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魅せる化

-----------引用(ママ)
●アメリカの有名なビジネススクールでは、「自分を魅せる術」についてトレーニングを受ける、という話、面白かったです。 そういうのが、エリートのひとつの到達形になっていますね。
20年前に、アメリカに1年だけ住んでいたことがあります。最後の方は、けっこう辛かったです。自分を魅せる術に長けていないと、この国では成功しない、ということを感じていたような気がします。
日本に帰ってきて、ほっとして、ラクになったわけですが、 それはただ「自分らしくいられる」というからだけではないということも、じょじょに感じ始めました。
-----------以下省略
プレゼンテーションということでは日本のようにシャイな・・というか沈黙が金という世界は異端なんだそうです。(けど語源は欧州だろうに・・・)具体的に自分を魅せる術というと、就職活動がありますが、このような考え方があります。
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アメリカは大学(4年)を出て、プレゼンテーションテクニックに長けたほんの少しの人財(それは中身を伴ってるとは限らない)が複数社の内定を得て、多数の学生は潜在的に優秀であっても埋もれてしまうそうです。そのようなスキルが不幸にして伴っていないだけの大学卒はすぐ起業するしかないので、ベンチャーが多くなるという逆説的見方が最近見えはじめてきてます。産業活性化の結果、独立心旺盛なベンチャーが多くなると、アメリカや日本のアナリストは言い含めてましたが、それは欺瞞であって、あわよくば一発逆転を狙うしかない社会情勢ではないかというわけです。
そういっても、アメリカの場合雇用流動性が高いから、中途の入場があるんではないか」とい得ると思うでしょうね。事実私もそう思ってましたが、話を聞いてみると、そういう話ではないようです。
まず複数の会社に内定してる人材がある以上、辞退する志願者の穴を埋める必要があるんだから、いくらかの人材は就職できるんでは・・と思ってましたが、どうも人材がキャンセルされた結果確保できないような部門は、そもそも「魅力がないんだから」ということで、速やかに部門ごと市場から退場する・・つまりリストラクチャー・・ということになるようです。(勿論、追加募集する場合もいくらかあるそうですが、たとえば経理部門だけ人が足りないとかいう場合は、それ専業の会社に一部管理職を除いて業務委託するという一種の市場退場もあるんですな。)これが事実だとすると、アメリカにて工業の中でも泥くさい生産技術に人材の枯渇が見えるというのは分からなくもない。(日系の企業でも、アメリカ法人の生産部門の専門技術者は、やっぱり日本から人を出すことになってしまうとは聞きます。カイゼンという言葉は彼らの中に無く、革新のみになりがちなのはある意味分からなくもない)また、3Kに近い職場に関わるなら、輸入業務に関わった方がいいわいという潜在動向があるのは、理解できますね。
また中途採用としても、一度会社に入っている実績がないと、元々人財募集の枠に引っかからないという事実は厳然としてあるというのです。一方プレゼンだけがうまい人財は淘汰されるのはあるそうで、(いくらかは再就職するにせよ)この人たちも仕事を造るという起業を行う。しかし概して起業はかなりハイリスクを伴うから、確かにビル・ゲイツのような「おたくでシャイ。けどじつは技術能力はすごーく高い」という人が芽を出すかもしれないが、その成功事例の底辺は、破綻して葬り去られる屍が累々と横たわるというのです
あくまで市場評価が前提と言うことになると、壊れかかった企業建て直しを3年掛かってやって、それを他社にうるという、再生業というのは確かに考え方としてでてくるのもむべなることです。逆にこのようなベンチャーキャピタルのビジネスモデルは、帰属性を重視する日本の多数の国民には違和感を感じるだろうし、ハゲタカという感じは、短期回収という考え方を「勝ち逃げ」という見方で解釈されるというのと同意かな思います。(勝ち逃げは許しませんぜ・・というのは麻雀の世界だけでないんですな
勿論この理論は金融工学という部門で研究されてます。アメリカでは金融工学というのはもっと学問に特化してるところがあるそうですが、日本で言う金融工学の概念は実務適用に近いものだそうです。その意味ではMBAで広く教えられているものが日本での概念に近いでしょう。但し、そこの投資回収というところが先の目標であるから、MBA出身者によって業績回復されても、短期の収益回収という意味で特化した考え方依存をしている以上、外見は綺麗なバランスシートだけど内実や職員のスキルが(日本的見方では)ぼろぼろだったということもあるそうです。(アメリカでもその反省が出てます。しかもMBAはManagement by Analysis:経験が伴わず分析だけをしている人といういいかたも有るんですって)事実、金融工学という学問は国際整合上、経営工学とか経済学・経営学として日本では研究されてますが、非常に日本人には使いがたいみたいで、その実務専門家も育たないしニーズを喚起しようとしてもなじまないみたいです(日本ではMBAの出身者は金融機関へ採用されていき、会社での融資案件の査定に進むともいいます。)
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ところで全世界で一番MBAコースの卒業生の多い国は中華人民共和国なんですって。ついぞ最近まで共産主義を金看板として掲げていた国が、看板はそのままなのにその実10年前とは大違いらしいです。日本の某経済雑誌には「中国に三つの経済機構あり。曰く共産主義政治、資本主義経済、奴隷制度」(おい)とか。(漢文ですか。)これはある意味では、ああそうかと思うこともあります。
