« 生きる包囲網たる数値基準(2/2) | トップページ | 設計技法で理論武装する技術者(2/3) »

設計技法で理論武装する技術者(1/3)

私の商売はあるいみ因果なところがあって、自説という物を確立しなければ、なにも訴求できないし、訴求する相手も聞いてくれないところがある。勿論それを提示した上で、相手のレスポンスを見ながら相手の取り込める技術範囲を把握していけなければ、真の問題を考えられないという所がある。ああ、自ら飛び込んだ道とは言え、性格が前へ前へとがっつくことになっちまう。いやだのう。
ただその訓練が必要であるから、ますますもって癖の有る性格になる、ないしは癖のある性格を演じることができなくてはということもあって、使い分けに苦労している。自説を確立してというあるいみ虚勢がなければ成り立たないのであるが、その根源の技術的視点で差別化すると、技術の普遍性を否定することになりかねない。かくて問題意識にさいなまれる。「心まで 鋼鉄に 理論武装する」という行為が必要になってくるようだ。因果ですな。
----------------
ブログランキング・にほんブログ村へ

さて、「心まで 鋼鉄に 武装する」からというわけでないが、君が代の問題について、いろいろ考えてみた。意外なことに昭和天皇が「強制でないことが望ましい」という(拘束力はない)見解を示したことがあるが、現実には法制化された。それを解釈することにより、戦時中の君が代の運用上の問題点も重なるため、色々な法解釈がされている。その定義・内容解釈はあいまいであるが、表向き、法律上1999年に公布・施行された「国旗及び国歌に関する法律」により日本の国歌は、「君が代」と、定められた。但し、法制化は逆にフレキシブルな運用もできる所もあって、出来るかはともかく、法律上は法改正による国歌の変更自体可能であることは意識していい。要するに式典などに用いる「国歌」というものの要件定義にすぎない。そこを一人歩きさせてる為政者がいるともいえよう。
参考:http://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2008/06/post_b1b8.html#comment-31858135
国歌は19世紀にヨーロッパで興ったと言われる。ナショナリズムの台頭とともに、独立国家があちこちでとして国歌を採用した。ヨーロッパによる植民統治の影響が各国の独立時の影響があるため、多くの国は経緯が似ている。かくてヨーロッパでない国々でもヨーロッパ式の国歌をとっているようだ。そのなかでも日本、コスタリカ、イラン、インド、スリランカ、ミャンマー、ネパール、ヨーロッパを含む一部の国が、伝統的なスタイルをとっているということらしい。
こうなると、国歌に準ずる曲が出てくるのは、国民の思想が内部で輻輳する国がそこらじゅうにある傍証である事を示すと考える。実のところ多くの国家は非公式な国歌ももっている。例えば国歌に次いでその国を象徴するような歌曲が「第二の国歌」と呼ばれることがある。ほとんどの場合法的に定められたものではない。「第二の国歌」として知られる曲として、
●イギリスの威風堂々第1番(希望と栄光の国)、(ううむ即席めんのCMとか・・・・)
●アメリカ合衆国の星条旗よ永遠なれアメリカ・ザ・ビューティフル
●イタリアのナブッコ、(行け、我が想いよ)
●オーストリアの美しく青きドナウ
などがある。これらは古典とはいえ、オペラとか歌劇とかで先に国内に普及した曲と言う共通点がある。
近くは
●中国の東方紅
●台湾の国旗歌
のように政治的背景や粛清などの事情のなかで第二国歌が代替として使われることは、良く見ることである。式典に用いるための曲と言う形で国歌が見なされているという一方、そのコンセンサスがどうしても国是と読めれることを憂慮するひとはどこにもいるらしい。従って解釈は、他民族国歌で国内の意思統一を付けられないものをどうコンセンサスとして処理していることに対する考え方になる。ソ連のように国歌が変わった事例もあるが、これは実はなかなかない。
日本でも、このような考え方がなかったわけではないし、上述の問題の認識はあったし、「国旗及び国歌に関する法律」裁決に前後して、新たな「国歌」を作ろうとする動きがあったのも一つだろう。ところが同じことは以前から出されており、第二次世界大戦後の1950年代初頭、新たな「国民歌」を作ろうと日教組が「新国民歌」を募集・選定し「緑の山河」という楽曲を選出した。またサントリーも「新国民歌」として「われら愛す」という楽曲を選出した。(まさかウイスキー製造業者だからアイスというわけでもなかろう(苦笑))しかし一部では現在でも歌われているが定着には至らなかったという。
たしかに上述のように第二国歌を設定するには、いままで使っている歌を使うことが、普及の近道であるため、「手垢の付いていない歌」を選択するのは相反条件・拘束条件になろようだ。
----------------
そうなると設計技法というツールを想定すると、一体どのようなことが必要なのだろうか。そこで、一味異なった意味合いで、受注設計で用いる要件定義という設計工学の概念(最もSE・IT技術の概念でも語られるし、営業技術の理論でも語るのですが、ここでは設計工学と旧来の図面管理技術論からの展開で話することをお許し願いたい)を雛形にして日本における第二国歌の概念設計をしてみよう。(文化事象に対し、設計と言うのは非常に野暮だが、その感覚指標をわざと排して確信犯として訴求している。

