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アイデンティティーのあまりにもの不確かさ

KYもここまで来ると哲学的になる。粗忽物である私が言うんだから間違いない。
---------引用
http://kamigatarakugo-and-art.at.webry.info/200803/article_6.html
立川談志『主観長屋』
昨日(2008/3/9)、NHKのハイビジョン放送で立川談志の特集が10時間にわたって放映された。(中略)
『主観長屋』とは『粗忽長屋』を談志が演じるときにあえて言う言い方。粗忽などということでは計りきれない強すぎる主観を持つ人がおこす騒動ととらえたもの。談志の主張はもっともであるが、聴き手としては、また別の意味を見いだした。それは、
常識と非常識の戦い。

死体を預かっている男が常識側代表。
八五郎が非常識側代表。
熊五郎はその中間。

非常識もその細部だけみればうなずけるところがあり、それを積み上げれば相手を納得させることもできる。
ただ、問題なのは非常識側の人間は自分ではそれが常識だと思っている。つまり、悪意はまったくない。ある種の宗教に入り込んでしまった人を見ればわかる。と、そんなことを思ってしまいました。
解説の立川志の輔がうまいことを言っていた。「粗忽と言うとわかりにくいが、いまでいうならKYですか」(後略)
-----------終了
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ウチにはハイビジョンが見る装置も無いので(爆)放送自体は知っていたのだが見なかった。わりとこの噺は、寄席で聞くのだが、なにぶんにも立川流の場合は席亭に出ることが少なく、この演出は知らなかった。

