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人の傲慢さも感じたりする(2/5)

(承前)
企業論理として、リスクと言う意味では、倖田來未さんがCM契約しているスポンサー各社が、自社のホームページから倖田の画像を削除するなどの対応をしているのは、それを基にして企業姿勢を問う顧客が少なくとも一人でも居る以上、ある意味ではやむをえないであろう。それを知って、少なくとも1社がそのままの姿勢を貫いているということ自体は、むしろ彼女の姿勢を見てるようで企業としては思い切った判断という気もするぐらい。勿論企業論理上判断が分かれることはやむをえないというか当然とも言える。但し国民のかなりの人は意外と冷静に対応してるとは思ってるのですがね。
彼女の考え方の思慮不足はあったとはいえ、感性依存で生きていた人間に、それ以外の科学の目から鋭い指摘が与えられたわけである。25年の生涯にはつらかったのだろうし、この人はほとんどの思考回路を感性依存で暮らしていたのであれば、その根拠を覆すことになったのだからショックでのどが・・・というのは分かる。人が、その足元を「液状化現象」でさらわれたらこうなるなあと思う。
ところで、彼女がなぜこの知識を得たのかということはよく考えていい。但し論理的な元で着たのではなく、聞いたことをそのまま感性の赴くままに取り込んでいるという人ですということを仮定して判断してみよう。
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彼女の謝罪は何度か行われており、バラエティーだと妹のmisatoがキャラクターもそのままに(苦笑)頑張ってるが・・・なんとなく謝罪をするしかないということで、反省に徹している。もしかすると迂闊な言動自体をしたくない以前に、立ち位置の見極めに苦労してそう。

