« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月の記事

訴求することにBLOGを使う

以前、有る人のBLOGにこういうのがありました。(私は、この情報を、間接的な形でみているんです)
「アルファブロガー」という定義が有るそうです。(WIKIにも説明があるそうですが、それはともかくとして)人気といういみでのみならず、世間の意識熟成に非常に高い影響を及ぼすものだといいます。

孫引きの形になってしまいますが・・・
----------------------------------
「モバイルとPCのはざまで」というブログに「アルファブロガーはみんな窓際族だ」という投稿があるのですが、これによると、「アルファブロガー」の共通点として以下が挙げられています。
(以下引用)--------------------
(注:http://blog.livedoor.jp/ujimacha/archives/50195969.html
わりといい企業に勤めている、もしくは勤めていた
・ネットが大好き。ネットの中で人と出会い、交流し、ネットを吸って生きている
・そこで得た感覚を元に新しいビジネスをやろう!と思って会社で企画を上げるがなかなか通らない
・でも俺はきっと正しいはず!と思っている
そんな思いをブログでぶつけて大評判
会社の人間よりネットの人と喋っているほうが刺激的なのでそちらにできるだけ多くの時間を費やそうとする
・ただしそこで得た刺激は仕事にとって有用(=会社にとっても有用)と考えているので後ろめたさはない
・その時間を作るためには仕事(雑用)に押しつぶされてはいけない。したがって自主的に窓際族になる
ここでいう窓際族とは、会社の花道から外れることで、社内の目では気づかない刺激を会社にもたらす人を指す。類義語は「一匹狼」。
(引用終わり)------------------
このなかで、斜字の部分は私には「全部がそうとはいえないのではないか」と思えるところです。
なお、私がそのような、「アルファブロガー」というステータスになろうという気は有りませんし、その器にさえいたらないとおもっています。ただ、色々意見はありますが、閉鎖的なmixiのほうに移行する気が無いのは、いろんな見かたが世間にはあるわけで、そこを聞いて、常にアンテナを張る必要は必ず有ると思っているからです。コメントを求めてるのはそこにあります。
もう一つは、文章のみで訴求がどこまで達成できるかという自己研鑽の意識はあります。書いた物はあとから残りますから、それを見直すという行為はやはり必要だし、時にはこの文章を雛形にして、別のものに使う場合もあります。(逆に、その意味でいうと、匿名でもオープンにした以上、版権主張はしないつもりです)いままでずーっと写真・図版類を使わなかったのは、その表現力の限界に挑戦したいという意志があったからですね。
思えば、「一匹狼」的なところは、以前からあったようです。会社に勤めている時代、「それは、会社員としては、意図ならず不利に追い込まれる場合もあるよ」という意見もありましたが、「だからこそ、おまえは使えるんだ」と言う人があい半ばしていたというのは、事実ですね。
で、その目的が達成できているかと突っ込まれると、はなはだ疑問ですが。そこは各位のご判断におまかせします。

ところで、私が身体があまり丈夫でない(どころか・・・・という突っ込みは無しの方向で)ことは、みなさんお気づきだろうと思いますし、加えて遠隔地在住の親族にもそういう問題がではじめました。そのため、時として予告無く、更新やレスポンスが滞ることが有る可能性がおこると思います。一寸そこはしばらくの間事情を承知・ご配慮いただきたいと思います。

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

コンビニエンスな世界

サブカルチャーと言う言葉が言われて久しい、TVの深夜番組はそれの萌芽である。ただそれは多くは不愉快な人がありうるということから、ゴールデンに移行すると平板な番組に移行してしまうのが大概である。そのなかでポリシーをあまり変えず25年間その位置を守り続けていたのは、1982年~現在まで続く「タモリ倶楽部」である(参考:こちら
さて、この番組のサブタイトルは何回かかわってるのであるが、「CONVENIENCE CABARET」→「FOR THE SPONTANEOUS(:自発的な)PEOPLE」→「FOR THE SOPHISTICATED PEOPLE」(現在)なのだそうで。
-------------------------
ここではコンビニエンスということを考えてみよう。そこで一番なじみの有るのは、「CONVENIENCE STORE」ですよね。ここではあえて会社の意図を外すためにWIKIを使って一寸比較してみよう。
日本の大手コンビニエンスストア の売り上げは、
1:セブン-イレブン
2: ローソン
3:ファミリーマート
4:サークルKサンクス
5:デイリーヤマザキ
6:ミニストップ・・・イオン系
7: am/pm
8: セイコーマート
9: ポプラ ・・・酒類商起源の独立系(6個の名称を使い分けている)
10: スリーエフ・・・横浜の冨士スーパー 系

