« 大学にはもう頼れない | トップページ | トンデモ科学はけしからん(2/3) »

トンデモ科学はけしからん(1/3)

http://d.hatena.ne.jp/kasoken/20061002#p1
トンデモ科学の功罪 (内田麻理香)
 ニセ科学・似非科学を問題視する動きが活発になって、日本物理学会でも「ニセ科学シンポジウム」なんて開催するくらいの今日この頃。「トンデモ本」の書評を手がけて十余年のサイエンスライター、植木不等式さんが岩波の雑誌「科学」9月号(Vol.76 No.9)で「トンデモ科学の功罪」という文を寄稿されていました。さすが植木さん、単に「トンデモ科学けしからん」なんてものではなく、「カメラ位置を引いて眺めた」広い視点からのものになっていてとても読み応えありました。いろんな意味でなるほど、でした。
世界は合理的に存在しており、私たちはその秘密を解き明かすことができる。
事象の背後にはそれを説明できる理屈が必ずあるはずだ。
自然科学と呼ばれるものも、いわゆるトンデモ科学も、そうした確信を背景にして成り立っているのでは

……と。
 私も「世界は合理的に存在しているはず」「探せば背後の理屈が見つかるはず」
って信じている「理系病」にかかっているからこそ、家事や育児を科学することをテーマにしたホームページなんて始めたわけで。「ああ、なんだかすごく(家事や育児が)大変。でも何か『法則』を見つけたらラクになるかも~」って。確かに、そんな理屈が見つかってラクになるときだってあるのですが。でも「答えがない」場合もたくさんあるし、「探しているヒマがあったら根性出して目の前のこと乗り切れよ」って場合もある。だから探す行為が却って辛くなる原因になることも。そんな私の性分は弱点でもあるんですよね……って、本題の「トンデモ科学」からは遠く離れた感想になってしまいましたが。(後略)
------------------------終了
ブログランキング・にほんブログ村へ
私の住んでる地域の国会議員がいわゆる、ニセ科学・似非科学を賛美する発言を行っていろいろ話題になっています。但し、困ったことにこれを問題意識を持つということ自体に非常に理解されない事情があるようです。

ニセ科学といわれるもの自体、内容全部が全部ニセなのかというと実はそうでないですよね。例えば新たな製品を市場に出す場合だと一例として、

(シーズ型なら)
(1)現象面でこういうものがある。(現象把握)
(2)こういう分析をしたらこうなる。(分解解析)
(3)それを再構築・援用するとこうなる。(製品構築)
(4)社会に役立つこういうものが出来る。(提案訴求)

というもっていき方をするみたいです。(1) (2) (3)はそれらについて各々を見ると、大概の場合極端な事例でなければ正しく見えるようです。この論述法は実は新しいサービスを提供しているもの全部であるんですよね。立法課程でもこういう論旨展開で説明したりします。
これ意外なところでも使います。
食習慣の悪い人への対策・・・早期に体調改善するためのステップ
Step1 専門家による食習慣の現状分析・認識
Step2 問題点の抽出・把握と具体的改善メニュー作り
Step3 指導に基づいた規則正しい食習慣の励行
Goal 自然治癒力・免疫力の強化による、健康な体に体質改善

これはメタボ対策の書籍から撮ったものですが、実は企業体質改善も人間の体質と同じことが言えます。

私が感じることですが、ニセ科学のなかにも始めから悪意の元に構築されているものがあります。失敗対策の中にも、悪意の元の産物に関しての設計責任において既知事例以外の想定は、既知のものからの展開そのものに限界がある場合が多いです。正直言うと逃れるのには非常な難しさがある。概して(1)・(2)・(3)に問題となることがちりばめられており、全体を見ることが難しくなっているともいえましょう。救いは、公的機関がその論旨が妥当か、査定することが多いモノですが、自己責任がない訳ではない。官庁がこれを完璧に履行されることを期待することは、夜警国家を期待するようなものですな。
ところが、悪意が無く善意のもとに構築されている理論があります。(1)・(2)・(3)自体の各々の論理構成がもし、ちゃんとしていてもその相互の結合部の取り合いが正しくないこともあります。さらに(4)の場合は社会科学的視点や、歴史なども問題になりますから、もし、(1)・(2)・(3)がかっちりしていたとしても(4)のところで製品の企画が潰れる可能性があるとはいえますし、この中で販売の特徴付けをした場合に時として誤解されるようなことになることは多いですね(もちろん、そうでない事例のほうがはるかに多いことは承知してほしい。例えば上述の内田さんだとこちらの例。)
つまり、ニセ科学かどうかというのは、論理構成が読めるならある程度わかるものだろうとは思うのですが、そのためには各々の専門知識・洞察力を総動員して解決するものと思うのです。ところが、近年の事例ではこの付帯する中身が膨大化してしまい、高等教育を受けたものでも判りにくい技術内容の入れ子構造があるのだろうと考えます。つまり、ある技術を完全に理解するなら、それに少しでも絡む内容を全部系統だって判らないと、この議論をしてもいいのかしてはいけないのかという「禁則処理」まで含めますと、まず担当者以外は判断が出来ないほど内容が膨大になっているということです。
ある基本概念を前提にしているとか、基本的『データ』をベースにしているとかという前提で決定付けられる場合、その技術的・社会的前提を理解すること自体が第三者には労力的に莫大です。またその理解を誘導してくれる書物・文献・情報に対し理解を簡単にする工夫をライターさんもしますが、その工夫は時として「理解をしたように錯覚・誤解を含めて感じさせる」ということになってしまいます。これなんかは作為無き作為職務遂行の結果不義理を起こしてしまったということなんでしょうな。
勿論、メディアリテラシーという表現が合致しているとはいいませんが、伝えられた事実を、本当にそこを誇張していいのかを疑って掛かる姿勢は、ある程度は個人で持っていてもいいのですが、あまりこれを何でもやると、生活出来ないという状況に陥るのもまた事実です。
(続く)

|

« 大学にはもう頼れない | トップページ | トンデモ科学はけしからん(2/3) »

コメント

 ニセ科学をいう方々が、そもそも科学とは何かを知らないのでは、と思うこのごろです。
 一般法則論

投稿: 一般法則論者 | 2008年8月24日 (日曜日) 03時52分

>科学とは何か
科学と言うものの概念論になってしまいますがね。

投稿: デハボ1000 | 2008年8月24日 (日曜日) 04時04分

デハボ1000さん こんばんは

この一般法則論者は「科学」という言葉の成り立ちを知らんのです。内科・外科と同じように枝葉末節の個別の学問を表すので「科」が使われているのです。
科学哲学なるものが不毛なのは具体的な知見を基にしない空論だからです。

私がアリストテレスやデカルトを読むのは彼らが頭の良い「トンデモさん」だからです。

投稿: 271828 | 2008年8月24日 (日曜日) 20時05分

>科学哲学なるものが不毛なのは具体的な知見を基にしない空論だからです。
こんにちは。
私も、読み返していつも気が付くのですが、科学哲学論は具体例からの事例研究のほうがわかりやすく問題点が露呈します。抽象論で議論すると確かにやりつらくなります。
この文章のタイトルから判るように、文章は続きが有りますが、そこでは具体例研究で話をしています。そのほうが生々しくかつ判り易いと思います。

投稿: デハボ1000 | 2008年8月24日 (日曜日) 21時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/41891032

この記事へのトラックバック一覧です: トンデモ科学はけしからん(1/3):

« 大学にはもう頼れない | トップページ | トンデモ科学はけしからん(2/3) »