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敬意を表した赤いシャツ(2/2)

(承前)
日ごろお世話になってる方のBLOG(http://blog.goo.ne.jp/kunihiko_ouchi/e/e871e73801606cbd97dfefd1ab5b56bb)を見ていて目が飛びました。
非常に面白いのは、ある技術に対する責め方・・・攻め方という見方を開発者とユーザーとの視点差異と利益相反と言う形を明らかにしてることです。
----------------------引用
http://robot.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/06/16/1121.html
「地球を使いこなすセンス」が求められる工学 ~「ガンダム」の富野由悠季監督らが東京大学で講演
● 第2部 実業界と工学 ~金儲けを潔しとせよ
  S電機株式会社 のT氏は (中略)文化的な生活とは、すなわち大量のエネルギーを使うことだと見なせる。 (中略)ともかく環境問題を解決するのは工学しかない、とした。
 Tエンジニアリング株式会社のU氏は、(中略)巨大なプロジェクトを進めるためには工学系の人材が不可欠だが、二通りのタイプが必要だという。一つは精神的にもタフな人材。もう一つは、技術開発、解決策を提案できる課題解析力を備えた人材だ。「実業の世界では、工学系の人材が生きる部分は多数ある」と語った。
(中略)
 再び、最初に富野氏から話が始まった。「この発言をした途端、石つぶてがとんでくることも承知している」と断りつつ「かつては人が増えることが善、富国強兵だった。その覇権主義がまだ我々の中に息づいているいるのではないか。常識を我々の中で獲得していく術策が必要。実業に関与していく人は、ごく当たり前のことをきちんとしたところに進むべきだと思う」と述べた。
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 中須賀教授は「いま本当に企業で求められている人材」について、実業界の2人に質問した。
 U氏は「人口が減れば良いというのは我々は言っちゃいけないこと。『お前が死ねよ』ってことになるから(笑)」と答えて、以下のように続けた。「(中略)今は100人いればそのうち2人は日本人だが2100年になると100人集まっても日本人がいないことになる。その中でも一定の地位を維持しなければいけない。  世界で今後、どういう国がステイタスを持ち得るかというと。資源大国、金融大国、ものづくり大国の3つしかない。日本は、ものづくりしかない。(中略)サステナブルな社会を満たすために、将来の人たちの可能性を損なわないように、現在の人たちのニーズを満たしていくことが実業界の役割。将来の人たちによけいなハンデを与えてはいけない。将来の人の可能性にかけつつ、現代の人にニーズにこたえていくことが必要。工学系の人たちは日本の課題、世界の課題に挑戦しなくてはならない。同時に、世界のなかでの日本の地位を保てるようにしなければならない」。

