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ひたちなか海浜鉄道

以前http://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2007/12/post_2418.htmlで挙げた危惧ですが、ひたちなか市のほうはいい人材を得たようです。train
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茨城・3セク鉄道の公募社長に吉田さん(万葉線総務課)北日本新聞社2008年02月07日
 存廃問題に揺れ、経営者を全国公募していた茨城県ひたちなか市の第三セクター「ひたちなか海浜鉄道」の社長に6日、万葉線総務課次長、吉田千秋さん(43)が決まった。三セク化後、乗降客がV字回復を続けている万葉線の実務担当としての手腕が評価された。「万葉線を手本に、市民とともに鉄道再生を目指したい」と吉田さん。万葉線のノウハウがひたちなか市民の足を支える。
ひたちなか海浜鉄道は4月から、経営難で廃線の危機にあった茨城交通湊線を運行する。
湊鉄道対策協議会(会長・本間源基ひたちなか市長)が、能力と意欲を持つ人材を求めて社長職を年俸700万円で公募した。吉田さんは富山地鉄、加越能鉄道に勤務し、平成14年の万葉線三セク化を機に転籍。年間通学定期券の発行やビア電車、新酒電車などのイベントを次々に企画し、成功させてきた。
ひたちなか市の担当者が昨年、公共交通再生の成功例として万葉線を視察した際、吉田さんが説明を担当。県と高岡、射水両市のほか、地元企業や市民からの寄付で三セク新会社が設立され、市民団体「万葉線を愛する会」の支援を受けた経緯を熱っぽく語る吉田さんの姿が強い印象を与えた。
 吉田さんは「鉄道再生の役に立ちたい」と考えて社長に応募。名乗りを上げた58人の中から選ばれた。本間市長は「こちらでも地域と一緒に鉄道を再生し、利用者増をお願いしたい」と期待している。
 吉田さんは「全国で鉄道の廃線が続く中、再生の動きに転じたのが万葉線。そこで働いた経験を、海浜鉄道で生かしたい」と語る。万葉線の椎木辰雄専務は「(吉田さんは)優秀な戦力。正直、万葉線にとっては痛いが、大きく羽ばたいてほしい」とエールを送った。
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これは案外な人材ですね。まさか、第3セクター鉄道の経営の若手が出てくるとはおもいませんでしたわ。
社長と言う責任の重さを考えると、私はその給与レベルが低いことを非常に気にしていたのですが、現在の経験者が出てくるとは思いませんでした。しかも「富山地鉄加越能鉄道に勤務し、平成14年の万葉線三セク化を機に転籍」 と言う経歴から見て、かなりノウハウを積まれている様子ですね。

さて茨城県にはバス会社が経営危機にて突如倒産したという経緯があります。茨城観光自動車という土浦市のバス会社です。なんどか乗っていますが、茨城県は群小のバス会社が多いところでもあります。bus
2001年、茨城新聞1面トップに茨城観光自動車が経営危機と報じられた。末期は運輸省による経営改善指導により路線廃止に次ぐ廃止で、2000年12月の上郷線が廃止、2001年5月に土浦駅乗り入れ廃止までした。全線廃止前の竜ヶ崎ニュータウン線では社員が退職し、廃止期日まで運行ができなくなる事態になり、共同運行の関東鉄道が社員とバスを各営業所から掻き集めて運行を確保した。
会社幹部が姿をくらます事態に、労働組合が窓口になり陸運支局や茨城県庁や沿線市町村とも協議したが、肝心の県庁に担当部所がなく難航した。結果、ベッドタウンとして収益増だった牛久・竜ヶ崎ニュータウンなどのドル箱路線含みで既存の2社(関東鉄道・JRバス関東)に移管し路線権を放棄。廃業日までの1年間は労働組合による自主運営となり運行管理を行っていた。但し営業権を取得したところが社員の雇用を確保することが通例だが、各社とも規制緩和による分社化等で経営が苦しく煽りで茨城観光自動車の社員達は路頭に迷った。
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Wikiの記載をベースにして書いてみましたが、元々茨城観光と関東鉄道とは土浦・つくばで競合関係にあったバス会社でもあるため(そのため最後まで筑波バスセンターのすぐ脇を通るのにバスセンターには一切入らなかった)なかなか難しい問題があったようです。(牛久地域は単独営業ですが一部はJRバスとの競合がありました)
その後本件がきっかけで茨城県庁に担当窓口が設立され現在の茨城交通湊線存続問題に多大な影響を与えたということですが、茨城県はその前にも東武鉄道のバス部門の水戸・笠間地区撤退とかありまして、乗客逸走に苦労していたのもあるんですよね。日立電鉄の鉄道廃止と言う前にも路線網の削減などもあり、問題意識もあってもなかなか実態が伴わなかったところがあるのだろうと思います。このあたりの環境が、比較的県内の交通がまとまっていた富山地鉄、加越能鉄道の硬い地盤があった富山県とかなり異なるようです(但し1980年代にいくつかのバス会社が廃業しているから、全くご見識がないわけではなさそうだ)が、実務経験はとにかく強い。今後吉田さんの活躍を応援したいなあと思っています。
なお茨城観光も銚子電鉄を見習い私鉄総連の指導の下、新茨城観光バスという組合主導の新会社(いわゆる第二会社)を設立しようと動いたが、そもそも他社も経営が厳しく一部のエリア以外はパイが極端に縮小していたため、当時の運輸省等が調整し既存の2社に移管したという経緯があるようです。当時は予想もしない「免許事業の退場」ということですが、これ以降、公共交通の経営退場事例がうじゃうじゃ出てくるようになります。
もちろん銚子電鉄もこの直後にえらいことになってしまうのです。1990年1月に経営権が(京成電鉄系の)千葉交通から千葉県東金市の総合建設業・内野屋工務店に移り、同社社長内山健冶郎氏が社長に就任した。98年6月に内野屋工務店が自己破産申請を行い、鉄道には県と銚子市が支援を行っていた。ところが2003年5月~7月の間に内山氏が借入金を横領して解任され、ついに2006年11月には(経営)運転資金不足に至り車両の法定検査が出来ないことを会社自身がホームページで、「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」と掲載するまでになったのは記憶に新しいです。
となると、この場合どっちにいっても会社の経営模範自体を既存のモデルに見出す事自体困難だったともいえましょう。残念ながら日本人の日本人らしい思考形態である「前例主義」の限界と言うことは、いくら失敗学に興味がある私でも素直に認めならないのです。運用によって回避できることではあるんですが。
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千葉県のいすみ鉄道、社長公募に325人 2008年01月16日日本経済新聞
経営再建に取り組む第三セクターのいすみ鉄道(千葉県大多喜町、田嶋隆威社長)は16日、民間から9日まで公募していた新社長候補に県内外から325人の応募があったと発表した。書類選考と個人面接を経て、3月末に選任する予定だ。
千葉県外からの応募が203人と約6割を占めた。応募者の最高年齢は76歳で、最年少は21歳。ベンチャー企業の現役社長や他の鉄道会社社員、元出版会社社長らが名乗りをあげた。
新社長の任期は4月からの2年間。年収は700万円程度を予定している。現社長で大多喜町長の田嶋氏は代表権のない取締役に退く。
いすみ鉄道は利用者の減少で、経常赤字が続いている。県や周辺4市町が存廃について議論した結果、2008年度から2年間の期限付きで存続が決まった。09年度決算でも収益改善が見込めない場合は廃止となる可能性が高い。

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