとんどなかった。一部の商品は残留塩素の軽減も表示していたが、同様に効果はみられなかった。
---------------------終了
開発者が全部誠意が無く、いい加減な根拠で製造しているかというと、どうもそうではないと思っています。実験結果に関しての理論構築だけを見たり、使用状況の解析を見たりしてみると、それなりの有識者がそれなりの判断をすることで、有意性のある変化がおこるという理論や結果を出している業者が多いと思うのです。ただ、それが全部に通じる理論ではないのでしょうね。
合理的・科学的ということで解決できると、本当は思っていない人もかなりいると思っています。
(続く)

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