« 押し殺して演ずる | トップページ | 「ブログ」は毎日書き読むものか(2/2) »

「ブログ」は毎日書き読むものか(1/2)

しばらく取材旅行(苦笑)に行きます。レスが遅れるかもしれませんが、事由ご承知ください。

この記載に関するBLOGは既に結構多いのですが、但しその国にはその国のメディアがあると言うことになりそうですよね。
----------------------
リンク: 読んでもつまらない 「ブログ」はもう終わったのか井上トシユキさんに聞く(上) - 速報 ニュース:@nifty.
2008年5月5日(月)13時12分配信 J-CASTニュース
井上トシユキ氏(井上俊幸)プロフィール
1964年、京都市出身。同志社大学文学部卒業(1989)。会社員を経て、1998年よりジャーナリスト、ライター。TBSラジオ「アクセス」毎週木曜担当。著書は「カネと野望のインターネット10年史 IT革命の裏を紐解く」(扶桑社刊)「2ちゃんねる宣言 挑発するメディア」(文芸春秋社刊)など。
「一億総ブロガー」などと言われ、誰もが日記感覚で書く空前のブームが起きている中で、最近はブログを読むのがつまらなくなったとか、ブログなんか終わりだとか、そんな話を聞くようになった。その背景をITジャーナリストの井上トシユキさんに聞いた。
----------------------
ブログランキング・にほんブログ村へ

