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なにを持って軽いというのか(2/2)

(承前)
----------開始
スクスク成長し、特許を出願したN君
 今は全部で6つのプロジェクトチームが編成されている。「書籍ビジネス」「小売業の進化」「国際資源エネルギー輸送・管理」「企業経営システム」「社会システム」「船舶システム」だ。
 これらの大多数は民間企業のビジネスモデルの創造がテーマだ。だから研究室に来たばかりの4年生は、いずれかのプロジェクトチームに加わり、例えば、いきなり全国300の書店の1年間の販売データ解析を行うことになったりする。40ギガバイトぐらいの大きさのデータなので、とんでもなく体力のいるデータマイニング作業だ。
 途中で逃げ出す学生もいなくはないのだが、山を乗り越えるとスクスク成長していく。4年生でも、秋頃になると、企業の部長さんに堂々とプレゼンできるようになる。
 4年生の1年間と大学院修士課程の2年間を合わせた3年間に1つのテーマしか経験しないのは教育上好ましくないので、希望者にはプロジェクトチームを移動することを勧めている。
 冒頭のN君は4年生の前半、書籍ビジネスのチームで全国の書店を解析していたが、4年生の後半では社会システムチームに加わり、伝染病の伝播シミュレーションを卒業論文のテーマにした。そして大学院に入ってから企業経営システムのプロジェクトの中心的なメンバーになった。
 ある時、研究対象の大手エレクトロニクス企業との打ち合わせに、私も助教(助手)も出られなくなり、N君と4年生のZ君と2人だけで出張してもらった。まるで社員のような扱いだったが、何の不自然さもなかった。
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 修士論文を発表して一段落してから、N君と私の2人で経営システムの見える化の方法について特許を出願することにした。私のアイデアだが具体化したのはN君だ。私の研究室では修士課程の2年間を終えた段階で、もう入社3年目から5年目ぐらいの社会人に匹敵するぐらいに成長していると言ってもいいかもしれない。
 こうして学生を鍛えて成長させればさせるほど、国際的に優れた経営をしている外資系企業を目指す学生が増えてしまう。 10年前には日本を代表する重厚長大企業の方から、そして最近はエレクトロニクスや情報システムの企業の方からよく言われるのは、東大卒の新入社員の“スケールの小ささ、元気のなさ”についてである。しかし、東大の“学生全体”のスケールが小さくなり元気もなくなっていると誤解されているように思う。

