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啓蒙なのか実践なのか(1/2)

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鉄道営業法の不思議 2008/02/26 17:23原田 衛=日経ものづくり
 2月に出たばかりの本「満員電車がなくなる日」(阿部 等著,角川SSコミュニケーションズ)を読んでいる。いきなりだが最初に白状してしまいたい。クルマの交通渋滞や満員電車といった交通関係の話は,工場内でどうスムーズに物を流すかのヒントになると聞いたことが以前にあった。そこで,この本を読めば「ものづくりブログのネタにもなるのではないか」という下心があって読み始めたのである。
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 第1章は「満員電車の現状と歴史」を振り返るパートである。明治時代までさかのぼり,我が国の鉄道発展の歴史がまとめてある。おもしろいと思いつつ読み進んでいくと,はやくも「ネタ」にぶち当たってしまった(同書p.20)。ちなみに,この本の真骨頂は第2章から第5章にあって,信号システムの改善や総2階建て車両の導入,料金体系の改革など,従来の鉄道の常識を次々と崩していけば満員電車はなくせると裏付けを示しながらグイグイと主張していくのだが,実はネタにぶち当たったところで興味がいったん脱線してしまい,まだ本は読み終わっていない。
---------------中断
原田 衛記者は結構コアな話題を独自の視点で出されてまして、面白いひとのようですね。
確かに現実に法文があっていないが法律をあわせると、整合性が崩れることを懸念して、解釈で迂回することは多いようである。認証業務に関わるとこんなことは普通である。
---------------再開
 ぶち当たったネタの話に戻ろう。どんな話かというと「鉄道営業法」である。同法は,1900年(明治33年)に制定されたもので,いまだに基本部分はそのままという古い法律である。そのせいか,現代の鉄道の状況とはどうにも乖離(かいり)していると思える条文がいくつか残っている---。こうした例が紹介されていたのである。例えば,同法第15条の2項にこうある。
乗車券ヲ有スル者ハ列車中座席ノ存在スル場合ニ限リ乗車スルコトヲ得
 現代風に言えば「乗車券を持っている人は,列車の中に座席がある場合に限って乗車できる」というところか。この文章は,読み方によっていろいろにとれるから,なかなかむずかしい。素直に読むと,列車の中にある座席の数だけしか人は乗れないということになるだろう。つまり,満員電車の存在自体が違法であり,吊り革とか,一部の通勤電車で導入されている座席の跳ね上げ設備なども,存在自体がおかしいとも解釈できる。立ち席特急券もまたしかりである。
 この条文が現代においてはどう解釈され,現状との矛盾をなくしているのかについて,同書でも紹介されている(p.21)。ただ,ここは一つ自分でも確認してみようと思い,国土交通省 鉄道局鉄道業務政策課の担当者に聞いてみた。
「満席になったらそれ以上人を乗せてはいけないという意味にとられることが多いんです。でも,それは誤解です。この条文の意図は,(建前上,席が空いているときだけ乗れることにしておけば)『もし座れなくても乗客は賠償金などを請求できない』ということなのです。明治の時代には,鉄道は高価な乗車券を買って乗るものでした。基本的にはぎゅうぎゅう詰めなどにはならず,座れるのが前提・常識だったので,こうした法律ができたわけです」
 なるほど…。一見,鉄道事業者に向けた規制のように読めるのだが実は「『いつも座れているのに今日は座れないとはなんだ!』と怒ってもだめですよ」という,乗客に向けた規制だったわけだ。そういう意味では現代の満員電車でも矛盾はない。ただ,あらためて法律の文章を見直してみると,やっぱりおかしいというか,誤解を招く表現のような気がする(ちなみに,第15条の2項は「貨車のように座席が一席もない列車には乗客は乗れない」という意味にもとれるが,こうした解釈は当初からされていないという)。
 同書にはもう一つ「あれっ?」と思わざるを得ない条文が紹介されている。第26条である。
鉄道係員旅客ヲ強ヒテ定員ヲ超エ車中ニ乗込マシメタルトキハ30円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス
