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商品化された雇用と請負(1)

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<グッドウィル>本業処分で問われる「存在意義」 2007/12/22 19:50 毎日新聞
 グッドウィル・グループ(GWG)は、介護事業の行政処分に続き、本業の日雇い派遣でも厚生労働省の事業停止命令を受ける見通しになり、企業の存在意義が問われる事態に追い込まれた。急成長の裏で、法令順守をおろそかにしたずさんな経営を続けていたツケは重く、折口雅博会長の責任を問う声が更に高まるのは必至だ。
GWGは、今回の処分対象となる子会社のグッドウィルを中心に、M&A(企業の合併・買収)を繰り返し、成長してきた。
06年にはGWGより売上高が大きかった人材派遣、クリスタル(現グッドウィル・プレミア)の買収に成功し、07年6月期売上高は前年の1859億円から、5090億円に一気に拡大。日雇い派遣が中心のグッドウィルをはじめ、事務や工場派遣などさまざまな事業子会社を抱え、総合人材サービスを展開している。
だが、今年6月には、訪問介護子会社のコムスンが、介護報酬の不正請求などで厚生労働省から事業所の更新禁止などの処分を受けた。このため、派遣事業に続く核として成長を見込んでいた介護事業は、すべて売却に追い込まれた。更にこの影響で、07年6月期の連結最終損益は407億円の赤字を計上。M&Aに伴う有利子負債残高も大きく、一時は債務超過寸前まで財務基盤が悪化した。
今回の処分は、本業の日雇い派遣に絡むものだけに、GWGの受けるダメージはコムスン以上に大きいことが予想される。グッドウィル単体の07年6月期の売上高は1384億円と、グループ全体の3割に満たない。だが、グループの中核企業の処分は、派遣労働者や取引先企業の不信を招き、他のグループ企業にも影響を及ぼすことは間違いない。(後略)【平地修】
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グッドウィル会長が代表権返上へ[共同通信社:2007/12/23 07:55]
 人材派遣大手「グッドウィル」が違法な派遣業務を理由に厚生労働省から行政処分を通告されたことを受け親会社のグッドウィル・グループは25日、折口雅博会長が今月末で代表権を返上すると発表。同グループによると、最長4カ月の派遣業務業務停止となる見通しで、この間、登録スタッフにはグループ企業やほかの人材派遣会社の仕事を紹介する。グッドウィルの神野彰史社長は半年間、報酬を半減する。
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派遣労働者、昨年度は過去最高321万人[読売新聞社:2007/12/29 11:36]
 2006年度中に1度でも派遣労働をした人の数は延べ約321万人に及び、過去最高となったことが28日、厚生労働省のまとめで分かった。伸び率も前年度比26.1%とこれまでで最大。派遣会社の年間売上高も同34.3%増の約5兆4200億円となっている。労働者派遣法は、派遣元事業主に対し年1回、派遣労働者数や派遣料金などを厚労相に報告することを義務付けており、報告のあった4万1966事業所分を集計した。
 321万人は、派遣の対象職種が原則自由化された1999年度の3倍超。派遣契約期間は、「3か月未満」が80.4%と最も多く、派遣先から受け取る派遣料金(8時間換算)は、派遣会社の正社員のみを派遣する「特定労働者派遣事業」で平均2万2948円、日雇い派遣などの「登録型派遣」も扱う「一般労働者派遣事業」で同1万5577円。このうち、労働者が受け取る賃金(同)は、特定が61.7%の同1万4156円、一般が67.9%の同1万571円だった。
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日本人には、派遣労働なる不安定なもの自体が成り立つという議論に非常にナーバスなところがある。但しこれは今に始まったことではない。下記の文献からちょっと昔の労働形態を覗いて見よう。
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電機連合NAVI』2007年3月号 「請負労働の法政策」 濱口桂一郎 (政策研究大学院教授)
http://homepage3.nifty.com/hamachan/denkiukeoi.html  (抄録。詳細は原典参照)

