« ねじキャラクターグッズ | トップページ | いいわけがいいわけ(2/2) »

いいわけがいいわけ(1/2)

言い訳は男らしくないとか、女々しい(ってこれも大概ないいかたであろうが)とかいうひとは年長者に多い。但し事後処理自体が全ていいわけと解釈されることはよくある。
(1)自分の言動を正当化
(2)筋道をたてて物事を説明という側面両方があるのだろう。

いいわけ  大辞林 第二版より
(1)自分の言動を正当化するために事情を説明すること。また、その説明。弁解。
(2)筋道をたてて物事を説明すること。解説。
(3)過失・失敗などをわびること。謝罪。
(4)言葉をつかい分けること。《言分》
言い訳 :自分の行為に対する、当人にとっては他人を説得できるだけの内容があると思われる論理的な名分。その思い・考えが第三者的に正当な場合も、そうでない場合もある。

そもそも、「考えが第三者的に正当な場合も、そうでない場合もある」という表現自体正当か正当でないかの定義が、相手によっていくらでもかわるという事項の絶対判断を否定するところがある。従って言い訳をしなければしないほうがいいのだが、大概判断基準の違いで生じるということに成ると、今のように考えが複数あって、その道筋によって論理が変わるということが普通だとしたら、言い訳という否定的ニュアンスが含む言葉自体が意味を成さないと思う
以前なら、何かミスをしたとて寛容と言うか、指揮者もやりかねないという発想が皆にあったから、その後再度同様なトラブルをしないでことを遂行したらしれで済む場面が多かったと思う。
ブログランキング・にほんブログ村へ

--------------
過日の秋葉原殺人犯の行為を判断するときに、警察で素直に語ってる内容を見て「言い訳がましい」と言い切ってるコメンテーターがいた。まあいいたいイメージはわかる。結果をみてこの行為を正当化する人はあまりない(いないとは逆に思わない)が、後ろ向けの思考を強く持つ思考形態であろうとも思えるし、このような思考形態の人が若年層を中心に増えているという話も聞く。(講習会の講師でも先に盛り上げることからスタートしないと始まらないというのがある。本当に年代別で話し方を換えなければならないですね)
例えばこの事例でも、

「彼女がいない、この一点で人生崩壊」
「(仕事を)辞めろってことか」
「チャンス、人生に一回もなかったけど」
「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」
「途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな」
「不細工な俺は存在自体が迷惑なんだっけ」
「チャンスは全ての人に平等に与えられるべき 生かせるか生かせないかはその人次第・・・もしかして、俺、チャンスを逃してるわけ?そんなチャンス、人生に一回もなかったけど」
「作業場行ったらツナギが無かった 辞めろってか」
「やっかい払いができた会社としては万々歳なんだろうな」
「大幅なリストラだし、当たり前か」
「あ、住所不定無職になったのか ますます絶望的だ 」
「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占 」

と書き込まれている言葉、強気な人ならこれはネガティブ発想だなと思う。だが、おなじような考えの人はゼロではないし、ここまで行かなくてもネガティブ発想を全てのところにある。個々の中身には、全然具体性がないとはいえないものが混ざっている。「作業場行ったらツナギが無かった」というのを解雇の指示とする場合は事実あるようだし。それを正当化する人がいるのは実はありえることだ。
そうなると、本当はいいわけの言葉の中から真の問題事項を見出す活動をしなければならないのに、これを無意味だという判断・・切捨てをしてしまうことは慎まなければならないと思う。だから人の発言を「言い訳」と言う一からげな判断をすることは厳に慎まなければならないと感じている。
------------
少し切り口を変えます。
元々大きな意思を感じて、活動することを不言実行という。一種のリスク回避であった。ところが私の周りからそれでは第三者が理解できないうちに進むから、余りするべきことでないと散々言われている。で、この時に言われるのは、
有言実行>不言実行>不言不実行>有言不実行
という言葉である。
不言実行:文句や理屈を言わずに、黙ってなすべきことを実行すること。【大辞泉】あれこれ言わずに、なすべきことを実行すること。 【大辞林】あれこれ言わずに、黙って実際に行動すること。 (口はうまくないが実行力のある者に対して、肯定的な意味合いで用いられることが多い。) Actions speak louder than words. [ プログレッシブ和英中辞典]

