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ノラや・ノラや

----------踊り場(神奈川県民話)------(注:いくつかのバージョンの一つ)
むかしむかし、相模国(神奈川県)戸塚に、水本屋という、しょうゆ屋がありました。主人とおかみさんの間には娘がいて、メスの黒ネコを飼っています。 
しょうゆ屋は仕事がらどうしても手が汚れやすいのですが、汚れた手ぬぐいで手をふいていたのでは見た目が悪いので、きれい好きの主人は口ぐせのように、「腰にさげる手ぬぐいは、毎日洗うように」と、みんなに言いきかせていました。店が終わると、それぞれが自分の手ぬぐいを洗い、二階の物干しの手すりにほしていました。
ある朝、手ぬぐいを取り入れようとしたら、娘の手ぬぐいがなくなっていました。きちんととめてあったので、風にとばされるはずはなく、ドロボウのしわざかとも疑ってみましたが、まさか手ぬぐい一本だけをぬすんでいくドロボウはいません。不思議に思いながらも、娘は新しい手ぬぐいを出してきました。 そして次の日の朝、今度は主人の手ぬぐいがなくなっていたのです。
ある日、主人はとなり町の知りあいで酒をごちそうになり、おそくなってから家へもどってきました。あっちへフラフラ、こっちへフラフラと、月夜の道をいい気分で歩いていると、村はずれの小高い林の所でだれかの話声が聞こえてきました。(はて、こんな夜中にだれが話しているのだろう?)不思議に思って話し声のする方へ近づいてみると、なんと十数匹のネコが、林の中の空き地に丸くなって座っているではありませんか。 そしてもっと驚いたことに、その中の三匹が手ぬぐいをあねさんかぶりにかぶっているのです。(あっ、あの手ぬぐいは!) 主人は、もう少しで声を出すところでした。一つは自分の手ぬぐいで、あとは、かみさんと娘の手ぬぐいなのです。(さては、ネコのしわざであったか)
主人はネコに気づかれないよう、草むらにかくれて息をころしました。「お師匠さんおそいね」「早く来ないかな。今夜こそ上手に踊って、わたしもお師匠さんから手ぬぐいをもらわなくちゃ」 もう一匹のネコが、言いました。(へえ、踊りを習おうというのかい。これはおもしろい) 主人は、お師匠さんというのが現れるのを待ちました。
しばらくすると、頭に手ぬぐいをのせた黒ネコが、「ごめん、ごめん、おそくなって」と、言いながらやってきました。(あのネコは、うちのネコじゃないか!) 主人は、目を丸くしました。
「それじゃ、さっそく始めようか。さて、今日はだれに手ぬぐいをあげようかな。だめだめ、一番上手に踊ったものでなくちゃ」見ていた主人は、なんだかワクワクしてきました。(おどろいたな。うちのネコがネコたちの踊りのお師匠だなんて。それにしてもあいつ、いつ踊りを覚えたのだろう。・・・そういえば、娘が踊りを習っている時、ジッと動かずに見ていたっけ)
「まずは、きのうのおさらいから。はい、♪トトン、テンテン、トテ、トテ、トテトントン」 口で三味線のまねをしながら黒ネコが踊ると、ほかのネコたちも、いっせいに踊りはじめました。「はい、そこで腰をまわして、手を前に出して、それっ、♪トトン、テンテン、トテ、トテ、シャン、シャン」(なるほど、お師匠というだけあって、うちのネコもたいしたものだ) 主人はこっそり草むらをはなれると、ネコに気づかれないように家にもどっていきました。

 さて、だれがこの事をしゃべったのか、ネコの踊りの話はたちまち町のうわさになり、こっそり見物にくる人がふえるようになりました。するとネコたちもそれに気がつき、いつのまにか踊るのをやめてしまったのです。水本屋の黒ネコは、その後も手ぬぐいを持って出かけていきましたが、そのうちに、もどってこなくなりました。
主人はネコ好きの人たちと相談して、ネコの踊っていたところに供養碑をたてました。今では、その供養碑はなくなってしまいましたが、ネコの踊りの話は長く語りつがれて、今もそこを『踊場』と呼んでいるそうです。
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ネコには何かと縁がある当方ですが、上記の場所は、実際に駅名として残っております。戸塚から行きますと丘陵地帯の上になります。ちなみに、この駅はかなりネコを意識した意匠が施されています。また供養碑はないようですが、由来を記した碑があります。現在は踊場という住所表記は無いようです。(地番として残ってる可能性がありますけど)但し、戦争前から走ってるバスには最初からあったバス停だそうです。
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まあ、動物によるセラピー効果は良く見られるそうで、ネコは(アレルギーの問題が無ければ)愛玩動物として良く飼われています。もちろ亡くなったりしたときの喪失感が大きいそうですね。良く迷いネコとか迷い犬、迷い鳥のお願いは電柱などに張られてるのをみますが、随筆で有名で、最近は「阿房列車」が漫画でリメークされたりしていることで再度注目が集まっている作家の内田百閒氏は、1957年に愛猫ノラが行方不明になった時に、訊ね猫の新聞折込広告を造ったそうです。その写真があります。都合4回出したそうで、そのうち1枚は英文だそうです(元々士官学校のドイツ語教官や法政大学教授、日本郵船嘱託とかをしていた)。当時69歳。すでに老年に至っていた夫婦にとっては、身がそがれる思いだったのでしょう。
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内田百閒先生の自宅の庭にいついた野良猫が子猫を生んだ。その中の一匹に、なんとなく御飯をやるうちに、その子猫がすっかり百閒夫婦になついてしまった。本来猫には何の興味もなかったけれど、追っ払うのも可哀想なので、野良猫のまま飼うことになった。野良猫だからノラと名付けた。
飼い始めてみると、先生、ノラが可愛くなってしょうがない。ノラの一番の好物は、寿司屋の卵焼き。そのよろこぶ様子ったらない。魚屋から旨そうなアラをもらったなら、まずはノラのために薄口で煮てあげる。余ったアラは濃口にして自らの食卓へ。万事そんなふうで、いつもノラの好物を一番に考える始末。寝ているノラに顔を寄せては「ノラや、ノラや、ノラや」といいながらその背中をさすってやる先生。
3月27日のこと。ノラはいつものようにそわそわと外に出ていったのだが、不吉なことに、その夜は肌が凍るほどの雨風となる。そんな中、必ず帰るはずだのに、一晩まってもノラが帰らない。ノラが、帰ってこない。
百閒先生の涙は止まない。八方手を尽くしてみても、ノラは見つからない。何ヶ月経っても、ノラは帰らず、百閒先生の涙は止まない。 ノラは先生の心の一部分を持ち去ってしまった。そうして、ぽっかり空いた心の傷からこぼれる涙を止められない先生。日々、悲しくて読み返すことのできない日記を書き連ねつつ、時は行き過ぎてゆく。(「ノラや」)
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多分私もそうなるんだろう。
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