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人の傲慢さも感じたりする(5/5)

(承前)
最近ある本屋さんでなんかの販売促進用のテープを流していたが、この「水からの伝言」の話を流していて「あらあ」とおもった。但し、ストーリーを心掛けの話に持って入ったので、実害はないかなあと私は思っているが。大方の違いの分かる科学者は現象の切片で罵倒するであろう。
但し、その厳密性を追求する程度を調整することをして置かないと、かえって厄介なものというもの認識になってしまう。となると更に遡って「健全な懐疑主義はむしろ今の社会を生きていくために必要なスキル」ということ、じつはこれ自体が必要なのではないか、そしてそのツールとして科学の知識・科学推論の手法・人文的知識・人文的論証・心理学などの境界領域ところが心理学や心理分析自体をすでに疑似科学と定義する事例さえあるのですが)を位置つける。

物事が科学知識とその思考手法を押し付ける方向は一面的であろう。「科学的認識」の側からのアプローチはまずあるでしょうが、その依存性だけではなく、その何倍もやっかいな「価値意識」の側からの接近を、学術的だけでなく、日常的思考すらも視野に入れた取り組みを行うことが求められるのではないだろうか。例えばプラシーボ効果(偽薬効果:どんな治療であれ治療をしてもらったと患者が思うことで患者の症状がよくなること。)なんぞは経験的にしか説明できないことが多い(ごく包括的に、統計学的に有意と言うことは示されている)。現行医療でも経験的なところで偽薬投与は行われ、そのために薬事法に下記の記載がある。
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基本的に医師は薬剤の投与は出来るが、調剤業務は出来ない。しかし薬剤師法第19条の但し書きにより、医師・歯科医師は以下の要件を満たした場合に限り自己の処方箋により自ら調剤を行うことはできる。

1:(略)

2:暗示的効果を期待する場合において、処方せんを交付することがその目的の達成を妨げるおそれがある場合

3:処方せんを交付することが診療又は疾病の予後について患者に不安を与え、その疾病の治療を困難にするおそれがある場合 (後略)


となると例えば、宇宙船があるという議論でさえ、

●現行の技術や物理科学の蓄積においては、存在する可能性は乏しい。しかし、その理論構築によってはあるという可能性を否定できない。

となる。科学・人文系研究・精神世界論というところによって同じ現象をみても解析する手法は違うのですよね

「くーちゃん」は確かに、科学の知識・科学推論の手法は不足していたかもしれない。但し美的・芸術的創作物を作り、表現するというところ、また感覚的コミニュティーを作り出すというところには「概して」長じていた。(放送での表現自体は概して長じていても、一部の欠落はあることを示す)要するに個々の特性に依存するバランスなのであろう。

ところで、現代の社会は相互依存性により成り立っている。「安全・安心の社会」というのは相互依存性(多分に虚構性をもつところもあるのだが)である。他人の作ったものに対し、適度な判断で判断しなければならない。この段階で疑うことをしなければならないが、その根源を思いっきり原始的なところまですると、生活概念が破綻することがままある。

笑ゥせぇるすまん」に、食に対しあまりにも疑心暗鬼になり最後には、自分のアパートで牛や農作だとかをすることで社会生活が成り立たなくなる人を描いたのを見たことがあるが、まさに今がそういう時期である。ということはある程度のところまでは、社会性というところでベースが作られる。
となると、疑似科学という概念を、理系的思考から追っかけた場合と、文系的概念で追いかけた場合はかなり異なる見方をするのではないだろうか。そこでコンセンサスがとれるか。まずそこが大きな関門と考える。

だから、菊池氏の意見のなかには理系的思考で成り立たないことは存在しないという、明確な潔癖さがある。なにあろう私もそうである。しかし「くーちゃん」は違うトライアルをしているから、あの思考になってしまうし、ある意味ピュアなというものを心情的に抽出すると考え方の傾向がそうなることは理解していいかもおもう。(ピュアという概念の曖昧さ自体、彼女は理解しないであろうが、それが理解できないこと自体が理系的発想のある意味の限界である)。工業でも商品の販売計画に関わる人だと、このような感覚論を理解しないと、コンシューマーに対し取り込めない技術開発に陥るというのはまた悩ましいものである。(なにあろう、(1)の整水器の問題はこれが関わるところも多い)明確な潔癖さは明確な拒絶になる。「安心・安全の社会」は相互信頼の社会。相互信頼・相互依存を求めてるのに、それを確立うるには健全な「懐疑主義」を持つという、ある意味ひどいパラドックスが出来上がってることを、じつは私たちの周りの工学技術者は案外気が付かずに、「安心・安全の社会」とお題目の如くいってる。そういう人をあまりにも頻繁に目にする。

健全な懐疑主義はむしろ今の社会を生きていくために必要なスキル」というのは例えば筑波大学付属駒場高校での実践例がある。
http://www.sakura.cc.tsukuba.ac.jp/~komaba/ssh2/report/31d.htm

これなんかはなかなか面白い。文系の教諭を以って実施されているが、じつはSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の関連企画として実施したという記載がある。けど、これの習熟結果を試験などで問えるものではない。じつは私たちを潰していくには、ITで膨大な情報が増殖され、コンセンサスがもともとない現実・・・一種のバーチャルリアリティーの過度の傾斜があればいいのかもしれないな。

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どちらにせよ私たちのような工学・科学に関わるものにとって言わなければならないことは、必要充分条件として下記の項目に対し常に提言する活動をしなければならないと思います。地道に行う活動であることで、アナウンスで拡大する事でない行動を保つしか、(裏腹な話だが)説得力を持たないのも事実です。

○貴方の知っているその知識は、科学に準じた理論や実験結果に基いていますか。

○貴方の知ってるその事実は、どのような検討を行って出された結果なのかしっていますか。

○一度、本当にそれでいいのか、ないしはその結果によって金銭的・人身被害が生じたらどうするのか確認作業をして見ませんか。

○それを知ってかつ、貴方はこの考え方に賛同するものですか。

○それは、理論での裏付けなのか、感覚的素地にあるものか、心の中で貴方なりの判別が付いていますか。

○一度、本当にそれでいいのか、ないしはその考え方によって心理的な虚脱感などが生じたらどうするのか確認作業をして見ませんか。


ただし、全世界的にどうやら科学に対する存在のとてつもない大きさに煽られてしまうことは多いようです。『一酸化二水素』(DHMO)は有毒というパラドックスが良くあるこのごろ、擬似科学というものの存在を、負の意味で感じたりします

(PS)ただね・・・『一酸化二水素』のことあんまり笑えないんですよね。私、若いころ何の弾みか『二硫化硫黄』ということを言ってしまい、文系の人からド顰蹙を買った事もあります。

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