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科学技術の説明(2)

(承前)
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寺田寅彦:(Wikipedia):1878/11/28 - 1935/12/31
物理学者、随筆家、俳人。
いわゆる「理系」でありながら文学など文系の事象に造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残している。今日では、寅彦は自らの随筆を通じて文系と理系の融合を試みているという観点からの再評価も高い。
寺田氏の著作は没後50年たった現在著作権がフリーになっており、インターネットでダウンロードできるようになっている。リストとしてはhttp://www.aozora.gr.jp/index_pages/person42.htmlがあるが、今回は路面電車がなんでダンゴ運転になるのかということを統計的ばらつきを典拠にして書いた下記の事例を考えてみよう。図表があるので、全文は下記を参照されたい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2449_11267.html下記は抄文である。当時は東京市内の交通は路面電車がメインであったが、都市の拡張が著しく、年がら年中混雑するありさまであった。そのために昭和になって出来た地下鉄は、路面電車に対して「高速」な「鉄道」だったわけです。
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電車の混雑について    寺田寅彦
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 満員電車のつり皮にすがって、押され突かれ、もまれ、踏まれるのは、多少でも亀裂《ひび》の入った肉体と、そのために薄弱になっている神経との所有者にとっては、ほとんど堪え難い苛責《かしゃく》である。その影響は単にその場限りでなくて、下車した後の数時間後までも継続する。それで近年難儀な慢性の病気にかかって以来、私は満員電車には乗らない事に、すいた電車にばかり乗る事に決めて、それを実行している。
 必ずすいた電車に乗るために採るべき方法はきわめて平凡で簡単である。それはすいた電車の来るまで、気長く待つという方法である。

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 電車の最も混雑する時間は線路と方向によってだいたい一定しているようである。このような特別な時間だと、いくら待ってもなかなかすいた電車はなさそうに思われるが、そういう時刻でも、気長く待っているうちには、まれに一台ぐらいはかなりに楽なのが回って来るのである。これは不思議なようであるが、実は不思議でもなんでもない、当然な理由があっての事である。この理由に気のついたのは、しかしほんの近ごろで、それまでは単に一つの実験的事実として認識し、利用していただけであった。
 なんと言ってもあまり混雑のはげしい時刻には、来る電車も来る電車も、普通の意味の満員は通り越した特別の超越的満員であるが、それでも停留所に立って、ものの十分か十五分も観察していると、相次いで来る車の満員の程度におのずからな一定の律動のある事に気がつく。六七台も待つ間には、必ず満員の各種の変化の相の循環するのを認める事ができる。
 このような律動の最も鮮明に認められるのは、それほど極端には混雑しない、まず言わば中等程度の混雑を示す時刻においてである。そういう時刻に、試みにある一つの停留所に立って見ると、いつでもほとんどきまったように、次のような週期的の現象が認められる。
 まず停留所に来て見るとそこには十人ないし二十人の群れが集まっている。そうして大多数の人はいずれも熱心に電車の来る方向を気にして落ち着かない表情を露出している。その間に群れの人数はだんだんに増す一方である。五分か七分かするとようやく電車が来る。するとおおぜいの人々は、降りる人を待つだけの時間さえ惜しむように先を争って乗り込む。あたかも、もうそれかぎりで、あとから来る電車は永久にないかのように争って乗り込むのである。しかしこういう場合にはほとんどきまったように、第二第三の電車が、時間にしてわずかに数十秒長くて二分以内の間隔をおいて、すぐあとから続いて来る。第一のでは、入り口の踏み台までも人がぶら下がっているのに、それがまだ発車するかしないくらいの時同じ所に来る第二のものでは、もうつり皮にすがっている人はほんの一人か二人くらいであったり、どうかすると座席に空間ができたりする。第三のになると降りる人の降りたあとはまるでがら明きの空車になる事も決して珍しくない。