 昨年来、マスコミのキャンペーンをきっかけに請負労働の問題が世間をにぎわした。その中では請負労働自体が法に違反する許されないものであるかのような議論が横行した。しかし、そういった論調がどこまで請負労働という働き方について、法制的、社会的側面から深く考えていたのかは疑問である。本稿では、やや迂遠のように見えるかも知れないが、請負労働をめぐる法政策の流れを明治時代に遡って跡づけ、現在の法制度の問題点を明らかにしてみたい。  
1 明治期の「請負」と「雇用」  
 この時期は間接管理体制の時代であって、職工の雇入れ、解雇、賃金支給などはすべて親方職工に委ねられていた。当時の労働形態は親方請負制と呼ばれ、親方職工が工場主から仕事をまとめて請け負い、これを部下の職工や徒弟に作業させ、賃金も親方職工を通じて配分された。これは請負制度ではあるが、個々の職工が直接経営に雇用される労働者であったことには変わりはない。これを法制的に言えば、当時の労働形態は請負と雇用が混然一体となった労務供給契約であったと言えよう。工場主から仕事を請け負って配下の職工に配分する親方もまた工場主に雇われた職工であるわけで、請負契約であるから雇用契約ではないといった二分法では説明がつかない世界であった。 (中略)
現行民法に続いて1899年に制定された現行商法は、その第502条で、営業的商行為の類型として「作業又は労務の請負」を挙げている。予定代価で他人の労務を提供する契約は商法上は請負契約なのである。
2 労務供給請負業の実態とその規制  
日露戦争前後からそれまでの間接管理体制を直接管理体制に変える動きが出てきた。採用から訓練、賃金支払まで、労務管理を企業が直接行う仕組みである。第一次大戦後の大規模な労働争議を経て、大企業は定期採用制と定期昇給制を確立し、親方請負制を排除していく。このように雇用関係の直接化が進行するとともに、それまでの親方職工の中には、その労務請負的性格を純粋化した労務供給請負業者に転換していく者が現れてきた。職工供給請負業者や人夫供給請負業者は、自ら職工や人夫を雇用するという形をとり、彼らと工場との直接雇用関係は否定されていく。これが構内下請とか社外工と呼ばれる仕組みの始まりである。
こういった事業形態に対する規制が行われたのは、1938/4の職業紹介法改正である。この改正は軍事体制下で労務の適正な配置を図るために職業紹介所を国営化することが主眼であったが、併せて労務供給事業を地方長官の許可制の下に置いた。
 一方、工場法を始めとする労働保護法制においては、こういった請負業者が供給する労働者も、供給先事業主が使用者責任を負うべき労働者として取り扱っていた。この点は、戦後すっかり忘れられているだけに重要なポイントである。工場法の通牒は、工場の業務に従事する者でその操業が性質上職工の業務であれば、雇傭関係が直接工業主と職工との間にある場合、職工供給請負者、事業請負者等の介在する場合を問わず、一切その工業主の使用する職工として取扱う(大正5年商局第1274号)と、明確に工業主に使用者責任を負わせていた。これは累次の通牒で何回も確認されている。 (中略)
3 職業安定法の制定-労働者供給事業の全面禁止  
 敗戦後、GHQの占領政策では労働の民主化が重点課題とされ、とりわけ封建的な身分関係を前提とする労働者供給事業が労働ボスと呼ばれた。1947/11に制定された職業安定法は、労働者供給事業について極めて厳格な禁止規定を設けた。すなわち、「何人も・・・労働者供給事業を行ってはならない」(第44条)と規定しただけでは足らず、たとえ契約が請負契約であっても、
①作業の完成について事業主としての財政上並びに法律上の全ての責任を負うものであること、
②作業に従事する労働者を指揮監督するものであること、
③作業に従事する労働者に対し、使用者として法律に規定された全ての義務を負うものであること、
④自ら提供する機械、設備、器材(業務上必要な簡単な工具を除く)若しくはその作業に必要な材料、資材を使用し又は専門的な企画、技術を必要とする作業を行うものであって、単に肉体的な労働力を提供するものでないこと、
という4要件を全て満たさない限り、労働者供給事業と見なして禁止するというところまで行った。 (中略)
本来労務供給請負を含む商法上の広い概念であった「請負」が、それを含まない民法上の狭い概念である「請負」と混同され、労働者供給事業であるか請負であるかという二者択一的な形で戦後の法規制がなされたという事情がありそうだ。 (後略)
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1938/4の職業紹介法改正は軍事体制下で労務の適正な配置を図るために職業紹介所を国営化することが主眼であるということから、現代の常用雇用的概念は、あくまで「うちてしやまん」という、国家プロジェクトたる戦争の遂行のためになされたといえよう。事実この時代に工場労働者は急増して、副次的な問題が発生している。たとえば燃料統制と工場労働との間で起きたものに、西成線列車脱線事故が上げられる。1940/1/29。大阪市の鉄道省西成線(現・桜島線)安治川口駅構内にて発生した列車脱線事故・列車火災事故(死者189名、重軽傷者69名)。西成線は、昭和時代のはじめごろまで閑散路線であったが、日中戦争により軍需産業が発達し、沿線に多数の工場が建設され、通勤客が激増していた。翌年に電化工事が決定したが、輸送能力は限界に近づいており、単線区間のため運転本数を増やすことが出来ず、朝夕のラッシュ時には乗車率300パーセント以上に達していた。(現在でもこの検証書籍が産業史・労働史・鉄道史から議論・出版されている)
戦後においては、さらにこれが労働の民主化といういみで実態に合わせ、緩和項目もあったものの深耕化されていったという経緯があったようである。緩和内容は一つは労働争議頻発に対するGHQの対応策がこれにあたる。
戦時中、北杜夫氏は三菱重工系の会社に勤労動員として動員させられたが、工員さんはそれまでの契約システムである職工と言う名前に誇りさえ感じて使っていたということも有る由、このシステム導入は決して労働者の側から立ち上げたとはいえないものであったらしい。但し、直前に下記のような事例があって、雇傭関係の一本化スリム化が必須とされていたのは事実であるし、労働争議に対する対策と言う意味はあっただろう。
---------------------引用(資料:前揚)
 1933/9、請負業者が供給した日雇職工を一切手当を払わずに解雇した三菱航空機名古屋製作所に対し、この供給職工たちが争議を起こし、内務省社会局に対する抗議運動に発展した。これは結局予告手当14日分に加えて、解雇手当80日分、帰国手当5円(家族1人に付きさらに2円)等を支給することで決着した。これを受けて社会局は、日傭いであれ、請負人の供給する者であれ、事実上特定されかつ相当継続して使用される場合には事実上期間の定めなき雇傭関係が成立したものと見、その雇入れの停止は事実上契約解除と見るという通牒(昭和8年発労第110号)を発している。
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ここまで語ると、いちどキャンセライズされたいまの派遣契約と基本的に異なるのは、
(昭和初期)
厳密には、指揮系統と賃金系統が明確化されていないが、工場法を始めとする労働保護法制においては、請負業者が供給する労働者も、供給先事業主が使用者責任を負うべき労働者として取り扱う。
(昭和末期)
厳密に、指揮系統と賃金系統が明確化されていて、かつ労働者派遣法体制の下では、労働者派遣ではない請負であると認められる限り、就労先の事業主には一切何の使用者責任も発生しないという極端な仕組み。