だそうだ。
1;セブン-イレブン (7-ELEVEn)
米国発祥で、日本におけるコンビニエンスストア最大手。日本ではセブンアンドアイグループの持株会社である、株式会社セブン&アイ・ホールディングスの子会社、株式会社セブン-イレブン・ジャパン(Seven-Eleven Japan Co., Ltd. )が展開。
コーポレートスローガンは、「セブン-イレブン いい気分!」で、開業当時から使っている。以前は「開いててよかった」もあったが、1990年代には消滅。
7-ELEVEnの最後のnが小文字である理由は「7 ELEVEN」として登録の際、“単なる数字では商標として認められない”と言われたから、という説がある。(詳細不明)
1973年11月 - 株式会社ヨークセブンを設立し、アメリカ本社のサウスランド社とライセンス契約を締結。
1974年5月 - 東京都江東区に第1号店「豊洲店」を出店。
1975年6月 - 福島県郡山市虎丸店で24時間営業開始。
1976年5月 - 出店数100店舗達成。
1978年1月 - 社名を株式会社セブン-イレブン・ジャパンに改称。
1979年10月 - 東証第2部に上場
1980年11月 - 1,000店舗達成。
1984年2月 - 2,000店舗達成。
1987年4月 - 3,000店舗達成。
1989年12月 - 米国サウスランド社からハワイ事業部を買い受ける。
1990年6月 - 4,000店舗達成。
1991年3月 - 米国サウスランド社の株式を取得し子会社化。
1993年2月 - 5,000店舗達成。
1995年5月 - 6,000店舗達成。
1997年6月 - 7,000店舗達成。
1999年11月 - 8,000店舗達成。
2002年2月 - 9,000店舗達成。
2003年8月 - 10,000店舗達成。
2004年1月 - 合弁会社「セブン-イレブン北京有限会社」設立
2004年4月 - 中国・北京で第1号店出店(北京市東城区・東直門店)。
2005年9月1日 - セブン-イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂、デニーズジャパンの3社で株式移転により持株会社・セブン&アイ・ホールディングス設立。
2005年11月9日 - 株式公開買い付け等によりアメリカ法人の7-Eleven Inc.を完全子会社化
国際的展開:20ヶ国程度にコンビニエンスストアチェーンを運営する。日本、アメリカ合衆国、カナダ、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、韓国、オーストラリア、中華民国(台湾)、中華人民共和国、香港、マレーシア、メキシコ、フィリピン、タイ王国、シンガポール、プエルトリコ、南アフリカなど。
発祥の地は米国テキサス州オーククリフ。名称は、アメリカ本土では当初、朝7:00から夜11:00 (23:00) まで営業していた(現在は24時間営業が多い)ことから由来している。日本でも以前はこの時間帯で営業している店舗も多数あったが、現在は例外的な一部の店舗を除いて、全て24時間営業。
セブン-イレブンは特定地域へ集中出店するというドミナント政策を基に店舗展開を行っている為、店舗数の割には未出店の地域が多く、2006年12月時点でも未だ青森県、秋田県、富山県、石川県、福井県、鳥取県、島根県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、鹿児島県、沖縄県の13県が未出店地域となっている。原因はコンビニATM未設置地域も関係する。(他系列のコンビニチェーンが優勢であるのも未出店地域が多い要因である。東海3県は元々同じ米国系だったサークルK(現・サークルKサンクス)の本拠地であるため、進出が遅れた。岩手県は一関市に一軒だけあるが、実際は宮城県のデリバリー範囲だかららしい)地元資本によるエリアフランチャイズは認めない。このことは、採算という一面もあるが、CEOの商品品質に対する絶対的信頼の確保が優先されている結果である。
-----------------------------------
じつは関西ではセブンイレブンが余り目立たなかった。これはイトーヨーカドー自体が脆弱な地域であったからと考え、デリバリー基地の確保が必要というのを考えたからであるのかも。本体のイトーヨーカドー自体も進出もなじめないらしかった。店が綺麗でも高値志向の店ではという「民族性」ともいえる判断。とかく安価で供給を切らさないという店(これはダイエーのイメージが強い地域であるから)という仕打ちにあう。
ところで登場当時「エイト・テン」というバッタモノの連鎖店が東北地方であった。
(PS:今でも一部ではのこってるそうな)
-------------------------------------
2:株式会社ローソン(英称:LAWSON,INC.)
国内店舗数2位(2006年6月末現在)のコンビニエンスストアチェーンで、最初に全都道府県に出店した。
なお別会社でかつてサンチェーン名で西日本を中心に展開していたが、後に統合している。元々のミルクショップローソンはアメリカ・オハイオ州のJ.J.ローソンが1939年に同州に開店したショップ。ローソンの看板のミルク缶のマークはそこから由来。牛乳のおいしさが地域の評判を呼び、ローソンミルク社を設立して日用品を販売するチェーン店の展開を開始。その後コンソリデーテッド フーズ社の傘下となる。
日本では1974年にダイエーと提携。翌年ダイエーが大阪府豊中市に1号店を開店してスタート(注)。大阪市、神戸市など関西地区を中心として店舗数を増やしていく。創業期のローソンはアメリカ風高級デリカテッセンとして、客のオーダーに応じてその場で作るサンドイッチや輸入食料品が中心の展開であった。
(注)1972年ごろ、京阪宇治線三室戸駅前にグリーンのカンバンの「ローソン」という店があった記憶がある。この駅は観光基地でも有るし、朝夕は隣接した高校(私立宇治高校・・現在の立命館宇治高校である。高校は移転しいまは学生寮になっている)の客で混雑するが、その実、日中は無人駅になる閑散駅。私はここにセミナーの用事があり何回かでかけたから印象がつよいのだが、ここにて有る製品がすべてダイエーブランドだった記憶がある。考えると、京都ではダイエーの店舗は地元の反対で1975年まで開業できなかったこと。しかもこの当時ダイエーは創業地が守口市ということから京阪沿線を重視していたし、その支線である宇治線沿線にこんなのがこっそりあっても不思議がない。もしかしたらアンテナショップだっだのかもしれない
----------------------------
長らくダイエーが親会社だったが、業績悪化に伴い保有株の多数を三菱商事に売却し、業務提携を経て、2001年からは三菱商事が筆頭株主。
コーポレートスローガンは、「マチのほっとステーション LAWSON」。以前は「開いてます あなたのローソン」。
沿革
1974年 - ダイエーが米国コンソリデーテッドフーズ社とコンサルティング契約締結。
1975年4月15日 - ダイエーの100%子会社として、ダイエーローソン株式会社を設立。
1975年6月14日 - ローソン1号店「桜塚店」(大阪府豊中市)が開店。
1976年8月 - 関東エリアへ出店開始。
1976年10月 - 株式会社TVBサンチェーンが設立。
1976年11月 - サンチェーン1号店「駒込店・町屋店・富士見台店」(東京都)3店同時に開店。
1977年12月 - 関西エリアへ出店開始。
1979年9月 - 株式会社ローソンジャパンに社名変更。
1980年5月 - 九州・東海エリアに出店開始。
1980年9月 - ローソンとサンチェーンが業務提携。
1981年 - 中国エリアに出店開始。
1985年8月 - 四国エリアへ出店開始。
1986年3月 - 北海道・北陸エリアに出店開始。
1989年3月 - 株式会社ローソンジャパンが株式会社TVBサンチェーンを合併し、株式会社ダイエーコンビニエンスシステムズ(D-CVS)に社名変更。
1989年 - 本社機能を東京都港区芝浦へ移転(サンチェーン本部機能との集約)。
1996年6月 - 株式会社ローソンに社名変更。
1997年7月 - 沖縄県に出店開始、全都道府県進出を達成。
2001年2月 - 筆頭株主がダイエーから三菱商事になる。
サンチェーン
キャバレーハワイなどを経営していたTVB(トライアル・ベンチャー・ビジネス)社が、成長が見込めなくなったキャバレー事業から経営の軸足を移すため、CVS事業に進出。
第1号店オープン以後、主に関東と関西を中心とした大都市圏に出店。CMは、昼夜を問わず頻繁に放映され、なかでも1986年ごろ「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)の放映時に流れた「♪あっかるいね あったかいね サンチェーン」というCMが、当時広く知られた。
1980年には同じダイエー系列で関西基盤のローソンジャパンと業務提携し、商品の共同開発など積極的な交流を行った。ローソンとの店舗ブランド展開エリアの再編成を経て、1989年に運営会社が合併。
-----------------------