 T氏は、「(中略)工学系の人間は、あまりお金儲けを潔しとしない。だいたい理系の人間はお金とか人間関係も嫌いで、こつこつと役にも立たないことをやるのが好き。しかし実際にはそうではない。お金儲けをすることに喜びを持ってほしい。みなさんが使ってもらわないとお金は儲けられない。役に立っていることがお金儲けの証拠。お金儲けすることを潔しとしてほしい。一生懸命良いものを作り、世界中からカネを持ってきてください。そうすればまた投資ができる。良いものを作って、世界に売って、お金儲けをしてください。それが良いことだと思ってほしい。お金をもうけて税金を払い、賃金を払って社会に貢献するのが私たちの使命です。象牙の塔から外へ出たほうがいいなと思って欲しい」と語った。
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非常に注意しなければならないのはここにいる3人の大学教員は、象牙の塔の中の人ではない。対外的交渉のスキルを旨としているし、少なくとも2名はなんらかの形で大学教員以外の仕事にいたことがある。聴衆に対して言ってるというほうが正しいようだ(最近の工学系の教員は企業・外部経験から戻ってきた人のほうがはるかに多い。)東京大だからということではない。
非常に欺瞞的に見えるのは「一生懸命良いものを作り、世界中からカネを持ってきてください。そうすればまた投資ができる。」というサイクルが既に資源大国、金融大国、ものづくり大国の中で変わってきているということである。更に言うとものつくり大国=技術大国というのではないですよね。今まで、私作る人、僕食べる人という感じでこの3極は相互干渉なしで、分担してやってきたのが、分担しきれずお互いを食いつぶし始めたという認識になっている。
じつは、これを考えていくとディベート的な議論に演出してるところはあるのだが、工学者といっても立場が変わると同じ現実をこう異なった夢で語るということをこの議論は示している。以前は全てをオーバービューできる人がいたものだ。それは狭い技術範囲でも横に広いという人材。それがいま大学にも、産業界にも、製品の市場リサーチにも人材枯渇しているのだが、それ以前に本当のところ全体像を見るのがつらくなってるというのが正しいのではないだろうか。
余談に成るが、製品の全体像を技術者1人が見るのは100種類100個ではない)の部品が限界だという。これはたとえばエンジンをエンジンユニットと1括りにしたら1個という勘定をする場合。従ってそのエンジンを全体に見るのは100種類の部品を見るのが限界。但しエンジンならバルブユニットを1つとした場合であってこのバルブユニットを100種類の部品で一人と言う形に樹状で人員構成をするのが、最適配置といわれている。(もっともバルブユニットを直接管理するのは協力工場の技術者だったりする)で、凄腕の技術者でも200種類ということを畑村東大名誉教授・工学院大学教授の著書に書いてあった気がする(これは某噺家の話から引き出した経験則らしいが)。つまり、すでにこのあたりの限界を感じることがあるといえよう。
じつは、それで議論が全く収斂しないという現場に良く出会うのも事実である。
--------------------再開
 富野監督はお金儲けを是とすべしという意見に同意を示し、(中略)「お金儲けが、なぜ気持ちがいいか。安心を手に入れられるから。嬉しいという感情も、一人だけでうれしがっているよりもずっと大きい。お金が入ってくることは、背後に自分を支援してくれる人たちがいるということであり、社会的に自分がここにいていいという保証になる。自分だけで『やったぜ、うれしい』と思っているのと、第三者に誉められるのは桁が違う。決定的に自分の自信にも繋がります。また、マスターベーションの狭さを実感できるようになるし、生きていくための力になる。一人ぼっちで死ぬんじゃないんだと、安心する感覚に繋がる。ですからお金儲けを目指してください」と述べた。 (中略)
 中須賀教授は「便利になることがよりハッピーなんだということに汚染されているのではないか」と述べ、「ネット検索も自分で考えるクセがなくなってしまう」と批判した。「自分で考えて答えを見つける、そういうハッピーさが無くなっていく」ことは問題だという。「いまの技術が便利という言葉だけが大事である、テーゼであるという評価軸で考えるのはやめたほうがいい。自分がやったことで喜んでもらえるハッピーさや、『アハ!』体験のようなハッピーさ、『技術のニュータイプ』を目指すことが、これからの工学者に課せられた課題だ」と述べた。自分はどういうことがあるとハッピーなのかと考えることが重要であり、世の中の人が便利だということに流される必要はないという。
---------------------中断
うーむ、ここでも結果の刈り取りをどこにおくかの考え方の大幅な差異です。
よくあるのは、

「研究者は論理に裏付けされた事実の開拓と提示」
「商品企画技術者(意匠技術者を含む)は流動性のある現実を色々な論理に裏つけて真のニーズを掘り起こし」
「前期開発者は事実の取捨選択と最適構成の見出し」
「後期開発者は取捨選択の中身のマッチング調整と折り合いつけ」
「設計・工場現場技術者(特許技術者を含む)は調整されたものの頑健な製品へのブラッシュアップ」

