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商品化された雇用と請負(2)

(承前)
日本人は、派遣労働なる不安定なもの自体が成り立つという議論に非常にナーバスなところがあるようだ。
さて本当に請負契約と技能教育が成り立つのか。
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確かに、その前時代的システムたる指揮系統と賃金系統が明確化されていない時代ですが、なんと教育互助制度が賃金系統側の依存にあると見なされる事例はある。鉱山における「友子」制度が見本になる。
◆友子制度
(釧路・明治炭鉱の例):「友子制度」とは、炭鉱に従事する人たちが互いに助け合うという、親と子の関係にも似た互助会のような制度。いわゆる「親分・子分」の関係として、友子として杯を交わすと、他人同士でありながら、病気で働けなくなった人などを、経済的にも精神面でも互いに支えていくことが定められていた。戦前、太平洋炭礦の坑夫は「自友子」と「渡友子」にまとまっており、労働、技術伝達をする組織となっていました。戦後は労働組合の成立により消滅。
(空知炭鉱・夕張炭鉱の例):「友子」共済の慣習は、江戸時代の金属鉱山に発生したと伝えられ、明治になって石炭山が開発されると、鉱山労働者が炭鉱労働者として転入する従い、道内の大部分の炭鉱でも組織されるようになった。
友子には、緒山を渡り歩いた「渡利坑夫」(渡友子)と土着の自坑夫(自友子)の2つの流れがある。この発生及び区分は、一説には徳川家康の命令とも伝えられるが、渡友子が親分のほか「異母兄」(いぼせな)と呼ぶ兄分をもつ以外、内容的には大同小異で、それぞれ別個の集団として運営された。友子は、親分・子分を単位に構成され、友子に加盟するには3年3月10日の鉱夫技術習得期間を経て、権威ある友子先輩立会の下に親分・子分の盃を交わす「取立式」によって「出生」し、初めて1人前の坑夫として認められる。夕張では、昭和48年に「自渡友子聯合取立式」が行われたという記録も残されているが、戦後、労働組合が結成されるようになって「友子」共済も次第に存在意義が薄くなり、30年代には各山の友子制度はほとんど形骸化していたとされている。
さて・・・以前述べたことだが再度述べる。
-------------引用
技術史の見地から見ると鉱山には「友子制度」という形で逢ったらしい。日光古河鉱山、と岩手県の松尾鉱山の事例が知られているようだ。後者は岩手大・小野寺助教授などの見識もある。http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/brmurksi.htmを見てみるとこのような記載がある。ここには、上記HPの抽出を転記するにとどめる。
------------再引用開始
「友子は、徳川時代の鉱山マニュファクチュアに雇用されている親方層も含む鉱夫のクラフト・ギルド的な同職組合として形成された。友子は、鉱夫のクラフト・ギルド的な同職組合として形成された本質からみて、徒弟制度に基づく親方制(親分子分関係)の形態をとりつつ、鉱山業における熟練労働力の養成、鉱夫の移動の保障と労働力の供給調整、構成員の相互扶助、さらに鉱山内の生活・労働秩序の自治的維持、時として生活・労働条件の維持改善などの多様な機能をはたした。友子の組織は、一山に限定されていたが、制度としては全国的な共通性をもち、鉱夫にとって友子のメンバーになることが、日本の鉱山で働くための一般的な資格であった。」
-------------再引用終了
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なにか、今の派遣雇用や常駐派遣と先祖がえりしてないか・・・

・・・・考えるに値する項目である。
----------------終了
但し、古河鉱山などでは経営者との直接的交際(毎年鉱夫との懇談があった)ということから中間的契約であったわけで、一定の教育に関しては道義的には存在することになる。これが壊れていったのは、労務的な近代化というところと戦時体制という議論になろうが、もう一つあるのは炭鉱などの労働に、いわゆる植民地と見なせる地域からの強制労働者を導入するうえでこの友子制度が運用の妨げになっていたのではないか。

では今後この問題がどうなるか、覗いて見たい。
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工場の労働体制にその名残をみることが出来る会社もある。
工場の勤務の内、直接労働者にはこのような形態になってる場合がある。案外であるが、一部の古くからある大型病院では看護師のシステムがこの類似形もあった。(専門職という現実的位置付けに移行、更に准看護師システムの衰退で、下のシステムに転換してるところが多いようだ)
(例1)・・組長>班長>グループリーダー(棒芯:ボーシンという場合もある)>一般工員
この場合の組長は工員さんのまとめを行う管理職であるが、会社の中では専門職ではあってもいわゆる労働組合員で通念上の管理職ではない。人員の査定などは班長から組長に上がる形で会社側の技術・工務担当に伝達される。従って新規技術などの運用に関しては組長(場合によっては班長も)の査定を技術者は受けなければならない。組長(場合によっては班長)は間接現業職という形になる場合もある。で班長などで非常に功績がある場合では専門スタッフという扱いで高く処遇されるが、執務職とはならない場合も多い。(給与処遇はそれなりに高く扱うことになる。)
戦後に成り立った会社では、このシステムではないことが多い。すなわち、
(例2)・・製造第○課長>製造第○課スタッフ>一般工員(上級)>一般工員
これらの場合、始めから請負制度の設定は考えてなく、技術者として同格に扱う。現業職という考え方ではなく設計者も技術職というまとめ方をする。従って製造第○課長は管理職(非組合員)となる。従って新規技術などの運用に関してはこの製造第○課長に査定を技術者は受けなければならない。
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(例2)の事例では、一般工員を各々請負契約という形で雇用し、(但しエージェーントは介在)ていくため指揮系統との乖離が出る。
ところが(例1)の事例では、それ自体を全部請負会社に渡し、設備・設備保守などを残すことによって、工場ごと請負業務にすることができる。意外とこの古いシステムを維持していた会社が、このシステムに移行することが見られるようになっているようだ。組長がいわゆる請け元の現場責任者になるわけである。(給与関係実務は事務処理費用になる)但し、戦前の労働者災害扶助責任法は、元請負人に扶助責任を負わせた。これを現行労基法は受け継ぐが、建設業のみになる。また、安衛法は建設業、造船業について元方責任を規定。これらは請負の現実の姿に対応した法制。2005年改正も同様である。すなわちこの形態自体もアンバランスだと考えると解釈できる。商法・民法・労働基準法・安全衛生法に整合性が取れていないことが、問題を著しく複雑にしている。
(続く)

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