じつは大学時代、住んでいたところはローソンとサンチェーンが混在し競合するエリアだった。たしかにまぶしいぐらい電灯がついている。ところが、深夜に買いに行くとサンチェーンでかうとすると、あまりにもひどい。賞味期限の額面上管理ができていないのである。しかたなくローソンに動くのだった。末期のサンチェーンが使えない状態なのは、流通事業のノウハウが不足していたみたいですね。出自の問題と言うことはあったのかも思える。
-----------------------
3:株式会社サークルKサンクス(英称:Circle K Sunkus Co., Ltd.)
コンビニエンスストアのサークルKとサンクスの運営会社。
●サークルK
サークルKの由来は米ザ・サークルK・コーポレーション(以下「米サークルK」)の前身であるテキサス州の雑貨店から。1979年愛知県が地盤のユニー株式会社(以下「ユニー」)が米サークルKとライセンス契約を締結し、翌1980年に第1号店を名古屋市に開店。1984年にユニーの完全子会社としてサークルケイ・ジャパン株式会社が設立され、ライセンス契約を継承。1993年に米サークルKから日本国内における商号、商標を買収。
また、ロゴは諸外国のものと異なり、赤い○の中にKがはいっているもの。故に「マルケイ」と呼ばれることがある。(注:とはいえ、このKの下が円につながっていますね。一説にはバス会社として上越市付近である頚城自動車がこのマークをつかっていたのを回避したからかも。なおこのバス会社は軽便鉄道を出自としており、戦時中は敵性言語と言うことから物言いをつけられたのに、「○にK」から「○にけ」(「○にケ」だったかもしれないとしたぐらい根性の有る会社。)なお諸外国では、赤地に白抜きで、その中にkが入るもの。
●サンクス
1980年に設立され、同年第1号店を仙台市青葉区八幡町に開店。 翌1981年に関東地区第1号店を東京都中野区、1982年に北海道地区第1号店を札幌市、1989年に関西地区第1号店を大阪市に開店した。サンクスはもともと長崎屋グループだったが、長崎屋の業績悪化時に、転売の結果ユニーとサークルKへ売却された。サンクスの名称は、SUN Kids USの略。旧キャッチフレーズは「すぐそこサンクス」。
----------------------------
実は私の本格的なコンビニ経験は、サンクス第1号店なんです。この店は非常に広いのですが、特徴的なのは、洗濯機と乾燥機が並んでおり「クリーニング設備」を具備していたことだった。他のGrでも初期の店には時々あった。なんとなく懐かしい(今は引っ越したらしい)
----------------------------
4:デイリーヤマザキ (Daily YAMAZAKI)
店舗数業界6位(2006年6月末現在)山崎製パンの子会社。
旧来からの「ヤマザキデイリーストア」と「サンエブリー」から順次「デイリーヤマザキ」に切り替わっているが、小規模な店舗の中にはフランチャイズを終了して独立店舗となったりヤマザキショップに転換する例も見られる。
歴史
1977年5月 - サンエブリー第1号店(東京都豊島区)がオープン。
1978年5月 - ヤマザキデイリーストアー(東京都板橋区・軍司店)がオープン
1980年9月 - 山崎製パンの営業部門にデイリー事業部設立。
1982年1月 - デイリー事業部とサンエブリーの業務を統合し、株式会社サンショップヤマザキを発足。
1999年1月 - 社名を株式会社デイリーヤマザキに変更。「デイリーストア」と「サンエブリー」のブランドを「デイリーヤマザキ」に順次統合
-----------------------
ここは経営方針に脈絡がないなあということと、パンヤさんがかなり言ってることがある。ただ主に地場の業者が転換しているため、地元密着型であるから意外と地元の商工会になじんでたりする。他系列では、コンビニが地元の商工会に入っていないことはごく普通だそうな。
-----------------------
7:am/pm(エーエム・ピーエム)
アメリカ、日本及び韓国で展開。フランチャイズ店はメキシコ、ブラジル、アルゼンチンにも存在する。店名の由来は、am(午前)でもpm(午後)でも関係なく24時間営業することから。キャッチフレーズは「あるといいながある」。
日本のam/pmを運営する、株式会社エーエム・ピーエム・ジャパンは、レックス・ホールディングスの子会社(62.6%)。1990年4月、共同石油(現ジャパンエナジー)の完全子会社として設立されたが、2004年8月に買収されてレックス・ホールディングスの傘下に。(注:ここに問題なのはなぜ共同石油なのか。これはセルフスタンド併設を意識していたということが、当時明確に示されている。しかし結果的にこの対応が成り立たなかった。共同石油(ジャパンエナジー)系だったため、郊外店は共石(JOMO)のサービスステーションに併設されているところが多かった。レックス・ホールディングス傘下になってからは、住宅地を中心に新規展開している。また、新業態の開発にも意欲的であると思われる。2005年より新業態コンビニの実験展開を行っている。
---------------------
これは、ガソリンスタンドのセルフ化の中に取り込もうとしたものである。ジャパンエナジーがてこ入れしたのはアメリカのイメージを持ってきたものである。結果的にはそうなっていないが、当時石油業界が閉塞感覚にあったことから、やる気の有る人材やPOS知識に明るい技術者が、かなり流れたと聞いている。進取の機運はそこに有るみたいだ。
----------------------
8:セイコーマート(Seicomart)
主に北海道を地盤とする。本社所在地は札幌市中央区。1971年にコンビニエンスストア業態の最初の店舗を開店しており、日本国内では最古参の部類に入る。セイコーマートは現在のコンビニ業界においては異色といえる。当初の同社の利点は、酒類販売免許を得にくい全国チェーンに対し、酒販店からの転業が中心で、また北海道内では旧産炭地で廃業した酒販店の免許を多く転用できたため、ほぼ全店で酒類販売をおこなえた点にあった。しかしそれだけに満足することなく、早期から独自性を打ち出し、物流の足がかりを整え、的確なマーケティングを行ってきたことで、他の酒販店系チェーンを抑え、今日では全国チェーンと対等にわたりあえる強固な基盤を持つまでになった。
大手流通系のコンビニチェーンと比べると、生鮮食品や酒類の品揃えに重点をおき、価格も他のチェーン店より少々安い。また、1995年に始まった自社プライベートブランド商品は、ソフトドリンク、酒類、牛乳、鶏卵、アイスクリーム、米など約800商品(2004年)にまで拡大しており、品質の高さと低価格が顧客の支持を受けている。
北海道では最多の店舗数を誇る。北海道を訪れ、オレンジ色の見慣れぬコンビニの多さに驚く人も多い。茨城県、埼玉県にも店舗を展開している。
-------------------------
北海道に来たなあということを印象つけるものである。余談であるが、統計上、店舗数/人口というと北海道はコンビニが非常に多いのですが、逆に一般の店が少ないということなのね。でも、東京・神奈川・埼玉が多いということにはならないらしい。
-----------------------------------------
追加:ホットスパー(HOT SPAR)
関東地方、東北地方、沖縄県などでチェーン展開しているコンビニエンスストア。とりわけ茨城県と沖縄県に強い地盤を持つ。地域にもよるが、通称「ホッパー」または単に「スパー」。
ほとんどの店舗は株式会社ホットスパーコンビニエンスネットワークスを本部とする加盟店である。
歴史
1977年12月 株式会社カスミにより、茨城県地区スパー本部株式会社として設立される。実験店オープン(茨城県土浦市)。
1980年5月 社名を関東地域スパー本部株式会社に変更。
1985年3月 ホットスパーの1号店オープン。
2001年7月 社名を株式会社ホットスパーコンビニエンスネットワークスに変更。
2001年10月 完全親会社、株式会社ケイアンドシー設立。
2002年5月 株式会社イズミックに株式会社ケイアンドシーが保有する株式会社ホットスパーコンビニエンスネットワークス株式の全部を譲渡し、完全子会社化。株式会社ケイアンドシー解散。
----------------------------------
この実験店というのは、一時すんでいた土浦市の町外れに有るのだが、郊外店である。ただバス(をを、今はなき、日本観光バスだあ)にのっていってみて驚いたのは「コンビニというより、喫茶室」なんである。おいしい朝食をトレーで持ってこれたりした。しかし、実際に展開したのはごく一般的な店舗で、落胆したことがある。
----------------------------------
こう見てみると、実はわたしの社会人としての折々にコンビニが関わっていたみたい。
ただ、一つ変わったのは、夜中に行っても「立ち読み」をしている人がいつも居るようになったということ。実は眠らない町になったというのは、環境と言うことを別にしても、人間の考え方などをかえてるんではないかと思う、否定はしないが、いかに変わったのかはつきつめなければならないかも。実はコンビニは、「CONVENIENCE CABARET 」にほんとうになってるのかもしれないな。