中国にある日系企業は、じつは人材確保に苦労してるそうです。その理由は人が居ないのではなくて(むしろ求職は多い)定着率がすざましく悪いということですが、会社の従業員の3倍の人員を毎年毎年雇用している(・・・これは標準勤続年数が1/3年ということ)だそうです。職員教育をしたら、それを学んだが最後、他社にその技術を持って就職してしまうから教育できないというわけ。管理職から、高級管理職、技術職、技能職、いずれもこの傾向は変わらない。
従来の中国の(国営)企業はこの動向を抑えるために、保育園から学校から家やらを丸抱えして、あるいみ「人質」にしていたという解釈も出来るそうです。(勿論、これが認められているから共産主義だったともいえます。日本で言う「親方日の丸」を中国語では「親方五星(紅)旗」「大鍋飯」なんていうんだとか)
この理由を、中国史に見る人もいます。曰く国が変わっていく(宋→明→清→中華民国→中華人民共和国)という度に粛清やら難民化やらで変節をするしか生きていけなかったわけで、そのように変わり身が早いか、さもなくば対外貿易などの職能を生かして海外に道を求めるかという形になるのを是とする素地があったというわけです。(但し中国の広大な地域によってこのトレンドは異なるということで、一律な判断は危険です。)
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となると、ベンチャーキャピタルのビジネスモデルは中国の人には割と理解しやすい概念でしょうね。香港にそのような企業再生事業形態が割りとあるのは、その故かもしれません。反対に台湾は、一時期日本的インフラの影響があった関係から、割と企業の成り立ちは日本に近いものがあるようです。(それが日本が正しいという理論にはならないですよ)。
韓国ですが、中国の影響もあるし国内に今でも地域派閥があるのも知られてますし、これも日本のインフラ投資の影響でベンチャー的要素が薄いのは事実でした(財閥形態で産業が発達していました)。しかしいまは国際的な工業国家ということにシフトすることと同時に、日本の影響下という過去の遺産を払拭する側面もあるのか、これも大陸流な考え方にシフトされています。その具現+中国の科挙の考え方が複合して出てきたのが強烈な学歴社会でもありますね。(ちなみに国民の年収に対する教育費用の割合は日本は7%だそうです。これ自体も世界ではかなり多いそうですが、韓国は15%に達しさらに増加する傾向にあります。といいながら、国民所得は一人頭にならすと減少気味なのですよ。その反面、国民の研究開発能力がとても高いということにもなったのですが)
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一寸ここからは、私の見かたを語ってみたいと思います。
さて、こうなった限りは日本がモンロー主義に走ればいいとか言えそうですね。ところが、今の国内企業は多かれ少なかれ外国の投資に依存しないと成り立たないそうで、株の所有高は45%が海外資本なんですってね。このため、物言う株主が多くなるし、もし儲かっても今までのように社員に賃金上昇として配分することでは、「短期利得」を求める株主には納得いかないので、近年、配当を高くしなければならない企業が多くなってます。
これは、当分の間、日本人が持っていた給料や報酬の形態は維持すること自体が世界の迷惑・・という認識になることです。「常識」たるものは国力のあると自認する国が作り、国力(≠軍備力)が全ての社会を制するということになりますね。それがイヤなら鎖国でもしなければならんでしょうね。どっちにせよ、このような価値観を画一化する時代が来ると、そのうちどこかの地域で歪がくるという気もしますけど。
企業のIRとか言うところで、情報開示を求められている一因は、間接的な形にせよ「物言う株主」からのリスク回避だとおもいます。したがってその心は、その社会に対する貢献の比重は多くなく、投資回収という説があります。但し、その考え方自体が経営者にわかっていたとしても、社員に利得をまわすこと自体を否定する段階で、日本社会からそっぽを向かれるという前門の狼・後門の虎状態が出てくる。そこで短絡的に走るのは、どこを犠牲にするかということしかなくなる。選択肢がない場合、意味が複雑でその特性上分かりにくい性能認証の偽装だったりすることはありうることではないでしょうか。(そこを考えると規制緩和というのは、遠まわしには競争力の付与でもあったのですが・・・投資回収圧力で守るべきモラルのほうが瓦解してしまった。)技術に資本投下したくても出来なくなる・・というのは今度は投資回収能力を疑われて、資金引き上げをされたらどうなるか・・・。となると、企業は情報開示で「見える化」をしてるようにして、その実「魅せる化」にしなければならなくなるのと思うのです。
このスパイラルでは工業という業種でさえも、ハイリスク・ローリターンの塊になって行くのは、嘆かわしいが誘導されてるかもと思ってしまいます。どこかでこのスパイラルを断ち切れないものでしょうか。そうなる時に本当の「魅せる化≒見える化」が成り立つとも思います。
いま、企業の中で「見える化」という経営経営トップからの指示をダイレクトに反映する改革が謳われています。そこは(本当は経営陣の自己満足という見方もあるのですが、)いろいろ企業を見ていくと、社員ではなく経営でもなく株主への評価資料としなければ、経営陣は追い詰められる事象もあるようです。さらにこの中には、この欺瞞を内包し、経営上のダンパー/緩衝器がなくなってしまうという、硬直化経営になることを容認したまま、市場に棹挿す事もあたわず動いてる事例が多いみたいです。これは日本だけではないです。かくいうエンロン事件もそのひとつだといえるかも。
本当に向上したプレゼンテーション技能の前に、私たちは深読み能力を封じ込まれていませんか。さもなくは深読みできないほど事象が地中深くさん孔されてるんでしょうか?「魅せる化」と粉飾はちゃんと考えれば違うことですが、もしかすると紙一枚の差かもしれません
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