« Welcome to the 教育的指導 | トップページ | セルフを選んだなら知っておこう »

学生劇団

関西は、学生劇団と言うものが結構人気があった時期があるのです。
もう亡くなったが、親族で同志社大学在学中に学生劇団にて結構頑張った人が居るんですが、かれは学校を出てから、なにを思ったが警察予備隊→自衛隊に入り事務官で勤め上げたという、かなり面白い経歴を持っていました。ただそのことがなにかあったのか、どうも親族の中には「学生演劇」を面白いものと思っていないものが多かったらしく、私はしばしば釘を挿された(ということは、芸事が浮きだから、やりかねないと思われていたらしい。これは、私が、新聞屋さんから貰った切符をしばしば使って「京都花月」「なんば花月」で寄席・軽演劇を見ていた(これも短絡的だがねえ)からかも。)んです。
他方、「宝塚歌劇団」は一寸堪忍でしたな。これは別に「阪神モダニズム」と相対するなんてことではなくて、鉄道ファンならではの別の要因がありまして。以前は阪急電車の社内広告に雑誌などの一般的広告は全く無かったのです。車内の広告は阪急Grのデパート・遊園地などに限られていたのです。たまにちがうと関西テレビ放送の阪急Gr提供の番組CMだったり。(ちなみにKTVの第2位株主は阪急阪神ホールディングス(19.10%)で、なぜか筆頭株主のフジテレビジョンをさしおいて持分法適用会社になっている。もとは阪急の所有する株である)しかもあいたスペースには「宝塚歌劇団」の著名な劇団員の写真が入っているし、駅の中の掲示も、空きが出来たところには「宝塚歌劇団」の著名な劇団員の写真が入ってました。(その後経営上の見地から広告スペースの制限はなくなりました)近鉄Grは(対抗上)松竹歌劇団を源とする、OSK歌劇団をもっていたのですが、ここまであからさまなことをしていませんでした。けど、逆にOSK歌劇団が経営的にはなりたたなかった遠因になってるともいえましょう。
----------------
そのことを思うと、はじめて小田急線・京王線下北沢駅の改札の外に出たときにはその手の小劇団・本多劇場などには非常に興味があった記憶があります。(そのうち中央線のほうが、車外に劇団の稽古場が多いことに気が付くが)けどオタクでシャイ(苦笑)な当時の私はその方向には進まなかった。というか、関東の劇団は比較的文芸的志向が高いのに対し、関西での劇団活動は「めだちたい」という志向があったからか、商業意識をかなり明確に出していた。(逆にそれに不満な人は、関西出身でも東京のほうに出て行ったともいえるでしょうね)。そういえばKTVに就職した知り合いがいますが、演劇好きでしたね。(その後、『あるある』事件の直前に関東にたまたま赴任してかなり苦労したみたいです)
----------------
私たちの時代になりますと、関西学生演劇ブームというのがありまして、多少私たちにも影響を与えています。大きなものはこの3つですか。(今、OBで演劇・アニメ界に身を置いてる人も示してみました)
●「そとばこまち」:辰巳琢郎・川下大洋・生瀬勝久・山西惇・山崎和佳奈
・・・京都大学演劇研究会を母体とし京大生をベースに、同志社大学の学生も活躍している劇団。この2つの大学は・京阪線/叡山電鉄の出町柳駅を中心として1キロぐらいしか離れていない。(今はどっちも他のキャンパスがあるが、それにしてもそんなに時間距離はないですね)作風は時代ごとに変化。全体にお坊ちゃま的なところがある気がしますね。
●[劇団☆新感線」:古田新太・羽野晶紀・筧利夫・藤吉久美子・いとうまゆ(当代のNHKの『たいそうのおねえさん』・・・この人は客演みたいですね)
・・・大阪芸術大学の学生が立ち上げた劇団。トコトン娯楽性を強く持っているのは今も変わらない。劇団活動などや放送作家を沢山出したことから逆に大学の知名度が上がった。(従前、大阪にそこを志向する学校がなかったこともある)いまや、学生劇団の発表の場として「産学協同(爆)」というべきテレビ局とのコラボ企画が非常に多い。
●「賣名行為」(1991年解散):立原啓裕・升毅・牧野エミ
