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雛形をどう使うか(4)

(承前)
技術者の属性変化について考えています。
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(抄)
●仕事に追われ忙しいだけの人間、コミュニケーションスキルもなく忙しいだけの人間は、刺激なく、勉強せず、成果主義を逆手にとり出世し、益々阿呆になっていき、場合によっては企業や社会の存立を妨げる可能性も出てきた。
●その反面、情報が容易に入手できるが人が、その『架空の』情報を自分の「モノ」にしてしまう。経験もないのに、何の苦労もないのに
●何の提案もしない。『雉も鳴かずば撃たれまい
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そこで、効果のあるキーワードを発見した。たとえば技術指導先によく、「提案オタク」が存在する。提案内容はとても立派で、下手すると私の出番さえ無い。けれど範を示せ!すると、こういうのは必ず無口になる。自分に対しても、他人に対しても、・・・範を示せ!
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範を示せ・・強烈な言葉ですが、これはその実、全部に通じる行為でないか・・・

・・と思います。そこはおおいに賛同するのです。さて上の3項目は本当に閉塞する現代社会の象徴になってきませんか。
(甲):偉い人といわれる人、ないしは潜り抜けてえらい人になった人がここに居て、そしてそのDNAを何の指標も無く判断していく場面に私たちが直面した場合、判断そのものができるのでしょうか。少なくとも自己のレベルに合致したという指標でしか判断できない技能の限界がありませんか?そうなると後は、その帰属者が多いか少ないかという処だけが典拠になります。わかり易い、平易な人材のみが残るということはあるでしょう。ぞこを是認しても、自分にとって嫌悪する方向を否定するという、非常に迎合したものしか残っていきません。
(乙):経験もないのに、何の苦労もないのに平然と主張するが、簡単な調査・ベンチマーキングも実施せず、にわか情報を基に自己主張ばかりする。これ自体は『張ったり』という側面があるんですよね。有る意味避けたい行動ではあります。したがって過度の行動はあくまで協調と言う意味では避けるべき。とはいえ、これからの世の中いままでの経験則がのべつまくなく成り立つのかは非常に疑問です。経験は重要とは思うのですが、経験の分析が不十分であったがために、予測不可能な将来をさもありように描く。時に株や相場の格言には、そういう金言という言い方はされるが『禁言』とまでいいたくなるものが流布してますよね。要するに経験を緻密に分析することは短中期的にはしのげるが、長期的視点にならないと解せます。経験をどこまで咀嚼するか、ないしは経験をどこまで引き出しに仕舞いこみ、必要に応じて引き出しから出して観察し、必要がなくなったら引き出しに仕舞うという活動でしょうね。
(丙):何の提案もせず、技術者としては現物をだせない。『雉も鳴かずば撃たれまい』というのは、逃げの一手ではあります。卑屈な・・とはいえないんですよ。たとえば演芸関係の事象では、こういう方法もあるそうです。いかにみんなに迎合するかという側面です。但しそういう演芸人が終生その活動をしてるか古い芸談などを手繰ってみたりして、調べてみるとそうではないんですよね。つまり比較的「従来比較」で語られることの多い世界でも全て、「雉も鳴かずば撃たれまい」で済ましていけないのがこれからの技術者・人間生活だと思うんです。
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とはいえ一つの括りで議論すること自体がムリなのだと思います。この指標を考えると私は全ての技術者はこういう数式になるのかなと私論をあげようと思うのですが・・・
・・・どうでしょうか。

●技術者人生=(甲)×a+(乙)×b+(丙)×c 
        但しa+b+c=1 (a b cは正負あり)
不定項多いですよね。しかしもう一つ数式が付きます。
●有用たる技術者への間口=技術者人生×(自ら範を示す気力)
決め手はじつはここなんだろうと思います

いま、仕事をしていて、従来苦しんで他人のノウハウを身体でじかに受けた私が、ここに居ます。それは過去の経験(±あり)とその解析結果『の一端』であります(全体像とは思いません。正直取りこぼしも多いでしょう。ええ)。
多分(甲)の要素は私には決して多いと思いませんし、今まで(30歳ごろの私がそうであったように)・・(丙)の項目で居ることは、空気を読まないKYな私(苦笑)にとっては針のむしろでしょう。となると有る意味跳ね返ってくる問題も多い(乙)の部分を半ば確信的にでも、多めにとらないといけないかなあという生き方の味付けをしています。(乙)ばっかりで技術者になるかといえばとんでもないですが、確定したものだけを付いていくような世界はすでに崩れたと思っています。(官庁の書いたビジネスシナリオ・・・というそうです・・・がこのところ結実しないのは、既存確定項目の踏襲のみの思考がぼちぼち「石橋を叩いて壊す」状況になってる側面があると個人的には見ています。)
けど最後はつまるところ、どんな技術者の成分を盛り込んでも最後の味付けは範を示せという精神ではないでしょうか。それは荒削りでもいいから迅速にする。WEBと同じように動くべきで、非常に鮮度が(というか過剰にまで鮮度が)求められてるという気がします。このBLOGはまさに(乙)のうち『架空の』情報を排除し「簡単な調査・ベンチマーキング」の実施という形に私はしているのを白状しないわけには行かないです。ハイ。
ファイナルエッセンスは「範を示せ」と感じています。必ず無口になるんだったら実行力は無い。そこで有言実行を清清とする。その結果はじつは(乙)項目の欠点が消える行為で、かくて有用たる技術者への間口が大きくなるという方程式になりうると信じてます・・というか信じるしかないんです。範が無いんですからね。
最近設計技師であった父が電話で私に説教するんです。「すべからく(すべきであることの意)工学は現実主義であり議論ではないと心得るべし」と。嗚呼。本当に俺ってくどいわ!

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