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間違いはあることだが

今般沖縄で生じた737-800の事故(参考としてこちら。今現在の日本版は中国語の翻訳ということで注意書きがあるためこちらを参考にした)については、ボルトの組み付け不良に起因した燃料タンク破損ということが今のところは有力であるが、まだ確証有る論議は出来ない状態である。こういう報道の常であるが、初期報道にはかなりの「ダッチロール」があり、その収斂にはやはり時間がかかることは、どうしても有るんではないかなと思う。しかもそれを誘発する報道合戦が、不確定な報道を誘発しているのだとは思う。
その誘引にボルトのワッシャーがないという意見があるが、スプリングワッシャーならともかく、平ワッシャーで緩みを期待することは、機械要素を知ってると課題としての優先順位としては低いという論がある。(とはいえリンク機構のなかに、スプリングワッシャーが配置されることが最適ともいえない場合もある。)そもそものこのリンク機構・構造にも問題があると当方は考えてるのであるが、今の段階では即断するいい材料を持たない以上、この文言にとどめておく。ご参考としてhttp://subal.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_6c50.htmlのサイトなどが非常に役に立つと思っている。
航空事故というもの全体は、比較的その解析を丁寧に行う傾向があり、今後この内容は明確になってくると思うから、時間を掛けて問題分析を行うことによって事実と対策が明確に出てくることを願う。
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で飛行機事故という意味を一寸脇に置いておいて、こういう情報混乱状態で、捏造誤報という見方に飛行機が出てくる事例がある。
引用http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no41.htm
●「戦後の3大誤報」
マスコミに誤報はつきものだが、それにしても、数え上げればきりがないほど多い。中でも、俗に「戦後の3大誤報」と「平成の3大誤報」と呼ばれる誤報がある。「戦後の3大誤報」とは、次の3つである。古いことなので、高田秀二著『物語特ダネ百年史』(実業之日本社 1968年刊)からの引用を交えて、やや詳しく紹介しておこう。
(1)伊藤律架空会見記  (1950年9月27日付け朝日新聞夕刊)
東京本社発行の夕刊社会面7段で扱った日本共産党の「伊藤律単独会見記」は記者の完全なでっちあげだった。伊藤律氏はレッド・パ-ジで地下に潜行中だったが、その記事の見出しは「姿を現した伊藤律氏 本社記者宝塚山中で問答」「徳田氏は知らない 月光の下 やつれた顔」となっていた。この記事は、3日後の9月30日付け夕刊で「ねつ造記事と判明した」として、陳謝と全文取り消しの社告で抹消され、縮刷版のこの日の社会面の中央は白紙になっている。
『朝日新聞社史』昭和戦後編125ページに「伊藤律架空会見記」の項がある。
(2)もく星号遭難事故で死者の談話掲載  (1952年4月10日付け長崎民友新聞)
消息を絶った日航機「もく星号」は伊豆大島の三原山に激突して遭難と判明。乗客全員が犠牲となり、(当時)戦後最大の航空機事故となった。しかし、当時は情報の収集が困難で「全員救助」の情報が乱れ飛び、一部の大新聞も「全員救助」と書いた。しかし、長崎民友新聞は「漂流中を全員救助 危うく助かった大辻司郎」の見出しの下に長崎に向う途中の漫談家大辻司郎の話として「漫談の材料が増えたよ」という談話を載せた。原因は、汽車で先行した秘書が「全員救助」の情報を耳にして長崎民友新聞に知らせたためで、同社は翌日社告を出して読者に詫びた。
(3)皆既日食観測成功の記事(1955年6月20日 共同通信社)
セイロン(現スリランカ)で失敗に終わった皆既日食観測を成功と報道。実況放送を予定していたセイロン放送がなぜか「日本のラジオへ」「見える、見える!火炎に包まれた太陽が・・・」と放送しているのを受けて、予定稿の「成功」の原稿にゴ-サインを出した。ところが、観測は天候の急変で中止となり、誤報となった。
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(1)に関しては伊藤律氏は当時中国に亡命していたようである。
一応(2)の誘引を色々調べると・・・

