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債権(2/2)

(承前)
いろいろこの件については、述べている人も多いけれど、バランスが取れている例としてのはこの意見を挙げる。勿論突っ込むところも多い。けど大衆的評論家の割には全体的見方をしていると私はおもう。この人の場合は、むしろ旧来のアナリストの視点をとり進めているようである。彼は企業の経営シンクタンク研究員出身のアナリスト(タレントともいえるが)であるが、しゃべりはうまいのに突っ込まれるとしどろもどろと言う事もみられるけれども、意外と軸心はずれてない。
勿論、微細なところに関しては事柄把握の誤謬がないとはいえないようだが、マスコミの露出度などを考えると間違いの点をカバーして余りある分析力・影響力が彼にはあると見ている。私如き一介の技術コンサルがどうこういう立場ではないが、技術経営から見た愚言暴言を重ねてみよう。
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http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/125/index2.html
第125回:新銀行東京のビジネスモデルは破たんしている! 経済アナリスト 森永 卓郎氏 2008年3月24日
 新銀行東京の経営が行き詰まり、400億円の追加出資案が都議会で議論されている。同銀行の設立時には、東京都が1000億円を出資しているが、現時点で累損が1000億円近くなり、当初の資本金を食いつぶしてしまった。そのために、新たに400億円を追加出資しようというわけだ。
 報道によれば、すでに賛成の立場を示している自民党に続き、公明党が条件付きで賛成する方向で調整に入ったとのこと。両与党が過半数を占める都議会で追加出資案が可決される可能性が高くなってきた。委員会採決は3月26日、本会議の議決は28日に行なわれる。
 それにしても、なぜこんなことになったのか。3月10日に提出された新銀行東京の調査報告書によれば、仁司泰正・元代表執行役の責任が重大であると記されている。仁司元代表が「どんどん貸し込め。貸倒引当金もしっかりと使い込め」と行員に訓示をし、過剰融資、乱脈融資を続けてきたことが経営行き詰まりの最大の原因だという。
 確かに、新銀行東京の経営がずさんだったのは否定できない。だが、経営の行き詰まりの責任を元代表一人に押しつけて、東京都が追加出資を押し切ろうとしているのは、どうもわたしには納得がいかないのである。

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事実の記載であるが、書きなれてるな・・・というイメージを強く感じる。

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新銀行東京はビジネスモデル自体に問題があった
 そもそも、中小企業にどんどんと融資をするというのは、東京都の政策だったのではないか。そうした東京都の意図を受け、新銀行東京は無担保、無保証でスピード融資を目指した。ほかの銀行と違って細かく調べることなく、書類審査に基づいて公正な基準で融資するというのが新銀行東京のウリだったのである。
 では、なぜそのような銀行ができたのか。
 今から6、7年前のこと。貸し渋りを続ける銀行を俎上に乗せ、メディアが激しい銀行批判を繰り返したことがあった。ご記憶の方も多いと思うが、簡単にいえばそれは「銀行悪玉論」だった。
 そんな状況のなか、「いまの銀行は、やれ担保だ保証人だと、うるさいばかりだ。そうしたものがないと融資をしないものだから、優秀で将来性のある中小企業の芽を摘んでしまうことになる」という意見がでてきた。「そうした銀行は臆病者で能力が低いから、中小企業に貸せないのだ」という議論である。
 そこで登場したのが、ミドルリスク・ミドルリターンという、新しい銀行のビジネスモデルだった。
 ローリスク・ローリターンのビジネスモデルをとっていた従来の銀行とは一線を画し、少々金利を高めに設定することで、担保も保証人もない中小企業に融資すれば、新しい銀行業が成り立つという考え方だ。それでビジネスが成立すれば、中小企業が救われて経済が活性化するというバラ色の未来がやってくる。
 そうした議論に対して、ほとんどのメディアが支持をした。そんな社会の流れに乗っかって新銀行東京ができたといってもいいだろう。
 しかし、わたしは当時から、ミドルリスク・ミドルリターンなどという市場は、ほとんど存在しないと言い続けてきた。あるとしても、それはものすごく小さい市場であり、そこでビジネスを展開するのは非常に難しいとしか言いようがない。