http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2004/10/post_14.html粗忽長屋(中略)
<主観長屋?>
アイデンティティーの不確かさを見事についた鮮やかなオチです。現(当代・7代目)立川談志は、主人公の思い込みの原因は「あまりにも強すぎる『主観』にある」という解釈で、「主観長屋」の題で演じますが、この場合の「主人公」は八五郎の方で、一旦こうと思い込んだが最後、刀が降ろうが槍が降ろうがお構いなし。1+1は3といったら3なのです。
対照的に相棒の熊は、自我がほぼ完璧に喪失していて、その現れがオチの言葉です。
どちらも誇張されていますが、人間の両極を象徴しています。
四代目柳家小さんは、「死んでいるオレは・・・・」と言ってはならないという教訓を残していますが、なるほど、この兄ィは、自分の生死さえ上の空なのですから当然でしょう。
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参考・・こちら
こちら
「不確かさ」:「測定の結果に附随した、合理的に測定量に結び付けられ得る値のばらつきを特徴づけるパラメータ」すなわち、「誤差」が「真の値」からの測定値のずれを示すものであるのに対し、「不確かさ」は、測定値からどの程度のばらつきの範囲内に「真の値」があるかを示すものである。そもそも「誤差」を定量的に表現するのは不可能であるので(「真の値」を測定しようとすれば必ず誤差が生じるため)、確率的に表現することで定量化しようとしたのが「不確かさ」である。「様々な不確かさの成分」には、計測者が知り得る限りのあらゆる成分を入れる必要がある。不確かさの質は、計測者の計測対象に関する知識や、計測に対する誠実さに左右されることになる。
不確かさには、以下のようなものがある。
標準不確かさ(standard uncertainty) : 不確かさを標準偏差の幅として表したもの
合成標準不確かさ(combined standard uncertainty) : 複数の不確かさの成分がある場合、これらを二乗和として合成したもの
拡張不確かさ(expanded uncertainty) : 測定結果の大部分(例えば95%)が含まれると期待される区間
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不確かさ」という概念自体計測技術とトレーサビリティに関係します。昔はそこまで議論されなかったのですが、寸法を最新鋭の機材で測定することによると「さっき計ったところが今度計ると結果が違う」ということが、モノつくりの精度をどう考えるかということにつながりました。となるとこのような精密測定が議論されてきたところで機材がそろった、1990年代に入ってから利用されるようになった概念です。計測データの信頼性を表すための尺度であります。
それまでにも、「誤差」や「精度」といった概念が計測の信頼性を表すために用いられてきました。しかし、この考え方はそれまで国の統計的な環境もあり、更に技術分野や国によってこれらの使われ方がばらばらということになって、国際商取引に問題が出てきました。そこで、国際度量衡委員会が音頭を取り、計測データの信頼性を評価・表現する方法の統一に向けた取り組みが行われました。結果、1993年に、計測に関わる主要な7国際機関からの共同出版の形で"Guide to the Expression of Uncertainty in Measurement(計測における不確かさの表現ガイド)通称:GUM(ガム)"が世に出ました。
上にあるように、あるものを測定するために「真の値」を一生懸命探すというものですが、だいたい「真の値」を測定しようとすれば必ず誤差が生じるため出てこないのですね。そこを明確にしてゾーンの中で確率的に「真の値」の存在指標を表現することで定量化を出来る限りしましょうということになります。
いまや不確かさは、計測データの信頼性が重要な意味をもつ様々な技術的、学術的文書の中で利用されます。この場合、例えばISO 9000(品質システム)、ISO 17025(校正・試験機関の能力に対する一般的要求事項)などの規格では評価が必須のものとして要求されてます。というのは計測者の計測対象に関する知識や、計測に対する誠実さに依存するところがあるんで、そこまでがちがちに固めなければ学術上の「トレーサビリティー」が取れないんです。
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となると、『不確かさ』が、『計測者の計測対象に関する知識や、計測に対する誠実』というところにまで依存しているということが、意外とかんけいするのが国際的購買などにあるといえるわけである。そうすると例えば「ギョーザに毒が入った」というところでも定量的議論で持ってくることはできるけれども、システム的議論をすると齟齬が出てくるのですね。更に中国でも国内向けの「トレーサビリティー」と海外(特に日本)向けの「トレーサビリティー」の概念を使い分けしてるというのもあるようですが、そういう付け焼刃的志向の変化が使い分けられるのかは微妙です。
混乱してるって???。はい。流通と計測とはまた違った意味合いで「トレーサビリティー」という用語が用いられます。(参考:こちら)けど、根源には非常に近い概念だということはいえると思います。同じ概念でも情報伝達に対して異なりが生じていくことに関する誤差を考えるなら、計測の「トレーサビリティー」に近いのかもしれませんし、物品の受け渡しに関する品質保証になるなら、物流の「トレーサビリティー」に近い概念。じつはいずれも「真の値」をどのように伝承していくということでは同じかもしれない。