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (7) | トラックバック (0)

21世紀を担う技術者

機械学会誌2007/7 (No.1064)には最近のいろんな場面での学生の技術者継続教育についての真摯な報告が載っている。確かに、いったい理科大好きな子供達はどこへ行ったのだろうと考えること小一時間。(苦笑)
----------------------
物を作ることは、すべからず、砂遊びやブロック遊び(レゴなんかもそうでしょう)を含む。その砂の山からミミズを見つけてみたり、犬の糞を掘り出して大騒ぎになったり、レゴを口に入れてしまったり、マンションの窓からおもちゃを落として下の自動車を傷つけたり(実際に、「あのー、うちの車の上にK奈中バス(ダイカスト製)が落ちてましたがというのがあった(恥))というのがあって、そこを見ることによって段々とスキルが上がっていくことが期待されているのだが・・・・
物を砂で作れば、崩れていく事から、壊れる場面を会得することが出来る。物を落とせば音がするし、自動車の屋根をへこませた(・・・・廃車直前の12年物でよかった・・・・)ことから重力と力をイメージすることが出来る。ステレオのスピーカーを触れば、音は振動の伝播であることが分かると思う。それがわかってから物理や数式がわかっても遅くはないとは私は思ってる。けどねえ、小学校・中学校ではこれが、今必ずしも多くの学校でこれがうまくいっているとはいえないなあという感覚を強くしている。自分の子供時代と、自分の息子・娘の話を聞いてみるとまずいなあと言う感じがするのだ。
----------------------
(1)息子の中学校では科学部があり、なぜかそれに入っていたのだが、指導の先生が熱意がなく、(勿論子供もたちだけで実験機材をだすわけにいかない)まともに活動が出来ない。予算に余裕がなくて、実験機材も買えないと言う話も有る。
(2)私は、その能力はともかく、実験は好きだったと思っている。それが客観的な問題かはともかく(爆笑)、実験資材は触らせてくれた。(中学で)夕方勝手に実験室に行って、実験助手さんにたのんで実験をして楽しんでいたものである。酢の物は嫌いなのに、氷酢酸の匂いは好きだった
(3)今息子の通ってる私立学校に、なんかクラブが有るのかと聞いてみると、野球部と介護福祉サークル以外は特になにも実態がないよ・・ということである。でPSPにはまる様子。勿論ゲーム脳とかいう分析をする気はないのだが、バーチャルリアリティーを余り浸りこみすぎると、リアルな世界が体感しにくいのかなあと思ってる。
(4)自分は自転車の分解組立にこっていたことがあった。(その技量は聞かなかったことに・・・・)高校のころ、同級生に自転車部品工場経営者の息子がおり(今でこそ業務縮小しているがその筋では有名・・・。いまは従業員21人てのには時代の流れを感じるなあ)ちょっとした部品を貰ったり工具をかしてもらったり、挙句の果ては手伝いに借り出したりしたことがあった。で、昼休み時自転車(ママチャリ)の分解をはじめ気がつくと、5・6校時をすっとばしてやっていて、教師におこられもせず、ただあきれられた記憶がある。
(5)別に妻のご機嫌を取ろうというのではないのだが、なぜか、当方の妻は屋内電気配線を自分でいじるし、電気関係はモーターをばらすし(組立はしない・・おい)工具を買って来て電話配線を延長するし・・・ということを勝手にするのだ。よく考えると、義父が僧職の傍ら、電気・電工技術者であったことから、家庭内の配線関係を全て自分でやっていたこともあろう。ちなみにCB250に乗ってツーリングしていたことも有る。(したがって、以前私が自動二輪にのってるのをみて、一言「社会の迷惑」(泣))
(6)大阪府内の公立高校で教鞭をとっていた知人は、5年間も課外授業(化学・生物)の費用が全くでないことに悩み、これではやってられないというわけで、私立高校に転職してきた。決して多くないが、出るだけましだそうである。最近聞いたことによると、当時は実験機材不足のため実験を行わず、講義ではVTRを流すばかりだったそうな
---------------------
勿論、私の経験だけで言うことではないが、巧拙はともかく物を触っていない技術者は、確かに一般的な設計、配置設計、開発設計、加えて計算工学に関しても、習得が遅いと思える。当然メンテナンス、検査に関わる専門技術者もそう。すべからず管理監督者が懸念するのは、CADオペレーターさんの技術習得(基本的なところ)に関してもその弊が見られること。ところが派遣社員として雇用する場合、執務内容に「CAD操作」と規定して採用すると、現物をさわって習得してもらうことをすると、契約違反として、時に派遣元会社から契約変更を求めてこられる場合がある。(私の記憶に拠れば、安全靴を支給したところ、時間賃率が1.5倍UPした提示をされたこともある)管理監督者としては、図面をみて、それがどのように反映されるかで目で見て技能向上をしてもらいたいし、本人が結構達成感を感じるのも見ている。だけど、それは契約の枠に縛られると難しい。また、当時の勤務先は、中途採用を主に派遣社員のなかから、2年をめどとして本採用転換を進める事も多く、非常に悩ましいものであった。(2年というのは法的典拠も有る
---------------------
ここまで書いてきた趣旨をよんであれと思われるとおもうが、勿論先端開発・先行開発者の養成としてついついこのような優秀な工学技術者を視野にしてるようにみえるかもしれぬ。けど本当は、中堅の設計者が本当はこれらの意識鼓舞をしなければならないということをひしひしと感じている。グループリーダークラスなら、以前なら進むべき方向を間違えたとなるなら、営業のほうに視野を広げるという見方も出来るし、基本技術から特許管理に志向するという別のベクトルを選んでもいいのである。(そういう方向性が適する技術者というのも、企業としても技術としてもまた重要で有る。)ただ、実務に関わる人は、グループリーダーに対して的確な事実判断を面前でしなければならないし、それが完築されたからこそグループリーダーの志向も定まるのだから、その適切なプロジェクトとしての判断力の根幹が、中堅技術者の認識力というのなら、そこの人員育成がやっぱりキーなのである。
----------------------
キャリア形成という意味で、色々言われているが、その根底は物を触ること、物に触れること、物を見つめる事、そしてそれを継続することだと思う。いやあ、別に人に触れること(・・・嫌がるところはダメ(苦笑)・・・)、人を見つめること、そしてそれを継続することはいっしょだろうなあバーチャルも必要、だけどその経験は必ずリアルがあるから成り立つんですよ。どう?
----------------------
機械学会誌2007/7 (No.1064)P34 日産自動車㈱八谷氏の記載にこんなのがあった。
(1)現場・現物・現実を自分の目で見て、課題を自分の中で明確にすること。
(2)海外の技術者に同じ質の仕事を期待するには、理屈でなく身体で覚えてもらうこと
(3)他の企業と協調して進める際には、相手の強みや得意な部分を尊重し、自分の強みを補間させあいより良いものを追求すること
読み返してみると、「なんだ当たり前のことしかいっていない」と感じた(以下省略)

当たり前であたりまえなのである。医療関係でも同じなのだが、其の認識を熟成するというところにも、抜けがあるならば、なんとかしなければならない。医療分野でもスキルの問題は深刻ですよ。結構。
さて、工学系の人に誤解が有るのは「工学離れが進んでいるのに、医師離れは進んでいない、なぜそこまで私たちは・・・・」という見方。これは私は、たんなる旧来の意識に引きずったものではないのかなと思っている。工学は人命をあづかる物を作ることもある。医学は当然人命を直接扱う。本質は関与内容の濃淡があるのだが、臨床を主とする医師はハイリスク・ハイリターン・かつ夜勤も常態化した重荷重作業であることが、一般市民・志願者にあまり伝わっていない(し医師側も殊更これを使命感という概念で進んできたからか、高らかに言うことがなかった)ということなのであろう。本質が分かってないのにそこで齟齬が出ても、何の解決になってないと思うのですがねえ。

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

試し「発泡酒」(2)