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彼は確かにその問題をあちこちで指摘していたのはわたしも記憶がある。但し、そのビジネスモデルの小ささは日本ではあるが、海外には投資銀行という形であるビジネスモデルでもある。このタイプのビジネスモデルが出来ないのかという判定は誰も口をつぐんでいたのが事実ではないだろうか。前にも書いたように、日本の市場の問題は個人投資家の極めて強い安定化志向という。但し、それは資本家の資本形成を抑えて、広く薄くみなが有効な消費性向を持つように仕向け、それが工業や商業に有効に回った事実と考える。元々この銀行の設立目的自体が「新たな銀行のビジネスモデルの創出」ということではなかったのか。それを未来永劫確実なものとしてほとんどの一般人は認識していたのでないだろうか。少なくとも日本の銀行法の元では。パラダイムかについては、図らずしもかれの指摘は的を得ている。但し本当にパラダイムだったのだがその解析をするのがエコノミストの責務と思う。それを彼は彼なりの視点で以下に語ってはいる。
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「ミドルリスク・ミドルリターン」は空想の産物
 なぜ、ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデルが困難であるか。それは、貸出利率を見ただけでもわかるだろう。新銀行東京は10〜15%という利息制限法の上限で貸している。言い換えれば、消費者金融並みの利率で貸し出しているのである。
 しかし、そんな金利で事業資金を借りて、一般的な中小企業の事業がまわるはずがない。これは、金融の専門家でなくても、一般常識として当然のことだろう。
 身の回りにある中小企業を思い浮かべてほしい。そば屋、パン屋、自動車整備工場といった事業所が、15%の金利を払えるはずがないことくらい、冷静に考えたら誰だってわかる。
 現に、新銀行東京の貸出先のうち、2345件もが経営破綻しているという。経営破綻した理由は、けっして融資の量が足りなかったからではない。金利10〜15%で資金を借りようとしている企業というのは、経営が追い詰められて、にっちもさっちもいかなくなったところがほとんどなのである。
 まともな事業計画を立てて事業をする余裕もなく、ただ目先の運転資金が足りないから、藁をもつかむ思いで金を借りたのだろう。

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ここで、一つ考えなければならないのはビジネスモデルによって、消費者金融並みの利率で貸し出しているものでも成り立つものがある事。商事・サービス・飲食業のイノベーティブ性評価には早期投入・早期回収のタイプの立案能力がある。この場合、経営者が立案する投資額と借用額の圧縮・効果的投入・早期回収・迅速返却というスキームが決め手になる。こちらは中小企業診断士がこの職務で生かせる。一方、工業・農業のスキームでは借用する額の見極めに縮小を加えることは事業縮小とかなり意味が近いことが多く、むしろ業態の拡大・借用手法の多角化・技術の可能性の見極めをする・・・というまたちがう方向性を持つことに成る。後者の場合、とくに返済の額は設定されても収入・投資の回転速度を上げることがなかなか難しい。となると、これを融資先に指導するのも、融資の審判にも経営実務の専門家や技術経営の専門家になる。
私が考えるのは、このような内部の状況を判断する材料や資源を、銀行にも、融資先も活用するという考え方が乏しいということ。確かに、企業を起こす人は、多少でも全部抱え込む気がないと勤まらないのも事実で、コンサル自体を排除するところもあるし、それでこそ起業家・経営者というところがあるが、われこそ全知全霊と考えて仕舞いがちなのをいさめることも必要。
国内でも、コンサルが、海外の投資銀行から、このような技術力監査・経理監査ということをピンポイントに依頼されることは、じつは多いらしい。融資先の精密な調査である。(但し、これは内部統制とは少し意味合いが違う。あちら株主への開示。こちらは新規投資の全置調査)
だから、私は「経営が追い詰められて、にっちもさっちもいかなくなったところがほとんど」という判断は、語弊があると思う。ビジネスプランがどう構築されてるかのところではねつけるところを見極める必要があるのに、その資質も能力もなかったということ。更に、貸出し額で担当者や銀行の業務評価をしたところに、ビジネスモデルではなくロードマップの成り立ちに問題があったのではないかという反省がでてくる。しかも公的融資機関と銀行の違いを理解していなかった経営幹部もいたような。ここは後段の「ずさん」という意味である。
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 もちろん、新銀行東京の経営がずさんだったことは否定できない。しかし、公的機関だったことによる経営の不効率がその要因だったのでは、けっしてないとわたしは考えている。ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデル自体に問題があったのだ。
 じつは、ミドルリスク・ミドルリターンを言い出した張本人の一人が、小泉内閣のもとで金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム(竹中チーム)のメンバーを務めた木村剛氏であった。
 彼は、銀行の貸し渋りが諸悪の根源であるとして、まさに新銀行東京と同じビジネスモデルのもと、純粋に民間資本によって日本振興銀行を立ち上げた。
 では、その銀行は今どうなっているのか。この銀行は民間であるがゆえに、公的機関による経営の不効率というものとは縁がない。にもかかわらず、今期の中間決算は5億円の赤字であり、これまで何度も赤字を出し続けてきた。
 民間企業で、しかも金融のプロ中のプロである木村氏がかかわってさえ、うまくまわらないのである。ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデル自体が、そもそも空想の産物だったという立派な証拠である。