 朝夕のラッシュを経験したことのある方なら,駅で「ホーム補助員」という腕章などをつけた人が,乗客を押し込んでドアをなんとか閉めるというシーンを見たり,実際に押されたりしていると思う。これは違法なのか…。これについても上記の担当者に聞いてみた。
「これは明治時代,高額の乗車賃をとって乗客を無理やり列車に乗せて売り上げを増やすといったことをしてはいけない,という鉄道会社の係員を規制する法律でした。(現在のホーム補助員などは)乗りたいという意志を持った乗客の補助をしているだけなので,話が違うわけです」
 なるほど,と納得できるようなできないような…。ここまで聞いて,なぜこんなに古い法律が,見直されずにそのまま運用されているのだろうかという疑問が頭をもたげてきたので,その点も聞いてみた。
「昭和30年代や40年代に,改正の動きはあったのですが,現在もできていない状態なんです。理由は二つあります。第一に,この法律が運輸関連の法体系の根幹になっていることです。例えばバスや航空機の利用についても,鉄道営業法が標準約款として参照されているので,ここをいじると,すべての分野で大規模な見直しを行わざるを得ないという事情があります。第二の理由は,まだ専門家の間で解釈が揺れている部分があって,議論が決着していないのです。例えば第18条で規定されている割増運賃の規定は,損害賠償の予約なのか,罰則なのか,それとも…というところがいまだに議論されているのです」
 第15条の2項や,第26条などの問題は,鉄道に詳しい人たちの間では以前から知られていたようだ。それにしても,時代の変化に応じた見直しさえ困難な,がんじがらめの状態になっている鉄道営業法---。その状況が,日本の一部の大企業の姿にかぶって見えるのは,私の考えすぎだろうか。
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そもそも、後天的獲得物資が企業のノウハウという考え方がある。まず法律があって、法律の解釈(例規:(1)先例となる規則。(2)慣例と規則。大辞林 第二版より)があって、実務が詰まれて全体の運用になるということである。もともと細部まで法律で規定しないものである。
高圧ガス関係法規でも危険物でもそうなのだが、このような法律・規格・実務の重畳的性格が見えないと、法律に決まっているからすぐ収まると言うことにならないと思う。で、大きな会社では、沢山の人を統率しなければならない上に、コンセンサスを通す必要があるようだ。しかも官需に有る程度対応することを要求することを考えると、影響を受けないと言うほうがおかしい状態になっている。従って大企業がそうなると言えばそうだが、企業の論理があくまでそのストーリーで出ている以上、つらいかもしれません。それをキャンセルするには旧来の価値観を抹消する行為・・・つまり「革命」ということになってしまうのですが、その混乱は多分日本を再起不能にするともいえよう。じつは失敗学という概念が、欧米では限定的に取られてるところは、このあたりの「失敗経験を蓄積していい製品に仕立てる」農耕民族的製品化と、「工業製品は創作物」という考え方で日々成功or失敗を繰り返す形で見出していく(その分死者も累々とする)狩猟民族的感覚では、このあたりの論理構成は変わるのはまあ、偶然と言うよりは必然なのかもしれませんね。
(続く)

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コメント

渋滞に関してはこの本がオススメです。
http://www.jste.or.jp/Books/book59.pdf
著者の大口先生は、大型連休になるとWEB上の渋滞情報のチェックが忙しくて(&楽しくて!)外出どころではないそうです。

投稿: TX650 | 2008年5月15日 (木曜日) 14時20分

ほー。これは面白そうな話ですね。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/product-description/4905990548/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8&n=465392&s=books
巨視的視点でのトライというのは面白いですが、数理解析としてはこういうのもあります。
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK200803040038.html
この本、手に入れてみましょう。

投稿: デハボ1000 | 2008年5月15日 (木曜日) 18時30分

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