ご無沙汰しております(苦笑)、冷房のない部屋で1日寝ていたら体調を崩しております。医者の待合室で点滴みたいなのをうけながら「熊谷では40度を突破して・・・」なんてTVはみたくないですな。いわゆる夏ばての見本を体を張って演じております。
-------------------------------------------
お暑い最中、ご来場ありがとうございます。一席勤めさせていただきます
 お外はあついでしょう。この時期みなさん、どうしても飲み物が多くなりますよね。あんまり暑いものだから、仕事がおわるとどうしてもビールで一杯ということになります。お好きな人は結構なものですが、中には下戸という方もいらっしゃいますから、相手さんの体調などを調整してお酒をたしなむのは「(「しょこたん」のまねをして)大人のマナー」ですよね。なんでも日本人は決して酒の強い民族ではないそうで、そこはかんがえなきゃなりません。
ところが、お勤めなどをしてますと、飲まないわけにいかないということもでてくるんですな。私がお仕事をしていた当時、夏場になるとノート片手に担当がやってきまして
「えーと、今週の暑気払い参加されますよね?」
「金曜日でしたね・・・・・・うーん」
一応は管理職ですと皆さん参加されるんですけど
「・・・わかりました。で・・・」
管理職ですと8000円になります」
「はいはい。ご苦労さんです」
といいながら、こんな日は決まって急な会議なんぞが入ってきて、そうでなくても食あたり気味だったりして、大体参加なんかできるわけもなく・・・なんです。まったく暑気払いでなくて金払いですわ。まあ世の中ってのはそういうものなんですな。しかも仕事の内容によっては、思いもかけないことがあるというのも、皆さんご経験されてることなんではないでしょうかね。
-----------------------
事業部長、こんな暑い日に一緒に来ていただいてもうしわけありません。しかも自動車でなくて」
「いやいや、力の有るお得意さんのたっての頼みだ。これもお仕事。そうだな。終わったら、一杯ほどほどだがどこかでやるか」
「いやあ、ありがたいお話です。あっ、つきましたね。では・・・(ガラガラ)まいど、近江屋商事でございます
「はい、お世話になってます。社長、近江屋商事さんがお見えです。」
「・・あー、、応接室におとうしして。こんにちは、ああ事業部長さんですが、これはどうもどうもお暑い盛りにお呼び立ていたしまして(後ろに)つめたい茶を3つね。(前を向いて)ヒマラヤ工業の社長でございます。」
まあ暑い盛りですが、室内はそこそこ冷房もきいています。というわけで3人は、いつもの商談を始めるのですが、なんか社長は考え事があるようで、
「事業部長。はなかなかやりますよ。うちから一寸した注文をお願いしても、なにか必ず、使い方をきいて、もっと便利な工具や部品を教えてくれるんですよ。いやあ、今までの担当者さんから変わったときは一寸心配もあったのですが、いやいやたいしたもんですわ。」
「いやあ、ごひいきにありがとうございます。」
「それからねえ、同業者さんにも彼を紹介しているんですよ。」
「ほう。最近新規のお客さんがおおいとは聞いてますが、社長の紹介でしたが」
「はっ、はっ、いやいや、紹介できる人材だからこそ紹介するんですよ。なにぶんにもうちらの業界は仕事が終わると即酒というのがおおいんですわ。そこにジョッキ片手に入り込んで、困りごとをきいてきて、いい工具や使い勝手のいいものを提案してくるんですよ。頭の中がカタログかよといいたくなるぐらいですわ」
「おいおい、キミはどこでそんな技を見につけたんだい。けどな、確かにキミは酒は強いよな」
「そうでしょ。私は『コイツはざるだな』とおもってるんですよ。しかもその最中にぷっとそとに出て行ってなにしてるかというと、オタクの会社に携帯で電話して、在庫があーのこーのとかやっとるの。みてまっせえ」
「ああ、そういえばえらい騒ぎの中から電話して、ガードレールの発注をかけて居ったな。あれ飲んでいたのか」
「でへへ。すみません」
「まあいい、社長、コイツはザルではないですよ。ワクです。底がないのですよ。まあ座は明るいのですが、一緒に行こうとすると財布を心配しなけりゃなりません。ははは。まあ今後ともよろしくお願いいたします。」
「わかった。あっ5時。1時間たったな。ワン・アワーってか。・・・ところでだな。近江屋さん。今日これからじかんありますかな?」
「はあ?」
「実は一席近所に設けて有るんですよ。ぜひともご予定がなければ3人で一献といきませんか。いやいや、高い店でないですよ、私のなじみの店です。暑い盛りでも有るしどうですかあ・・・・・・」
「・・ええ。わかりました」
-------------------------
 あーいってしまった と彼が思ってもさすがに事業本部長相手ではたち場と言うものがありますし、ここまでほめてもらってる社長のお勧めとなれば断れません。事務所をでた3人はとことこと外にでて、ひいきのちょっとした料理屋に行くことになります。
「まいど。大将、例のものはいってる」
「はーい、はいってますよ」
「まあ、お二人ともお座りになって。彼は『ワク』だとおっしゃいましたね。で、じつは一体彼がどれだけのめるのか不思議でならないんですわ、そこで一寸協力してもらおとおもいましてな。」
「はあ」
大将が突き出しと一緒に缶状態のものを持ってきました。
「こちらに6本3まとめの発泡酒があるんですが、これだったらぜーんぶキミのめるだろうと思ったんだわ。どう。やってみる。今後の販路も考えてるんだから一寸やってみない?」
販路・・・いやあーこれは参りましたな。事業部長としてはキミにやってみることをお勧めするぞ
「(おや・・・すこっと意見を変えたぞ・・・まったく販路とか言う言葉に弱いんだから。でどれだけ・・げげっ「ラクダ印:美麗」500cc缶18本かよ。うーん自信がなくなってきた)・・・あのー一寸ご相談ですが、少し考えさせてもらってもいいですか。」
「ほうー、まあ考えることは一寸わからなくもないなあ。こんなにぞろぞろ並ぶと圧巻たからなあ。ダメならダメっていってもいいぞ。けどわかってるだろうなあ。ははは」
「すみません、20分ぐらい考えさせてください。表へ出て考げえて・・・」
「あァ、どこへでも出て考えたらいいよ。 あァいい、待ってるから大丈夫だよ」
----------------------------------------
まあ、さすがに彼は外にでていきました、その間、小鉢ものなんぞを事業部長と社長とは突っつきながら世間話をしていますと、そのうち彼が少しなんとなく赤くなりながらもどってきました。
「どうだ、決心はついたかい。興奮してるみたいだな
「社長、大丈夫と言うことがわかりました。それではやらせていただきます。」
「おお、元気だのう。元気が一番。げんぎであればなんでもできるってか。」
炭酸が多い飲み物の場合、のどをかぽっと広げて舌を通さず胃の中に直接流し込むという方法があります。コーラの一気飲みなんかと同じですな。
(立ちあがって)READY GOと言う掛け声と一緒に構えた缶を上に持ち上げて、口に流し込みます。あいた缶は事業部長が取り上げ、栓を開けた缶を社長が渡す。さすがにこれを10缶続けると時々炭酸がゲップになりますから、腹を押さえてガスを抜いてから、またはじめます。一缶ごとに酔いが増して、10缶から最後の18缶目は客席も思わず固唾(かたず)を飲むが如く。しかしからだがゆれ、言葉もろれつが回らなくなってくる。
----------------------------
「はーい。おわーりまーし-たー。ゲップ。ありがとーござーいましたっと。」
「おーやったやった。まあ、そこに座ってくれ。さすがにワクというだけのことはある。今後もよろしくお願いしますよ・・・やんややんや」
「社長。いやどうもありがとうございました。」
「いやあ。彼は男だのう。見直したわ。さあ、大将、つまみを持ってきて。ほいほい。刺身も有るぞ。」
「いやー、すこしやすませてください。」
「うーん、これはたいしたもんだ。この酒をしっかり飲みつくしたとは・・・・そこで一寸教えておくれ。さっき『考える』といって外へ出かけたがそこになんかみぞがあるような気がするなあ。さしつかえなければその極意を教えてくれないかい?薬をのむとか秘法はあるのか?どこへ行っていた?」
と社長が尋ねると・・
いやー、いつも発泡酒ってのはねえーーーージョッキでのむんでねえ、計りのみしたことがないんですわ。これはやってみなわからんなあとおもったんですよ。そこが心配でなんねえですわ。」
「うん」
でーすかーら、向かいに皆さんがいつも集まってる、たち飲み屋があるっでしょ
「・・・」
そこで、9Lはかってえもらってー、のんでみたらですよ。のめまししした・・・いやいや、のめましたのでえ、だいじょうぶだなああ・・・ってことでもどってきたーんですよ。ってなわけ。」
「・・・・えー、てことは18Lものんだって事かい?」
・・・・おい、一寸待て。そんなことなら事前に上長に相談せんかい
「まあまあ。とりあえず、そこにもたれていなさい。大将、座布団何枚かもってきて、いや横にしたらあかん、吐いてしまうから」
社長はまだ状況を理解しているんですが、事業部長のほうはただ頭を抱え込んで座り込むばかり。
あーいかん、一気飲みはしたらだめだぞと若い者には常々朝礼で言っておるのに・・・・・こともあろうに私が加担するとは
「どうだ、大丈夫か」
「社長。だーいーじょーぶでーす。1時間ゆっくりこうしてればもーとーにもーどーりまーす。」
「1時間?1時間でいいのかい
「だって飲んでるものが発泡酒ですからあ、1時間でアワー(泡)が抜けます。」

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

試し「発泡酒」(1)

落語好きには、良く演じられるのもある演題だと各々比較し面白がる人間が多い。「寝床」なんか有名ですな。ちなみに明治時代の創作らしくこの噺の中にこんなのがある。大旦那の下手な義太夫を聞かされるのを断る言い訳なのだが。
せっかくの大旦那の義太夫ではございますが、成田の講中にもめごとがございまして、明日の朝いかなければならない。汽車は5時に出るそうですから、今回はごめんなさい
この場合、鉄道史ハンドブック(和久田康夫著)によると総武鉄道が本所(錦糸町と両国の間と考えてください)から佐倉までつながるのが1894/12、成田鉄道が佐倉-成田を開通するのが1897/1であるから、時期が特定できる。(なお、我孫子経由なら1901年、京成電鉄の前身が成田付近に達するのが1920年代である。)
この他には、演者によって省略する場合もあるけれども、
最近お上のほうで、衛生に関する取締りがよく行われているのに、なぜに大旦那の義太夫が取り締まれないのか(大泣)
というのもあるが、旧日本軍は衛生に関する研究を精力的に行い、その国内普及をおこなった結果(ペストの撲滅のためにネズミを駆除したなど)と徴兵制の絡みで、衛生教育が国民に浸透したという話があるから、これも時代背景がよくわかる。(具体的な例としては、正露丸は、元来水の悪いロシアへの侵攻のため、「征露丸」として兵に配布したもの。その後市販されたが、今で言うスイッチOTC薬みたいなものではないのかな。)

反対にこれは案外なかったものである。
日本の話芸 落語「試し酒」NHK総合/デジタル総合 演者:桂文楽
放送日 :2007年 8月 5日(日)午前5:15~午前5:45
ジャンル :劇場/公演>落語・演芸 ~東京・イイノホールで録画~