 東大の卒業生の中の一部のスケールが小さくて元気のない学生が10年以上前には重厚長大産業に向かい、最近はエレクトロニクス・情報システム産業に向かうようになってしまっている例が多いということだ。失礼を承知で言えば、“スケールが小さくて元気がない”のは重厚長大産業であり、エレクトロニクス・情報システム産業かもしれない。だからスケールの大きな元気のいい学生に逃げられているケースが多い。
----------中断
40ギガバイトぐらいの大きさのデータマイニング作業をすること、これは確かに体力のいる事だし、個人的スキルを向上させ、山を乗り越えるとスクスク成長していく事はよく分かる。有る意味理想的人材育成(≠教育)の形だと思う。但し、そこで注意しなければならない所もあろう。これで判ったということで自説が唯一無二の存在であることを確信させる(思い込ませる)ことはまずプレゼンをさせる以上必要であろう。これは有る意味問題なのは、4年生でも、秋頃になると、企業の部長さんに堂々とプレゼンできるようになると言うところで、相手の意見を賢明に取り込む技術が、このような2次的データのマイニング作業で理解されるかなと言う疑念である。
ビジネスモデルの提案は私もその場面に遭遇してるが、実はそのものを構築することは、知識と動向の調査能力が求められ、基礎的素養をうかがわせるとはいえ、まだそこまで難しいものではない。むしろそれを実行するために既得権益をどのように整理し、もし切り捨てるにしてもどのように処理すると言うリスクハザードの問題のほうが更に多くなることを考えなければならない。特許もそうである(特許もそれを創出する事も大変であるが、それ以上に権利化・権利化しても維持管理というライフスタイル確保にじつは大変なノウハウが必要)。提案だけをすることで職務が全て遂行される・・・という考え方をしていないか。
じつは実務による、コンサルファームの問題点はそこにある。提案することに渾身をこめるのはともかく、後先どうなるかを見ないで推進することは確かによくあるし、そこに特化する形の依頼も多い。またそこが分かってなくて依頼され、あえて断ることも有る。本当の職務が提案を取り入れてからであることが、実は見えないのだろうと思う。まあ事情を考えれば仕方がなかったと言うことを前提にしても、「研究対象の大手エレクトロニクス企業との打ち合わせに、私も助教(助手)も出られなくなり、N君と4年生のZ君と2人だけで出張してもらった。」というのは、(当人のスキルが高ければということがわからぬ以上簡単には語れないが、)「何の不自然さもなかった」というのはその当座で、現実にはまずい事もありえたのである。
こうして学生を鍛えて成長させれば、国際的に優れた経営をしている企業を目指す学生が増えるということであるが、場合によっては日本企業にとっては「増長してる学生を必要としない」という反対的視点もあろう。海外の視野に適した志向で指導を行い、それを志向する学生が集い、結果として海外の企業志向になることは、教育という形では成功であるが、日本の企業に行かないというのはあるいみ、当然である。確かに収益事業が経営的傾斜を極度に強めていることは現象として理解するが、そもそもスケールが大きいと言う定義が一面的なのではないか。宮田秀明先生の語る「スケール」は有る意味大きいこと・ハイリターンがいいこと。本質的に微小な世界を突き進み、そこから積み上げ算的に行う形は、スケールということ万能という形になると価値が低くなる。実は、“スケールが小さくて元気がない”重厚長大産業もあるということは否定しないが、逆に求人活動を行っているところで宮田先生がいう技術志向を持っているところが要求しないだけではないのか。エレクトロニクス・情報システム産業は、違うスキルを求めている、ないしは違う職分を求めているのかもしれない。あえていうと、イニシアティブをとる人材を内部養成することが、会社の独自性を持たせるというかたちの会社(・・・とはいえそんな会社ばかりかは疑問ですがね・・・)と、外部から適時取り込むことが是とする会社では、どっちが成長性があるかというと、二律で計ること自体が元々愚であろう。
----------再開
5年後、10年後には帰ってきてもらいたい
 スケールが大きくて元気な学生が、スケールが大きくて元気な企業や産業に向かうのは、自身が成長できる企業を彼らが選ぶからだ。もちろんインセンティブも大切な要素だ。企業は人材によって成長するものだから、この単純なメカニズムをもっと理解してほしいと思う。
 就職に関する経団連の考え方は、ほとんど時代錯誤だと思う。初任給を一律にしたり、全く実効のないリクルート活動自粛の申し合わせをしたりしているのは、ムラ社会の悪平等温存的な考え方だ。
 私の周りでは、今年の就職活動は4月中にほぼ終了してしまっている。リクルートも人材育成ももっとグローバルな発想で考えないと、人材を失って国際競争力を弱め続けるだろう。国際競争のできる人材育成戦略を真剣に考えてほしいと思う。(中略)私はこう話した。「君たちの半数は外資系に就職する。今の日本では仕方ないかもしれない。でも5年後、10年後には帰ってきて、株式会社PSI(システム創成学科の知能社会システムコースはProgram for Social Inovation, PSIと略称される)を作ろう」。
---------終了
スケールが大きくて元気な学生が、スケールが大きくて元気な企業や産業に向かうのは、あるいみ必然であろう。但しスケールメリットだけではない。現実、最近は東大卒業でさえ、地方の自治体希望という人が居ると嘆く意見を耳にしたが、そこで、破天荒な世界を作ろうとしてるならばそれは貴重だし、また家族の問題などで帰るしかなかった人材が、むしろそこに目をつけたということもあった。従って自身が成長できる企業や団体がどこにあるかというのはを彼らが選ぶことである。かつて元気な産業である商社は、ビジネスモデルの変化についていけずに崩壊する事例があり、今残る会社は、納入代行的業務を強く訴求するところ、投資業務に対するノウハウを重ねていたところ、技術商社など特徴的な売りをもつところである。但しこれは、決して企業が人材の捕捉をこまねいたわけでないところに課題がある。私鉄のビジネスモデルとてそうである。
但し、霞を食っていけるわけにもいかない以上、有形無形のインセンティブは大切な要素だが、それとて画一的な企業環境を要求する株主が多数いるところでは厳しいかもしれない。企業は人材によって成長するとは私もそう思うのだが、この単純なメカニズムは、無駄となり易い環境である。そもそも、海外の投資家の中にある発想は、企業の成否は経営陣の人材であって、その裾野を守り立てる(少なくとも大学卒の人間がすぐに経営陣にはいったなら、既存知識がない会社であるわけで、投資の対象になりえないと仮定している)人材でないという見方も有る。もっぱら有形資本の蓄積(含み利益)と考えてるものも多いようだ。
就職に関する経団連の考え方は確かに、守旧的というところはわかる。けれども国際競争が出来る人材は必要だが、その持分が国際の標準仕様ONLYと断定してるのに、いやなエリート意識を感じてしまう。
外資のモデルを取り込むのは国際化の時代確かに必要であろう。しかしそれだけで事足れりという概念で、すべての議論を奨めるこの手法には、私は非常に危機感を感じる。確かにこの先生がモチベーションをたかめる教育を計画的に行って社会に還元することを志向していることは、高く評価するべきである。但し裏もある。例えば、企業モデル以前に、それこそ「持てる社会」「もたざる社会」という資産抱えこみの世界になれば、ビジネスモデルというよりはガバメントモデルと言う世界になる。そこに学生さんたちが対応出来る、思考活動が成立するように教授は指導できるのだろうか。
皮肉っぽく言うが、「スケール」って大体
○システムの規模を柔軟に変更すること。
○感覚的な大きさ。
○秤。 主に機械工作で寸法測定やけがき作業に使われる金属製直尺。 グラフや地図上の長さと実際の量との関係を示す線分。
という、この先生の意味ならいいのだが、実はボイラーに蓄積して機能阻害の問題を起こす、
○カルシウムやマグネシウムなどの堆積物
もそうなんですよ。ボイラーが創れる人材も必要ですが、ボイラーの洗缶作業が出来る人材のほうが永続性があるんです。ボイラーが世の中からなくなれば別だし、それもないとはいえないですけどね。

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コメント

スケールの「落ち」はお見事です。
検査屋時代には、検査準備として一日中バフがけをしていたこともあります。
そういえば、長さはミリオーダー幅はミクロンオーダーの割れを見つける実にスケールの小さい仕事でした(笑い)。

投稿: SUBAL | 2008年6月13日 (金曜日) 02時35分

スケール(この場合は秤。 機械工作で寸法測定・・・)が小さいといいますが、それを拡大・顕在化させるのが検査・保全業務の一つの事象ですよね。
広い意味の技術習得も必要ですが、本当はその根源の思考様式に対して示唆を与えるところが必要だと思うのです。もしかしたら、来る生徒が一般的言い方で「質がいい」ということを基準として構築されている気もするんです。

投稿: デハボ1000 | 2008年6月13日 (金曜日) 08時53分

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