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信じていないんです

「実は、ぼくら地上波のテレビをやっている人たちは、視聴者を信じていないんですよ。見ている人のことを、かなりモノがわからない人だと想定して、その人たちにどう見せるかと工夫しているんです。ものすごく悪い言い方をすると、もう「馬鹿にどう見せるか」と、みんな絶対にクチには出さないけれども、どこかの所ではみんながそう思っているようなフシがありますね」 日本テレビ放送網エグゼクティブ・ディレクター 土屋敏男
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バラエティー畑では、敏腕プロデューサーで有名な人である。
業界人のたわごと・おごりという見方もできようが、物事を伝えることの現実があるのだろうと思う。この言葉をひっくりがえして言うと、『頭のいい人には、このからくりは分かるはず』という思い込みがあるというのは嘘ではなかろうと考える。
大体の事例では、話題共有をするときに、全てを文章で伝えることはできないと考えてよい。文系の論文は部門によるが、そういうところが少なからずあるような気がする(逆に言うと、典拠を古典的文献に求め、その訓解を論する研究をされる場合、そこだけの基本的知的保証は担保すると言う見方)。文系でも経済とか心理とかになると一寸異なり理系に近い。理系の論文は、実験や解析結果のデータ開陳と条件明示、そして再現性提示を重視することで品質保証をしてるようなものである。けど、やはり細かい条件は伝わらないと考えていいかなあと思う。それが表現と言うものの限界であろう。かくて上記の発言はまず間違いない所と思う。私たちが技術プレゼンをするときに、資料つくりで神経質になるところも、聞く人のターゲットで正確さ重視か、理解し易さ重視かという悩みが残る所ではある。
このようなレトリックは、免れないもの。そこで本当にこの手の意見を言う人にまじかに会って、初めてある程度のイメージが形作られるものだろうとおもう。いわゆるオフ会の意義はそこにあると考える。
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新聞記事とかもそうである。もっとも記事の出所(通信社・新聞社)で、記事の品質を担保することを皆さんしてますが、高々その程度までしか信用・保証できないともいえるんですよね。だから逆接的に新聞の誤報非難は品質保証=ブランドイメージの裏返しであろう。ただ、それは、いつでも起こりうる。せめて、誤解無き程度にデータをリンク・・参照して、読者の考察の資料にして欲しいというところだと思う。
誠意を尽くして、かえって齟齬になるとか、解釈が共有できないことはある。
良く「真実は一つ」というが、文系のロジックでは「真実は一つとて、見ることはその投影しかできないから、真実は一つというのは実際は幻影に過ぎない」という見方も有る。極端な話、トンデモ本といわれたものだって、じつは推論の間違いはおおかろうと、結果OKになりうることは全くないとはいえない

別に詐欺防止ということだけではなく、すべて一旦は疑って掛かるというのも、つらく悲しいが生きる技かもしれない。それを分かった上で我々は文章を書き、伝え、読み、理解してもらい、さらに理解する。それは意識しておこうと思う。と言う文章も信用できないか?自己矛盾だなあorz。

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