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精神主義でいこう?

-----------引用
相撲協会、時津風親方を解雇[共同通信社:2007年10月05日 19時26分]
 日本相撲協会は5日、緊急理事会を開き、時津風部屋の序ノ口力士、時太山が6月けいこ後に死亡した問題で、協会の信用を失墜させたとして師匠の時津風親方(57)を満場一致で解雇処分とした。永久追放となる解雇は協会の賞罰規定では最も重い処分。北の湖理事長は退職金を支給しない意向を示した。また北の湖理事長が4カ月の減俸50%、ほかの理事などは3カ月の減俸30%を自主的に決めた。
-----------終了
時津風部屋は両国駅の南側の昔からの町、墨田区両国三丁目(といってもこのあたりは吉良邸跡・・赤穂浪士が吉良上野介に主君の浅野内匠頭の仇討ちを果たした場所。いわゆる旧本所区です)の中に有ります。赤煉瓦外壁のマンション構造になっていまして、1Fに稽古場など、2F以上に親方などの家や弟子達の居住場所となってるんですが、実は一部はマンション(賃貸かどうかは不明)です。有力後援者たちを招くことも度々あり、ハイヤーがずらーっと並んでいた事もあります。(その際は親方が出迎えされていました)部屋を近隣に作ることが出来ないほかの相撲部屋に比べて有る意味環境はいいと思います。・・・って相撲がすきというわけでない私がなんでこんなことを知ってるのかと言うと、一時、営業技術の仕事で筋向いのビルにある事務所に勤務した時期があるんです。
相撲自体にあんまり興味が有るわけではないのですが、どうも「ちゃんこ」になじみきれない人が多いのか、両国在勤時代の昼飯は、結構興味深いものでした。とんかつ屋に入るとロースカツ定食を2人前食ってる若い人を毎日見ましたし、コンビニからから揚げを食いながら出てくる人も多かったです。
確かに昔の相撲取りは米や鍋物で量をとることで、筋肉質でかつ肉質のいい(?)人が育ったといいますし、ブロイラーのようにでんぷん質と水分をつめこんで、横になれ無い状態で寝る大横綱もいたと聞きます。まさに北の湖理事長はそのような環境の中で上り詰めた名横綱でした。

ただ、いわゆるメタボ体型である私が言うことは恥ずかしいのですが、油モノや間食で腹を満たすように若年層は食に対する認識が変わっているのでして、それを否定する指導をするならば、それまで育った生活環境を否定することになる若年層は以前に比べてはるかに多いと思います。多分、親方衆はかつての自分の生活を投影して指導しているのだろうと思います。ところが、多分その環境はもう過去の遺影にしか過ぎないのかもしれません。かつ親方衆は概してそのような辛酸をなめて上り続けていった人が多いでしょうから、どうしても歯がゆさを覚え、「精神主義」に回帰してしまうのかなあと思います。
最近、「心・技・体が備わってるのが横綱の品格であるべき」という考え方がよく口中にのぼりますね。それはあくまで「有るべき」であって、そのような達観した人生を考える人は、逆に技が足りないということから挫折する事例も多いそうです。まあ野球に投影して考えると、バレンタイン監督にしても、ヒルマン監督にしても広岡達郎氏にしても現役の時に非常に有能というわけではなかったからこそ、監督として優れている面があるのかなあと想起します。勿論現役の時に有能という方も、野村氏、王氏など一杯いるのだが、現役引退後、かなりインターバルがあってから成功する方がおおいのは、それなりに視点を変えてみるからであろうとかんがえます。そのような養成システムが相撲の場合できているのかというと、どうもうまくいっていないようだなと考えます。
精神主義」という方向性は、その民族由来のものもあり、否定すること自体無意味だと思いますし、危険性を内包すると思います。ただ今の日本国ではそのトータルバランスが崩れてるのを示唆しているかもしれないという認識を持ちました。
あたかも鋳物砂が鋳造後、綺麗に崩れる如くなってそこで本物が出来上がるということを想定することはいいのですが、反対に一寸の鋳物方案の作り方や、砂の選別、型離れを促す白身や、糖蜜を最適化できなくオシャカを作るのは、工業製品より人材のほうが多いのです。・・・ってさっき日本鋳造協会誌をよんだからか(おい)・・・その認識のバランス崩れが見えない危険性は、どこかに認識しておかなければならないかもしれません。
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コメント

こんばんは。
私もスポーツには「気合」や「根性」といった精神主義も時には重要だということは経験上理解しているつもりです。けれども、時津風親方の事件はひどすぎますね。

ものづくりの世界でも、鋳物は特に精神主義が強調されがちのように思います。曰く「長年の経験に基づく勘が重要だ」、「熟練技能が不可欠だ」、「鋳物作りは真心だ」などなど。確かに暗黙知の領域が大きい技術であるとは思いますが、もっと科学的なアプローチで取り組まなければ今時の若者にはそっぽを向かれてしまいますし、技術的にも欧州などの後塵を拝するように思います。実際、凝固や湯流れのコンピュータによるシミュレーションの開発は完全に欧米主導ですし。
ものづくりでの妙な精神主義はちょっと見直したほうがよろしいかと。。。

投稿: kunihiko_ouchi | 2007年10月 6日 (土曜日) 23時15分

ものづくりが作業員の手で行われているうちは,技能伝承のうえで精神主義は必要なんだろうと僕は考えています。アタマのいい人は管理する側にいるのでパソコンを駆使して技術を追求するでしょう。けれど現場で汗を流す人たちはそうではありません。しかも「最近の若者」は自分で考えることを無意味と思っている者も多いようです。ついでに「根性」も死語同然です。現場監督という仕事をやってみて,作業を進める難しさを感じています。
学歴格差が,ものづくりの現場を頭でっかちにしているかのようです。

投稿: niwatadumi | 2007年10月 7日 (日曜日) 22時18分

私が仕事をはじめたころは、現場の技術はまだ盗むものでした(といっても、設計職が盗みに来る事例は少なかったので、むしろ「そんなやつはめずらしい」という意識でまだ納得してくれた人物も多かったですが。)というのはその理想的な作業がなにを所以にしているかを無視して、「作業標準」を書く設計者が結構いたため、実物・実作業との乖離があまりにも多すぎ、またそういう姿勢が、設計理論と実作業の乖離(ひいては作業者と設計者の齟齬)とモラールダウンを招いていたんですよね。
根性とかいう文言はすでに派遣社員などの導入という経済的経緯から死語になりましたね。反面、指導員は作業の重さを感じずに仕事を命令したりしています。非常に憂慮すべきですな。
>凝固や湯流れのコンピュータによるシミュレーションの開発は完全に欧米主導ですし。
日本も独自のプログラムを使ってる事例があります。但し海外の学会に訴求するには日本製は有名でないだけ非力なのです。
しかし、「実物との照らしあわせ」(実証作業)について考えると、どちらがというとそう変わらないのではと思います。(なお大手鋳造メーカー自身で自社専門のプログラムをつかっているものの社外にあえて公開指定していない事例も日本は多いです。)
>現場監督という仕事をやってみて,作業を進める難しさを感じています。
設計者は「技術」に価値を求める。しかし現場の技術者は「方案の創出」に価値を求める。ターゲットが違うのです。我々技術士という立場は、それをうまいことつなげる「瀬戸大橋」にならなればならない。そのためには両方の仕事のアブストラクト(概念)をしっかり査定する仕事が実は大きいのです。

投稿: デハボ1000 | 2007年10月 9日 (火曜日) 21時47分

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