有言実行: 「不言実行」をもじって作られた語 言ったことは必ず実行すること。 【大辞林】「不言実行」をもじって作られた四字熟語。carry out one's word / make good on one's promise / walk one's talk / walk the talk
用例:これからは新藩主の責任において、有言実行なさらねばなりません。(舟橋聖一『花の生涯』1953年、新潮社) )

実は最近の言葉ではなく、かなり古くから使われていた言葉らしい。しかも英語では有言実行という言葉のほうが語彙が多いというのである。そうなると有言実行してそれがうまくいかないとなると必ず説明を求めることになる。これは逆に、受けて側をどう志向させるかで言い訳になったり、説明になったり、懺悔になったりと言う形になる。
これのように、文化的な差異を考えると、そもそも言い訳という定義がもう喪失していると私は考えている。正統な権利の主張と言うこととて、言い訳と言う言葉で片付けられるのだから。大体「ごめんですんだら警察いらん」と言う言葉自体言うことを私はためらうのである。
-----------------------引用
言い訳上手になりました 内田樹 http://blog.tatsuru.com/2007/01/30_1049.php
NHKが01年放送の「女性国際戦犯法廷」のドキュメンタリー番組で政治的圧力を受けて番組内容を改変した事件について、東京高裁がNHKに賠償命令を下した。
隣の記事は関西テレビの「あるある大事典」の捏造問題の中間報告。テレビメディアの中立性やフェアネスに対する社会的信用はずいぶん低下したようである。
まあ、身から出た錆である。でも、「テレビの言うことならほんとうだろうと思っていたのに・・・裏切られた気持ちです」というようなナイーブなコメントを新聞が掲載しているのを見ると、「嘘つきやがれ」と思う。
テレビが虚偽を報道したのを知って「裏切られた気持ちです」というようなことをしゃあしゃあと言ってのける(中略)
無知を装うことによって責任を回避する。
「知りませんでした」「聞いていない」「情報が現場からから上がってこない」「訴状をまだ読んでいない」「調査委の答申を待って」・・・この間に見聞きしたすべての不祥事で、すべての組織の管理者たちは、「自分は組織を管理できておらず、組織内で何が起きているかを知らなかった」とみずからの無能を告白することで責任を逃れようとしている。
私たちの社会はこの種の遁辞に対してかなり寛容である。
だから、人々は争って「自分は無知で、無能で、だから無罪です」という言い訳にすがりつく。
私がメディアに期待するのは次のような言葉である。
「テレビがこんなふうに構造的に腐敗していることを私は熟知していたが、それをあえて咎めなかった。なぜなら、テレビのようなメディアはどれほど腐っていても、ないよりましだからだ。『正しい報道・中立的な報道以外のものはなされてはならない』というルールが適用されたら、メディアは死ぬ。だから、視聴者は90%のジャンクの中に10%の貴重な情報が含まれている程度の含有率に耐えてテレビを見るべきなのだ。『裏切られた』などというせこいことを言うな。黙ってテレビの嘘を凝視して、その行間からしみ出るわずかな真実を読み出せ。」
頼むから、誰かそう言ってくれないか。
-----------------終了
この場合私は、内田氏の意見を違った感慨で読んだ。
「知りませんでした」
「聞いていない」
「情報が現場からから上がってこない」
「訴状をまだ読んでいない」
「調査委の答申を待って」

