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朝に礼拝・夕べに感謝

福田政権が誕生しましたが、親の福田政権も結構「人命は地球より重い」という名言を残すなど小手技が目立つ時代でしたね。
どうしても私にはお父さんの演説と、その時代の遊びほうけていた自分が重なるのです。だから、(おい)今日はプロとしての力量評価をみなさんがしているのにかんがみて、プロとしての瑕疵をどう自責観念とリンクさせないかということを考えたい。なぜそういうか。それをするといつ「有り難や」という世界に追いこめられるかというせめぎあいが私を苦しめるからである。

あるお医者さんのBLOGを読んでいたらこのような文章が目に入りました。
-------一部引用
ここまで書いたこととは少しズレますが、自分の知っていることを知らないとか、自分が理解していることを理解できないとかいう理由で、すぐに相手をバカとか無能と決めつける人がいます。でも相手は自分の知らないことを知っているし、自分が理解できないことを理解しているのです。極めて狭い視野で相手の能力を否定するのは間違っています。これも見えないからで、見えない本人こそ能力が低いのです。
素人の勘違い上から目線で専門家を愚弄するのも似たようなものです。一般人とか世間とかいう言葉を金科玉条に振りかざして、例えば弁護士さんなどの意見や行動を真っ向から否定する人達が最近多いなと感じます。これは専門知識がないから、それが十分にある人達には見えることが見えないことに根ざすと思います。でも一般人とか世間とか標榜する人達は自分たちが絶対ですから、自分たちの考えとズレている専門家の方が間違っていると決めつけます。素人で知識の乏しいことをむしろ利点と考えているフシもあるので、そういう考えの持ち主を説得することは非常に困難です。
--------以下省略
成程と思うこと多数。自責をするところも多数。
プロと言うのもなるのは難しいものであります。そうなると愚弄されるような場面もありましょうし、たとえば今日の朝日新聞(東京)ではあった(内容については、この話ですね)のですが、リタリンの依存症に関する医師の投薬規制に関しても、その業務を担う分掌内容によっては功罪有るわけで、そこを誰が悪いかどうかと言うのを言い出すのは余りいいことで無いと思っています。
失敗学という部門については私はかねてから話をしていますが、まあ出来るだけ工夫したりしても、(プロにとっては本当は言い訳にしかならないのだが)いい製品にならなかったりする場面ってのは、残念ながらあるのです。良かれと思ってやった設計(治療もそうですかね)でも、実は大変な瑕疵を含んでいることがあるというのは正直言ってあるんです。そこで出来るのは、PDCAを早く回しリカバリーを大切にすることなのですが、そのリカバリー方法が失敗するとますます「火に油を注ぐ」ことになりますから、非常に細かなシナリオを書いていくしか処方はない。勿論医療も同じことになるのでしょう。それでも瑕疵は瑕疵です。ここがプロの苦しみであります。しかも人によってその良し悪しがぶれるもの(意匠・芸術・文筆の内人文系に関するもの)にいたっては、言い合いになるだけで積極的な意味を持たない事も多いことに気がつきます。
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人間、うっかり「理想的」な設計をしたら、えらい構造になってしもた、と言うのは、10/10のエントリーの建物がそうでしょうね。別にこんなことは良く有ること。人間全てこういうものの中に暮らしていてると思うぐらいであるのです。
余り浸りこむと問題があるという議論も有るのですが、歎異抄にはこのような文が有ります。親鸞が作り出した概念と言うわけではないらしいのですが、明文化したものとしてはこれが一番明確でしょうか。
第3章:善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善の人(善人)は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれら(悪人)は、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。

往生という、殺生に関わる字面にあまりこだわる必要はないですが、私たちは「悪人」であるという認識(それは意図してなったのではなく、そうなってしまう性に有るのではないか)を持つということなのでしょう。

かつて私はhttp://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2007/07/post_6ca4.html
において、占いの結果として、こう書きました。
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いろんなサイトで占いをやってみたり、占い師のところに行ったり。最近の事例を3つほど。
(1)確かにあなたは今、日々努力を重ね、将来の夢に向かって前進しているのでしょう。しかし、現実はそう甘くはなく、つらいことのほうが多いのでは? (中略)努力が無駄になっている現状をあらわしているのです。
 では、なぜ自分自身を見つめなければならないのかというと。あなた自身は、夢や目標、あるいは地位や名誉のために一生懸命努力をしているつもりかもしれませんが、気づかないうちに迷惑をかけていたり、他人を振り回している可能性があるからです。
たとえあなたにそのつもりはなくても、周囲からひんしゅくを買うようなことをしてしまっているのかもしれません。心当たりがあれば今すぐにでも態度を改善するべきでしょう。
もし心当たりがまったくないのなら、あなたは今、自分しか見えていないということです。今の仕事でいつか成功したいと願うなら、まず自分自身の行ないを見つめ直すことが大前提。そして、自分一人だけの力ではどうにもならないことがあるということも、肝に銘じておきましょう。そして、周囲の人々との関わりを大切にしてください。そうすれば、少しずつ夢や目標の実現に近づいていくことでしょう。

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激しく同意された方もおりますし、まあ私もうすうす感じていたことなんですが、実は我々は意図して災いを作ろうとしているのではないはず。しかし、生きるからには誰かを蹴落とさなければならないのも事実で、日本以上に海外では深刻な話である。このような世界だと他力本願に徹する考え方を否定できないというのも、厳然たる事実かもしれぬ。
私がカラオケでよく歌う歌であるが、もう50年近く前の歌である。(じきに著作権が失効する)歌は採譜ということなのだが歌詞は1959年に書かれたもののようである。この歌詞のなかには、しらふになると非常にシニカルな場面を感じる。(けどなあ、これを接待でするから私は「接待カラオケ」と揶揄されるorz。)
一部記載する(なおBLOGなどで版権主張を有しないものに関しては、歌詞のみなら全文載せても特に問題がないという見解が出ているらしいが、まだ係争中のためここでは関連しているもののみを示す。)
ありがたや節(有難や節)
アーティスト ●守屋浩 作詞 ●浜口庫之助 作曲 ●-採譜- 森一也

有り難や 有り難や  有り難や 有り難や
金がなければ くよくよします  女にふられりゃ 泣きまする
腹がへったら おまんまたべて  命つきれば あの世行き
有り難や 有り難や  有り難や 有り難や
(中略)
近頃地球も 人数が増えて 右も左も 満員だ
だけど行くとこ 沢山ござる 空にゃ天国 地にゃ地獄
有り難や 有り難や  有り難や 有り難や
(後略)

究極はここまで割り切らなければ、命がいくつあっても足りない。しかしそれは悪人に自ら身を沈めることでも有るのかなあ
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(注)「朝(あした)に礼拝(らいはい)・夕べに感謝」というのは、東本願寺の近所に本店を構える全国でも有力な仏壇店の宣伝コピーかつ意匠(にこの文章が入っている)ですが、同じ言い回しはあちこちの仏壇店で使ってるようです。

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