従って雇用形態に近代化を施したのは、日本国自身であったのだが、GHQ=アメリカがこの方針を有る意味改定していったという形になるものと思われる。但しそれをまた旧に復する機会をつくったのもまたアメリカの人材派遣企業である。

要するに本当は雇用形態がどうこうという議論と、派遣・請負という形式的議論が混在しているがために、偽装派遣(これも誤用に近く、むしろ「請負などの非雇用契約を偽装した違法派遣」のほうが正しいものといえる)・偽装出向という形態が創出され(これらは法律の穴を突いている)、目立ち始めたのであろう。但し、それでは派遣・請負が技能向上など個人的スキル向上を前提としないものであるかというと、本来はそうでなかった。指揮系統側で持ち出す技能向上教育と賃金系統が持ちうる技能向上教育があるのだろうと考える。
しかし指揮系統側の教育は雇用の定着性から効率が不確定だし、技術漏洩の危険性が無いわけでない。反対に賃金系統での教育は雇用定着の上からも行いやすいし、付加価値向上につながることになるが、付加価値向上がそのまま収益向上につながらず、むしろ業務に適正な技能以上の人材は不要(支払い単価が上がる)という方向性もあり、さらに初期の派遣業務では休日を自己啓発として出勤扱いにする事例が事実上の勤務と見なされた事例もあり、あくまで自己啓発で向上する、ないしは専門技術者を青田買い(これは必ずしも違法とはいえない)が結果的には使い潰しという、事実上は非常に困難な隘路を抱えてしまったと考える。だれのための技能向上なのか・・というところに2分論を持ち出さ無ければならない所以を議論しなければならない。

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コメント

こんばんは。

派遣社員…小生の会社でもたくさんいます。
小生自身も身分は6ヶ月更新の「契約社員」です。
このようなことを書くのも…ですが「福祉手帳」をもつ一応、障害者の身です。
でも会社ではそれなりに仕事してると自負はしてますが足りないことも十分承知の上です。
毎日、見えないものと戦ってるのも事実。
それでも周囲のおかげで何とか働けています。
本当にありがたいです。
でも、日雇い派遣の話を耳にするたびに人ごとではない気がします。
人間は「モノ」でないと思うのです。
派遣会社はどのように考えてるのでしょうか?

投稿: nakappi | 2008年1月11日 (金曜日) 22時25分

後段に述べましたが、私は今の仕事が一人親方のような請負業務が包含されています。一方会社勤務時代は派遣社員(紹介派遣が多い)さんたちの担当責任者として関わった事もありますが、周囲が「派遣社員だから・・・という観念」で仕事をしてもらう人もいました。これは、お互いに不幸だと思って叱責した事もあります。かつ私も公的な支援を受けている立場でもありますから、いろんな側面での立場が見えてきます。
>人間は「モノ」でないと思うのです。
それを、扱い上工具の一種としてみてしまう選良主義が免れない人たちが居ます。残念ながら、派遣先・派遣元に選良主義の人が一人でもいると、無力を感じます。しかも派遣会社に対し派遣先がそういう視点だと、派遣会社もそういう対応をするしか得ない。
派遣会社の姿勢というのが結構大事と共に、派遣先会社の姿勢が投影された結果こうなったというお互いの問題という問題を抱えています。逆に言うと、そういう低次元の派遣先を顧客に抱える会社は派遣会社の考え方も低次な姿勢に追い込むと、今は私は考えています。
(2)(3)にはそのような事を少しずつ述べています。良い文章とは言いませんがご意見をいただければ幸いです。

投稿: デハボ1000 | 2008年1月12日 (土曜日) 00時43分

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