なお、このほかに2つのトレーサビリティの違いは、伝達する物理量の記録が、「その物」自身に内在するか、それとも外在するかの違いで、計測は内在するケース、物流は外在するケースという言い方も出来る。 物理量は、「その物」にとって第3者が観測出来うる数値という点で、2つのトレーサビリティで共通する概念である。観測方法の違いや故意のデータ改ざんなどの種々の外的理由により、観測結果が時と場合により食い違う恐れがあることがこの議論の潜在的弱点である。
内在的なトレーサビリティの場合、データの修正は容易ではないことが、アキレス腱である。 反対に物理量の記録が外在する場合、「その物」とその記録が常に適正にリンクしていることがとくに外在的トレーサビリティにとって最重要課題で、弱点でもある。
さて、社会事象には「真の値」があるんかも知れないが、物理量の外見を纏っている場合でもあぶなっかしいのに、一般事象では中身をきっちり定量化することが困難なことが普通です。最近の話題ですと、非常に憂慮すべきことがあります。
-----引用
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080316-00000007-yom-int
 「群衆に装甲車突入」…ラサ住民 3月16日3時37分配信 読売新聞
 中国政府は暴動が発生したチベット自治区入りを事実上制限しており、暴動の詳細は明らかでない。ラサ在住者に電話して聞いた。
 チベット族男性によると、ラサ中心部では15日現在、周辺を公安や武装警察などが封鎖。公安の車両が巡回し、交差点などには銃を持った武装警察官が立っており、外出できない状況という。また、日本人男性によると、ジョカン寺(大昭寺)周辺の八角街にはバリケードが築かれ、周囲を封鎖。14日よりも封鎖区域は拡大された。
 チベット族男性によると、14日の暴動のきっかけとなったのは、当局の警備車両が群衆の中に突っ込んだことだったという。
 男性の同僚は同日午後3時ごろ、大昭寺の西にある金谷ホテル(う・・中禅寺湖のわきのと関係あるのかな(爆))近くに展開していた装甲車4台のうち、緑色の1台が群衆に突っ込み、市民が次々に倒れるのを目撃。軍のトラックが倒れていた100人以上を収容して、どこかへ搬送して行った。この後、怒ったチベット族たちが漢族の店などに焼き打ちをかける騒ぎに発展したという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080319-00000069-mai-cn
<チベット暴動>国外勢力が関与?3月19日18時29分配信 毎日新聞
 【北京・大谷麻由美】中国チベット自治区ラサの暴動について、中国の国会にあたる全国人民代表大会のラディ常務副委員長(チベット族)は19日、新華社通信に「国外からチベットに入ったグループが暴動を起こした」との見解を明らかにした。中国共産党機関紙「人民日報」(海外版)も18日、亡命チベット人組織「チベット青年会議」など独立急進派の関与を示唆した。
 人民日報は「ダライ集団が画策、組織したラサの暴力事件」と題した記事の中で「青年会議が北京五輪を標的に中国内外で、さまざまな過激な活動を展開するよう呼びかけた」と指摘。他の独立急進派と連携し、5月に予定されている同自治区チョモランマ(エベレスト)での五輪聖火リレー登頂計画を阻止しようとしたと述べた。
 さらにチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の「一派」が「青年会議などの暴力活動を公に支持した」と断定。さらに「一派」が新疆ウイグル自治区からの独立を綱領に掲げる組織「東トルキスタン・イスラム運動」と「連携を深め、チベットでテロ活動を計画した」とした。
-------------------終了
これなんか、ある意味で詭弁といえるんですが、もう一つ、事象を「チベット族がアイデンティティーを持つこと」から見ることと、「漢民族が国力を増強すること」のどっちが喧伝する事項かということで報道以前に基礎資料がからっきし替わる。当然プロパガンダ的性質はあるということはまずおいて置いて、事象の「真の値」が何かを見ながら進め、できるだけそれに「近づく」行動をしないといけないんですよね。例えば、仏教徒と言う意味で日本人は見ることになりましょうが、それによる「真の値」と、漢民族が理解しようとする「真の値」、更に国策が作り出す「真の値」(=プロパガンダor劇場社会)、すべて同一に出来るか。これはいやらしい話です。そしてこれらの、乱立する「真の値」は、かなりの部分、『不確かさの質は、計測者の計測対象に関する知識や、計測に対する誠実さに左右されることになる。』そのものという気がします。更にこれは各々の主観が強い立脚点ですから、それこそ主観の強い人が事象を「真の値」を構築すると、非常にバランスの悪い「真の値」が出来上がるでしょうね。またもしこの主観が強い人間が他人に意見を強く勧め、強要し、それに同調しないものを空気が読めない(=KY)と言い出し排斥することはある。状況が状況とはいえ大政翼賛会というのはまさにそうでしょう。
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落語のように、空気を読むことの巧拙が演者の必須条件であるのが普通である演芸というものに、このような空気とか主観のような帰属性の多いものを当代の立川談志が入れてるのはある意味、演ずるモノが「」ではなく「芸術」という彼の「主観的見解」によるものとはいえます。談志の主観ではあるのでしょうね。けど常にその認識をしなければならないというメッセージをこの「寓話」に取り込んだとしたら恐ろしいことを当代の立川談志は込めているのです。

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