を見た。当方はこれを高座で見たことがない。というのは演者の技量(特にしぐさ)が試される噺。話の本筋は非常に簡単なのだが、その中の薀蓄などを聞かせるところが、結構、落語家の資質に依存するのである。(しかも、この話は、人間国宝であった五代目柳家小さん師匠が得意な演目であったため皆さん遠慮している処があったようだ。ただ、五代目柳家小さんがお亡くなりになったあといろんな方がなさっているようだ。)
----------------------------------
試し酒』のストーリー
商人:近江屋の主が一辺に五升の酒を飲めると聞く、下男の久造をつれて、お得意さん回りに行く。
「どうだ、五升の酒がのめるか」
「さァあ・・・のんでみたことねえから、わかンねえな」
「ご馳走するよ、いま。もしね、うまく五升のめたら、お前さんに褒美(ほうび)としてお小遣いをあげよう。どうだい」
「あれ、酒ごっそうになって、そのあげくに褒美に小遣(こづけ)え貰えるですか・・これァ・・どうすべえ、旦那さま」
「まァいい。じゃァごっそうンなンなさい」
「ええかねェ・・・じゃァご馳走ンなるべえかなァ」
下男の久造は褒美の小遣いと引き換えに、五升の酒に挑戦する破目(はめ)になってしまう。もしも五升の酒が飲めないと旦那はこの家の主人を招待して伊豆に三日間招待する(注:料理屋でもてなすという演者もあり)ことになるというので、久造は少し心配になってきた。
「弱ったな、おらのめなきゃおめえさま散財(さんぜえ)ぶつだな・・・旦那さま、ちょっくら待ってもらいてえ。おら、少しべえ考げえるだよ」
「考える・・・いいよ。お考えよ」
「表へ出て考げえて・・・」
「あァ、どこへでも出て考えな。えェ? あァいい、待ってるから大丈夫だよ」
 主人が用意した一升入りの大杯には「武蔵野」という銘がついている。武蔵野の原は広い、野が見つくせない、「のみつくせない」という洒落である。しばらくして、久造が戻ってくる。
「おォおォ、帰ってきた・・・あァ、こっちィおはいり。どうした、考えたか」
「いやァはァ、考げえました・・・お待遠(まっとう)さまで・・」
「どうする、のむかい」
「のましてもらうべえ」
「おゥおゥ、支度(したく)がしてあるんだ。じゃァすぐやっとくれよ」
一升入りの大きな盃(さかずき)で久造が一杯また一杯と五升の酒を飲むところは落語家の芸のみせどころである。一杯ごとに酔いが増して、最後の五杯目は客席も思わず固唾(かたず)を飲む。(何人かの演者のを聞いてみたが、ここで最後必ず拍手が起きる盛り上がる場面
五升の酒をしっかり飲みつくした久造に感心した主人が、さっき「考える」といって外へ出かけたが秘法はあるのか?どこへ行っていた?と尋ねると・・
おらァ五升ときまった酒ェのんでみたことがねえだ。心配でなんねえからな、そいから表の酒屋へ行って試しに五升のんできただよ
------------------------------------------
「現場」「現実」「現物」という実践研究・・・ではなくって、いまなら、一気飲みの「あおり行為」である。色々と酒に厳しい現代、絶対問題になるでしょうな。
さて江戸時代は、泰平な時期もあったからだろう、今でいう大食い選手権みたいなものが流行していたらしく、汁粉32杯、盛そば63枚、たくあん20本、醤油一升八合、塩3合などという記録が文献にあるらしい。それでは実際に人はどれくらいお酒を飲むことができるものか。江戸時代の文化十四年(1817年)旧暦三月に両国の万八楼で行なわれた大酒飲み大会の第一位は三升入りの盃で六杯半、二位は同じく三升入り盃で三杯、三位は五升入りの丼(どんぶり)で一つ半であったという記録が残っていると聞く。まあ私たちは大人のお酒の飲み方で「いっき」ならぬ「粋(いき)」に楽しみたいもの
かく言う当方も、学生時代1.8リットル(一升)以上のんで朝4時ごろうちに帰り、友人も我が家に泊まらせて寝たのだが、朝、心臓の状態がおかしくなり騒ぎになった事が有る。そのとき私は「もう酒は一生のまぬ」なんて騒いだらしい。ところが明けたこの日当方は別の知人の引越しの手伝いをすることになっており、むりむり応援に行ったが、その後手伝い代替りということで、又酒である。事由が事由だけに飲んで帰ってきた。後ほどこの顛末を聞いた引越しを頼んだ知人曰く「もう一生のまない?。ちがうだろう。もう『一升』はのまないの間違いだろうに!(苦笑)
---------------------------
ところで、落語芸術協会のHPからたどるとこんな薀蓄が入っている。
http://www.geikyo.com/beginner/repertoire_detail_ta.html
よくお客様に「この落語は古典落語ですか、新作落語ですか」と聞かれることがあるが、古典と新作の区別ははっきりしない。というのは古典と称される落語も誕生したときは当然新作なのである。江戸の頃「今、新しい噺を書き上げた。新作が出来た!」という「新作」という言葉の使い方をしたであろう。当然「古典落語」なんて言わなかったと思われる。落語中興の祖三遊亭円朝は人情噺しから怪談噺しと数多くの落語を残しているが、円朝物を「新作」という言い方はしない。立派な「古典落語」とされる。「古典」と称されるのは、噺の展開、オチのよさ、作者本人のみならず誰が演じても面白い、完成度の高いものを言いはじめたようである。その意味でこの『試し酒』は立派な「古典落語」である。
この噺は今村信雄氏(注:明治時代の落語作家・落語評論家)によって書かれたものであるが、同種のものに、初代快楽亭ブラックが演じたものがある。そこでは飲むものは酒でなく、ビールで演じたということである。(注:演題「ビールの賭け飲み」)
逆に初代快楽亭ブラックをの生涯を研究したこの本によると、初代快楽亭ブラック(英国領オーストラリア生れ)は『英国小話』として演じ、速記本が残っている。また、中国の小話が元だという噺も有る。とにかく、50年前以上の噺。著作権に問題がないといえよう。
なお、フジテレビのサイトからダウンロードして、こういうのが聞けます。これもなかなか聞かせる。
http://fujitv.cocolog-nifty.com/yose/files/02.08tameshizake.mp3
演者:橘家圓太郎師匠(春風亭小朝師匠門下の惣領弟子) 解説:塚越孝(フジテレビアナウンサー。元ニッポン放送アナウンサー。2006/4(例の買収問題に関した)ニッポン放送再編に伴い、フジテレビ編成製作局アナウンス室移籍。落語評論の連載多数。)
---------------------------------
ビールは明治時代は貴重なものであり、また今に比べた場合炭酸濃度が低く、腐敗防止のためのホップが多く、大量に飲むのは胃に負担がかかりそうだが、一方、酵母の消化促進機能を期待して、薬局で処方された事例も有るらしい。参考。確かに生ビール酵母をとなると「エビオス」という薬が昔からある。なお薬局ルートは、今までの清酒の流通関係に関わる商社が、ビールの流通関与を断ったからと言う説も有る。
どちらにせよ、日本で行うのは時期が早かったと思われ、この後、「玉川上水で割って客に出す薄い酒のことを金魚酒(金魚が泳ぐほど水っぽい酒)と言う」話を枕に、(演者;初代快楽亭ブラック)単純に日本酒に変えた例も速記本として残っているという。(金魚酒の由来は諸説有る。)
けど今なら、ビールや発泡酒でこの話を作りかえるとどうなるか。倫理概念の変化を取り込むと、結構面白い話にならないだろうか。特に今のビール類の酒は炭酸が強いから別の意味で違う話になる。というわけで、酒に対する環境が、飲酒運転・アルコールハラスメントなども含めて変わってきている現在、枕も含めて改作に一寸トライしてみようか。
(続)
ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

失敗の中に経験を拾う(4)

承前

ここまで書いてくると、問題の認識が不足し(3)コミケーション不足だということになるのだが、それ以前に使用者がカードの情報の管理・契約内容などをちゃんと認識しているのかと言う問題がある。

