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債権(1/2)

最近忘れっぽくなっているが、いや世間全体がそうなっているかとも思う。いや、忘れてしまうしか術がないのかもしれない
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<新銀行東京>「役割は終わった」「監視を」都民は冷ややか 2008年3月27日(木)2時37分配信 毎日新聞
 400億円に上る東京都の公金投入を受け、再建に向けた新たなかじを切ることになった新銀行東京。「中小企業の需要は高い」と今も存在意義を強調する都と新銀行だが、融資を受けた都内の中小企業からは「もう役割は終わった」などと冷ややかな意見や厳しい注文が相次いだ。この1カ月で都に寄せられた都民の声の9割近くは追加出資に「反対」で、逆風下での船出となる。【市川明代、村上尊一】
 大田区の不動産会社「アイ・エル・イー」の進藤平太社長(56)は「解散に向かうべきだ」と手厳しい。2006年3月に利息3.98%で4000万円を借りて返済を続けてきたが、同10月に1000万円の追加融資を受けた際に利息が6.0%に上がった。新銀行側に説明を求めたが、いまだに回答はない。「全体的にお役所仕事で審査も的を射ていない。もう競争力もなく、(他の金融機関に)勝ち目はないのでは」と冷静に分析する。
 05年夏に4000万円を借り、既に完済したという建築解体業「アーバン黒岡工業」(杉並区)の岡部辰夫社長(67)も同意見だ。「借りた当時はどこも貸してくれなかったが、今は都銀も好条件で貸してくれるようになった。自分たちは助かったが、新銀行の役割はもう終わった」
 一方、「新銀行はまともに対応してくれた唯一の銀行だった。なくなっては困る」という声もある。海藻加工卸販売「東昆」(荒川区、従業員数55人)の順井宏子社長(47)にとって新銀行の存亡は死活問題だ。

 自社ビル建設などバブル最盛期の投資が負担となって経営が悪化し、2001年末に民事再生法の適用を申請した。銀行から融資を拒まれ続け、そんな中で新銀行にたどり着いた。無担保・無保証融資は審査を通らなかったが、2007年2月から一般融資枠で月々1000万円を借りている。
 3期連続で黒字を計上しているものの、産地偽装問題などで原価が上がり、経営は依然厳しい。「ちゃんとした行員もいた。ずさんな融資があったとすれば、都にも責任の一端があるはず」と順井さん。「今後はしっかり監視してほしい」と注文を付ける。
 都によると、石原慎太郎知事による400億円追加出資の正式表明(2月15日)後、新銀行に関する意見は1004件(3月25日現在)寄せられた。86%が追加出資に「反対」で「賛成」はわずか8%。反対意見では「新銀行は閉鎖すべきだ」「都民の納めた税金を軽く考えないで」「知事は経営責任を持つべきだ」という内容が目立つという。
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新銀行東京 都民も首かしげる追加出資 2008年3月27日(木)1時47分配信 読売新聞
 納得する東京都民はどれだけいるだろうか。
 経営危機に陥った「新銀行東京」に対して、都から400億円を追加出資する議案が、都議会予算特別委員会で可決された。28日の本会議で成立する見通しだ。

