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芝の浜辺

「芝浜」という噺をご存知だろうか。
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古典落語の演目の一つ。人情話の定番として有名であるが、関西ではほとんど語る人が居ない。初代三遊亭圓朝の作とされる。戦後は三代目桂三木助が十八番。現在では広く演じられ、七代目立川談志の十八番としても高名。 また当代五代目三遊亭円楽は闘病復帰後、国立劇場演芸場でこの噺をしたのだが、思ったとおりの噺とならず、結果的に彼はこれが元で高座から降りる決意をする。また南原清隆氏はホール落語で高座に上がって「芝浜」を何回かやっているらしい。(高松一高時代に落語研究会に属していた故。)映画題材としても、サイレント時代から何回か使われているみたいだ。
演者によって、かなり味付け・アレンジが異なる。そこは「妻」のポリシーの反映なのだが、落語愛好家のなかにも趣旨が異なる解釈で、意見の相違がある。その意味ではかなり作り変えが効くストーリーであって、たとえば林家たい平による、『芝浜』の現代版『SHIBAHAMA』がある。ただしこちらは夫婦ではなくカップルであり、サゲは同じだが、意味合いが異なるらしい。
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古典落語としてのあらすじ
流し売りの魚屋の勝は酒におぼれ、仕事に身が入らぬ日々が続く。 ある朝早く、女房に叩き起こされ、嫌々芝の魚市場に向かう。(芝浜は現在の東京都港区東部に位置するJR線路沿いの田町駅北西側。近代に大規模な埋立事業が行なわれる(ちなみに江戸時代から埋め立ては行われている)まで、海岸線は現在よりも内陸部に存在した。東海道線の位置は敷設当時は埋立した築堤の境界線上であった。従って「芝浜」は現存しない。)
しかし時間が早過ぎ市場がまだ開いていない。 誰も居ない浜辺で煙管を吹かしていると、偶然財布を見つける。 開けると中には目を剥く程の大金。 有頂天の魚屋は自宅に飛び帰り、仲間を呼んで浮かれ気分で大酒を呑む。
翌日、二日酔いで起き出た魚屋に女房、酒代をどうするのか、とおかんむり。 魚屋は拾った財布の件を躍起になって訴えるが、女房は、そんなものは知らない、と言う。 焦った魚屋は家中を引っ繰り返して財布を探すが、何処にも無い。
魚屋は愕然として、ついに財布の件を夢と諦め、魚屋は酒を断ち、心を入れ替えて真剣に働き出す。懸命に働いた末、生活も安定し、身代も増え、やがていっぱしの定店を構えることが出来た三年後の大晦日の夜、魚屋は妻に対してその献身をねぎらい、頭を下げる。ここで、女房は魚屋に例の財布を見せ、告白をはじめる。
あの日、夫から拾った大金を見せられた妻は困惑した。横領すれば窃盗罪。(江戸時代では10両(後期は7両2分)盗むと死罪。)長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、妻は夫の大酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言い切る。しかし遂に落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の魚屋に財布の大金が下げ渡されたのであった。しかしこの真相を知った魚屋は、妻の背信を責めず、道を踏外しそうになった自分を助け、真人間へと立直らせてくれた妻の機転に感謝する。
妻は懸命に頑張ってきた夫の労をねぎらい、久し振りに酒でも、と勧める。はじめは拒んだ魚屋だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」
しかし思い立った魚屋、次には杯を置く。「よそう。また夢になるといけねぇ
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6代目立川 談笑が、これの改作を行っている。そもそも彼は改作が非常に多いらしいが、私には一寸つらいなあと思う。これが題して「シャブ浜」(おい)
あらすじ
トラック運転手の勝はあまりにも不規則・過酷な勤務で参ってしまい、ドラッグ(多分これは駄洒落だろう)におぼれ、仕事に身が入らぬ日々が続く。 ある朝、妻に叩き起こされ、しぶしぶ芝公園にて暇をこいている。誰も居ない公園で、偶然ジュラルミントランクが、植え込みの中に隠してあるのを見つけ、開けると中には目を剥く程の大金。 有頂天で自宅に飛び帰り、遊び仲間を呼んで浮かれ気分で3日間ラリッて騒いで大騒ぎ。
気が付いたとき妻は、コンパニオン達への支払いや酒代をどうするのか、とおかんむり。 ジュラルミントランクの件を躍起になって訴えるが、女房は、そんなものは知らない、と言う。 家中を引っ繰り返し、公園まで行ってジュラルミントランクを探すが、何処にも無い。彼は愕然として、ついにジュラルミントランクの件を夢と諦めるが、結果的に彼はシャブの件で警察に引っ張られる
3年後、トラック会社で経理事務担当になり生活も安定しだしたある夜、彼のところに妻と5歳の子供がやってくる。彼は侘びをいれ頭を下げる。ここで、妻は彼に例のジュラルミントランクを見せ、告白をはじめる。
あの日、夫のドンちゃん騒ぎを憂いて妻は困惑した。横領すれば窃盗罪だが、それ以上にこれでは身体もダメになると考え、妻は夫の不覚・・トリップ状態に乗じて「ジュラルミントランクなぞ最初からない」と言い切る。ところが遂に所有者が現れなかったため、大金が戻ってきた。しかしこの真相を知った彼は、妻の背信を責めず、道を踏外しそうになった自分を助け、真人間へと立直らせてくれた妻の機転に感謝する・・・。(おちはいわないでおこう)
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確かに、現代的に噺を持ってきており親子の会話をいれるという面白い演出(・・私は、息子を入れたこと自体は演出では、一つの手だとは思っているが、それは、この場合禁じ手だよ・・)を見せている。しかも師匠の十八番を使うところ(しかもあの師匠ですからねえ)はそれなりの意欲を感じる。しかし、演出が足りないなあ、もう一つという感じが個人的にした。勿論古典のそのものを聞いてるだけに、私にその先入観が有ることは否定しない。けれども、むしろそこにこだわることなく、完全な新作に軸足を移すのがいいのではないかなと思う。
自分で、落語台本を書いてみることを少しずつはじめている。勿論ほとんどは習作であり、この場面にも持ち込む力を持たないレベル。けど本当にこのようなストーリーを作ることはじぶんで熟成したものを、納得の上出さなければならない。よっぽど勉強しなければならないと思う。ところが、セミナーのパワーポイントを作って自分で演出している姿は実は似てるところがあるんではないか。ある意味セミナーの講師をするということはその類型をケーシー高峰に見ることが出来るのではないか。一つでも覚えてくれたら儲けもの。ただそれを忘れないで欲しいというコンセプト。私はそう考えているんだが、これって間違い?
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コメント

芝の田町は歴史があるようで、昔の海岸線だった雑魚場跡などあります。当時の写真も一度、図書館で調べたことがありますが、田町-品川の鉄道が海に面して走っていました。

↓下記、参考資料です。
http://ginjo.fc2web.com/004sibahama/sibahama.htm

投稿: KADOTA | 2007年9月 8日 (土曜日) 22時19分

>昔の海岸線だった雑魚場跡などあります
この雑魚場のあとは面白いですね。(関西には桂ざこばと言う落語家が有名ですが、雑魚場の意味だそうです)

それにしても、このHPですが柳亭痴楽の「痴楽綴り方教室」が載っていて非常に面白いですな。この人闘病生活が長く私、見たことがなかったのです。

投稿: デハボ1000 | 2007年9月 9日 (日曜日) 04時50分

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