 こういうすいた車が数台つづくと、それからまた五分あるいは十分ぐらいの間はしばらく車がと絶える。その間に停留所に立つ人の数はほぼ一定の統計的増加率をもって増して行く。それが二十人三十人と集まったころにやって来る最初の車は、必ずすでに初めからある程度の満員である。それがそこで下車する数人を降ろして、しかして二十人三十人を新たに収容しなければならない事になる。どうしても乗れなくて乗りそこねた数人の不幸な人たちは、三十秒も待った後に、あとから来た車の座席にゆっくり腰をかけて、たとえば暑さの日ならば、明け放った窓から吹き入る涼風に目を細くしながら、遠慮なく足を延ばして乗って行くのである。そうして目的地に着いて見ると、すぐ前に止まっている第一電車は相変わらず満員で、その中から人と人とを押し分けて、泥田(どろた)を泳ぐようにしてやっと下車する人たちとほとんど同時に街上の土を踏むような事も珍しくはない。
(中略)
 問題を簡単にするために、次のような場合を考えてみる。すなわち、ある終点からある一定時間ごとに発車する電車が、皆一様な速度で進行し、また途中の停留所でも一定時間だけ停車するように規定されたとする。もしこの規定が完全に実行されれば、その線路の上の任意の一点を電車が相次いで通過する時間間隔は、やはりどれも同一でなければならない。しかるに実際上は、避くべからざる雑多の複雑な偶然的原因のために、この一定であるべき間隔に少しずつの異同を生じ、理想的にはたとえばTであるべき間隔が T+ΔT となる。この ΔT は正負大小種々であって、いわゆるガウスの誤差方則、または類似の方則によって分布されるものであろう。平たく言えば早すぎるのやおそすぎるのがいろいろに錯綜・交代して来るわけである。それにかかわらず平均の間隔はやはりTである事はもちろんである。すなわち ΔT の総和は零になるわけである。
 ある停留所に電車が到着する時刻の齟齬の状況は、もし個々の車の速度ならびに停留時間の平均誤差が与えられれば、容易に計算する事ができるが、要するに出発点からの距離が大きくなるほど大きくなるのは明らかである。だいたいにおいては出発点からの距離の平方根に比例すると見て大差はあるまい。
 大小種々な時間誤差 ΔT がどういう順序に相次いで起こるかということもやはりまた一種の「偶然の方則」に支配される。この方則はあまり簡単でないがまずだいたいにおいては平均三台目か四台目ごとに目立って早すぎるものあるいはおそすぎるものが来る事になるのである。
 以上は乗客という因子を全然度外視しての議論であるが、次にこの因子を考慮に加えると、どうなるかという問題に移る。
 乗客が単位時間内に一つの停留所に集まって来る割合は、だいたいにおいてはそれぞれの時刻と場所によりおのおの一定の平均値(たとえばn)があって、実際上はやはりその平均値の近くに偶然的変異を示すものと考えても不都合はない。そうすると一つの電車が収容すべき人数は、平均上、すぐ前の電車甲がそこを発車してからの経過時間に比例するものと考えてもいい。それでもし甲の電車が平均よりaだけ早く出た後に来た乙電車がbだけおそく発車すると、乙電車は平均よりも n(a+b) だけ多くの人を収容しなければならない事になる。
(中略)
 長い線路の上にはじめ等間隔に配列された電車が、運転につれて間隔に不同を生じる。そうして遅れるものと進むものとが統計上三または四の平均週期で現われるとすると、若干時の後に実現される運転状況は、私がこの編の初めに記述したとだいたい同じようになるわけである。すなわち三四台の週期で、著しい満員車が繰り返され、それに次ぐ二三台はこれに踵(くびす)を接して、だんだんに空席の多いものになる。そうして再び長い間隔を置いて、また同じ事が繰り返されるのである。
 以上は、事がらをできるだけ簡単に抽象して得られた理論上の結果である。実際上は、以上のほかになお合わせ考えるべき幾多の因子の多数にある事はもちろんである。しかし以上の考察はこれら因子中の最も重要なるものに関したもので、これからの結論がだいたいにおいて事実とあまりに懸隔したものではないという事も許容されるだろうと信じる。
 私はこのような考えを正す目的で、時々最寄りの停留所に立って、懐中時計を手にしては、そこを通過する電車のトランシットを測ってみた。その一例として去る六月十九日の晩、神保町の停留所近くで八時ごろから数十分間巣鴨・三田間を往復する電車について行なった観測の結果を次に掲げてみよう。(表は省略)
 この表で見ると、たとえば五分ごとに通る車数はかなりの変化があるにかかわらず、その平均数は北行南行ともにほぼ同様で、約二分半に一台の割合である。しかし実際の個々の時間間隔は、南行の最初における十一分三秒プラスという極端から、わずか十二秒という短い極端まで変化している。しかして多少の除外例はあるにしても、だいたいにおいて長い間隔の後には比較的混雑した車が来る事、短い間隔の後にはすいた車が来る事がわかるだろう。
 今これら各種の間隔の頻度《フリクエンシー》について統計してみると次のとおりである。
