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人の傲慢さも感じたりする(4/5)

(承前)
私の仕事のように「レッスンプロ」のような仕事ですと、非常に大切な問題になるのです。もすこしフレンドリーな話にしましょう。例えば高座での振舞いですとこうなります。

・・・(栃木県北部の落語会での話)・・・このあと、春風亭小朝師匠が、林家きくお(注:先代)(湯屋番)をはさんで二題演じました。
●『片棒』から派生したと思われる、からおけのお葬式の噺。
●『うどんや』を思わせる酔っ払いのお客と赤提灯の居酒屋の主とのやりとりの噺。
大笑い。小朝師匠は、赤子の手をひねるが如く、お客を笑わしておりました。まくらにスプーンを持った医者という話をしましたが、 「いつさじを投げるんだろうな」と思いながら聞いてましたら、 カレーライスを食べたり、視力を測ったり、のどを見たり、なかなか投げませんでした。 これで今夜のお客さんのレベルを推し量るんだそうで、「今夜はこのくらいで笑ってくれるんだな」ということでした。

確かにお客さんのレベルで落ちを替える。TVと違った受けの問題があります。勿論、このように持ってくる場合もあります。5代目立川談志だと、「演者が目一杯やっているのだから、それに応じた姿勢を客にも求める」という方法をとる人もいますが、これはお客を取り込むことを芸とするか、演じきることを芸とするかの目的意識のちがいでしょう。
私自身の話をしましょう。
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胃痛のため医者に掛かる事になり、始めの問診による診断は、胃酸過多という判断であった。ところが途中から内臓脂肪過多に伴い、胃酸の分泌がおかしくなっていることになった。・・・・と言う話を、知人の医療関係者に言ったら「そもそも、素人の貴方が予断をもって医師に指示すること自体、医師にかかる資格が無いのだと思う」とコテンパン、ひどいいわれようである。
これ、確かにそうなんですよね。ところが、よく考えると、この問診の聞き方にもより様子を聞くことと、医師はそれによって患者の意識を導くこと自体が必要ということもあります。患者さんが聞くように仕向けるというのもノウハウですし、一般的な臨床業務の医師の仕事であると思います。そこで、執刀などの技術に特化して行くのも医者。 丁度この姿勢は技術コンサルタントにも言えることなんですよね。私の仕事もある意味お客さんに技術の指導の仕事をするんですから同じような場面に遭遇することは多くあります。 で、あまりにもステレオタイプですが、それを知った上で人と向かい合う仕事で見てみましょう。
落語家さんを(1)小朝師匠タイプ   (2)談志師匠タイプと分けてみましょう。実際は同じ人が使い分けしますが。

漫談家も分類すると(1)桜塚やっくんタイプ   (2)鳥居みゆきタイプといえそう。もちろん両方持ってるのも多いです。

医師ですと(1)臨床・問診の業務 (2)手術・高度施術など高度技術志向 というのも一つと思います。勿論地域医療などでは緊急手術などで両方をこなす技術を求められる場合も多いですし、更に研究分析を業務とする医師も多いですからこのほかの分類もあります。

それでは私のような技術コンサルタントの仕事ではどうでしょうか。(1)具体アドバイス・コンサルタントエンジニア業務   (2)業務受託・プロジェクト参加(勿論会社で勤務と言う場合も含め)と言う形で具体的実務遂行という形が考えるでしょう。このほかに啓蒙業務や法律などのすり合わせをする業務もかなりあるのでこれは一つの切片としてみて欲しいのですが。

弁護士さんもそういうのがあります。(1)具体案件対応による、弁護業務   (2)会社の社外取締役などに参画したり顧問等をして、事業での法務処理を援護する。(勿論他にもありますよね)

大学の先生だと、(1)具体教育指導業務   (2)研究業務と業界指導・・・そしてその他にも一杯仕事があるんですよね。


なかなかこの2つを乗り移りながら仕事をしなければならない場面は多いです。勿論教えることは、少なくとも知識の一端を相手に押し付ける要素を含まざるを得ませんね。そうなると押し付けた側の立場、押し付けられた側の立場を想定しなければ仕事自体が成立しないものと考えます。