・・・良く見るとそのもずばり。ここは、いろんなところから来てる人が多いようです。大阪芸術大学のOBもいます。いま、「賣名行為」の名前で大阪中心に活動してる団体が居るようですが、そのあたりはどうなってるのかわかりません。
このことから、大阪芸術大学OBである故中島らも氏はしばしば台本を「劇団☆新感線」と「賣名行為」に書いたり、使いまわしたりしていたようですね。そののちリリアットアーミーと言う劇団を作る。参考:こちら
----------------
事実、私の身の回りにも、演劇をしたいために、京大にいくと豪語していたのも居り、乃至は意図して同志社大にいったのもおります。そういうのには、卒業後もいろいろと演劇活動をしてる人もいるようです。事実高校の同期や後輩(というのは私、生徒会長をしてたので前後2年の生徒はあらかた分かるんです)に複数、それ目的に活動してるのがいましたし、今も活躍してるのがいます。
私は、演劇は一つの職人技だと思っています。集団で行うという意味もありますがその実、しなやかな骨を持ってないとただ徒に流されることにより消えていく。消えていくことは彼らにとっては発言権の消滅を意味しますから、何らかの技・分析技術をもってなければならない。相手とする対象物こそ違え、へら絞りの職人さんや、染色技術者でも意匠までを立案するクラスと比較すると、ある意味おなじだと思います。そこは落語家にも同じ根源を見るのが私のクオリティーというかポリシーなんです。PDCAを自分の中で反芻する必要があるし、Cから始まる職務開拓も多い。そして運で活動してる人は、じつは消えていくのです。但し、逆に努力してるから、世の中でつかわれるという世界でないのも、あるんですが。
たとえば、このごろいろいろ話題(注:本当に離婚/芸能界復帰の話があるみたいですね)の羽野晶紀さんもその実、ポアーンとしてる(高校時代の彼女を知ってる人がいますが、天然ボケということはないらしい・・・)ようですが、考え方とかは非常にイノネーティブでしたから人気が出たのかと思いますし、まだ話題となる(酷評する人もいるのも事実ですが)。事実、当方も工学の世界に目覚める前(中二ぐらいまで)はアナウンサーになりたかったという微かな記憶が・・・(恥)
その代わり、当方の弟がそういうところを、多少引き受けた経緯がありまして、大学生時代はシュールな漫画を書いていましたし、さらに就職しても、「キミは産大出だなあ。」というだけで、お座敷芸を受け持つ嵌めになったらしいですから。(当時は「あのねのね」や「笑福亭鶴瓶」(.・・・じつは元々あのねのねには駿河学氏は入っていたのですが・・だから彼は関西フォークの知識は深い)のイメージがつよかったのですな)
---------------
歴史にもしもを入れるのはよくないでしょうが、私が同志社大学に受かって本命に落っこちていたら(最後の最後は逆になった)、そして親戚・家族と一線を画していたら、生瀬勝久氏の下、演劇をやっていたかもしれませんし、そういうのが知り合いにもいくらかいるんですな。やりきっていたかは疑問ですが、もし人間として生まれ変わったら一度はやってみたい世界であります。特にサラリーマンNEOで、生瀬勝久氏や山西惇氏を見ると、最近そう思えてならないのです。
さあそうなると、どういう芸名になってたでしょうかねえ。「槍魔栗三助」(生瀬勝久)とか「つみつくろう」(辰巳琢郎)とか危ない芸名になりそうですね。間違っても「デハボ1000」にはならんでしょう。
嗚呼世に目立ちたがりの種は尽きまじ。
ブログランキング・にほんブログ村へ

(PS)羽野晶紀さんがTV出演を始めたそうです。(11/15)そこで最初の仕事は、古田新太氏や生瀬勝久氏と一緒にキグルミを着たコントなんだそうな。彼女らしい復帰の仕方と思う。

|

« Welcome to the 教育的指導 | トップページ | セルフを選んだなら知っておこう »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/16961866

この記事へのトラックバック一覧です: 学生劇団:

« Welcome to the 教育的指導 | トップページ | セルフを選んだなら知っておこう »