■要件の種類
<業務面>
●業務スケジュール:至近
●部署・拠点:日本国内の各式典・スポーツ大会など。時に対外公館などの外交儀礼用。
●効率:;あらたな宣伝活動が少なくてすむこと。周知に時間を掛けることができない。
<システム面>
●機能:固定観念の少ないことで、旧来の日本国歌の印象を薄くすること。但し君が代の文言と競合をしないこと。
●操作性:だれでも歌えることが実証されていること
●品質:日本らしさという独自性の高いもの。なお国策として「マンガ文化」をセールルポイントにしたい。
●性能:国内式典に用いるため、和楽器・洋楽器双方のアレンジができること
●セキュリティ:海外の国からすでに日本由来のものとして認識されていること
<運用面>
●リソース
●保守性:日本語ベースであること。著作権者の承諾の下改作が出来ること。但し著作権主張はあってよい。(韓国の国歌は著作権主張がある珍しい事例)
●拡張性:和楽器・洋楽器ともアレンジメントができること。日本音階配慮が望ましい(現在の君が代は、その昔洋楽仕様で作成し、和楽器対応が出来ず運用難を抱えている経緯がある)
●安全性:思想的に誤解を招かないような考慮をしていること。特に中国など東アジア圏内の配慮では、その地域でなじむことが立証されていること。
●運用コスト:著作権以外は低いこと
●運用体制:サッカー国際試合などの国歌斉唱などを行うとき対外的に問題があると想定される場合に代替として用いる。その他国内でも従来の国歌では、思想的に相容れない事象において積極的に活用する。
●リスク:有る程度文化のベースが見えないことを考えて、君が代の典拠のように古典由来というこにしないため、文化交流用途に基本的に使用したい
●ヘルプデスク :なし

■要件定義の確認(「~を~する」のような表現
●課題は何か。 :対外的広報戦略に乗っ取り新しい文化構築面対外的に現在の若年層に提示する
●その課題は何時まで続くのか。:有る程度長いこと想定する
●その課題は何時までに解決しなければならないのか。:至近
●その課題を解決するとどのような効果が見込めるか。:国歌を抵抗感なく使えるようにすることで新規な国民感覚構築する
●その課題は主にどこの部署の誰が担当しているのか。:もっぱらスポーツなどの文化交流を サポートする部署対象とする
●その課題はどのように解決しようとしているのか。:あらたな第二国歌を作成し、用途に応じて活用すること国際社会に提示する
●何故、そのような解決方法を取るのか。:国歌のあり方について社会的に欠点とする国外論調や国内過激意見が台頭しているので、これ沈静し各所での選択肢を増加する
●その課題は何が原因で起こったのか。 :旧来国歌について過去に使われた場面がその後の倫理的見地から問題の多いものであるため、思想の自由と言う面から種々の場面での汎用的使用、難しくなる環境に変化した
●その課題を放置するとどのような影響があるのか。:国際的な立場、とくに東アジアで悪くする。(中国・韓国の国歌は抗日運動の映画音楽由来、日本統治下での発売禁止音楽の採用などの経緯があるため、政治的姿勢を示していると認識される)


(続く)

|

« 生きる包囲網たる数値基準(2/2) | トップページ | 設計技法で理論武装する技術者(2/3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/41311181

この記事へのトラックバック一覧です: 設計技法で理論武装する技術者(1/3):

« 生きる包囲網たる数値基準(2/2) | トップページ | 設計技法で理論武装する技術者(2/3) »