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生きる包囲網たる数値基準(2/2)

(承前)
メタボ社員は経営リスク 「包囲網」はそこまで迫ってきた 2008年4月24日(木)0時0分配信 AERA 掲載: AERA 2008年4月28日号(注:リンク先の原典削除)
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 もはやメタボは出世できないのか。大阪大学の研究によれば、低所得者と高所得者のBMI(体格指数)が高く、中間層が低い(グラフ)。現時点ではメタボと出世の関係は見えにくい。ただし、メタボ健診の開始で仕事のできる高所得者からやせていけば、「高BMIは低所得」の米国型に変わる可能性はある。
 少数でもメタボ社員がいれば、全社で連帯責任を負うのがメタボ健診の仕組みだ。5年後に「成績」が悪ければ、健保組合が後期高齢者医療制度に拠出する支援金は増額される。それは、保険料の値上げにもつながる。
 メタボ健診の法定対象年齢(40〜74歳)を引き下げて、「予備群」も監視の対象とする企業も現れた。トヨタ自動車は36歳から、NECは30歳からに設定している。
 サンスターでは昨年からメタボ社員を、「心身健康道場」なる施設に強制入所させている。2泊3日の合宿で山歩きや座禅を課し、低カロリー食で生活改善を促す。初年度の参加者は100人にのぼった。
 特に接待が多かったり、不規則な勤務を強いられたりする業界は、戦々恐々としている。ある大手企業の健保職員はあきらめ気味に、こうもらす。
「成果が期待できないメタボ対策のため他の予算を削減するぐらいなら、おとなしく『罰金』だけ払ったほうが安いのでは?このままでは対策費が保険料で賄えず、統廃合せざるを得ない組合も出るのではないか」
女店長メタボ化の法則
 前出の大阪大学の研究メンバー、池田新介教授(経済学)は指摘する。
「メタボが本当に問題なら、コスト上昇分はメタボ本人に転嫁するのが経済学的には望ましいでしょう」
 もはやメタボはエコやうつのように、会社の将来を揺るがす経営リスクなのだ。(後略)
(文中カタカナ名は仮名)編集部 常井健一、野村美絵
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自分を正当化することという趣旨でないのです(爆笑)が、要するに就職と言うことについては、全ての条件が経営リスクに値つけてしまうという変な危惧を考えます。最近の傾向として、すべての経営環境を数値に落とし込むことで評価することが行われています。そこに数値と言うことが言われますが、定量的でないものをいかにも定量的評価にすることによって、いかにも合理的解釈に乗っ取っている「ように見えるようにする」傾向は否定できないと思うのです。
但し、これが経営指標という議論でしたらまだいいでしょう。このところは経営指標として「お金」ということに直結することに成るのですが、過度な傾斜が意図してか意図なくしてか、ちょっとの差別観念を拡張することになっている気がします。ところが上述のようにその評価基準は実態は観念的なもので、

観念が数値と言う衣をかぶって具体的な合理的指標の姿を纏う
日常があるのではないでしょうか。
経営指標の中には一意の指標に落とせないものが結構あると考えています。例えば社員教育というものは直接的投資ということになると、(短期的技能教習はともかく)早期回収は見難いものですが、これを投資と考えるか、経費と考えるかでぜんぜん違うと思いますね。『スタッフの「美意識」が徹底しているブランド企業として、手本にしているのは「スターバックス」だ』というのですが、これに掛かる教育・人事方針が経営指標に換算することがどこまでできるかは、難しいですし、この中に運という要件があるならば、事実上定義不可能になるでしょう。運の定量化は相当難しそうですよね。たまたまこのビジネスモデルが志向してと言う定義が一意にならないからです。(事実、日本の銀行と言うビジネスモデルが社会で成功するという事実は、欧米主流の経営指標ではまずならないといいますし、逆に日本の従来型の経営指標では欧米の製造企業がなりたつ理由が出てこないというものもあるそうです。)
またM&Aで良く問題になる「のれん代」自体も評価が難しいものです。しかも国ごとにブランドと言う考え方が異なる以上、どの人が評価してものれん代の値付け(値付けとは、ここでは計量法の考え方による、評価のトレーサビリティー的一意評価を言っています。定義が異なることがあるので注意)は確定できません。そうです。普通トレーサビリティーの基準は「国家標準」で一意的ですが、ことのれん代は各々の人の感性になるのですから、出来なくて当然です。それを無理して値付けするまでは仕方ないのでしょうが、大概このばらつきを考慮せず数値が一人歩きをする。その数値の単位が最近はドルだったり、ユーロだったり、だったりするのです。
メタボを含む概念的健康、飲酒習慣、喫煙習慣、全てが最近は定量化という評価対象になるようです。更に思想信条もその傾向が出てくる。更に、メタボ体型が自律的な指標を設定できないという観念で、性格的問題・精神的問題に帰結させる議論も現にあります。そこがまだ、明らかにできないから、スタッフの「美意識」という非常に曖昧な評価基準・・・採用者の感覚依存・・・になっていますね。観念的なところで評価するなら企業ではまだ容認できるでしょうが、数値によって感性を「値付け」すつことで、科学の面を示すのには、現代社会における自然科学と社会科学の方向性が、誰のためにあるのかについて悩まざるを得ません。
幸か不幸か、心理的・感情的な疾病に関する指標に関する統一指標が、あまねく構築出来る見込みは当面なさそうですが、『もはやメタボはエコやうつのように、会社の将来を揺るがす経営リスク』というならばメンタルヘルスがやはり企業の人事的リスクとして問題となっている以上、もし誰かが評価基準を純粋に科学的指標で出したら、そのうち時代の要求という大儀を持って、金銭的指標に援用できる、『合理的指標』たる『金銭的損失』に結びつけるシステムが出てくるでしょう。そもそも、確定していない項目を確定できるように特定化するというのは科学でした。但し、ばらつきと言う現象判断も科学です。ばらつきを廃して確定化することをもっぱらにするという考え方は、ワンサイドに偏るのはいかがかという感覚があります。
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多分大方の科学は悪くないのでしょうが、科学を使う人が悪く仕込む科学があるんでしょう。酵母が良くても熟成の仕込みの考え方がねじれてると、いい日本酒にならないということに帰結する私は飲兵衛です。ハイ。
かくて、また太る。

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