« 「ブログ」は毎日書き読むものか(1/2) | トップページ | 冷凍食品の周辺技術(1/2) »

「ブログ」は毎日書き読むものか(2/2)

(承前)
この記載に関するBLOGは既に結構多いのですが、但しその国にはその国のメディアがあると言うことになりそうですよね。
----------------------
井上トシユキ氏(井上俊幸)プロフィール
1964年、京都市出身。同志社大学文学部卒業(1989)。会社員を経て、1998年よりジャーナリスト、ライター。TBSラジオ「アクセス」毎週木曜担当。著書は「カネと野望のインターネット10年史 IT革命の裏を紐解く」(扶桑社刊)「2ちゃんねる宣言 挑発するメディア」(文芸春秋社刊)など。
---------------------再開
リンク: ブログは基本スキルが学べる だからチャレンジしてほしい井上トシユキさんに聞く(下) - 速報 ニュース:@nifty.
ブログは基本スキルが学べる だからチャレンジしてほしい井上トシユキさんに聞く(下)  2008年5月6日(火)10時4分配信 J-CASTニュース
お金をもらえないし、ヘタすれば炎上
――一般の人が書くブログは新聞記事を引用し、感想を書くだけのものもあって、ホントに読まれたいの?という感じもします。
井上 自分が思ったことを書いて、公開するだけで快感、ということなのかもしれません。日本人は文章を書く訓練を学校でそれなりに受けている。そこで「自分も書いてみたい」と始めるんでしょうが、読んでもらえる文章、共感を呼ぶ意見というのは、やはり簡単には書けない。書いても反応がない、お金をもらえるわけでもない、ヘタすれば炎上するとなると、生活のなかの優先順位は落ちていく。とりあえず、暇つぶしに無難なことを書いておくというのでは技量も上がらない、という悪循環が起きているのでしょう。なんにでも最初からプロはいないんで、そこを頑張っていくと良いんですけどね。
ブログランキング・にほんブログ村へ
---------------------中断