   四分以上    4回  │  二分以下   23回
   三分以上    9回  │  一分以下   11回
   二分以上    15回  │  四十秒以下  5回
 これでわかるように、間隔の回数から言うと、長い間隔の数はいったいに少なくて、短いものが多い。全体三十八間隔の中で、四分以上のものは四回、すなわち全体の約一割ぐらいのものである。しかしここで誤解してならない事は、乗客がこれらの長短間隔のいずれに遭遇する機会(チャンス)が多いかという問題となると、これは別物になるのである。この点を明らかにするには、各間隔の回数に、その間隔の時間を乗じた積の和を比較してみなければならない。今試みに間隔を一分ごとに区別分類して、各区分内の間隔回数にその区分の平均時間数を乗じたものの和を求めてみると、かりに五分以上の間隔を度外視して計算してみても、二分以下のものに対して二分以上五分までのもののこの積分の比は二三、五と四六、五すなわち約一と二の比になる。もしこれに時々起こる五分以上の間隔を加えて計算すると、この懸隔はさらに著しくなる。これは何を意味するか。
 個々の乗客が全く偶然的に一つの停留所に到着したときに、ある特別な間隔に遭遇するという確率(プロバビリティ)は、あらゆる種類の間隔時間とその回数との相乗積の総和に対するその特別な間隔の回数と時間との積の比で与えられる。そこでたとえば前の例について言えば二分以下の間隔に飛び込む機会は三度に一度で、二分以上五分までの長い間隔にぶつかるほうは三度に二度の割合になる。実際は五分以上のものが勘定に加わるからおそらくこの割合は四度に三度ぐらいになる場合が多いだろうと思われる。(停留所で待つ時間の確率を論じるには、もう少し立ち入る必要があるが、これは略して述べない。)以上はただ一例に過ぎないが、私の観測したその他の場合にも、だいたいこれと同様な趨勢が認められるのである。
(中略) 
 これをせんじつめると最後に出て来る結論は妙なものになる。すなわち「第一に、東京市内電車の乗客の大多数は――たとえ無意識とはいえ――自ら求めて満員電車を選んで乗っている。第二には、そうすることによって、みずからそれらの満員電車の満員混雑の程度をますます増進するように努力している。
 これは一見パラドクシカルに聞こえるかもしれないが、以上の理論の当然の帰結としてどうしてもやむを得ない事である。もしこれがおかしいと思われるなら、それは私の議論がおかしいのではなくて、そういう事実がおかしいのであろう。(後略)
●原本:大正十一年九月、思想
●底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
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思考経路は論理的そのもの。PDCまではしっかりこの中に入っていますね。東京市内電車の会社の人ではないからAは出来てないが、その分分析に非常に面白い手数をかけてます。各間隔の回数に、その間隔の時間を乗じた積の和を比較してみなければならないというのは2項分布の考え方であり、これの最適化は最近でも結構議論になることである。
彼なりの考え方を最後に持ってきている。
--------------------引用--------
 これは余談ではあるが、よく考えてみると、いわゆる人生の行路においても存外この電車の問題とよく似た問題が多いように思われて来る。そういう場合に、やはりどうでも最初の満員電車に乗ろうという流儀の人と、少し待っていて次の車を待ち合わせようという人との二通りがあるように見える。
 このような場合には事がらがあまりに複雑で、簡単な数学などは応用する筋道さえわからない。従って電車の場合の類推がどこまで適用するか、それは全く想像もできない。従ってなおさらの事この二つの方針あるいは流儀の是非善悪を判断する事は非常に困難になる。
 これはおそらくだれにもむつかしい問題であろう。おそらくこれも議論にはならない「趣味」の問題かもしれない。私はただついでながら電車の問題とよく似た問題が他にもあるという事に注意を促したいと思うまでである。
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昨年末にはからずも話題になったUFOの議論。たしかに現政権・内閣の大臣の現実逃避だろうとは思うのだが、是非善悪の解釈が困難なということが山積し、先も漠然とし、金策に不自由してるのが垣間見られてからこそ、目前の電車に乗らなければならなくなってしまう現状。『ただついでながら電車の問題とよく似た問題が他にもあるという事に注意を促したいと思うまでである。』寺田寅彦氏の疑念は、今もってだれしもの中に残る問題です。
それにしても自分もこのぐらい高尚な文章が書けないのかと悩むこと小1時間。

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