経営者や芸能人が「自分の情報」を発信するツールに
――「ブログはつまらない」という話をよく聞きます。
井上 日本のブログは「始まりから終わっていた」んです(笑)。アメリカでブログが注目されたのが「9.11事件」の時。ニューヨークの電源ケーブルが落ちてしまい、メジャーメディアからの情報発信がままならないなか、郊外に住んでいたライターやジャーナリストがブログでリアルタイムの情報を発信した。それで、単なる論評や日記ではなく、メジャーメディアに対するゲリラメディア、あるいは草の根ジャーナリズムのツールとしてもブログは使えるね、と認識され発展していくわけです。ところが、当時の日本では、メルマガやテキストサイト隆盛で、ゲリラメディア=ブログというものに対しピンときてはいなかった。
――ところが、2003年頃から一気に注目されていきます。
井上 ライブドアの堀江貴文元社長が火付け役になりましたね。ブログはIRツールだと定義したのですが、これが意外と大きかった。以降、経営者や芸能人、有名人が「一般」に対して「自分の情報」を発信するツールという色合いが濃くなってしまった。それまで、テキストサイトに対して作成、管理のハードルが高いと思って躊躇していた人も、手軽に始められるし、管理もブログ事業者がやってくれるし、コメント欄を通じて交流もできるから、これはいいや、と。「アルファブロガー」(影響力のあるブロガー)なる新語が出てきたこともあり、一般の注目も集めるようになったのです。
――で、どこが問題だったのでしょう。
井上 経営者や著名人に引っ張られるかたちで一般のユーザーもブログをやりだすんですが、経営者や著名人と違い「誰に読ませるのか」というターゲットが不明確だった。報道記事に感想をつける、一方的に意見を書き散らすなど、せっかくの「自分メディア」なのに読ませる工夫がなかった。経営者や著名人も、自分に都合の良いことしか書かない。ブログ事業者側の問題もあります。広告やマーケティングの受け皿として、日本ではブログを性急に拡大しすぎた。
--------------中断
人に読ませると言うことは、基本的に意見を持たせる以上大なり小なり必要ですね。アメリカの事例を考えるとたしかにリアルタイムの情報の発信に価値があるというのは事実でしょう。そのような場所が日本もアメリカもニーズ・シーズとも不足していたかもしれません。充足することはまずないことですけどね。では、その量を制御していたのはだれかというと、お金を払ってくれる「市場」が不足していたのではないかと言うわけです。つまり、市場原理上、どこにも言う場所がなかった。
そこで、だれでも日記感覚で書くと成ると、書く母体数が格段に増える。(日本のBLOGは更新量が非常に多い)つまりその中に埋もれると、一般の人はいいネタを探し出すのに疲れてしまう。結果誰かが出したネタを抽出するための格好の読み物だったのに、それがすざましい量になってしまうのですよね。だったら、疲れて面白くなくなったということになるかもしれません。
さて、経営者や著名人に引っ張られるかたちで一般のユーザーもブログをやりだしたのでしょうか。私はそうだとは思えないような気もします。多分、
(1)自分発の情報を提示し、そこでGIVE&TAKEで情報を交換したいと言う機会を発掘したい。
(2)コミニケーション材料として利用したい。
(3)いろんな人の意見を取りたい。
でしょうね。その後で
(4)優秀な人のまねをしたい
という意見が出てくると思います。そして最近はここに
(5)ビジネスに活用したい
と言うのが出てくる。ビジネスブログと言うものがアメリカでは発想として余り強くでてこないのかもしれません。
--------------再開
読まれるブログは、実名や正体を露出している
――草の根からメディア化したアメリカとは違った?
井上 書かれた内容の信憑性が不明なこともあって、日本ではまだ「ブログはメディアだ」とか言われてもピンときません。そんな状況なのに、ブログをビジネスとして拡大したい、ブログ界隈で主導権を取りたい人たちなどによって「ブログこそ次世代メディアだ」と煽られてしまった。もっとも、「自分たちが儲け、主導権を取るための」という但し書きをつけてもいいほどです。
で、ネット世論を作るんだ、世の中を変えていくんだ、新聞やテレビを凌駕するんだなどと、甘く囁きつつ上から目線で始めてしまったのがフツーの人を萎えさせ、ブログより掲示板のほうがやっぱり面白いとなったんだと思います。
――「きっこの日記」など以前はよく読まれ、スターのような扱いをされましたが、最近はあまり話題になりませんね。
井上 「きっこ」によって日本のブログがゲリラメディアとして認められたかというと、そうでもない。結局、誰が書いているのかもわからないし、客観性、信憑性の担保がないからなんです。アメリカのトップブロガーは実名を出し、自分で取材や調査をしていますが、日本のブロガーは基本的に匿名での論評が多い。ご指摘の「きっこの日記」も匿名ですよね。偽メール事件、耐震偽装問題を取り上げ、イーホームズ社長とのやり取りも載せ話題になりましたが、よく考えてみると、どこまでホントなんだ、と。バックにプロの記者が付いていると言われていますが、匿名のスタイリストがどうやって政治の爆弾ネタをとってきたのか。タイミングをみて、本人が露出してネタばらししても良かったかもしれません。
――匿名で書いているから誰かわからない。書いてあることが事実かどうかもわからないから、ブログから遠ざかるんですね。
井上 いまも読まれているブログは、実名や正体を露出しているか、現実社会での専門性が読んでいてハッキリとわかる人のもの。現実社会で通用している人は、ブログ社会でも通用しているわけです。趣味を追究した内容や、実体験に基づいたことを書いたものならともかく、よくわからない人による「オレが、オレが」の論評ばかりでは読むほうもツライでしょう。
-------------------終了
「自分たちが儲け、主導権を取るため、ブログをビジネスとして拡大したい、ブログ界隈で主導権を取りたい人たちなどがブログこそ次世代メディアだと煽った」・・・そのものでしょうね。今、有名芸能人・経営者のBLOGがすごく増えたりしています。確かに身近に感じたいと言う人にとっては有益な情報だし、また、人によっては、この人の出す情報はそれなり評価できる(アンチテーゼも含めて)というものを見出す事も多いです。但し、彼らには実名ないしは固定された名前を出す以上、経営者や著名人も、自分に都合の良いことしか書かないしちょっと思慮を抜いたらすぐ暴走(≒炎上)する。扱いにくいガス器具みたいなものです。また、芸能界の有名ブロガーは眞鍋かほり氏も中川翔子氏も、この前示した中田有紀氏もそのあたりを極めてたくみに操っている。(あえてちがうのは、芸風からは想像出来ない内容で、本当に論理的記載に突き進んでいるふかわりょう氏の姿勢ですな。)
もう一つ、自己満足というところがほとんどの形でBLOGを運用している人もいるでしょう。勿論だれしもそういう側面があってしかるべきです。けれども、自分の出した意見が唯一無二ですよ・・・と言う人には不向きかもしれません。筋の通った意見を貫くことを否定しているのではなく、レスポンスに対し、どのような判断をするのかという日々の姿勢が問われてるのだと思います。
そこで、(日記を提示することに専心するBLOGのポリシーを否定するのではありませんが、)メッセージ性を有る程度重視する私自身は、コメントを受け付けないBLOGは基本的には無意味だと思っています。(悪意の有る参加者を排除することは、やむをえない行為と思っていますし、そのために削除するしかない場合も多いんですが)更に、「ブログより掲示板のほうがやっぱり面白い」と言う人は逆に掲示板の短信的世界に魅力を見出しているし(そのことは反面教師として判る)、また閉鎖型掲示板の場合はある程度範囲をくくって狭い話をしたいというところに帰結しているのだと思っています。従って、BLOGのユーザーがコミニュティーサイトに移行していくこと自体は当人の志向であるわけで、自然の摂理だと思っています。どっちにせよ、BLOGのほかに掲示板やコミニュティーサイトが並立していると積極的に見ていいのではないでしょうか。BLOGとは別に日本には2chという巨大な掲示板がありますし、そのチャンネルは広いかもしれない。
更に話を進めましょう。誰が書いているのかもわからないし、客観性、信憑性の担保がないから日本のブログがゲリラメディアとして認められないというのは、そもそも客観性、信憑性自体を他人に仮託していることが、伝聞の本質・報道の現実である以上、どこを取るかと言うことである。よって、それを議論することが、権威や肩書きをつけないと読まないという情報収集能力の「弱さ」を露呈してるのかなとは思います。
例えば、
ゴールデンタイムのTV内容は、あまねく一般的意見の代表で標準的意見を見せる。
深夜TVについては内容にチープさ、微細な誤謬ががあるが、切り口視点に着いての意外性は、考え方を励起する材料になるようです。

