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少しお仕事してきました

先週末は、客先に呼ばれたことなどもあって、静岡県掛川市に行き、そこから、いくらかのところを回ってお仕事をしてきた。
掛川と言う町は10年ほど前から色々と仕事の関係でお付き合いが有る場所である。(複数の企業)で、元々は遠州と駿河の境界線に位置する城下町を出自としたこじんまりとした地域であった。(実際、自動車のナンバーは浜松になる。反対に隣の島田市・・というか旧金谷町は静岡ナンバー)ところが、新幹線の駅が出来たことで、更に沢山の企業が集まり、従来の茶の集積地というのがメインだったのがいまや、今は、生産工業(もっぱら組立工業)の拠点となりつつある。そのおかげで、意外とすみ良い町になっているようだ。(郊外型の定住団地も結構あるんです。)このようになったのは、やはり新幹線駅誘致により、工場立地が進んだことが大きいようである。いまや工業生産高は県内4番目なのだそうだ。
Wikiでは、
東海道新幹線掛川駅や東名高速道路掛川インターチェンジとともに工業団地(東部工業団地、上土方工業団地)の誘致に成功、拠点都市としての性質を強めると同時に製造品出荷額1兆円を超える県内有数の工業都市となった。その結果、脆弱であった財政基盤は大幅に改善され、2006年には財政力指数が1.033に到達、初めて普通交付税不交付団体となった。
となってるが、事実この工業団地や(旧大東町などの合併地域にあった工場も含め)いろんなリゾート(たとえば、ヤマハリゾートつま恋)やゴルフ場に来るお客さんの数は相当なもののである。(土日に駅に行くと結構ゴルフ帰りの人に会います)あと今は、東京女子医大看護学部と病院もあるそうで。
掛川駅を含め新幹線の駅で、設置地区の請願で出来た(つまり鉄道会社が金を出していない)駅は「新花巻・水沢江刺・くりこま高原・安中榛名・新富士・掛川・三河安城・東広島・厚狭」と三島だったと記憶している。三島の場合はほとんど予定された行動であったらしくこの場合は外したほうがよいようなのだが、以前新聞に載った記事だとこれらの駅のなかで、一日の乗降客を概算整理してみると・・・・(統計の年度がばらばらなのでご参考)
掛川:4200人(参考:在来線約8000人 天竜浜名湖鉄道1300人)
新富士:4600人
三河安城:5400人(在来線込み)
厚狭:900人(参考:在来線約1600人)
安中榛名:300人
くりこま高原:1200人
新花巻:900人(在来線込み)
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参考までに浦佐:1300人 岐阜羽島:3000人というところだから請願駅としては成功したほうであろう。新富士駅の周辺には40万人の人口があるが、掛川市は11万人、健闘してるほうだと思っている。事実朝降り立つと、タクシー乗り場の前にビジネスマン達が列を作る。また、駅を請願し打ち立てた市長は、財政状態がいいということで、交通(自動車交通は避けられないものとして、バスの運行補助に力を入れたり)や積極的な景観保持に力を入れたりしていると聞く。さらに、以前は無かったのだが、最近は駅前に駐車場が出来て(上に書いた新幹線駅でも、厚狭やくりこま高原はこれが当初から顕著らしいが)ここから、新幹線に乗り換えたり、静岡方面の場合は、道路混雑(多分橋梁の制限)の問題もあるので在来線に乗り換える人も多いそうである。ところが、お付き合いしている複数の会社の人と雑談をしていると、穏やかな気候で部品工業と農産加工という産業を持っているから、すみ良い町ということは認めるものの、生産や設計に関わるいい設計者がきてくれないというのが悩みの種なのだとか。どうしても浜松・冨士・静岡(清水区)のほうが工業的にはメインだし、なにぶんにも愛知県が近いということが、人財がねえという話をしている。では技能者はと言うと、意欲も高くそれなりに定着率がいいという優れた側面はあるのだが、技術者には刺激が少ないのだとか。これは悩ましいことだなあとは考える。刺激が多いほうが時代の先端技術をキャッチできる代わりに、ルーチン的な設計に閉じこもってしまうという意見は、二律背反なのかもしれないですね。その分、社内セミナーなんぞも頻繁に行ってるそうなのだが、社内のスキルアップにはつながるが、新しい人材が・・・というとまたこれは別みたいだからねえということらしい。
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話を変えて、宮城まり子氏が主宰する肢体不自由児の施設「ねむのき村」がこの町の郊外に有る
宮城まり子氏は御年80だそうだが、私にはすこし思い入れがある。Wikiから持ってくるとこうなる。
1968年に肢体不自由児の社会福祉施設「ねむの木学園」を静岡県浜岡町(現御前崎市)に発足。(1997年から掛川市に移転)この頃より、タレント活動は事実上引退状態となる。1974年には記録映画『ねむの木の詩』を製作・監督し、第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞した。1977年には『ねむの木の詩がきこえる』を製作した。1979年「ねむの木養護学校」を発足。1975年と1981年に実施された、近畿放送(京都放送=KBS京都)テレビ番組「宮城まり子のチャリティーテレソン」を通して身体障害者の社会参加を訴えた。これらが評価され、1979年総理大臣表彰された。
今、日テレとフジテレビが24時間テレビというのを行い、社会に対して募金と社会福祉の認知を呼びかけているが、33年前に行った1975年の「宮城まり子のチャリティーテレソン」が日本国内の「チャリティーテレビ番組イベント」の嚆矢である。なお近畿放送はラ・テ兼営であるため実際はラジオでも同時放送を行っているのを確認している。このため、ニッポン放送(系列)がラジオで行ってる「ラジオミュージックソン」はこれを展開したものではないらしいが時期的に少し送れたため、こちらも結果としては本邦の嚆矢となるのだろう。(こちらも1975年開始)
この直後、宮城まり子氏は人脈をつないで、ミュージカルを京都市内の南座で(意外だと思われそうだが、わりとこういう活動は南座で行うのである。花道のある舞台でミュージカルというのも変だと思われるかたもいそうだが、関西の中でも一流の舞台と言う解釈のほうが正しいと思う。OSK歌劇団の公演も今度するようだ。)何回か(1月単位の興業)公演している。(監督・主役)で当時京都在住だった私は、弟を連れて南座に何回か行っているのだ。
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関連施設(掛川市)http://www.nemunoki.or.jp/
○ねむの木のどかな家
○森の喫茶店MARIKO
○がらすやさん
○雑貨屋さん
○毛糸やさん
○地域交流インフォメーションセンター
○吉行淳之介文学館 (彼女は生前の氏のよきパートナーであった)
○ねむの木こども美術館

というのがあるそうだ、一度、時間を作って見に行っても損はないと思っている。

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