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何かに頼る

いそん 【依存】 〔「いぞん」とも〕大辞林 第二版より (名)スル
(1)他のものにたよって成立・存在すること。「食糧の大半を外国に―する」
(2)〔論〕「依属(いぞく)」に同じ。ある事物の存在・性質が、他の事物の存在・性質によって規定される関係。例えば、結果と原因、帰結と理由、部分と全体との関係など。
いそん-しん 【依存心】 人にたよる気持ち。 「―が強い」
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相対的評価や相対的価値観の中で日ごろ物事を判断することが日常である私たちは、時としてむなしいことがあるんです。絶対的価値観や出典に依存して、価値観の普遍性を求める行為は、権威主義ということと時によっては表裏一体なのです。ただし、常にネットで検索していろんなデータを探したり、図書館で文献を探したりすることは必須ですよね。そこで考え方を替えることもあるんだから。そこの危険を良く見極めていくには、私はいろんなモノを見て選択するスキルを養うことにあるんだと思っている。毎日のBLOGの見直し、更新はそのためにあると考えるのですが、後日読み返すとあららというのもあるのです。
勿論ギブアンドテイクです。検索エンジンを使っている以上、このつたないBLOGとて、使われる事も考えて修正などを加えていくメンテナンス作業も必要なようです。というのは、この記事を検索エンジンで引っ張ってる回数が管理できるのですが、それを良く見ていると、私の記事が参考文献となってる事例が時々あってびっくりする事もあります。まあWEBの開放性というところはそこにあるのでして、私はそれの柔さを知ったうえで、その利点を引き出す活動をしなければなりませんね。
このところWIKIの記事を役人さんが書き換えてるということで意見の誘導をしてるとか言われ、各官庁ではそれが出来ないようにサーバーのプログラムを書き換えたとか聞きますが、それをみうらじゅん氏は皮肉ってるの見ました。曰くそれはどの国の官庁もやってることだと。それをしていき後の人が書き換え足り推敲するからこそ、よくなっているんだと。WEBの自立性はそういうものですし、脆弱性もそこに内包していますもっとも職務時間にすることかというと確かに疑問かもしれませんが・・・
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ここでWIKIの話をするとまた面白い見方が出来るんですが、そこはまた別に語りましょう。
どうしても他のモノに頼ることが必要である現代。一人で歩いている・生活してると思ってもそんなことは無いわけです。ガスや電気を使う以上その関与はあるわけだし、携帯電話のインフラがないといまや生活の糧さえなくなる人が多いのですから。というわけで、WEBの世界で生きるにしてもリアルの世界で生きるにせよ依存するところはどこかにあるのですね。というわけで冒頭に「依存」なるものの定義を調べてみたわけです。
ところが過度な依存なく、バランスよく(といいながらこの言葉自体、絶対性を持たないですが)というのは理想でようがそんなことと出来ますかね。破綻することはいわゆる依存症ということになります。
依存症は、WHOが提唱した概念。古くは、他の概念の中に包括して中毒と表現しました。化学物質摂取やある種の快感/高揚感を伴う特定行為を繰り返し行った結果、刺激を求める抑えがたい欲求が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、さらにはその刺激がないと不快な精神的・身体的症状を生じるのみならず、全く別の症状が喚起されて本人が生活を困難にしてしまう精神的・身体的・行動的状態で、この状態のことを「依存が形成された」と言うとか。
●物質依存:摂食障害、薬物依存症、アルコール依存症等
●過程への依存:ギャンブル依存症、ネット依存症等
●人間関係・関係への依存:共依存、性行為依存、恋愛依存(カルト宗教への過度の傾斜も入れることもあるようです。)
「急性中毒」「慢性中毒」は、依存症とは区別されるが、物質依存においては、急性中毒・慢性中毒の病態を合併していることも多いとはいえるとの事です。刺激を求める抑えがたい欲求が生じというところがキーなのですが、多分に定性的です。定量化できない項目だから、判断が人によって異なるんでしょうね
http://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2006/12/2_5b99.html
http://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2006/07/post_bdab.html
これは薬物依存症の例ですが、困ったものです。
そしてこれも、一種の依存ではないでしょうか。しかも依存症において、病的な心理的防衛機制である「否認」が多用されることがしられており、しばしば依存症は『否認の病』とも言われるのですが、下記の場合も自己正当化が見られるというのです。
------------引用
エロ教頭の性教育…ロリコン雑誌投稿、衝撃の中身とは ZAKZAK 2007/10/05
札幌市で16歳の少女にわいせつな行為をしたとして小学校教頭が逮捕されたが、教頭はロリコン雑誌の世界では「カリスマ投稿師」として知られ、(中略)逮捕された小学校教頭(54)は1991年以降、出会い系喫茶などで知り合った女子中高生計600人あまりのわいせつな写真を、判明しているだけで26誌ものロリコン雑誌に繰り返し投稿していた。「アスピリンスノー」「北極星」「北斗七星」といったペンネームを使い分け、(中略)特集「本物教師折檻LIVE」では、同僚と思われる女性教師が登場する。モデルの女性が「教師である前に女ですから…」と告白している。
------------後略
しかも私でさえこのカリスマ投稿師の名前「アスピリンスノー」は知ってたりするんですおい)従来からかれの論旨は自己正当化の論旨が強いと思っていましたが、どうも性格の2面性もあったようですね。依存症と名札をつけることは簡単ですが、それでは全く終わらないのも現実です。

違う例を出しましょう。渋谷区の神泉駅と渋谷駅の間に円山町というところがありますが、ここに道玄坂地蔵という仏さんがおります。参拝する人がおおいそうですが、必ずしも地場の信心深い人が多いというわけでないようです。というのはこの事件の被害者が毎日夜に立っていたのがこの場所と言うわけで、しかも被害者に同感する人、私も一歩手前だったという人の供物が、今もって絶えないそうです。またその唇はお参りに来る人にて塗られた口紅で赤く染まっているそうです。法律的問題が紛糾してるようなので詳細は書きませんが、誰しも依存をしたがったり典拠を求める弱さがあるんだなと感じます。いや弱さで無く、これが社会生活の本質かもしれません。共感と同意はやはり必要なんでしょうね。そういえばどこかの社訓に「共感と同意のある経営」というのがあったような。

人間はお互いに依存し、相互に助け合い、時々刺激しながら生活してるんでは無いかなと思っています。ただそのときに、どのように依存しすぎないようにするか、フイードバックが個々に暗黙の了解の下に求められる時代です。工業的な言い方ではPDCAをまわすという言い方になるのですが、全てのものにこれを適用して済むのかとはいえないです。面倒な話ですね。現代の生活は、かつ病みの中に収斂されるかもしれないと思ってしまいます。重い!
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コメント

>というのはこの事件の
こんにちは、この受刑者、横浜刑務所に入っているそうです。
↓立ち読みしていたら書いてありました。
この国の品質 (ハードカバー)
佐野眞一

投稿: | 2007年11月15日 (木曜日) 21時38分

>この国の品質 (ハードカバー)
佐野眞一氏の執筆なら彼の積年の取材が根拠になってるのでしょう。かなり人権とか国際法上での考え方とか、難しい話が関わってるみたいですね。

投稿: デハボ1000 | 2007年11月15日 (木曜日) 22時02分

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