このお母さんや知人は、多分「デパートの出している」と認識したカードと「PASMOカード」の管理者の間でデータの交換が行われているのかという疑念を持っているようであるが、再三述べているように、これ自体は当然行われてしかるべきであり、正統な商習慣の範囲内だと考えている。必ず添付される約款を見ればそれは分かるはずであるし(小さい字だったりするから読みにくい事は時にある)、ポイントカードを作る段階で分かるはずなのである。(最近はこの手のカードを作るときに、情報を交換するなというところに印をつけると、データ交換行為をしないところもある)けど、この場合確認をしたか・・というとまずしてないであろう。以前なら契約内容の云々がほとんど使用者に対して「意味を持たないとみなしている」現実認識が一部の人に根強くあるからだ。
それと、「デパートが出している」と思われているカードが、実は「PASMOカード」も発行している鉄道会社本体の発行である場合もあるので、そこをしっかり書面で確認しているならば、可能性が容易に分かるのである。このことは、(3)コミニケーション不足と言うのは「約款確認をしていなかった」という業者と個人の関係という意味合いを含んでいるのだ。
もっと問題なのは、大手の会社(時と場合によっては政府)がやることに「間違い」はない、と考えることである。但しこの「間違い」という表現は「自分に対して不利なこと」と同じと考える認識がある。なに有ろう、お年を召した方ほどその認識が強い気がするし、私は一般的には関東より関西のほうがこの感覚が、強いような気がしている。
ここは推測であるが、関西での鉄道用カードの「与信業務」というのは実は「説明責任を果たさなければもめる」現状認識ゆえの策ということかもしれない。)

業者側にたってみたら、
「他人に対し空理・空論を吐いていないか。」
「ナゼ分かろうと、ナゼ知ろうと出来なかったのか」
ということになるわけである。
前者は、「理解できない人と言うのはいるのだから、そういう人に空理・空論を吐いていないか
後者は、「このような説明では分からないということを、なぜ分かろうと出来なかったのか
ということがいえるのだが、このことは逆に、契約した個人にも言えることである
前者は、「理解できないないようだということなのに、空理・空論を吐いていないか
後者は、「契約と言うものを、なぜ分かろうと出来なかったのか
--------------------------
会社員時代、私自身、製造物に市場クレームがあり、交換に走り回ったことがあるが、そこでであった現実は、取り扱い注意という説明書をいくらつけていて、免責範囲とまで書いてあっても、客先なり施工業者にその認識を持ってもらうことは難しいこと。(ブランドイメージが高いほど苦労する)たとえば機械油の交換をしたとき、油を顧客側で間違え、その結果破損し、事故をおこしたとしても、製造物責任として裁判に持ち込まれた例さえある。したがって20年前の製品とは比較にならないぐらい免責条件が付いている(顧客がメンテナンスしてくれとかいてあるものも、絶対触らないでくださいとした事例も有る。)のが、現在の製品の特長になる。つまり20年前の常識は捨てなければならないという、有る意味固有の知識の一部は廃却し、いれ変えなければならないことだ。(同時にPL面からの状況も20年前とは思いっきり変わっているわけだから・・・。)
以前書いたように、電子レンジを買ったときの取説に「電子レンジに動物を入れてはいけません」と本当にかいてあったのに驚いたことがあるが、そうしなければならない事実がある。(ちなみに、この電子レンジの話は都市伝説だろうと当初思っていたが、お付き合いの有るシンクタンクの研究員の人が、アメリカで専門家に聞いたところ、当事者で示談になりおもてざたになっていないだけで事実だという話を聞いてきたらしい。)
こう考えると、認識の違いや契約に関する共通認識を全てこれらの「サービス」を享受する人間は持たなくてはならない分け。けど、そこが認識できる人がすべてでないのは認めなければならない。そうなると、どう考えればいいのか。
サービスの中身をよく審査し、判断する態度(契約書・約款の確認)がすべてについて必要
ということなのだろう。(事実不動産取引に関しては、その説明などに不動産会社がすごく丁寧に行うことが常態化している。)それが出来ない以上、サービスを享受することを判断するスキルを生きていくうえで持つしかないし、できなければ撤退するだけの信念を個人が持たなければならない
たとえば、この場合、クレジットカードにしないという考えを持って、2つのカードを使用するという解決策を判断する能力が必要である。それがなくても生活できるということも考えると、それも選択肢では有る。また、その得失をよく理解し、有効に活用する必要性を感じるなら使うスキルを進んで持つという考えも有る。要するに自己認識力の問題である。
そういうと先に上げた文章が出てくる。
(1)・・・失敗を素直に認める。(臭いものにフタをするな。)
(2)・・・経験を生かして(技術の)進歩改善に役立てる
(3)・・・(他の人に)同じ失敗を繰り返させないことにする
自分で自分の身を責め、自分自身の中に反省を見出す事
括弧の部分を除くとこの事例を考えるに丁度いいかもしれない。
----------------------------------
さて、知人の話を一寸考えてみる。以前から割と判断能力については高い人で、かつ知見のある人だと見ている。しかし、実はお母さんの判断能力が時流に合わなくなっていたということが、かなりショックだったのではと思う。だからどうしてもエキセントリックな意見になったとは本人も言っていた。(「語ってしまいましたね。(笑)ごめんなさい。」というのも一片である。)そしてシステム全体を見ることが、自分がいながら出来ていなかったということに、「自分で自分の身を責め、自分自身の中に反省を見出す」態度が見られる。
このこと自体は自分も自分の親(70台後半)に関して意識しなければいけないことなのかなと、考えるところがあった。
ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

失敗の中に経験を拾う(3)

(承前
となると「失敗学」を日本人は、どう最適にハンドリングよく取り扱っていくかということを、既存の枠を外して考えたらいいかもしれない。そして実用的には「失敗回避技法」と解するべきではないかと。

新たな技術を考えるに当って、その技術思想と、適用する現場・現実・現物が違うことは良く有ることだ。「タグチメソッド」(TM:品質工学という場合も有る)の場合がまさにそうで、実際と理論を考えると乖離している。
品質工学」と言う概念を調べると分かると思うが、統計学の専門家が工業を中心にして解釈したら、この理論になるということである。提案されたときは統計学にはかなり論議が巻き起こったという、イノネーティブな議論だったそうだがいまでは世界が非常に崇高な理念を考えており、品質の評価としては(一部の問題は残っていると考えるが)各国で採用されることもうなづける。
ただ、ではこの考え方を実際に設計実務者や経営者、その他の開発を担当する人に解釈してもらうには非常に難しい理論なのである。となるとどうするか。マニュアル化するというのが一番なのであるが、それをするに当っては理論は抜いて「TOOL」(=「技法」)という解釈にするしかならない。かくて担当者に指導する人間は「レッスンプロ」みたいなものに特化する。
会社勤めのころ、品質工学に関する原価低減手法の指導を受け、実践を担当することになったのだが、詳細を勉強していくにつれ、「理念は非常に崇高である。しかし実用をする中身と乖離が見られる」と思い、その由、社内で報告書に書いたら、「言うべき言葉でない」と叱られた覚えがある。ところが、後年「品質工学自体は非常に有効だが、それを技法に使うと意義が変わってしまう」と大々的にいう大手電機メーカーが現れ、「おお、言いよったな」とほくそ笑んだ記憶がある。
日本は二重体系になっているからまだいい。アメリカでは「タグチメソッド」と言う名前になっており、日本以上に活用事例があるが、どういうわけか「TOOL」のところだけを珍重して使ってるところがほとんどなので、バックグラウンドが見えてない使用例が散見されるのだ。(具体例は省略)

同じことは、他の設計技術の事例でも見られるが、この具体例は止めておいて「学問」を「TOOL」にする場合の変化を考えてみよう。私の試論で有ることは承知いただきたい
(1)具体的なフォーマットを定めてしまう。(標準化)
(2)具体的な数値指標を定めてしまう。(定型化)
(3)具体的な使い方を定めてしまう。(ハンドリング向上)
(4)具体的な使用範囲を定めてしまう。(連鎖援用の防止)