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さて、話を大元に戻します。
実施例として擬似科学に対する考え方をどのように指導していくかという見方も、多分、(1)具体教育指導業務 (2)研究業務と業界指導というところで違うだろうとおもいます。
日本において疑似科学に対する、科学者の問題意識は2つの場面から起こったといわれるようです。
(1)飲用水浄化装置(整水器)にかんする厚生省の認証指導と、一部業者の過熱広報・・・効能についての知見に関して、確立される(どころかその前の技術的見解や科学的見解まで不確定)
・・・次亜塩素水の生成効果による殺菌や、電解による腸内異常発酵の停止などの効果は確認され効果を得られたのは後段で証明されているが、当時はこれに加え水のクラスター分離効果によるものという考え方がされていた。これは結果的には、時間パラメータ依存でもあり結果時には効果が薄いという結果が出たのであるが、認可した厚生省(当時)と、国民生活センターとの意見相違などの問題が出てしまった。

これは当事者として(---- 一時期この関係の開発をしていまして、公開特許は30件ぐらい出しています。----)実感しています。但し、このPATは結果的に疑似科学的な問題が出てくることで考えると、理系認識と文系認識の求めるものの違いと一緒に、State Of Artという技術中盤部の技術レベルの技術者倫理問題のひとつの切片の露呈であろうと、私は、「内部から見て」認識しているのですが。
(2)擬似科学と心理の問題・・オウム真理教における反省活動
オウム真理教の幹部にけっこう偏差値の高い大学の理系の出身者が多かった」というのがなぜかということが日本におけるトリガーです。これはじつは科学哲学という側面で結構いろんな人が語っていますし、菊池氏もそこを問題視されてることは、科学者として非常に強い信念を感じ、評価できる行動とはおもっています。
たとえば「霊感商法」事件はその前からも、そして今までに数限りなくありました。オカルト批判を行う主に理科系の人々は、「オカルト・疑似科学に騙されないよう科学・理科教育が大切」といいます。反科学や疑似科学の類に対し、真実を知るための科学知識獲得は必要なんですよね。しかし、それだけでこの問題は解決するのだろうかと言う解析はしておいたほうがいいかもしれない。
例えば、オウム問題を追及する江川紹子氏は、講演で「どんな人がカルトにハマりやすいか」という問題について触れているといいます。それによると、「学歴」「家庭環境」「宗教や不思議なものの好き嫌い」などは、いずれも原因として無関係ではないものの、決め手となるわけではない。むしろそうした点で、カルトから遠いと思われる人でもハマることはあり、そこにこそカルトの複雑さがあるとしている。(2001年「JapanSkeptics記念講演・シンポジウム」より)
つまり、「学歴」「家庭環境」「宗教や不思議なものの好き嫌い」は随伴的な関係は統計上認められるが、いくら高度な科学知識を身につけても、騙される時は騙されるということ。カルトとオカルト。字面が似てるというだけにあらず、本質も結構似てますが、これらに騙されないためには科学・理科知識を身につければいい、という論理が一面的なものでしかないということになるみたい。だからこそ、その前提である科学的思考手法を知って、マスターしていくことが大切なのは分かるし、日本の科学教育の弱み・・・(というより大学進学教育の弱みなのだとも・・・・)なのだが、それを受け付けにくい人間がいる事も事実であるし、科学的なもの・精神世界のものが混在して分離できない人もあろう。

よく嘲りの対象になる『綺麗な言葉を掛ければ水の結晶は綺麗な形になる』というのは科学的にはまさに嘲る対象にしかなりえないし、それ以前に水が日本語を解するかという抜本的錯誤があるはず。エスペラントで言えば通るとかいう事だっていえましょうね。(爆笑)・・・ということなのだが、立場を変えて精神世界の視点からみたら、ああ、あるなあという感覚・フイーリングに極めて近いのも分かる。私たちの職分としては、そういう人に出来るだけ科学の視点を持ってもらうことには尽くすべきであるとはいえよう。よしんば無力感を感じたとしても。
(続く)

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