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スタージョンの第2則(2/2)

(承前)
----------引用(再揚)
http://d.hatena.ne.jp/kasoken/20080728
人を見て法を説け
植木さん(植木不等式氏:サイエンスライター&会社員)からのコメントが実に面白く、しかも示唆に富んでいる(中略)
釈迦に帰依すれば「人を見て法を説け」ということなんですねえ。どんなにやさしく書いても、説いても、その基幹にある「面白さ」の軸そのものが受容者とズレていると、アウツという話です。
撃沈。まさに。人を見ないで「上から説いてばっかり」だからスルーされると。これは植木さんご指摘のように技芸が必要で、私なんかでは「まだまだまだまだ……(以下延々と続く)」なわけですが。目指すべき地点ですね。目標は高くっ、と自分に言い聞かせてみる。
スタージョンの法則」のように、市場最適点は、内田さんが引用していた「5%」のあたりにあるのかもしれません。
その「5%」を、“現場”で守れるかどうかが、実の所、主戦場なんですよね。(後略)
-------------終了
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さて
パレート則・スタージョン則のように数値評価で本質の偏在化を示すには、意外こういう類似もある。工場経営・労働管理で言われるこれ。

ハインリッヒの法則:米の損害保険会社で技術・調査部副部長をしたハーバート・ウィリアム・ハインリッヒ(1886~1962)が1929年発表した論文に由来した労働災害における経験則の一つ。
1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。
同一人物が起こした同一種類の労働災害5000件余を統計学的に調べた。
「災害」について現れた数値は「1:29:300」。
「重傷」以上の災害が1件あったら、その背後には、29件の「軽傷」を伴う災害が起こり、300件もの「ヒヤリ・ハット」した(危うく大惨事になる)傷害のない災害が起きていた。
その下に更に、幾千件もの「不安全行動」と「不安全状態」が存在し、予防可能なものは「労働災害全体の98%を占める」こと、「不安全行動は不安全状態の約9倍の頻度で出現している」ことを約75,000例の分析で明らかにした。結果、上記の法則から、
* 災害を防げば傷害はなくせる。
* 不安全行動と不安全状態をなくせば、災害も傷害もなくせる
(職場環境面の安全点検整備、特に労働者の適正採用、研修、監督、経営者責任をも言及)。
という教訓を導き出した。その後これらは改訂もおこなわれている。経緯などは専門書を参照されたい。

もちろんこれは複雑なものを数値で示そうという実験式の性格がある。したがってこれらの数値は時代によって変わってくるのではあるがそこが判りにくいし、わかっても説得力を出すためには素直にいえないことでもある。、いままでところが、「人を見て技術を説け」となると、聞く人々のレベル、条件を考えると5%ぐらいの内容提示にして、あとの95%の意図を置き換えなければならなくなる。従って、ある意味私たちはある報道を聞いて5%のところを聞いて100%判った気になり、たまたま95%のところに理解し易くするため簡略化た結果間違いの解されるところが出来たので文句を言うということなのだな。
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別に、こういうこともいえると思う。
スタージョンの法則に
2.「どんなものも、その90%はカスである。」(・・・「スタージョンの黙示」)
というものがあるという。

「一定の名作を生むジャンルには、常に多量の駄作がある。」と言い換えれば、創作分野で適用できる。
多量の駄作の存在は、受け入れる市場の存在前提だが、存在しない分野は名作を生み出せない。駄作は駆け出しの制作者の修練の場でもある。それを失ったジャンルは、後継者を失って先細りになる。

工業における技術開発が創作かどうか、技法の創出が創作なのかと言うのは色々意見があろうが、工業による業務はこの定義に言う創作なのか、業務なのかという考え方がある。
例えば創成期の製品は、模写などからデッドコピーしたとはいわないにせよ基本線からの創作が多かったのが多い。電車の創出時には作ったモーターが使えなかったとかいう電車もあったが、そのうち改良などをおこなって完成していったわけである。その蓄積と分析・再構築を行うことを繰り返していくとなると、創作と言う要素よりも継続的生産活動要因が出てくる。ただ時々立ち返り革新的な発想を行うことが出来る事も多い。
気動車の創出時には、設計要素の練りこみが不足し、確かに独創性が強いものをつくってしまったものがあった。有名な設計としては、電車のモーターよろしくエンジンを直接台車の軸に載せてしまったというのがある。創成期のこのような行為が、たしかにその後の設計のベースになる。
このように考えると、生産行為のなかに組み込まれると、創造という意味での価値が薄まるという所があるという。システマチックに製品を継続して作っていく行為は、創造ということにはなりにくい側面があるかもしれない。

というのは、今の工業化製品においては新品の製品においても、生産現場でも、設計現場でも新製品の導入時に極めて高い信頼性を求めるようになってきている。この信頼性第一の考え方を突き詰めると、新機軸を用いた製品化を行ってはならない・・・なぜなら、新機軸を用いることは、どうしても過去の結果を用いることが出来ないのだから信頼性を低くするしかないし、開発投資も大きくなる・・という趣旨になってしまう。いまや駄作を作ることが出来なくなった私たちの社会での工業化製品は、創作という発展する余地を削りながら仕事をしてる側面を持つのかもしれない
意外といわれるのは、図面が単品専用のものを作っていく、いわゆる一品生産である建物などは比較的創造性を発揮し易いところから、工業化という意図が見えにくく、アーキテクトというと日本で言う設計技術者とは違う見方をされるようだ。その裏を考えると、建築物は出来上がってからの修正、クレーム対策というところは必ずあるものと考えて、そのリスクを大きくとらないような計画を立てるとも言う。ところが、そのことが工業化製品をベースとする日本では、反ってなじめなくなっている層がいるのも事実で、工業化住宅の普及が他国に対して高いこと、また同一設計の家屋をベースに量産効果を狙う建築業者が多い。(勿論、2×4住宅も同じ要素があるのだが)この現象には「工業化品・量産品はミスも分散され安心」という側面もいくらかあるようだ。
最近の工業化という側面は、なんと自動設計を推進している。大量設計少量生産というところで、設計を繰り返すというところで固定化された設計ルーチンを自動かするということ、じつはこの行為自体は創造性の高い行為である。ところが、これを信頼性向上という視点で捉え、独自設計を各自が勝手にすることで品質にいい意味でも悪い意味でもばらつきが生じることを防止するという視点ででてしまうと、創造性というところを食いつぶして仕事をする体制を作ろうとすることがでてくる。勿論人員をより創造性の求められるところに振り分けるという明確な方針を持つ場合もあるので、全否定する気持ちはあまりないのだが、このあたりの創造性の信頼性の折り合いと言うところを見極めなければならないし、そこのところを技術者はあまねくストーリーをもって行かなければならないのではないか。もちろん.「常に絶対的にそうであるものは、存在しない。」("Nothing is always absolutely so.")のだが。
工業におけるクリエイターの位置付けが、日本は不明確だそうな。(クリエーター:創作家、制作者。 作家、著作家、芸術家など。 造物主。神。 創作家。 創始者。創設者。)工法を作るのも創造者、デイリーで製造業務をする人たちでも改善提案をし、作り方を現場視点で変えて行くのが日本における製造現場のやりかたなら、これも創造者。こうなると欧米で言うクリエーターという特権的概念が通らないからこそ、日本的生産概念があるともいえる気もする。

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