 都は新銀行設立時に1000億円を出資している。出資金調達のために発行した都債の利払いに100億円要る。今回の追加出資と合わせ、都は合計1500億円を投じることになった。巨大な都庁ビル群を、再び建設できる金額だ。言うまでもなく、都民の税金である。これほどの巨費をつぎ込むことに、大半の都民が首をかしげている。読売新聞の世論調査では73%が追加出資に反対と答えた。
 新銀行東京が開業3年で積み上げた累積赤字は、1016億円に上る。このため、都が設立時に拠出した1000億円は失われる可能性が濃厚だ。現状でも損失は甚大だが、さらに出資する理由は何なのか。
 石原知事ら都の幹部は、ここで新銀行東京を清算すれば、融資先9000社が一挙に苦境に陥る上に、預金の払い戻しなど事後処理でさらに1000億円以上かかる、としている。
 知事与党の自民、公明両党は、「これ以上の出資はしない」「経営監視組織を作る」などの付帯決議を付けて賛成した。店じまいを大前提に、当面の混乱を回避するため公的資金が必要というのならば、次善の策と見ることもできよう。しかし、都はそのように説明してはいない。店舗や人員は大幅に縮小するものの、ベンチャー向け融資を強化するなど、新たな業務展開によって新銀行東京を再生するという。その見通しはいかにもお役所らしく、楽観的で甘い。
 現状にいたった経緯に関しても都の説明は誠実さを欠く。調査報告書は、「旧経営陣の責任を問う訴訟に影響する」「個人情報が含まれている」などという理由で、都議会にさえも数ページの概要版しか公表していない。こんな姿勢では、都民の理解を得られるはずがなかろう。
 ともかく、新銀行東京は延命することになった。だが、現実味のない“再建策”によって傷口を広げることは許されない。石原知事は都議会で自らの責任を認め、謝罪した。ここはもう一歩進んで、漸次撤退を前提に経営計画を練り直す方がいい。在任中にきっぱりと片を付けることが、責任の取り方ではないか。
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公約を守るべきではあるが、公約に適用していいのかというと、これは難しい問題である。しかしこの変質。まあ君子は変質するんでしょうが、君子でない人のほうがほとんどを占めるのですから、そこについていけない人いかない人がいるのを針小棒大に報道すると見なせるのですが。
そもそも、日本の貸付に関する考え方は、どうも海外とは違うということが言われる。
担保主義
●目で見える資産がなければ保証できない・・・滅却する時に不良債権資産価値を確保。
●日本の銀行による不動産担保融資に対し、批判する人は国内国外問わず多い。
●但し担保主義は確かにローリスク・ローリターンである頑強なビジネスモデルでもある。
審査主義
●ミドルリスク・ミドルリターンという、日本にとって見れば新しい銀行のビジネスモデル。
●他の銀行が面倒見ないところに融資する。ばばをつかませる融資危険性のある所に限られる。
●欧米の銀行スタイルに一部にある投資型スキーム (貯蓄銀行以外)もちろん融資に対し、審査を洗いざらいされるから、融資を申し込むこと自体のリスクも融資先にもある。
●有形無形の審査能力・調査能力と顧客選別能力が銀行の価値である。
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日本の場合、ベンチャー・開業者が減少し、更にそのベンチャー事業の事業成立の確立(上場ということを言わないで事業継続を3年以上行ったもの)が20%という状態になっている。その事由ですが大概、継続するための資本がショートすることという。そのために継続可能な内容の事業内容でも事業継続が不可能という形が続出してるという見方がある。またそのために日本では新規業務の開拓が出来ないため海外にという事業者があとを絶たない。(とはいえ、海外でもこの比率は多少上がる程度といえるが)
その上「預金減少・資産減少」によって更に事業創立自体が難しくなる。その意味でベンチャーキャピタルが入っていることは一つ「会社の価値・事業の価値の値付け」になってるのであるが、その収支回収を短期間でしなければならないという側面がある。それがベンチャーキャピタルのあるべき姿であるからであるが、営業内容によっては短期回収になじまないスキームもかなり有る。その判断ができるかという側面が問題になる。
元々、このようなスキームで計算外ということは多い。そこがリスク管理の要諦でもあるが、そこに破綻要因がある事例も少なくないといえる。かくて、企業の創立は少なくなる。そして・・・と言う話。
その中でまずこういうビジネスモデルの可能性が大きくあったという話である。銀行を作ったから、ビジネスモデルが確立されたということで進み、それが否定されることを後追いであれこれすることは無責任という見方をするべきと思う。
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余り、本筋で議論した話ではないが、