---------中断
日本振興銀行は確かにおなじことを考えた銀行である。こことの比較は私はかなり前からしていたのだが、極めて特徴的なのは固定投資額を極めて圧縮しているところに有る。(ネット銀行と同じ、新しい業態の銀行だが、貸金業者と間違えられるみたい・・・)確かに、短期的な資金回収は失敗してるようであるが、ここは実績をつむという持久戦の手法にすでに姿勢を変えているところは注意したほうがいい。また、既存銀行の貸し渋りが融資方向の変化で少なくなる方向性が出たのも読み違えであろう。ちょっと面白いのは、主義主張が真っ向からことなる木村剛氏の力を、森永氏は理性的にちゃんと評価しているところである。(木村氏は今は会長に退いている)私は、「ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデル自体が、そもそも空想の産物」とは一つも考えない。しかしその市場がニッチで、極めて限られた査定能力をもつこと。これは既存の銀行のスキームを転用することを前提にすることから頭が抜け出ない以上難しい。
日本振興銀行は一般顧客に対し無理な拡張に走っていないし、その志向をしない。新銀行東京は評価基準をあくまで一般銀行の指標にこだわりすぎた。フレキシブルな指標つくりができなかったといえないか。銀行と言う名前をつけないわけに行かない(銀行法上の)事情があろうが、ほんとうは別の名前をつけるべきだったのだろう。
---------再開
残された道は「安楽死」か「普通の銀行への転換」の二つ
 日本の銀行による不動産担保融資に対して、批判する人は多い。しかし、考えてみれば、これは世界最強のビジネスモデルでもある。
 というのも、銀行業というのは預金を預金者から預かり、元本保証で返さなくてはならない商売だからである。そうした事業をしている限り、資金運用において高いリスクをとってはならない。リスクが悪いほうにでたら、元本保証で預金を返せないからだ。
 そもそも、リスクの高い、いわばイチかバチかの資金というのは、銀行のような間接金融が担うべきものではなく、株式や債券の取引のような直接金融が担うべきものである。
 銀行の預金者にしても、そんなイチかバチかの勝負は期待していないだろう。そこをはき違えて、まったくパイのないところに、まるでユートピアがあると信じ込んで突っ込んでいったのは、石原都知事の責任でもあるし、メディアの責任でもあるとわたしは思う。
 なにしろ、当時のメディアは、ミドルリスク・ミドルリターンをとる新銀行東京の登場に拍手喝采し、あたかも中小企業の救世主のように賛美していたのである。それが、ここに来て、手のひらを返すように、東京都や石原知事を袋叩きにしているのはいかがなものか。メディアも同罪なのであり、まったく反省がないとしかいいようがない。

