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FAKE&FAKE(1/2)

にせものって、そこまで非難されているべきものかなと思う。そんな疑問を日本人が悩むのは、それはどうもカルチャーの語源と文化の語源に違いがあるのも一つの切片であろう。
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参考:http://i-debut.org/journal/j_disp.asp?code=138
●「CULTURE」の語源は「耕す」である。耕す土地は、環境により場所により様々だ。農作物も違えば、それに伴い風俗習慣も違ってくる(木村尚三郎「耕す文化の時代」ダイヤモンド社)。
「CULTURE」の意味には、「自分の土地から生み出す」という思いが含まれている。
●「文化」の「文」は、着物の襟元の形から生まれた。美しい襟元より「礼儀」や「文字」が生まれ「文学」「学問」の意味を含むようになった。「化」の「イ(にんべん)」は人の形、「匕」は転倒した人の形である。このように「化」の字の中に人が変化するという意味がある(山田勝美「漢字の語源」角川書店)。
中国語の「文化」は本来、学問や礼儀などで武力によらずに人を教化(教え導く)するという意味であった(中田浩一「漢字語源」誠文堂新光社)。
この「文化」が日本に来てなぜ英語の「CULTURE」の訳語になったかは不明であるが、「文化」の言葉の底に「他から教えられる」という意味があることがわかる。
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ふーむ、やっぱりこういう議論があるんですね。そうなると著作権や特許法規が欧州で議論をスタートされた以上どうしても特許庁の考え方が欧米的になるのは当然のことであろう。日本はそれを「独創的な文化は、取り入れる方が能率的だ。」と考えて、法体系をそちらに絞ったと言えるが、そうでない志向はどこかにあるし、それに真っ向から否定的な志向をもっているのが中国の今の一般的志向ではないか。なお、特許庁HP(http://www.jpo.go.jp/seido/rekishi/kore.htm)によると高橋是清(初代特許庁長官)は、

「英国に滞在中に聞いた話であるが、条約改正において日本から外国に求むるべき事は多くあれど、外国から日本に求むるものは少ない。発明の保護は決定せずに残しておいて、条約改正の時にうまく利用する方が日本のためである。」これを聞いた井上も法律を作成しないことに納得したという。

ということから、初期の考えはさほど変わらないかもしれない。(日本は、1899年にパリ条約に加盟する。 )
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さて、ついでに特許庁のHPをみていたらこういうのが目にはいった。
http://www.jpo.go.jp/torikumi/mohouhin/mohouhin2/kanren/nisemono_gekitai/danger.html
---------開始
■ニセモノ売買にはトラブルがいっぱい
見た目がどれだけそっくりでも、ニセブランド品は、素材の質を落としたり、細工に手を抜くなどして、安く作られている粗悪品がほとんどです。機能性や耐久性は、まったくあてになりません。
直営店で適切なメンテナンスを頼むことはできないし、すぐに壊れても、文句を言うこともできないのです。
ホンモノだと偽ってオークションにニセモノを出品したら、それは詐欺行為。当然、警察の取り締まりの対象になり、罪に問われます。
「ホンモノそっくり」などと称して、ニセモノをニセモノとして売ったとしても、商標権を侵害していることになり、やはり処罰の対象になります。
ニセモノ売買は、罪に問われるだけではありません。落札した相手が代金を払ってくれなかったり、入札した相手から商品が届かなくても、法に訴えることができないのです。
違法行為にかかわってしまうと、万一トラブルに遭っても泣き寝入りするしかないのです。
ニセブランドの詐欺には、製造から販売まで、組織的な犯罪グループがかかわっていることも少なくありません。
自分は軽い気持ちでも、ニセモノを買ったお金は、結局、犯罪組織の利益に……。間接的とはいえ、あなた自身が悪事に加担することになってしまう可能性もあるのです。
「どうせバレないから」「安いから」といって、ニセモノ売買にかかわってしまうと、多大な被害に遭ったり、自分自身が罪を犯すことにもつながってしまいます。その意識をしっかり持って、自分で自分の身を守ることが大切です。
--------終了
後者はまあともかく、前者は工業や創作を考えると国際的には問題がある行動だとおもうのですよね。
但しリスクをわかってない人が問題を殊更に複雑化している場面もあると思いますが、確信犯的にFAKEを買っているというところもあるんではないでしょうか。機能性や耐久性は、まったくあてにならないけれども、その中の自分の使用条件に関わらない過剰品質に関して、適当にコンパイルをする能力があるなら使いこなせるわけである。要するに、その購買する人の能力による事でかもしれません。よけいなお世話ともいえるのですが、国際的案で議論をすると統制が取れないのはどうやら、この点かも。特許の考え方はともかく、著作権の考え方は多少変わって来てるのは、欧州の考え方だけが世界でないということになるんですかね。
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参考:http://i-debut.org/journal/j_disp.asp?code=138
 さて、こういう意見がある。
●「日本人は、いつも思想は外からくるものだと思っている」(司馬遼太郎「この国のかたち」文芸春秋社)。
●「独創的な文明は、日本よりも外国で作られる可能性が大きいから、それを取り入れる方が能率的だ。中国に儒教があれば儒教をもってくる。インドに仏教があればそれをもってくる。ヨーロッパに科学技術があればそれを持ってくる。これが一番よいやり方だと考えた」(梅原猛「日本文化論」講談社学術文庫)
「思想」を「文化」もおなじであろう。
 そこで、ある人は、この考え方を「種まき文化」と提唱した。「耕す文化」が限られた土地から「引き出す」文化なのに対し、「種まき文化」は外国から「与えられる」文化だ。与えられる文化には限界がない。この考え方は「文化」を後世に伝える方法(教育観)にまで及ぶ。その意味では教育に関する投資は何も企業にとどまらず文化全体で強いようである。
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そういうと、欧州の特許は原理特許と言う物が大半であるが、日本の特許は改善特許が過去多い傾向があったと言うのはそこであろう。とはいえ、特許の志向性に慌ててしまい、改善特許を出すようになった欧米のトレンドがあるし(それまではノウハウとして持っていても特許ということにはしなかった)、反対に日本の方にも独創性の強い技術を作る力はある。つまり、どこにウエイトを置いているかが関わってくるが、日本はかなりの部分模倣から文化が始まるということで少し変わってるのだろうと思う。
では学習はどうか。
英語 study の直接的語源はイタリア語の studio 〔ストゥディオ, "study , 学び"〕の意で,更に遡れば,ラテン語 studium 〔ストゥディウム, "zeal, study, 熱中; 熱意, 学び"の意〕に至る。
「学習」は、孔子の「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」が語源というが、日本語でいうまなぶは「まねる」から来てるのだということを教えてくれた人がいる。意外なことであるが、勉強が勉めて強いるということを考えると、日本や東洋の場合は強制的や責務的要素が強いですが、欧州は自主性ももたさなければならない。どうも基本的志向が違うようですね。
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文化面では、Wikiを見ていると面白いことに気が付く。有る程度普及した内容だと同じ項目でも日本語・英語は記載内容は変わらなくてもその中身は全然別のものであることが多い。ところが、中国語の文献に関すると中国由来のもの以外は英語や日本語を翻訳・・逐語訳したものが多いのである(あえて、翻訳ということを明記している事もあるため、それが違反と言うことは言わない)。この内容は香港・台湾が主で中国大陸の人が関与していないと言うことがあるにせよ、こういうところにも、差異がみえるようである。
(続く)

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