公益質屋 : 社会福祉事業の一環として市町村や社会福祉法人による質屋。(営業質屋は公益質屋に対する民間の質屋のこと)営業質屋は民法の質権の規定の他、特別法の質屋営業法による規制を受けた。各種規制を受ける代わり、民法で認められない流質契約を認めるなど有利な扱いもまた受けた。公益質屋は公益質屋法という特別法があったが、営業質屋よりお客に有利な規定とすることで社会福祉の向上に役立てようとした。
営業質屋と比較した公益質屋の違い
利率が低い:営業質屋より低めに設定されていました。(1989年の記載:月3%)
利息は半月単位計算:伝統的に営業質屋では数え月単位計算が行われたが、公益質屋では暦にしたがって半月単位で計算。(例:1月15日に借りて2月20日に返すと、数え月計算では2か月、暦にしたがった月単位計算でも2か月ですが、公益質屋の場合1か月半と計算。)
流質期限が1か月以上長い:営業質屋では3か月ですが、公益質屋は最低4か月です。
流質しても公益質屋側に清算義務がある:営業質屋の場合、質物を売って利益がでてもお客に返す必要はなし。公益質屋では質物については競争入札で売ることが要請され、さらにその代金から元金・利息を引いてのこりがあればお客に返す。(厳格に言うと「流質」ではないとも言える)
 社会福祉の多様化と、質屋の利用形態・客層が変わり、結果公益質屋も減少し、2006年6月に公益質屋法が廃止。

もしかして、このような形(但しこちらは担保主義にのっとった金融業務で本質は全然異なるが)を、どこかの頭の隅に置いて居た人が居たのかもしれない。質屋はサラ金に置き換わったのだから、公的機関がバックアップするサラ金に近い銀行(・・サラ金はさすがに運営できないからね・・・)があって、それが「公共の福祉に活用」することを考えたらどうなのか。意外とこういう単純な発想なのがとは思うんですよね。けど今の銀行に「公共の福祉に活用」という活動が既に許されないのです。この変節をだれがよめましょうか。
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では、こういう話が従来の日本の銀行スキームでなかったわけはない。古い話だが本田技研工業がなぜかメイン銀行を東京三菱銀行にした理由が、これに該当するといえよう。けど、その調査能力・査定能力が銀行の中に蓄積されず人的依存になって喪失していったから、既存の担保主義になった。ないしは担保主義のほうか確実だからそちらにシフトしたともいえるんですかね。
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昭和21年  本田技術研究所を浜松に設立。内燃機関と各種工作機械の製造と研究をする。
昭和23年  本田技研工業(株)を設立 資本金100万円
昭和24年  本田と藤沢がコンビを組む。金のことは俺に任せてくれと藤沢は本田に言う。(為替レート1ドル360円決定。)
昭和25年  浜松から東京に進出。本田宗一郎が地元の某取引銀行を訪ねた際、審査部長から「そんな無謀なことをして、本田さんは会社をつぶす気か」と、冷笑された。しかし財閥銀行のイメージを腐食するため、大衆バンクを目指していた三菱銀行が本田技研に目をかけ、取引を開始する。三菱銀行京橋支店長の片岡孔一は白子工場(現在の埼玉県和光市にある)が稼動してまもなく、同工場を案内され、そのスピーディーな生産管理に驚き、本田技研の将来性を買っていた。
昭和26年  松下幸之助がバッテリーの商談で本田技研白子工場を見学。商談せず、合理的な機械配置とスピーディーな組立ラインを見て驚いた。三菱銀行京橋支店が送金依頼書を書いて新機種をバックアップ。
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今になれば、二輪車・自動車製造業は三菱Grにもあるから、???となるのだが、昭和25年だとそのようなこと以前に単純に評価をしてくれた銀行(と勿論それを評価できなかった融資の評価と認めなかった銀行)があるのですね。ただ融資する銀行にとってもじつはすごいリスク(・・・自分達のノウハウがあまりない新興の会社に融資する・・・)があったと思うのです。当時はドッジラインとか、種々の事情で融資条件や案件に対する目が事例として確率していなかったといえるのですが、今の日本の融資条件で新興の事業をリスクを抱えて行う融資を銀行が出来ないというのは、預金保護を第一の信用と社会的使命という側面を持つからこそ身動きできないことになってるかもしれません。
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要するに銀行の社会的使命に対し優先順位をどっちに置くかということで、どっちの銀行が正鵠か、という見方が変わることを示してる気もします。更に担保主義だけの銀行も審査主義に対応する能力をつけてきた(例えばサラ金のノウハウを銀行融資に活用するべく、銀行がサラ金を系列化したという話もあるとか)という自助努力と、市場開拓を徐々にし始めてますからね、そこが複合的システムで顧客にアタックすれば銀行を潰すこと自体むずかしくないでしょうね。
(続く)

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