日本人は文章を書く訓練を学校でそれなりに受けているというのは、少し違う気もします。悪筆なれども私は少しはかけるようですが、あるときええっと思ったことがあります。会社員時代に昇進試験のお手伝いをしたときに言われたのは・・・仕事はそこそここなすが、書けない人が居るそうです。その上司曰く、多分大学でも自分の意見をまとめるような文章を創る機会がなかったと言うことは、技術系にはおおいんだとか。「自分も書いてみたい」と始めるまでに障壁が有る人は意外といるそうです。アメリカなどはもしかしたら、そのレベルが平準化していないでしょう。いずれにせよ読んでもらえる文章、共感を呼ぶ意見というのは、バトルです。簡単には書けない。
--------------------再開
――では、ブログの可能性はどこにあるのでしょうか。
井上 『2ちゃんねる宣言』を書いた頃、「2ちゃんねるの魅力は?」とよく訊ねられました。それで、コスメや家電などの「板」が面白いですよ、と答えていました。匿名だけど、実際に商品を使った人が「ここが良い、ここが悪い」と自由に書き込んでいた。あの頃は、メーカーの思惑はまだ入ってませんでしたから。こういう口コミは、ボトムアップの消費者運動に近いものがあって、これがうまく成長していくと偽物や劣悪な物が市場から駆逐されてしまうんじゃないか。それが、ネットによる「革命の一つ」なのではないか、と。言っていたんです。ただ、それは形を変えて出て来てしまった。
――いわゆる「口コミマーケッティング」ですね。
井上 口コミマーケティングを仕掛けた人は、ブログ発信で「口コミを作る」と言っていました。まあ、バブルの頃も女子高生の口コミを仕掛けるとかあって、手法自体は新しいものでもなんでもないんですけど。口コミは作るんじゃなくて、元来は「起きる」ものでしょう。それで、出発点はどうするのか?と聞いたら、「有名人に起点になってもらう」と。それって「広告塔」だし「ヤラセ」じゃん(笑)。で、ブログは企業資本から離れた純粋なものというイメージを利用しようとして、逆に裏側がバレちゃった。企業のヒモ付ブログを読むぐらいなら、同じスポンサー付きでもテレビのほうが面白い。目の敵の「マスゴミ」であっても、訓練された記者が取材した新聞や雑誌を読んでるほうが得るものがある。こうなると、ブログのメディアとしての位置づけが相対的に低下するのは、仕方のないことだと思います。今後は既存メディアで活躍する人が出てきてほしい
-------------------中断
ううむ。こんな姑息な見方をするというのは、逆に言うと、米国以上に「市場発掘」という概念が日本は強いことが挙げられます。日本は市場喚起というところがムダに広いという意見がある。
さてこれは、逆輸入されないものでしょうか・・・というのは、メディアをどのように使うということは日本の市場のオリジナリティーともいえるわけ。(皮肉です。ハイ)
-------------------再開
――――これからブログはどうなっていけばいいのでしょうか。
井上 ブログをメジャーメディアに対抗するゲリラメディアとして、少しずつ成長させる「我慢」ができかなかった人が沢山いた、ということなんでしょうね。ビットバレーがあってITバブルが弾けて、ヒルズ族は残ったものの、76,77世代以降パッとしたビジネスネタが見つからないという状況のなかで、ブログに飛びついてしまった。ブログなら二次出版でも儲けられる、ひょっとして『電車男』みたいなコンテンツが出てきたら大儲けだ。そう期待して、早々にビジネスの俎上に乗せてしまったことが間違いだったんですよ。ビジネスだから、目指すところはハナから広告媒体になる。ということで、日本のブログは「メディア」としては最初から終わっていた、と(笑)。 言いたいことをきちんと言える人は、どんどん出てこなければいけない。いろんな人がいろんな意見を相手にわかるように表現する、というのは非常に大切。会社でも政治でも通用するスキルだからです。その最初の一歩としてブログにチャレンジする。炎上や批判を恐れ、ブログはブキミで難しい世界だと、書くハードルが高くなってしまうのは良くない。既存メディアも、ブログを新人発掘のツールぐらいに考えて、金銭的なバックアップをしてあげても良いかもしれません。あるいは、学園祭のスポンサー探しみたいに、自分で売り込んで経済的な担保を確保する人も出てくるかも。ゲリラメディアであるブログで腕を上げ、既存メディアで活躍するような人がどんどん出てくれば、新しい視点が社会に反映されるという意味でも良いですよね。
--------------------終了
「ブログをメジャーメディアに対抗するゲリラメディアとして、少しずつ成長させる「我慢」ができかなかった人が沢山いた。」
文化は結果として文化に成るわけで、文化を創ろうとする人はそれを商売にしようとする人がほとんどでしょう。それが生きるということです。確かにそこにボランティア精神を持つ人が入ることになればいいのですが、景気が悪くなっていた時代で、76,77世代以降パッとしたビジネスネタ(≒ビジネスモデル)が見つからないという状況のなかで、ブログに飛び付くと言うことは結果的にあったと思います。但し、結果的に間違いと言うことはどのビジネスモデルも、(あえて誤解を恐れず言えば、新銀行東京のようなモデルも)必ずあること。早々にビジネスの俎上に乗せたことが間違いだったということは結果論であって、繰言しか過ぎない。
ただ最後にいたって、スキルが元々有る人、かつ叩かれても雑草のような生命力がある井上さんだからこそ言える言葉を出している。理想論ではあるが、言おうとしていることは判る。
「言いたいことをきちんと言える人は、どんどん出てこなければいけない。いろんな人がいろんな意見を相手にわかるように表現する、というのは非常に大切。会社でも政治でも通用するスキルだからです。その最初の一歩としてブログにチャレンジする。炎上や批判を恐れ、ブログはブキミで難しい世界だと、書くハードルが高くなってしまうのは良くない。」
「炎上や批判を恐れ、ブログはブキミで難しい世界だと、書くハードルが高くなってしまうのは良くない」と言うところは、始めにリスクとして知ってもらわなければならないこと。井上氏はこのあたり色々蛮名をはせていると聞くし、レジスト性をお持ちの方のようですが、この点を一般の人に明示しなければブログがでなくて、社会の中で自己の意見を提示して他の意見を求める姿勢は定着しないでしょうね。しかも地域・職務によっては、それを書くこと自体が危険分子であるという視点もあるんですから。
しかも
ゲリラメディアであるブログで腕を上げ、既存メディアで活躍するような人がどんどん出てくれば、新しい視点が社会に反映されるという意味でも良いですよね。」という意見には
ゲリラであるかどうかは、別に民意の取り方であって、それに対しての問題ではない。別に確固たる論理的な自分の意見で、大政翼賛的視点のブログがあるならば、それはむしろ評価する態度ではないか。別にゲリラを任じることは、固定観念の塊とも感じる。ここに自己矛盾がないか。
問題意識は当然判るし、発祥の地アメリカとかなりベクトルが違うことを憂慮してるのはわかるが、文化の差をこのような形で評価するのは、詭弁だと考える。但しそれでも、私の考えるブログの姿に対して、段取りは違うが、どこかで近いところがいくつかでもあるのも事実
言いたいことをきちんと言える人であろうと言うのが、ものを語る上の根幹であろう。その段階で炎上や批判を恐れてはいけないが、徒に批判的にならず慌てずその意見に是非を考えて対応し、自分の思考範囲を広げていくという活動を継続して行くことを私の旨にしたいと思う。「慌てずその意見に是非を考えて対応し」というのは一種のマネージメント技能でもある。
みなさんもこの文章に迷わされることなく各々の意見・思想を突き詰める典拠として、一度は考えて欲しいです。別にそのツールがブログでなくてもいいですから。

|

« 「ブログ」は毎日書き読むものか(1/2) | トップページ | 冷凍食品の周辺技術(1/2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/41129952

この記事へのトラックバック一覧です: 「ブログ」は毎日書き読むものか(2/2):

« 「ブログ」は毎日書き読むものか(1/2) | トップページ | 冷凍食品の周辺技術(1/2) »