とか言うのだが、この線引きは極めてフレキシブルなものである。とりあえずこれを雛形にすると、これらのパートごとの終着点は同じことのように見えて、実は利益相反がすごくあるんですね。だからロボット・宇宙に対する商品企画という意味では深いところにある富野氏と、研究・前期開発が職務という中須賀氏ではターゲットは違う。更に・・・・
--------------------再開
 U氏はこれに呼応して、「日本はものづくりで生きていくしかない。ものづくりには安く作るか、速く作るか、良いものを作るかの3つがある」と述べ、日本は「いいものを作るしかない」と語った。では「良いもの」とはどういうことか。それは「人々に受け入れられる」ことだという。受け入れられればお金を払ってくれるし、人に受け入れられることで技術はいいものであることが証明される。 ところが日本は、技術的に良くても、そこにとどまってしまうことが少なくないという。たとえば、技術的にアップルの「iPhone」が他社から抜きんでているかというと、必ずしもそうではない。しかしアップルは持っていて楽しい、つまり良いモノを作っており、儲けることに成功している。「少なくとも民間企業は金儲けを通じて、具体的には税金の形で社会に貢献するしかない」と述べ、
---------------------中断
となっていますが、これは、私は非常に偏った見方も垣間見られる気がします。反発し易い「少なくとも民間企業は金儲けを通じて、具体的には税金の形で社会に貢献するしかない」というのは、まあ私は一つの言い方だと思っています。但し、「アップルは持っていて楽しい、つまり良いモノを作っており、儲けることに成功している」というところですが、だれが持っていて楽しい=良いものというのでしょうかというと、主語が抜けてますね。例えば、今の「iPhone」はメールを打ち込むことを旨とする目的の人には少し障壁があるかもしれない。市場第一主義で良いものという値付けをする危険を内包してる。それがストレートにequal toとして議論する欺瞞をひじょうに感じるのです。よいものが表立った「良いもの」ではすまなくなった。一つの具現化が環境と言う、価値評価とは相反条件がかなりあり定量化することにまだ技量を要する(どころか全てを引き戻すことも多く、革新的なことをすることは、いずれはしっぺ返しを食らうとまで推論される)項目ではないかと思う。
勿論、これを考えると上の各項目の世界は各々相反条件になる。そこを無理やり一つの定義で幸せになるというを語って納得させてくれる力が、大所高所の人間があればいいのだが、いま既に、各々の意見を調整しても「幸せにならない人間が必ずいる」以上
●調整不可能な事象があるし、
●語れる人も少ないし、
●語ったら帰ってプロパガンダの色を嗅ぎ取ってしまうし、
●技術の夢を語ることが現実との落差を感じてしまう経験・習慣付けの前に沈黙してしまう