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「日本の銀行による不動産担保融資に対して、批判する人は多い。しかし、考えてみれば、これは世界最強のビジネスモデルでもある。」
但しこれは、海外の銀行にしてみたら、経営的に全く利得のない金融システムで、なぜこれが成り立つのかが不思議とまで言われている。高々保全施設ぐらいとまで言う意見もあったらしい。簡単に世界最強と言う言葉を使うべきではない。これは、「預金を預金者から預かり、元本保証で返さなくてはならない商売だからである。そうした事業をしている限り、資金運用において高いリスクをとってはならない。」「銀行の預金者にしても、そんなイチかバチかの勝負は期待していないだろう。」というところを保証してるわけでないのが貯蓄銀行でない海外の銀行業務でもあるからともいえる。日本の銀行は貯蓄銀行でない(除く、ゆうちょ銀行)のだが、その実、貯蓄銀行の要素が極めて強いという特性があることを考えるなら理解できるし、そこまで比較するとこの話は成り立つと思う。
しかも、日本の国情では「株式や債券の取引のような直接金融」に関しても、貯蓄性をもたさないといけないという市場要求が強い。鉄板株ということを言う人が多いのも日本特有と聞く。ないしは、「株式や債券の取引のような直接金融」自体の忌避さえある。逆に言うとこれだから、「ミドルリスク・ミドルリターン」とて日本ではすでにハイリスク・ハイリターンと見なしてるのではなかろうか。
これの払拭は「日本振興銀行」のスキームが一般的ビジネスのスタイルの一つとして認知される際に時間・教育・志向を変えてもらわないといけないのではないか。日本のスキームの中で一部を維持しながら急速な変革を意図してしまい、ちぐはぐな状態で、かつ誰しもついていけないと言うところに短期的目標を設定してしまったという反省が思い当たる。
ただし後段の意見は「森永さん、マスコミ商売かつ銀行のシンクタンクOBとして言い切りましたね」と感心している。
銀行が赤字企業に融資するとき、資本的担保は確保する。最近は銀行傘下の経営コンサルタントを派遣して、経営的付加価値をつけさせて滅却を防ぐ。これはそれなりに銀行の社会的責任という意味でも理解できる。この時、製造業でも、経営コンサルを派遣するようであるが、バランスシートの検討に傾斜するので、融資の回収をということがどうしてもメインになってしまうともいえる。更に経営トップへの過度の業務集中によるパワーの増加で人的資源の破綻があり、最近では後継者伝承・事業継承の障害になっている。このあたりのスキームの見直しが本当は必要だが、経営者の資質と反する場合もある。本当に懇意な懐刀が居ればいいのだがねえ・・・。すこし考えていきたい。
---------再開
 さて、今回追加出資する400億円であるが、これは現に新銀行東京に資金を借りている企業がある以上、やむを得ない措置なのかもしれない。確かに、いきなり新銀行東京を潰してしまうと、借り手は闇金に走るしかなく、バタバタと倒産が続出することが予想される。
 ただ、追加出資を機に審査システムを改善するくらいで、新銀行東京が復活するかといえば、それは絶望的である。繰り返すが、ミドルリスク・ミドルリターンというマーケットがほとんど存在しないのだから、どうしようもない。
 残された道は二つである。一つは、新銀行東京を安楽死させる方法。もう一つは、一般の銀行に衣替えさせる方法である。現に、貸出先の比重は中小企業から大企業に移りつつあるので、それをさらに推し進めていくわけである。つまり、優良な企業に低利で貸し出す、ローリスク・ローリターンに方針転換するのだ。
 逆に言えば、「新銀行東京は、けっして中小企業の味方ではありません。今後は金をかせぐための普通の銀行に変えていきます」と宣言をしない限り、400億円はまた無駄になるだろう。
 400億円という金は、国のレベルで見ればたいしたことはないかもしれないが、当初の1000億円と合わせると1400億円に達する。これは、1280万人の東京都民1人あたり、1万円以上の税金を使った計算になる。
 それがいいことに使われるならまだしも、いったいどこに消えてしまったのか。おそらく、破綻した2345社のなかには、借りる前から自分でもダメだと思っていた人も多かっただろう。そうした「目先の金」に貴重な税金がつぎ込まれてしまったのである。
 400億円の追加出資はどうやら決まりのようだが、野党のみならず与党も、10〜15%で貸し出してきた意味を厳しく問いただすべきだろう。そんな利率で一般の中小企業が金をまわすことなど不可能であることくらい、都議会議員ならわかっていると思うのだが。

--------終了
かなり現実的プランを示していると思う。「ミドルリスク・ミドルリターンというマーケットがほとんど存在しない」とは私は考えず、マーケットを育成するところから始めれば小さい銀行2つを成り立たせる市場と思う。それよりも時間・資金を確保すること自体が難しい。すでに「銀行」という概念を外すことからはじめる以上、多分20年は掛かると思っている。(これは経営陣の交代が一巡するということを言っている。従って経営環境の変化が激しいが、短くするのはM&Aで経営陣交代しかなさそうである)
更に優良な企業に低利で貸し出す、ローリスク・ローリターンに方針転換する事自体がすでに民業圧迫(・・・って元々民間だろ・・・といってもそのような視点は経緯上なかろう)ということも出たらもう手はないと思う。
とはいえ、「新銀行東京は、けっして中小企業の味方ではありません。今後は金をかせぐための普通の銀行に変えていきます」といった段階で私は、即廃業する状況にあると思っている。では400億円はどう使うのか。
私は、リテール業務メインの銀行に吸収してもらうための持参金と見ている。これは幸か不幸か頑強な金融システムなどの過剰投資を流用できると考えるといくらかの市場価値はある・・というか「高価なおまけ」をつけてしまうということ。結果的にはこのようなインセンティブをつける方向をとるしかないのではないか。
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最後に。
『野党のみならず与党も、10〜15%で貸し出してきた意味を厳しく問いただすべきだろう。そんな利率で一般の中小企業が金をまわすことなど不可能であることくらい、都議会議員ならわかっていると思うのだが』
いやわかっていなかったと思う。そもそもほかに振興策があったのかというと、全くだれも思いつかなかったのが証左であろう。アナリストが、人間各々の知識の限界量を実態以上に多く査定しているというところに、大衆の知性を比較的把握している彼とて陥っている気がする。

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コメント

いつもご活躍で、感心しきりです。拙ブログへもたまには顔を見せてください。

投稿: つき指の読書日記 | 2008年5月 8日 (木曜日) 22時41分

つき指の読書日記さま>
なかなか濃い内容ですね。よろしくお願いします。

投稿: デハボ1000 | 2008年5月 8日 (木曜日) 22時54分

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