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「羊水」発言の倖田來未、ファンクラブ会員へ謝罪文 3月8日7時44分配信 産経新聞
 ラジオ番組で「35歳を過ぎると羊水が腐る」と発言したことで批判の声が集まり、涙ながらに謝罪した人気歌手、倖田來未(25)が、公式ファンクラブ「倖田組」の会員向けに直筆の謝罪文を送付していたことがわかった。受け取ったファンのサイトなどには「一日も早い復帰を」「くぅちゃんの元気な姿が見たい」といった温かいコメントが寄せられた。
■謝罪全文は以下のとおり
この度は、私の軽率な発言でご不快になられた皆様や、また多大なるご迷惑、ご心配をおかけ致しました皆様に心からお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。
また倖田組の皆様の中には、今まで私が作品に込めていた想いと今日のことが矛盾していると思われた方もいらっしゃると思います。
今はただただ、深い後悔とお詫びの気持ちで一日一日を過ごしています。
頂いているお手紙やメールも一通一通大切に読ませて頂いています。
こんな私にも厳しくも温かいお言葉をかけてくださっている皆様に、本当に申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
自分の言動を見つめ直し、反省の気持ちと今回のことの大きな意味とをこれからも忘れることなく真摯に受け止めていきます。     
 倖田は、ニッポン放送のラジオ番組「オールナイトニッポン」での失言後、ニューアルバム「Kingdom」のプロモーション活動を自粛。出演番組が延期となったほか、出演CM「氷結」のオンエアも中止となるなど“完全自粛”状態が続いていた。緊急出演したフジテレビ系「スーパーニュース」では、「軽率だった」と謝罪している。
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さて、これをバックに考えてみたい。
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「キレイな体」という「ピュア信仰」 倖田「羊水腐る」発言の背景?[J-CASTニュース:2008年02月04日21時25分]
歌手の倖田來未さん(25)がラジオ番組で「羊水が腐る」などと発言、ラジオ局が謝罪するほか、倖田さんを起用していた化粧品会社がCM放送の予定を見合わせるなど、「騒動」が拡大している。倖田さんがこのような発言をしてしまった理由は何なのか?
(中略)
「倖田さんはオカルトなどトンデモに興味のある方」
しかし、これほどまでに波紋を呼んだ「羊水腐る」発言は一体どこから出てきたのか?08年2月4日放送のテレビ朝日系番組「スーパーモーニング」のなかでコラムニストの唐沢俊一氏は、
「倖田さんは、非常に色々な精神関係、オカルトなどトンデモに興味のある方なんですよね。裏にはミュージシャンに広がっている『ピュア信仰』というのか、自分がキレイなままで、若く美しい、けがれのないままで、みたいな信仰がすごくあって、キレイな体とかいった(倖田さんの)発言につながったのかな
と指摘している。
この「騒動」前に収録され、2008年2月3日に放送されたフジテレビ系「新堂本兄弟」に白のワンピース姿で出演した倖田來未さんは、この日の服装について聞かれ「ちょっとピュア系で」と述べ、冒頭から「ピュア系乙女作戦」の話題に。収録中は「歯が砕ける夢を見ることが多い」と告白し、心理学専門の富田隆・駒沢女子大学教授に「『自分の女性としての魅力がなくなる』そんなのは絶対に認めない夢」と診断されると、倖田さんは「ある!」と大きな声で同意。その後も、自身のスタイルについて「日に日にあらっ?重力に負けてんちゃうの?」と評している。
「ピュアでいたい」気持ちが、「35歳まわると、お母さんの羊水が腐ってくる」といった発言につながったとしても、多くの女性たちの反感を買ってしまったことには変わりないが・・・
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なるほど、トンデモに興味があるという考え方ですか。唐沢氏が疑似科学に対することについて鋭敏な視点を持つ論客ということは、むしろ割り引いたほうがいいかもしれないですが、それはともかくとしましょう。
私の読みはニュアンスが少し違ってまして、『ピュア信仰』が先にあって、そもそもトンデモという概念自体がなかったのではないでしょうか。創作を旨とすることに心血を注ぐ人の場合、科学のベースで生活していたとしても、それについては自分の判断能力が無いことを分かってるからこそ判断せず、無条件で受け入れるという判断能力の査定はしていたのだと思います。大体、愛・恋・感情移入・憎しみ・恨み・・・・というものに対して科学的論理構成というものは意味を成さないという思考形式の人は居るんではないでしょうか。極論をかましますと、愛憎で人を殺すという行為に確かに論理的確実性は無いどころか、論理的思考が破綻して起きてる場合が多いはずなのに、結構生じてますよね。それとおなじではないですか。私はそんなことは出来ませんが。(きっぱり)
そこでトンデモというものに対する排除意識を持ち、おかしなものであることを認知する想像力自体を各人に一義的に持てということ自体が、人間の本性の差異を一義的に見ていて、かなり傲慢であると私は考えるのです。勿論、ニセ科学が「正確な」科学の認識とは一線を画し、科学を装った信仰・科学の衣を纏った精神主義ということが非常に多いことは、私は理解しますし、後段で議論しますがこれが真剣に議論されてる側面を考えて生きたいと思うのですが、その典拠を本質的に理解させようとすればするにはかなり距離があるような気がします。
天動説が基本だったときには地動説は疑似科学になっていた。
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倖田來未舌禍事件または想像力の欠如について― posted by きくち at2008/2/3 12:53
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1201967626
カテゴリー » ニセ科学
自分の耳で聴いたわけじゃないんですけど(ネットに落ちてるのでしょうが)、世間で大きな話題になっているとおり、くうちゃんが「35歳になるとお母さんの羊水が腐ってくる」とラジオで発言して、その件について謝罪してました。 
この子は羊水がずっと(妊娠してなくても)お腹に溜まってると思ってたんですかね、という突っ込みはさておき、この話題をとりあげるのは、「想像力」の話がしたいからです。自分は35までまだまだあるから、自分が35になることが想像できていないのはしかたない。しかし、自分のファンには35以上の人もいるだろうに、その人たちが発言をどう捉えるかが想像できていない。ファンじゃない人のことはそもそも想像の範囲にないのかもしれないけど、世間には35以上の女性がたくさんいることが想像できていない。
まあ、ちょっとした想像力があれば、ラジオでできる発言ではないですよね。 
で、想像力が足りないからこそ、「水からの伝言」を肯定できるのだろうなあと思うわけです。「水からの伝言」は健全な想像力の産物ではなくて、強いて言えば妄想力の産物だろうと考えるのですが、どうでしょう。少なくとも、ちょっとした想像力があれば「水からの伝言」を持ち上げることがなぜまずいか(科学的知識と関係なく)、わかるんじゃないかな。あれを「いい話」と思いこんでしまうのは、想像力が足りないせいだと考えるのですが、いかがでしょう。
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菊池誠先生はたしかに科学者として、力もあるし、論理的展開も出来る人だということは、今までの言論からも理解してるし、また専門分野についても分かる気がする。もちろん、氏の記載を見ると彼女に対する、同情もみてとれるのはよーくわかるのです。(「くうちゃん」という表現は、菊池氏のあるいみ環境の不遇への同情・愛情を含んだ同情の表れに読めました)但し、
「少なくとも、ちょっとした想像力があれば「水からの伝言」を持ち上げることがなぜまずいか、わかるんじゃないかな。」
というのは、わかる人が見た一方的視点ではないんでしょうか。科学的知識の有無は議論しないとして、ちょっとした想像力が感情的信念に走ることが「ショートカット」されている日ごろの当人の行動原理の中で、エセ科学というものの存在が想起することが出来ない人物が居ることはままあることだと思うのです。論理が論理として、科学的思考が科学的思考として通らない事項は、世間の会話を見ていてもそこらに一杯あります。また、それに翻弄されるということは一杯ありますし、時にわざと科学的思考を外して行動し、感覚的に動く人の共感と同意を得る活動をするものはアジテーターや催眠商法などでよーくあることです。
達観している人は、迷える子羊になりきれない。だからこそ事が厄介なんだと思うのです。ええ、技術や科学に関わる人にそういう人が多いです。だから突如として科学者が、独自の、かつ共感を得にくい感情的信念に基き、論理的思考を外したりするのが出てくると、戸惑ってしまうのではとも思っています。
(続く)

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