わけである。要するに価値創造の可能性・パラダイムに関し各論OK、総論反対になってると思う。いま、大所高所から・・・という人間が、都合のいいように動く人間という解釈になってしまうことが普通に生じていないだろうか。他にも短絡的視点が気に掛かるが、ここは突っ込まないでいきましょう。
まあ、開発技術者のターゲット、また商品企画技術者のターゲットが相容れないことがここにも現れていると思う。
こういうところでプロジェクトが瓦解する事もよくある。そこで調整不能に陥った管理監督者が取る最後の手は、「研究者」「商品企画技術者」「前期開発者」「後期開発者」「設計・工場現場技術者」のどれか1つを切る事である。つまり、この段階で製品開発に関与する全員の均等な達成感と言うものはなくなるのであろう。そこで、技術者がエンドユーザーに近くなればなるほど・・・・・
--------------------再開
さらに「中須賀先生や下山先生は企業に来たらまったく使い物にならないと思う」と語って会場をどっと笑いで湧かせた。
 使い物にならないと言われた下山教授は「適材適所。大学も人がいなくなったら成り立っていかない」と苦笑した。「東京大学には、どんどん外に出て行って世界を体験する仕組みができています。なぜ世界に出て行くといいか。流暢に喋れることは必要ですが、言語以上に世界のカルチャーや生き方、友人を作っていくことができる。例えばロボットが産業になって出て行くためには世界でロボットがどう受け入れられるか知らなければならない。国際的に展開していくことも重要だと思う」と述べた。 (後略)
--------------------終了
という見方になると思う。夢の共有どころか、現実の現象も共有できず各々の立場を崩す。
例えば、上述の内容「工学系の人間は、あまりお金儲けを潔しとしない。だいたい理系の人間はお金とか人間関係も嫌いで、こつこつと役にも立たないことをやるのが好き。しかし実際にはそうではない。」というところなんかは、多分設計者にとっての「役に立たないこと」を拡張して述べてる気がする。
まあ高度な演出なんでしょうが、実に現実的であるというところで議論が展開されたということで問題点が顕在化したものの、ここまで夢を共有することが出来ないのが、一緒になってモノを作っていかなければならないというところに、聴衆は戸惑ったのではないだろうか、共に内輪もめしていたらなにも出来ない。科学の夢、右肩上がりの経済という夢、そして技術と言う戦車を持って他国の資産をはがして取り込むという即物的かつ明晰な現実が、潰れた今の物の作り方、要するにモチベーション自体の創出を否定してるのは、即物的な現実の行き着いたところだなと頭を抱えるのである。
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工学倫理的解釈では以下のような理論がある。
倫理的判断を強いられる多くの場合、問題は「倫理的ジレンマ」の構造をしている。倫理的ジレンマを完全に解消することはできない。
(1)容易な選択:対立する義務のうち片方の優先度が明らかに高い場合は、どちらを選ぶべきかは明らか。
(2)困難な道:同程度に尊重すべき2つの義務の間にいたばさみになって、結局どちらかの義務を果たすことを放棄せざるを得ない事態。
(3)創造的中道:同程度に重要な相反する義務の両方を何らかの形で尊重する道を見つけようとする方法。両方の義務をそのままの形で受け入れるのではなく、何らかの形でそれぞれを部分的に受け入れて、両方が納得する一つの妥協案をつくる。

この事例は、どうもこのようなプロジェクト内部での議論と同じ面がありそうだ。となるとだこう書き換えられないか。
技術ジレンマを完全に解消することはできない。
(1)容易な選択:対立する技術思想のうち片方の優先度が明らかに高い場合は、どちらを選ぶべきかは明らか。
(2)困難な道:同程度に尊重すべき2つの技術思想の間にいたばさみになって、結局どちらかの技術思想を果たすことを放棄せざるを得ない事態。
(3)創造的中道:同程度に重要な相反する技術思想の両方を何らかの形で尊重する道を見つけようとする方法。両方の技術思想をそのままの形で受け入れるのではなく、何らかの形でそれぞれを部分的に受け入れて、両方が納得する一つの妥協案をつくる。

ということだと、実はこの創造が出来る視点の人が必要なのであろう。ところが、この人材は専門家意識が非常に強いことが必須である領域になればなるほど、「研究者」「商品企画技術者」「前期開発者」「後期開発者」「設計・工場現場技術者」どれであったとて公平な判断というものが出来ないと思う。全部の業務を経験できるほど各々の仕事が浅くないのが現代の工学技術。運よく複数の業務経歴を得たとしてたかだか、
「研究者」⇒「前期開発者」⇒「後期開発者」を経験、
「前期開発者」⇒「後期開発者」⇒「設計・工場現場技術者」
「後期開発者」⇒「商品企画技術者」
「研究者」⇒「後期開発者」⇒「設計・工場現場技術者」(生産技術・特許管理だとこのパターンがある)
を2・3の業務を経験して、実務を担うキャリアに成るのが一般的であろう。やはり抜けがあるんですね。こうなると横断的視点というものを構築することが、本人の資質依存以外はそれなりに難しいということが判る。残るは最初から管理業務という形に特化する形になるわけで、自動車ではそのあたりが割りとPLと言う形で今のところうまくいっているようだ。
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なにかに敬意を表した赤いシャツ。敬意の先にあるものが工学技術のパラダイムとその現実との落差だったとしたら、一体「工学技術」ってどこにあるのだろう。

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