日本航空「もく星」号墜落事故
 1952(昭和27)年4月9日午前8時7分頃、羽田発大阪経由福岡行き日本航空「もく星」号マーチン202型機(正しくはマーチン2-0-2という。米国マーチン社(後にロッキード社と合併し、現ロッキード・マーチン社)製)(N93043)が伊豆大島の三原山御神火茶屋付近に墜落。運航乗務員2名、客室乗務員1名、職員1名、乗客33名(福岡行き26名・大阪行き7名)、計37名全員が死亡。当日、情報錯綜し、一時海上への不時着水や全員救出が報じられるなどしたが、墜落現場は翌朝発見された。
 事故機の残骸は直線を描く形で散乱し、遺体の損傷も航空事故としては少なかったことから、事故機は水平飛行に近い状態で、予定された飛行ルートに針路を取って飛行中に山に機体を擦るよう状態で接触したことが明らかになった。事故機は通常は高度6000ftで飛行すべきところ、高度2000ftで飛行し山に接触したことから、この点が事故原因調査の焦点となった。
 但し、当時日本の航空界は、第二次世界大戦敗戦により、直接の航空活動を禁止されており、日本航空もその運航は、ノースウエスト航空に委託、機材・運航乗務員とも米国人であった。さらに航空管制も米空軍の管轄にあったため、管制ミスの疑いもあったが、証拠となる交信テープの提供を米軍から受けることが出来ず、真相が明らかにされることはなかった。運輸省の事故調査会はパイロットミスを濃厚に漂わせる報告書を残し、公式事故調査を終えた。(予定されていたことだが、直後に制空権は日本に戻る)
 なおこの航空機は事故がおおかったようで、全製造34機中全損事故は13機、163人が死亡しているという。(客室与圧がない上に、設計不良と言う指摘もある。それでか、与圧設計を行い、翼部を改良した後継機マーチン4-0-4が開発された。)主にノースウエスト社で使用したという記載もある。それだからか、日本航空(特殊会社)が正式に発足すると、この機材はすぐノースウエスト社にもどされた・・のは運行委託といういみでも理解できる。
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そこはともかく、恣意的な誤報はこのように有るが、これは潜在的には約30倍の軽微なミスが有るのかとおもう。(ハインリッヒ則からの推測)。そう考えると、やはり性急な情報収集は誤解のネタになるということは厳しく自戒するべきである

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(PS)ところで私は、大辻司郎と言う名前に反応してしまった。で調べると・・・
●大辻司郎 (おおつじ しろう)1896(明治29)~ 1952(昭和27)
大正・昭和期の活動弁士、漫談師 :活動弁士染井三郎に弟子入りし、東京浅草の帝国館で初舞台。松井翠声・徳川夢声らとともに人気を博し、牛込館・葵館・金春館などに出演。奇声と珍妙な台詞でうけ、関東大震災後、〈語る漫画〉の意で「漫談」の語を創始し、以後寄席などに出演するようになった。日航機〈もく星号〉大島墜落事故で遭難死した。現代の漫談の形の原型を作った人物である。
というそうとうな人物であることがわかった。(当代の桂米朝師匠の記載にもある)
ところが、私の知ってる人はどうも違う。なぜか、それは「ゲバゲバ90分」に出ている姿なのである。独特の風体で知られたすがた。そこで更に調べると・・・
●大辻司郎 (おおつじ しろう)1935(昭和10)~1973(昭和48)
昭和期の俳優:東京都出身。父親は漫談家大辻司郎。本名は寿雄。最初は伺郎を名のっていたが、父没後、司郎とした。早大中退後、演劇の世界へ。 1960(S35)増村保造監督「足にさわった女」から脇役から頭角を現し、その後、市川崑作品に次々に出演。1966NHK「おはなはん」で人気を博した。しかし、73年5月21日、仕事の行き詰まり(一時的に仕事がなくなったらしい)と借金を苦にし(ホテルで)自殺した。故人の遺志で目はアイバンク、遺体は順天堂大学病院に献体。複数の記載によると、大辻司郎はTBS「キイハンター」でも、何回も違う悪役で出演したほか、 ゲバゲバにもレギュラーでとある。実写版の「ハレンチ学園」(当時の東京12チャンネル)にはヒゲゴジラの役で出ている。(のちに藤村俊二にかわる)つまり硬派な個性をもつ俳優から、タレントへの変換を計った過渡時期だったようだ。大辻司郎の自殺を聞き、三国連太郎は「モラルが彼を殺したのだ」と語ったという。(但しその趣旨は私には分からない。厭世自殺という説もある。)

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コメント

> 日本航空(特殊会社)が正式に発足すると、この機材はすぐノースウエスト社にもどされた。
確かにこういう書き方をしている資料も多いのですが、この事例は
> 日本航空もその運航は、ノースウエスト航空に委託、機材・運航乗務員とも米国人であった。
とあるように現代でいう運行委託ないしはウエットリースであり(N93043のレジもリースであるため)、日航の自主運行開始に伴ってノースウエストに返還されたのは業界慣行上も当然のことです。
また自主運行開始後の機材(ダグラスDC-4)の選定にこの事故が影響を与えたのは否定はできませんが、DC-4が当時のベストセラー機で中古市場でも潤沢に出回っており、また堅牢性・安定性にも定評があったことを考えると、事故がなくてもDC-4が選定されていた可能性が高いと思います。

投稿: TX650 | 2007年9月 1日 (土曜日) 20時07分

>日航の自主運行開始に伴ってノースウエストに返還されたのは業界慣行上も当然のことです。
これはまあ慣行的にいえると思います。(ウエットリースという所は存知ませんでした。)
>また自主運行開始後の機材(ダグラスDC-4)の選定にこの事故が影響を与えたのは否定はできませんが、(中略)事故がなくてもDC-4が選定されていた可能性が高いと思います。
約100機製造のマーチン4-0-4も採用社自体は少なく、2社に集中的に用いられたようなので、DC-4採用は、この事故が無くても有る意味当然なのかなと思っています。
なおマーチン2-0-2自体の信頼性は英文WIKIにはA7075-T6(超々ジュルミン)の金属疲労に由来するのような表記がありますね。

投稿: デハボ1000 | 2007年9月 1日 (土曜日) 20時36分

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