従って、簡単に指導するため「41の原因から未来の失敗を予測」という表現を「失敗学」で用いる段階で「標準化+定型化+ハンドリング向上+連鎖援用防止」ということになってしまう。
他にも「問題解決の5レベル。40の発明原理。76の標準解。8つのパターン。39の技術パラメータ」という表現を用いるTRIZという技法がある。(いい説明がみつからないが、まあこちらなど)元の理論自体が、データベース解析からきているから、なおさら「標準化+定型化+ハンドリング向上+連鎖援用防止」が目的である。(但しこの組み合わせ数はざっと30万ぐらいになるのだが)
従って、「試験に出る英単語」が大学受験という目的だけであるのと同じと見ていいのではないか。(というのは、存命中の森一郎氏に半年習ったことがあるという稀有な体験をしているのだが、本人が、この本は「あくまで受験対策」という言い方であった。それなのに私の英語の語彙は増加しなかった(苦笑)。)
-------------------------
その意味から、「失敗学」と言う意味では畑村氏は体系をつけ、かつ実践されているのだが、中尾氏らの執筆した「失敗百選」はあくまで技法(=TOOL)だという位置付けだし、そこは割り切るしかないかなあと思うべきであろう。だからこそ結構誤謬や事実誤認があるという見方があるののも分かる。(但し:中尾氏は創造性設計の分野における一連の執筆に関して、非常にすぐれた文献を出している所は評価していいと思う)
-------------------------
というわけで、「失敗回避技法」という考え方に基くと、報告書形式による失敗の整理法:「題名」「事象」「原因ないしは推定原因」「対処」「総括」を使えということだから、これで先の事例を私の認識のレベルで解釈してみましょうか。いろんな見かたが出てくるのだ。
題名:PASMOのクレジットカードへの契約変更
事象:記名式PASMOをクレジットカードに変更する話を奨められた。その中身を判断し得ないスキルだったので契約しようとしたが、経理上の判断が付かなくなる可能性があることが分かった。
推定原因:当事者にクレジットカードを使う習慣がなく、またそのあたりの説明が理解できなかった。基本的に従来業務が広い意味でのデジタル・デバイドを持たなくていい内容であり、年齢的にも新たな習得はかなり難しかった。(注:デジタル・デバイド:パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、待遇や貧富、機会の格差。)また奨めたデパートの担当者も、その問題点を意識していなかったと思われる。
対処:この人の業務能力を知っている人間が実情をみて指導した。それによって、経理上の判断が付かなくなる可能性があることが分かったので回避した。
総括:デジタルスキル、デジタル・デバイドの問題を周知することが必要であるが、契約書などをよく確認することを認識してもらうようにした。今後、このような最近の動向を指導することによって、自分の能力に見合うか否かを判断する姿勢をもってもらう。
想定原因:(実際はこれでどうなったわけではなくヒヤリ・ハット事例であるがNo.15:特殊使用(想定外の制約) No.36:コミュケーション不足(個人の怠慢)
------------------------
もちろん、クレジットカードが悪いわけではない。それなりのスキルがあれば使いこなせるのである。今回はその危険性や煩雑性が大きすぎるという個々事例なのである。そこは間違えてはならない。個人の判断能力の問題になることから、悪意の産物という分類は使えないと思う。
反対に極端な例もしこれがいわゆる「オレオレ詐欺」(違う言い方になっているようだが)だったら、No.36:コミュケーション不足(個人の怠慢)、No.38:違法行為(悪意の産物)、No40:倫理問題(悪意の産物)となるわけである。

この見方も私の一面的であり、読み方によって、色々できるわけであるから、「学問」という考えをするべきではなく、あくまで絶対視しない「TOOL」=「技法」であるべき。そこを混在してしまわないという意味で、用語の使い分けをしなければならない。そこを提言したいと思う。
(続)

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

失敗の中に経験を拾う(2)

東京大学名誉教授である畑村洋太郎氏の著書、『失敗学のすすめ』(講談社) ISBN 978-4-06-210346-6 がある。(注:改版・改訂が結構頻繁に行われている。内容が微妙に違うことが有るのに注意)これによると、基本的には失敗学の基本は、下記であるという。
原因究明 (CA: Cause Analysis)
失敗防止 (FP: Failure Prevention)
知識配布 (KD: Knowledge Distribution)

で、彼は、この「失敗学」の提唱者である。ところで、この本を読んでみると、彼は工学部修士課程終了後某社の研究所に勤めるのだが、このときの経験が後の研究内容に役立っているということを書いている。でこの内容がなんと下記の例らしいのである。

コンセプト「失敗は教訓の素」・・(改過為福)
(1)・・・失敗を素直に認める。臭いものにフタをするな。
(2)・・・経験を生かして技術の進歩改善に役立てる。
(3)・・・他の人に同じ失敗を繰り返させないことにする。
「自分で自分の身を責め、自分自身の中に反省を見出す事」
「他人に対し空理・空論を吐いていないか。」
「臭いものに蓋をしていないか。」
「ナゼ分かろうと、ナゼ知ろうと出来なかったのか」
「失敗の中に経験を拾う」

これ考えると、前のエントリーの一番上に有る瑕疵の中身なんぞ、それそのものなんですよね。「ナゼ分かろうと、ナゼ知ろうと出来なかったのか」 「失敗の中に経験を拾う」てのは私の素質になかったのかと(以下自粛)
ちなみにこの概念は日本発で全世界にいきわたっているとはいえない。日本発の設計検討技術として諸外国に取り入れられた「タグチメソッド」(TM:品質工学という場合も有る)もあるから実績がないわけではないから、今後はどうなるか分からないが。
但しこれは、考え方ということだけで、問題探索活動は事故毎に世界の主要国では行われている。
・アメリカのタコマ橋の崩壊(つり橋の自励振動という未知の事例)
・英国製コメット機の相次ぐ墜落(応力下での疲労挙動の違いという未知事例)
・アメリカのリバティー輸送船の相次ぐ沈没(金属低温脆性メカニズムが明らかに)

というものは、問題解決を集中的に行った事例として、事故解析事例の3大事故といわれているそうな。たしかにコメット機に関しては「イングランド銀行の金庫を空にしても、原因究明せよ」という指示をした、時の首相チャーチルの言葉が残っている。その学習があって、アメリカは国家運輸安全委員会(National Transportation Safety Board、NTSB)を設立し、非常に強い調査権限を持って技術の進歩に貴重な研究を明らかにしているし、権限の違いはあるのだが、日本版としては航空・鉄道事故調査委員会(ARAIC)の意義がそこにあるというわけ。ただ、一般機械にその概念が整理されて伝わっていないところはあるね。・・・・
----------------------------------
ということを、仕事で関わることがあったので某所で少し話したのだが、その調査をしている段階でほーと思うことがあったのでかいてみる。
アメリカの設計工学の研究者の著書でその名も「失敗学」(原題:Success through Falture:The Paradox of Design)と言う本が今般出たので、早速買い込んで精読してみた。訳がこなれていないところもあるため、私の文章と同じく(撲)、読むのに苦労した。
さて、この本は名前こそ同じ字であるが引用文献(これはとても豊富)から見ると、日本の文献は一切載っていない。まったく別のものと考えるべきであるといえばいいようだ。ところが日本の成功例自体はかなり載っている。
彼は問題解決方法としてかなり広い事例を見ている。大学で教鞭をとり、専門は土木環境工学・建築工学史だそうであるが、技術史の知識が豊富。かれの出した事例はこの通り。
・アメリカのタコマ橋の崩壊
・パワーポイントのバグによるシステム管理の困難(過去の同様品・・スライド/OHPなど・・を意識しすぎたための設計に対する問題抽出概念の欠如)
・PC用CPUのハードバグ(事後フォローの錯誤)
・9・11事件の航空燃料漏洩によるニューヨークセンタービルの火災とそれに起因する崩落(第二次世界大戦時代の経験の伝達不足と想像力の欠如)
など多数の事例を示している。このバリエーションは確かに意味が有る。
(注:経験の伝達不足→1945年にエンパイアステートビルディングに戦闘機B-25型爆撃機が衝突したことがあるそうな。この事例を持ってくるのは背景が異なりすぎ、一寸ムリがある気もする)

ところが彼が語る技術志向は「失敗の中に経験を拾う」というところはおなじなのだが、そこから先はかなり異なる。というのは個人的資質の問題に段々帰納していくのだ。これはどちらかというと「技術者倫理的な視点」であって、これを否定することは出来ないことはいえるが、そこをシステマチックに見ずに個人の資質に依存するしかないというところで止まっている。すべからず技術史を学べということであるが、その手法では設計者による品質のばらつきがあるということを自動的に認めているわけである。単品設計が基本である橋梁をベースに考えてるからといっても、そこの考