すべての不祥事で、すべての組織の管理者たちは、「自分は組織を管理できておらず、組織内で何が起きているかを知らなかった」とみずからの無能を告白するが如き詐称をすることしかできないのであろう。根っからの「無能」であればこの言葉さえ出ない。責任を全部背負うことによって会社を破綻させることが経営者として懸念されることである。もしここで責任を認めたところで何を言っても元には戻らないこと。目的自体が元々違うのである。責任を背負う行為を見せることで社会的責任とかいう、漠然とした大衆裁判(ある意味新聞辞令もこれかな)に入ることで、終結を図るべき目的意識がなくなってしまう。この種の遁辞に対してかなり寛容なのは、仕事をしているだれもがこのパラドクス的事情を感じながら生きているのと考える。
更に、「その行間からしみ出るわずかな真実を読み出す」のは別にマスメディアだけでない。学術論文にそのような懸念がないかといえば、そう変わらないと思う。そもそも絶対視をするべき他人の言葉なぞないとまで、いえよう。人間がそのような耳さわりのいいセンテンスの元で拡大解釈をしたあまり、とんでもない状況になった事例のなんと多いことか。もちろんこの記載とて、内田氏の記載とて、その原則から全く外れないのである
例えばこういうのがある。
------------引用
野口悠紀雄がダイヤモンドオンラインで 「グーグル恐怖症」を克服できるか と題した記事を書き、企業秘密を含むメールを GMail で扱うことに日本の大企業は及び腰だと指摘している。この主旨には私も大いに賛成する。
野口はこの後「もはや大企業よりも個人の方が恵まれた環境にいる」と続けるのだが、私はここで「なぜ日本の大企業は及び腰なのか」という点について考えてみたい。単に大企業病だとか考え方を変えれば済むといった問題では済まないと考えているからだ。今は大企業の問題に止まっているが、将来は同じ問題が個人にも波及してくるかもしれない。
日本の大企業がなぜ GMail などの利用を嫌がるか。原因はいろいろあるが、中でも特筆すべきは「何かあったときに叩かれる」というリスクが極めて大きい、という点である。
実際のところ、GMail を使おうと使うまいと、事故が起きる確率は大して変わらない。また、事故が起きたときに顧客や消費者に迷惑をかけるリスクも大して変わらない。ところが、「誰かに叩かれる」リスクだけは恐ろしく高くなるのだ。「それ見たことか」「だから言ったのに」としたり顔で批判する社内勢力、「管理体制に問題があったと言えそうです」と報じるマスコミ、絶好の叩きネタと狂喜する炎上大好きネット住人、天下りを押し込む好機と見る監督官庁などなど。こういったリスクは大企業ほど大きい。そのため日本の大企業は、業務を効率化して株主価値を生み出すためでなく、顧客・消費者利益に貢献するわけでもなく、「叩かれるのを防ぐ」ことに注意を集中しがちである。コンプライアンスという言葉の実態である。
言い訳できるよう準備しておく」というのは、何か価値を生み出すわけでもなく、生産的と言いがたい作業なのだが、日本社会においては重要なプロセスである。情報セキュリティ以外でもそうしたプロセスはよく見られるし、それによって雇用が維持されている側面もある。オープンソースより「保証のある」プロプライエタリなソフトウェアが好まれるのも同じ原理だと私は見ている。(後略)
---------------
計測器でも、保証のあるプロプライエタリなハードウェアが好まれる傾向がある。信頼を必要とするところで日本社会は極めて保守的である。安全・安心の社会、そして対策費までトータルに見れば安全・安心・安価の社会ということに成ると価値創造が相対的に軽くなっていく。
独立行政法人工業所有権情報・研修館のホームページから日米知財ビジネスの現状データを入手し特許権ビジネスがなぜ日本で成り立たないのかという話をされていた人がいる。特許ビジネスの額が米国の1/10でそのほとんどが日本ではグループ企業間取引であるため、特許市場が市場がなり立たないに等しいとか。ただこの調査では日本人の起業やリスクに対するマインドの問題がかなり指摘されているという。(というかほかに説明が付かないということなんだろう
日米の様々な制度の違いなどは是正することが可能だ。だがマインドの問題は終身雇用&年功序列由来、そしてそれまでの日本人の考え方に由来する非常に根の深いもので、一朝一夕には変えることの難しいものであろう。日本の考え方を海外に「押し付け」なければ差が解決できない(どだいそれは出来ることでないだろう。)。リスク回避のマインドは正に、そのような制度・思想が社会にもたらしたものと思うとこの人は指摘された。かように特許に関する考え方一つとっても、デイリーワークの積み重ねならクリエートなものと解釈されにくいものだし、創作物だと反対である。当然両方の側面があるが、その性向も変わる。
知的財産というのは意外と使い捨てされるものだと私は感じている。クリエーターの存在は多分ネット社会で軽くなっていく。そこで今後重くなるのは「現物」に回帰する所だとおもう。
(続く)

|

« ねじキャラクターグッズ | トップページ | いいわけがいいわけ(2/2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/41226033

この記事へのトラックバック一覧です: いいわけがいいわけ(1/2):

« ねじキャラクターグッズ | トップページ | いいわけがいいわけ(2/2) »