要するにどっちがその人のスキルに会うのかというところ、どっちが受け付けうるところかを受けて側が認識しないと、なにも創造とて疑問とてでてこないのではないでしょうか。
井上さんはここでは「きっこの日記」について語っていますが、このBLOGは基本的にはハードブロガーの日記という側面が強いんですね。たしかに政治の爆弾ネタは多かったのはは否定しませんが、むしろそこに目をつけた人間が沢山居すぎたということが黎明期の問題点だと思っています。むしろ今のほうがうけ側も客観的になり、発側もいきいきしているようにみえる。
さて匿名と言うところは、確かに私も気にするところです。これは各自の本来の仕事によるかもしれない。欧米の場合と違って自己の情報が開示されることによるリスクが、背負えない人があまりにも多い気がします。たしかに、情報漏洩を防止する為にIBM(及び関連会社)では社内でブログに関するマナーのマニュアルが作られるなど、ブログに対して危機感を抱いている企業は少なくないですし、そのあたりを考えると徒手空拳でいきることが問題ない国と違って、社会的拘束が強い社会では緊急避難的形で匿名にすることが仕方がないといえます。そうでない事例は、この国では井上俊幸氏のようなプロ・セミプロのライターしかいないんですから。
勿論、ブログに関するマナーのマニュアルで情報漏洩を防止するというのは、その人の業務によっては縛りになること。従って、ブログ作成行為そのものをリスク要因と捉えて、社員に『脱ブログ』を勧める企業があるというのもいくらか聞きますし、それで職を辞することになってもフォローを期待すること自体ムリ。従って「日本というコミニュティーの中」では匿名は有る意味緊急避難としてしかたがなく、だからこそ言える意見を期待したいということになりはしないでしょうか。
となると、読まれるかどうかは別として存在感のあるBLOG
現実社会での専門性が読んでいてハッキリとわかる人のもの。」
というのはよく分かる説明であろうかと思います。では私は・・・・????
是々非々を述べると、考え方の違いと思っています。この意見を尊重した上で、私は提言します。
よくわからない人による「オレが、オレが」の論評ばかりでは読むほうもツライのは判る。しかし、世の中で仕事をしていく上では、自分がよくわからない人であっても見解を保留することが許されなかったり、また反対によく分からない人に対する、とてつもなく長い経過が予想される論評をしなければならないのが常です。よくわからない人による「オレが、オレが」の論評をどう整理して解するかがこれからの生きる術ともいえるのでは。たぶんその意図で、井上俊幸氏もWEBで論評する行動をし、それ自身に自己矛盾を内包しているのですから。
(続く)

|

« 押し殺して演ずる | トップページ | 「ブログ」は毎日書き読むものか(2/2) »

コメント

こんにちは
私も匿名で書いています。最近は本名バレバレ状態です(笑)。それでもあえて本名にはしないのは、本名はどうしても所属・役職などとセットになってしまう、そこから離れた私個人の文章にしたいという思惑からです。
井上氏の見解はなるほどと思うところもありますが、ブログを自分の見解を広めるための手段として考えるとどうか、という限られた視点だと思います。
ブログ村で桁違いの上位はほとんどペットネタです。その筆者はほとんど匿名ですね。これは報道的な視点でとらえられることなのか。私にとっては不思議な現象です。
ブログを自分でも書き、他のブログも読んできた体験からは、ブログは「わけのわからない・信憑性も怪しい・とても読むに耐えない」文章も雑然と読める状態にあることに面白みと存在意義があるように感じます。私自身の文章も含めてです。
「客観性、信憑性自体を他人に仮託していることが、伝聞の本質・報道の現実である」ことがよくわかる世界ですよね。

投稿: SUBAL | 2008年5月10日 (土曜日) 07時45分

>ブログを自分でも書き、他のブログも読んできた体験からは、ブログは「わけのわからない・信憑性も怪しい・とても読むに耐えない」文章も雑然と読める状態にあることに面白みと存在意義があるように感じます。私自身の文章も含めてです。
井上さんの意見は、有る意味WEBの中に関わってきた、かつその外に出て行かなかった人の意見と思っています。但しこの意見、結構引用されています。一つだけ注意しなければならないのは、読む側のスキル(メディアリテラシー)によってかなり変わる側面がある媒体ということは、認識したほうがよいみたいです。
>本名はどうしても所属・役職などとセットになってしまう、そこから離れた私個人の文章にしたいという思惑からです。
私の場合だと、同業者で匿名の人は企業内の人がおおいようです。私は仕事と一緒にして語ることを避けているためです。

投稿: デハボ1000 | 2008年5月13日 (火曜日) 08時21分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/41105073

この記事へのトラックバック一覧です: 「ブログ」は毎日書き読むものか(1/2):

« 押し殺して演ずる | トップページ | 「ブログ」は毎日書き読むものか(2/2) »